ジュンヌ・フィーユの黄昏

 真っ平らな胸に、ふくよかな白い肌。りんごほっぺのあどけない、丸々とした顔。

 澄んだ海の色をした、こぼれんばかりの大きな宝石のごとき瞳。顔の真ん中あたりにちょんと乗った、小さく丸い、お団子のような鼻。サクランボのような、かぶりつきたくなるほどに瑞々しい紅色の、健康的な唇。

 たっぷりのフリルがあしらわれた服から伸びる、折れそうなほどに細い手足。小さな頭から張り気味の背中にかけて、豊かに流れ落ちるブロンドの見事な髪。

 身長は百二十センチくらいで、年齢は六歳から十歳くらいが望ましい。もちろん、処女であることは必須条件。

 ――そんな姿こそが、彼の理想とする清らな『女』の鑑だという。


 そんなわけで、わたしは彼に選ばれた。いわく、「今まで出会った中で最高の、まさに理想の女」であるとのことだ。

 初めて会った時から、彼はわたしがいかに素晴らしいか、いかに自らの理想郷に近い女なのかということをわたしに延々語って聞かせたけれど、わたしにはよくわからなかった。何せ、当時のわたしはまだ七歳になったばかりだったから。

 ごく普通の、平民の娘として生まれ育ったわたしは、ある日突然現れた彼によって攫われた。奇しくも、その日がわたしの七歳の誕生日だった。

 攫われたわたしは、この上流階級の貴族のお屋敷――つまり、伯爵だったか侯爵だったか、とにかく何かしらの肩書を持ったお偉い貴族様である彼が管理している場所だ――へと連れて来られ、広々とした迷路のような屋敷のさらに奥まった、小さな一室に囚われた。

 それ以来わたしはこの豪奢な狭い部屋の中で、フリルたっぷりのカラフルなドレスに身を包み、まるでお人形のように、毎日それはそれは大切に扱われながら生きてきた。……いや、生かされてきた、と言った方が本当は正しいのかもしれない。

 出される食事はどれも、平民だったわたしが本来なら一生お目にかかることもなかったであろう程の、ひどく豪華なものだった。ラム肉のなんとかソテーとか、赤ワインを煮詰めてソースにしたものを牛肉に垂らしたよくわからないお料理とか。そもそも驚いたのは、コース式で次々と食事が出されるというところだ。

 体型維持のために運動しよう、とかいう理由でたまにお屋敷の庭へ出してもらえることもあるけれど、でもやっぱりわたしがこのお屋敷から外へ出してもらえることはなかった。

 そういう意味では、自由を奪われた、と言ってもいいかもしれない。

 それでも案外こんな生活も悪くないかな、なんてわたしが呑気なことを思っていられたのは、子供ながらにずっと憧れ続けていたお姫様のような扱いを受けることが快感だったから。

 それから、わたしがこの生活を楽しんでいた理由がもう一つ。

 毎日最低一度は顔を見に来てくれる、このお屋敷の主――他でもない、彼の存在だ。

 彼はわたしが退屈しないようにと、色々なお話を聞かせてくれた。貴族のしきたりや、著名な貴族たちの関係性、社交界で流行っていることなど、平民育ちのわたしが知らない世界の話を、たくさん。

 わたしの故郷である村の話を聞いてみたいというので、こちらから平民の暮らしについて色々と教えてあげたこともある。今故郷はどんな様子なのか、知りたいな……と呟いたら、今度私が偵察に行ってくるから、その時に君が知りたいことを教えてあげるよ、と言ってくれた。

 自らが故郷に帰れないことを示唆されてちょっとだけ悲しかったけれど、わたしを見つめる彼がとても充実したような顔をしていたから、その時は何故自分がそんな風に考えているのかと疑問を感じることもなく、ただ単純に『別にいいや』とだけ思った。


 また彼はある時、こんな話を聞かせてくれた。彼が妄信的なまでに、わたしのような幼い少女を求めるようになった理由だ。

 何でも、ずっと昔にアンティーク店で見かけた美しいフランス人形に一目ぼれしたことが始まりなのだという。

 輝く海のような色の瞳、フリルをふんだんに使った豪奢なドレス、波打つ財宝のようなブロンドの長い髪……どれを取っても一級品で、その美しさは他の追随を許さないほどだったのだ、と確か彼は言っていた気がする。

