第3話『宮原彩花』

 4月25日、木曜日。

 午前8時。俺は彩花と一緒に寮を出発して、私立月原高等学校へ向かう。高校は寮から歩いて7、8分のところにある。

 彩花が引っ越してきてから、俺は彼女と一緒に登校することが当たり前となった。1人で登校するよりは楽しいけれども。


「……あのさ、彩花」

「なんですか?」

「どうして今日は腕を絡ませてくるんだ? 昨日までは手を繋ぐのがやっとだったじゃないか」


 家では積極的で、俺に手錠をかけて抱きついてくるなど、躊躇いもなく俺に密着してくる。しかし、外に出た途端、急に汐らしくなって手を繋ぐことがやっとなのだ。そのときも顔は真っ赤で微笑む程度。あれか、内弁慶というやつか。

 彩花が腕を絡ませてくるからか、うちの高校の生徒から注目を浴びることに。恥ずかしくなってくるな。


「なあ、歩きにくいからそろそろ離れてくれないか?」

「嫌です」

「俺達は恋人同士じゃないんだし……」

「何を言っているんですか。昨日は私に手錠をかけて耳に息を吹きかけ続けたくせに。私、意地悪な先輩を感じることができて、ますます好きになっちゃいました」


 昨日のお仕置きは全く効果なし。やっぱり、ご褒美になっちゃったか。あそこまでお仕置きをすれば、今日くらいは俺との距離を少し置くと思ったのになぁ。


「先輩こそ、私の反応を見て楽しんでいませんでしたか?」

「……それは否定しないでおこう」


 だって、手錠をかけられた後だったから。彩花の悶える姿を見ると自然と楽しくなってくるじゃない。彩花にこういう弱点があったんだって分かったし。

 彩花は今の俺の返答が嬉しかったのかニヤリと笑った。何か企んでいそうで恐い。


「直人先輩を楽しませられるのは私だけですよ。ですから、恋人として私と付き合ってください」

「そんな告白の仕方があるか。だから何度も言っているだろ、俺は彩花と付き合う気は全くないんだって」

「だったら、どうして私と一緒に住んでくれているんですか? 私と付き合う気がなければ私を追い出すはずなのに」

「何を言っているんだ。彩花を不良から助けたという理由だけで、学校から一緒に住む許可を取ったくせに。一緒に住みたいって強く言われたから、特例で許可したって言われたんだぞ。それに、こんなすぐに彩花を追い出せないって……」


 つきまとわれたことや盗撮されたこと、手錠をかけられたことを理由にすれば追い出せるかもしれない。1人暮らしの方が、家にいるときに気持ちが楽なのは確かだ。


「まあ、彩花が来てから家事をすることも減ったし、かなり楽にはなったかな。おかげさまで身体的な疲れは溜まらないし。そういう意味でも、彩花を追い出さないのかもしれないな」

「うわあっ、最低な答えを言ってきましたね。つまり、私は便利な同居人としか思っていないんですか?」

「そんなわけない。彩花には感謝しているよ。本当にありがとう」


 俺は彩花の頭を優しく撫でる。彼女の赤い髪はとても柔らかくて、撫でる度に彼女の甘い匂いが感じられる。

 彩花は昨晩、耳に息を吹きかけられたときのような柔らかい表情になり、


「……そういう直人先輩の優しいところが大好きです」


 俺にしか聞こえないような小さな声でそう言った。こういう反応は恋する女の子って感じがしていい。手錠をかけるとは到底思えない。

 気づけば、月原高校の校舎が見えていた。周りに高い建物が全くないため、8階建ての教室棟は俺の家のバルコニーからも見える。

 私立月原高等学校。

 月原市の中心部にあり、月原駅から徒歩5分という便利な立地条件から、市内だけでなく、市外からも多くの生徒が通っている。

 また、東京や大阪などにある難関大学への進学率が高いため、俺のように地方から上京し寮から通っている生徒もいる。また、特待生制度もあり、入試が好成績だった入学者に対して授業料が全額免除になるのだ。ただし、学校の成績が良くないと特待生の権利を剥奪されてしまう。

 立派な寮を持っているだけあって、校舎などの施設も充実している。ある程度遠くからでも見ることのできるほどの立派な教室棟。音楽室などの特別教室が揃っている特別棟。理科系の実験室が揃っている実験棟。グラウンドや2つの体育館、大講堂など様々な施設が揃っている。

 そういった様々な要因から、月原高校は女子生徒の比率が高い。俺の感覚としては、3人に2人が女子生徒だと思う。

 女子の方がが多い学校からか、俺の住んでいる寮には何故か男女が分けられておらず、現に俺の家の隣には3年生の女子が住んでいる。最初にそれを知ったときはとても驚いた。ある程度の厳しい校則はあるけれども、生徒を信じているのか色々とフリーダムだ。そんな学校だから、彩花が俺の部屋に住むことを許したのか。あぁ、納得してしまった。

 俺と彩花は校門を通過し、昇降口へと向かう。ますます周りからの注目が集まっているから、そろそろ僕から離れてほしい。


「きっと、みなさんは私達が付き合っていると思っていますよ」

「お前がこうして腕を絡ませているからだろ」


 誤解されたくないから、腕を絡ませるのは止めてほしいんだけれど。


「きっとそうだと思います。それに、私と先輩が一緒に住んでいることはかなりの数の生徒が知っていることです。男女2人が同じ家に住む。つまり、私達は同棲していると思っているんですよ」

