第3話
フライア神の神殿の中に入り込んだエリウスたちは、旅行用の軽装に着替えを済ませると用意された小部屋で軽く食事をとった。ここもエリウスが身を潜めていた娼館と同様に神聖騎士団の者が入り込んでおり、全てはエリウスの望み通りに整えられてゆく。
食事を終えたバクヤがエリウスに問いかける。
「で、これからどうするんだ」
「アルケミアに行くんだったら船だろうけどねぇ」
エリウスはヌバークを見ながら言った。
「とりあえずは、サフィアスを脱出しなくちゃ」
「海に出さえすればいい」
ヌバークは無造作にいった。
「私がここまできた船がある」
バクヤは苦笑する。
「あんたの船では、オーラの海上封鎖を抜けられんだろう」
ヌバークは奇妙な笑みを浮かべ立ち上がる。
「アルケミアの船だ。魔道の海を航海する。オーラの軍船であっても捕らえることはできない。この世の外を航海するのだからな」
「なるほどな」
バクヤは頷くと、ヌバークを見つめる。
「ところで、さっきあんたはわざと傍観してエリウスの腕を試したな」
ヌバークは薄く笑った。
「さあね」
「おれはどう思っている?おれの腕を確かめる気は無いのか」
ヌバークは笑みを浮かべたままだ。
「メタルギミックスライムを義手として操る人間がどんな実力を持っているかの見当はつくさ」
そういい終えると軽くあくびをかみ殺しながら部屋の外へ向かう。
「私は休ませてもらう。とにかくおまえたちにまかすよ、船にたどりつくまでのことは」
ヌバークが出ていった後、バクヤは少し肩を竦める。
「いやならいいよ」
エリウスがぽつりと言った。
「なんや」
「ヌバークが気にいらないんだろ。つき合うことは無いよ。脱出経路を教えてあげるから一人でサフィアスを脱出すれば?」
「馬鹿いえ」
バクヤはため息をつく。
「おまえなあ、エリウス。おれが判らないのは、おまえのことや」
「なあに」
「ヌバークがいうように、おまえが魔族の王を救ったら本当にアルケミアがおまえのために軍隊を貸すと思ってるのか」
エリウスは婉然といってもいい笑みを浮かべる。
「そんなこと、ある訳ないじゃん」
「だったらなぜ」
エリウスは、少し謎めいた輝きを瞳に浮かべる。
「興味があるんだ、アルケミアに」
「興味?」
「居心地がここよりよかったらさ、帰らないって手もあるよね」
バクヤの顔がむっと怒気を孕むのを見て、エリウスは無邪気に手を振る。
「冗談にきまってるでしょ、そんなこと」
そういうと、エリウスはけらけらと笑った。
「よく笑ってられるな、おまえ」
バクヤは少し苛立ったように、ため息をつく。
「おまえさっき人を斬っただろう。ある意味では無意味な殺しだ。おまえ人をどのくらい斬ってきたんや?」
「始めてだよ」
エリウスは、美しい顔に笑みを浮かべて言った。
「殺したのは始めてだ」
バクヤは深く息を吐き出す。
「なんで、平気なんや。人を殺したんやで。憎んでもいないのに」
エリウスはすっと左手を前に出す。その中指には、金色の指輪が光っていた。妖しく魔道の力を秘めた光がバクヤの目を射る。
「指輪の王様なんだ。これは」
エリウスは夢見るような瞳で言った。
「指輪の王様は僕の心の奥深くに住んでいる。指輪の王様は僕の恐怖や不安といった感情を緩和してくれるんだ」
バクヤは眉間に皺を寄せる。
「おまえ、それは危険なものやで。捨てたほうがいい」
「三日だね」
エリウスは笑いながら言った。バクヤは困ったような顔をして尋ねる。
「何や、三日って?」
「今の謀略の渦巻くトラウスで、指輪の王無しで僕が生き延びられる日数」
バクヤはもう一度、深く息をつく。
「そらそうやけどなあ」
エリウスは無邪気といってもいい笑みを浮かべて、バクヤに問いかける。
「じゃあさ、僕が指輪の王を捨てたとしてバクヤが僕を守っていってくれる?」
バクヤは力無く笑い返す。
「無理を承知で言うのは、暴力やで」
「そうだよね」
エリウスはバクヤの顔をのぞき込む。
「バクヤが指輪を捨てろ、て僕にいうのも暴力だよね」
バクヤは深いため息をついた。
「そりゃあそうやろうけどな」
その時、突然ドアが開きヌバークが入ってきた。バクヤが立ち上がり、ヌバークの前に立つ。
「なんや、寝にいったんとちがうんか?」
「何かがおかしい」
ヌバークが呟くように言った。
