美しいキミへ
――とんっ
僕に向かって柔らかく微笑むキミの両肩を、何の前触れもなく押してみた。重力に抗うことなく、目の前の身体はゆっくりと後ろへ傾いていく。
キミは驚いたように目を見張った。その綺麗な顔は、身体が傾いていくごとにだんだん混乱から恐怖の表情へと歪んでいく。助けを乞うように必死にこちらへほっそりとした白い手を伸ばしてくるけれど……ごめんね。僕にその手を取るつもりは毛頭ないよ。
やがてキミの身体は、水しぶきを上げながらその青く澄んだ塩水に包まれ、沈んでいくことだろう。水も滴る――なんて言葉がきっと似合う光景だろうね。
落下していくキミの姿に、思わずため息が漏れる。怯えたように揺れる漆黒の瞳も、こちらへ未だに伸びている白魚のような手も、重力に従い傾く細い身体も……全部、ぜんぶ。
嗚呼、なんてキミは美しい。
キミは昔から、この世の全ての美しさを兼ね備えたような人だった。時に罪だと思うくらい、キミは本当に美しかった。
顔のつくりや体の作り。外見は言うまでもないよね。でも、それだけじゃない。キミの美しさは、それだけじゃなかった。
整った顔に浮かぶ、人懐っこい表情。ころころと鈴が鳴るように綺麗な、澄んだ声。流れるような仕草……そういったものも、キミの美しさを一層引き立てていた。
そして、それほどの美しさを持っているにもかかわらずキミは全然気取らない性格で、誰にでも優しく、いつも笑顔でフレンドリー。
そう――本当にキミは、完璧な人だったよね。
そんなキミに憧れを抱く人は、男女問わずたくさんいた。僕だってその一人さ。僕はキミに心底憧れていた。キミが羨ましかった。でも、それ以上に。
僕は、キミが、憎かった。
非の打ちどころのない、全てを持つキミが、大嫌いだった。
どうして僕はキミみたいになれないのかな? 人間はみんな平等だって、「天は人の上に人を作らず」って、昔の偉い人も言っていたじゃないか。それなのに、どうして? 神様はどうして、キミにばかり。
憎いんだ。もう自分じゃどうしようもないくらいに。キミの美しさが、キミの全てが憎いんだ。
だから、ねぇ。僕のこと、唯一無二の親友だって、そう言うんならさ。僕の頼みも聞いてくれる?
親友である僕が、キミのせいでこれ以上おかしくなるのは嫌でしょう?
キミは優しいから、僕のこと救ってくれるでしょう?
だからさ。ねぇ、お願い。
――ざっ、ぱーん。
派手な音がしたかと思うと、僕の顔や服に水しぶきがかかった。冷たい。あと、ちょっと辛いな。
目に染みる海水を乱暴に手でぬぐった。視界に入ったのは、予想通り――いや、それ以上の光景。
波打つ青い海の中、キミが音もなく沈んでいく。諦めたように、全てを受け入れたかのように――目を閉じた、安らかな表情で。
揺らめく黒い髪と、だんだん見えなくなっていく細い身体。
キミは最後まで、なんて美しい姿でいるのだろう。
嗚呼、憎い。
キミの美しさは、最後まで僕を醜くさせるね。
美しく、醜悪なキミへ。
最後のお別れに、この言葉を贈ろう。
「 」
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