「お前、まさか……」

「えへへっ。こうして腕を組んでいることで、周りの生徒さん達に私達の仲が良好であることを見せつけているんです。もちろん、恋人としての」


 つまり、俺と彩花が付き合っていると周囲の人間に思い込ませる形で、俺が彩花の恋人であると認めさせる空気を作る算段か。


「引っ越してきたときからそれを考えていたのか?」

「……私が引っ越してきた理由は、大好きな直人先輩と一緒にいたいからです。ですが、先輩が私の恋人になってくれようとない。だから、周りの人から私達が恋人同士であると思ってもらうんです」


 つまり、外堀を埋めようってことか。


「それでも、俺は自分の気持ちに正直であり続けるぞ」

「今のままでいられるのは時間の問題ですよ。友達には直人先輩に溺愛していることも話していますし、家での話だってしているんですから」


 きっと、手錠を使うほどに俺を束縛したいなんてことは言ってないんだろうな。


「私は同棲するほど先輩のことが好きなんです。そんな私を強制的に追い出したらどうなるでしょうね? きっと、学校中の生徒が先輩のことを批判して、先輩はこの学校にいられなくなるんじゃないかなぁ……」


 そう言う彩花の笑みはいつになく艶めかしく、そして厭らしく見えた。

 こいつ、周りの人間を自分の味方につける気か。男女で一緒に住んでいれば、親類ではない限り、好き合っていると思うのが普通だ。そんな状況で俺が彩花を追い出したら、おそらく俺に批判が集中するだろう。その批判が学校の上層部に知れたら、最悪の場合、退学処分ってことになるのか。

 もっと早く気づいていれば良かった。彩花の言うとおりなら、周りの生徒は俺と彩花が付き合っていると思っているだろう。今から俺がそれを否定しても、彩花の気持ちを傷つけていると批判されそうだ。


「……やってくれるじゃないか、彩花」


 彩花の執念深さは俺の想像以上だったな。俺と付き合うためにはどうすればいいのか考えて、行動に移している。


「どうやら、今、先輩がどのような状況に置かれているのかようやく分かったみたいですね。私と本気で付き合う方がいいと思いますけど?」

「絶対に今のお前とは付き合わない」

「そういう風に自分の考えを主張できるのも時間の問題ですよ」


 いずれは自分の思い通りになると確信しているからなのか、彩花は余裕の笑みを浮かべている。


「言っておくけど、俺はこの高校にお前と恋人として付き合うために通っているわけじゃない。勉強をするために来ているんだ。俺は一度たりともお前と付き合うとは言っていない。だから、お前を家から強制的に追い出したとしても、批判される筋合いはない。もし、お前の策略通りに俺が退学されそうになったら、必ず世間にお前から束縛された事実を晒してやる。そして、お前には処分を受けてもらう。倍返しにしてやるよ。よーく覚えておけ」


 彩花が自分本位に考えているなら、俺だって、万が一のときには自分の身を第一に考えるさ。たとえ、それによって彩花がこの高校を退学になろうとも。

 俺が彩花のことを睨んでも、彩花の笑みは変わらない。


「……ますます、先輩を私の彼氏にしたくなっちゃいました。普通、こんな状況になればそこまで強気でいられませんよ」

「俺は絶対にお前の策略にははまらないからな」

「先輩がどう思おうと、いずれは私の彼氏になるんですよ。今すぐに彼氏になれば楽になれるのに……」

「俺は自分の持つ権利を行使する。月原高校で勉強できる権利もあれば、彩花の彼氏になるかどうかを決める権利だってある。俺は絶対に今の彩花の彼氏になるつもりはないからな」


 彩花は今、俺のことを人間として見ていない。自分の思い通りになる操り人形のように思っている。不良から助けたときや、俺の家に引っ越してきたときの彼女とは全く違う人間のように見える。

「俺はもう自分の教室に行くから、お前も遅刻しないようにしろよ」

「待ってください、先輩」

 さっきまでの口論が嘘のように、彩花は爽やかな笑みを浮かべながら俺に弁当箱を渡してきた。


「今日のお昼ご飯、渡すのを忘れていたんで」

「……ありがとう」


 今ではここで弁当を渡すことも、周りの生徒へ恋人同士だと印象づける1つの作戦なのだろうと思ってしまう。

「今日も一緒にお昼ご飯を食べましょうね、先輩」

「分かった」

 彩花が俺の家に引っ越してきてから、俺は彼女と昼食を取るようになった。2人きりになりたいのか、彩花はなるべく人の少ない場所で食べたがる。


「彩花、1つ訊いていいか?」

「なんでしょう?」

「失礼だけど……この弁当、毒とか入ってないよな?」


 変な質問をしてしまったのか、彩花は声に出して笑っている。

「入っているわけがないじゃないですか。本当に失礼ですね。先輩には美味しいご飯を食べてほしいんですよ。まあ、他の女の子と一緒に食べて、おかずとかを交換するのであれば遠慮なく毒を入れるんですけどね……」

「冗談がきついな」

 でも、彩花の場合は本当にやりそうで恐い。下手したら、周りの人間にも被害が及ぶかもしれないぞ。

 俺は彩花から渡された弁当箱をバッグに入れ、校舎の中に入る。

「じゃあ、先輩。昼休みになったら先輩の教室に行きますね」

「ああ、分かった」

 彩花はそう言いながら笑顔で手を振って、俺の元から立ち去っていった。あの可愛い笑顔を持つ彩花の言うことなら、周りの生徒は信じちゃうんだろうな。

 何にせよ、彩花に屈しない心を持たないと。今の彩花とは付き合えないという断固とした意思を持ち続けていれば、絶対に大丈夫なはずだ。

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