「魔族のいる気配がある。瘴気が少し漂っている。しかし、それだけじゃない」
「なんや、はっきりいえよ」
バクヤの言葉に、ヌバークは眉をひそめて首を振った。
「判らないんだ。何がおころうとしているのか」
エリウスが立ち上がる。その手にノウトゥングを持ち、ヌバークに微笑みかけた。
「いこうか、ヌバーク」
バクヤがあっけにとられてエリウスを見る。
「いこうって、どこへ」
「何かが起こるのは間違いないんでしょ。だったら、その何かが起こるところへ行ってみようよ」
「そうだな」
ヌバークが頷いた。
「確かめてみよう」
ヌバークとエリウスが部屋の外へと向かう。バクヤは何か口にしようとしたが、やめた。とりあえず自分もついて行くことにする。
そこは、フライア神の祭儀場であった。深紅の絨毯が敷き詰められたその部屋は、微かな月明かりによって照らし出されている。その際奥には高く聳えるフライア神の神像が安置されていた。その姿は巨人族のフレヤに似ているとバクヤは思う。
フライア神の祭儀場は流麗な彫刻によって飾られており、蒼い月明かりの中でそこは異世界の宮殿のように神秘的で豪華な空間に思える。フライア神の神像の前には重厚な祭壇がおかれ、その向こうに円形の祭儀場が広がっていた。
壁や天井は草木や動物たちのレリーフが刻まれており、バクヤは人工的に創り出されたエルフたちの城のようだと思う。ただ、月明かりの中のこの祭儀場はとても静かで、あの生命力と色彩に満ちた世界とは随分違うようにも思える。
ヌバークは真っ直ぐ進み、祭儀場の中央に立つ。
「ここだ。ここに力が集まってきているのが判る」
「とりあえず、隠れたほうがいいと思うよ」
寝ぼけているかのようにのんびりとした口調で、エリウスが言った。
「この神殿に魔族がきているのなら、僕らと同じようにここにくるはずだ」
「ちょっと待て」
バクヤは、ようやく頭を働かしはじめていた。
「今このサフィアスに魔族がいるとすれば、そいつは」
バクヤの言葉をエリウスが遮る。
「当然、ヴェリンダだろうね。ブラックソウルの妻の」
「ということは、ブラックソウルの野郎も」
「間違いなく、ここにくるはずだよ。ここで起こることを確かめに」
バクヤの目の光を見たエリウスは慌てて言った。
「とりあえずさあ、何が起こるのか確かめようよ。今ブラックソウルと戦ったとしてもヴェリンダの魔力にかなうわけないんだしさ」
「あたりまえやろ」
バクヤはどこか不敵な笑みを見せ、エリウスを不安にさせる。
「とりあえず、祭壇の後ろにでも隠れとくか」
バクヤたちが隠れてしばらくして、祭儀場の扉が開かれる。バクヤは息を呑んだ。
先頭に立って入ってきたのはフードつきのマントを身に纏った人物である。その者が纏う凶暴なまでの気配と瘴気は、まぎれもなくヴェリンダのものであった。
そしてその後ろには狼の笑みを浮かべた黒髪の男、ブラックソウルが続く。さらにその後には、五人の龍騎士たちとその従者である女たちがいた。
ヴェリンダが静かに言う。
「私は来たぞ、狂気に犯されしガルンよ。地上に姿を顕わすがいい」
深紅の絨毯に覆われた祭儀場の中央。そこに影が立ち上がる。その朧気に霞む闇の固まりは次第に濃さを増していった。その不定形の暗黒に、二つの輝く光点が宿る。それは、明白な意志を持ってヴェリンダへ向けられた。
「よお、久しいな、ヴェリンダ。家畜の妻になりさがったそうじゃあねぇか。まあ、おれのせいもあるんだろうけどな」
「相変わらずのようだな、ガルン」
ヴェリンダは闇の語った言葉に、感情を排除した口調で応える。
「おまえにあるのは嫉妬の感情か?魔族の王にまでなった男が惨めなものだ」
闇は金色の瞳を輝かして苦笑する。
「まあそういうなって。おまえはおれが憎い。そうだろう。おまえの父親を殺し、おまえをデルファイへ幽閉し魔力を一時的に奪った。おれはこれ以上無いくらいの屈辱をおまえに与えた。そのあげく今ではおまえは、家畜の花嫁だ」
闇は笑っていた。ヴェリンダは無言のまま、闇の言葉を聞き続ける。
「おれは今、アイオーン界からこの次元界へ戻ってきている。これはチャンスだろうヴェリンダ。おまえの屈辱をはらす、最大のチャンスだ。おれを憎め。そしておれだけを見つめろ。おれを殺せ。おれを切り刻め。おれだけを求め続けろ。それこそおれの唯一の望みだ」