「どうしても、手に入れたかった。いくら当人・・が、売られることをかたくなに拒否したとしても……それでも、どうしても、その人形を私だけのものにしたかった」

 熱っぽく語る彼の瞳は、一種の情欲に満ち溢れ、危うく揺らいでいた。あれほどの情熱を、執念を、わたしは他に見たことがない。

「だから、私は求めた。本物が手に入らないのなら……あれに似た、おおよそ同世代ほどの少女をこの手に囲い、代わりとして大切に扱いながら自らの心を慰めればよいのだと気付いたから」

 ……でも、駄目だった。

 先ほどまでの生き生きとした様子が突然消えたかと思うと、彼はそう呟き力なくうつむいた。

「どれほど外見が似ていたとしても、だ。同じ目、同じ髪の色をしていても、何かが違っていた。最初は、美しいのに。まさに理想だと思うのに。それなのに、幾年も経つと、それは日々遠ざかっていく。私の理想では、なくなる。だから、手放すしかなかった」

 そこまで一息で語ってしまうと、彼は再び顔を上げた。懇願するように、その瞳を儚く揺らす。

「お前は……ずっと、私の理想でいてくれるね。幾年経っても、色あせないでいてくれる、ね」

 ――信じているよ。私の、可愛いジュンヌ

 あの日わたしの耳の奥で絡みついた、砂糖菓子よりも甘くねっとりとした、大人の男の人の声。

 幾人の少女たちに、同じことを告げたのであろうことは分かっていた。そのたびに、彼が裏切られてきたことも。

 それでも……あの日告げた彼の言葉はまるで魔法みたいに、わたしの耳に、頭に、そして心に、蔦となって絡みついて取れない。

 きっとあの日、わたしは彼によって完全に囚われてしまった。世にも美しい箱庭を抱えた、優しくて素敵な、けれどとっても哀れな人……本当に愛おしくて、狂おしくて、仕方がないほどの想いをわたしに刻み付けた張本人。

 彼こそが、わたしにとっての全て。わたしの世界からは、わたしと彼以外誰もいなくなってしまった。

 それでも寂しくはなかった。彼が、変わらずわたしを愛してくれるのならば。

 永遠に、この生活が続くというのならば。


 ――けれど、彼は気付いているのだろうか。

 人間は、所詮人形とは別物。人間は人形のように、一瞬を永遠に固め封じ込めた作り物じゃないし、永遠にそうではいられない。つまり有り体に言えば、わたしたち人間は成長し、姿を変えていく生き物であるということだ。

 一生少女の姿ではいられないし、一度少女でなくなればもう二度と戻ることはできない。

 彼が幾多の少女たちを手放してきた理由もそうだし、わたしだってもちろん例外じゃない。時の経過は、彼の永遠の願いを容易く裏切ってしまう。

 彼に連れ出されてから五年が経ち、十二になったわたしのもとに、最近初潮が訪れた。それは、子供から大人に変わっていく証でもある。彼が欲している少女の姿から、正真正銘大人の『女』へと変わっていく、瞬間。

 わたしはこれから、穢れていくのでしょう。時がわたしの幼い仮面を、半ば強制的に剥がしていってしまうのでしょう。

 このようなわたしを、彼が永遠に愛してくれるはずなどない。これまで彼が囲ってきた数えきれないほどの少女たちのように、わたしもまた、彼に絶望され、棄てられてしまうのでしょう。

『お前は……ずっと、私の理想でいてくれるね』

 あぁ、もしもわたしが永遠に、ジュンヌ・フィーユでいられたなら。彼がかつて理想と言ってくれた、毎日のように褒めちぎってくれていた、あの幼い姿のままでいられたのなら。

『幾年経っても、色あせないでいてくれる、ね』

 彼の願いを、叶えてあげられたなら。

 彼に棄てられてしまったら、わたしはもうどうすることもできない。彼によって見出され、彼によって新たな価値観を刻みつけられてきたわたしが、彼なしで生きていけるはずなどないのだから。

 どうせ、隠しておけやしない。いずれはわたしが大人になってしまったことが、彼の理想から遠ざかりつつあることが、知られてしまう。

 だったら……。

 次に彼が来てくれたときには、全て打ち明けてしまおう。きっと、きっと、彼は深く傷ついた顔をするのだけれど。

 そしたら、わたしは彼にお願いするのだ。

 『わたしを、あなたの永遠にしてください』と。

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