ヴェリンダは暫く沈黙していた。そして静かな声でガルンに語りかける。
「残念ながら、私はおまえにさして興味は無いのだよ。ただ、黄金の林檎を求めている。天空城にそれがあるのか?」
闇は呻き声をあげるように蠢いた。そしてヴェリンダの問いに応える。
「おまえが望むのであれば」
「ならば道を示すがいい、狂いし者ガルンよ。用はそれだけだ」
闇は急速に薄れてゆく。形を無くし渦を巻きながら上空へと消えていった。そして二つ残った金色の光は、二筋の矢となり天空の彼方へと消えてゆく。
「今の光の筋の方角だ。ガルンは我々のために道を残した」
ヴェリンダは後ろに立つブラックソウルに声をかける。ブラックソウルは頷いた。
「ようやく天空城へ旅立てる訳だな。ただその前に、片づけることがあるようだ」
ブラックソウルは祭壇を見据えていた。
「王子、エリウス王子。隠れん坊遊びはそろそろ終わりにしないか?」
エリウスは立ち上がると、あっさりブラックソウルの前へ出る。
「おひさ、ブラックソウル」
エリウスはにこにこと機嫌よく笑いながら、歩み出る。手にはしっかりとノウトゥングが提げられていた。無造作のように見えるが、左手にはいつでも剣を抜き打てるように静かな緊張を漂わせている。
「なんか、後ろにいっぱいいるけど?」
龍騎士へ視線を投げるエリウスに、獣の笑みを浮かべたブラックソウルが応える。
「気にするな。それより残りの二人も呼んでやれよ、王子」
エリウスはむくれ顔になる。
「僕は王子じゃないよ」
「なぜ?」
「トラウスはあんたたちが滅ぼしただろ。だから僕も王子を辞めたの」
ブラックソウルはげらげら笑う。
「残念だが、王子。おれが王子になれないのと同様に、おまえは王子を辞めれない。
おまえが王子を辞めるには、ヌース神を滅ぼす必要があると思うな。おまえが王子であるのはトラウスのせいというより、神々の約定のせいだからな。諦めることだ」
エリウスはつまらなそうに、言った。
「不自由だね」
「そういうものさ」
エリウスは後ろに声をかける。
「バクヤ、ヌバーク、出ておいでよ」
無言のままバクヤが歩み出す。その表情は落ち着いて見えるが、瞳の奥には抜き身の刃を思わせる殺気があった。そしてその後ろには、ヌバークが立っている。
「おお、バクヤ・コーネリウスか。わざわざこんなところまで、おれを殺しにきてくれたのか。光栄だね。それとその黒い嬢ちゃんは誰だい?」
ヌバークは、ブラックソウルを全く無視して一歩前へ出る。その瞳に写っているのは、ヴェリンダの姿だけであった。
「ヴェリンダ様」
ヌバークは跪く。
「ヴェリンダ様でしょう。私はアルケミアの司祭、ヌバークと申します。助け手を求めてここまで来ました。ヴェリンダ様、我らの王、ヴァルラ様を救うため、ご助力いただけませんか」
「黒き肌の僕よ」
フードに隠されたヴェリンダの黄金の瞳は、凍てついた夜空に輝く星々のように冷たい光を宿し、ヌバークを見る。
「おまえたちのことは、可愛く思っている、僕よ。しかし、今はおまえの願いを聞くつもりはない」
ヌバークは強い光を瞳にこめ、叫ぶように言った。
「あなたの弟君であられるヴァルラ様が、デルファイに閉じこめられているというのにですか」
ヴェリンダは短い沈黙の後、応える。
「ガルンの仕業ということか」
「ええ」
「いずれにせよ」
ヴェリンダは冷たい声で語りかける。
「私が手を貸すつもりは無い。私は今、黄金の林檎へと続く道の途中にいる。それがどういうことか、おまえにも判るだろう黒き肌の僕」
ヌバークは黙ってヴェリンダを見つめ続ける。ブラックソウルはせせら笑いながら、ヌバークに語りかけた。
「おれたちは、黄金の林檎を得るためガルンに会いに行く。そういうことだよ、嬢ちゃん」
「貴様が」
初めてヌバークはブラックソウルを見た。その琥珀色に輝く瞳には嫌悪と憎しみが混在した、狂乱の炎が潜んでいる。
「貴様が白き肌の家畜の分際で、ヴェリンダ様の夫となった下郎か」
あはははは、とブラックソウルが笑う。
「そうだよ、嬢ちゃん。君の崇拝するヴェリンダの夫さ。君はおれにも礼をとるべきだったね。ま、固いことを言う気はないが」
ヌバークの回りで、魔道の力が揺らめく。そのあまりの凶悪さは、龍の吐く息を思わせ、バクヤは思わず息を詰めてヴェリンダを見た。しかし、ヴェリンダは冷笑を浮かべたまま、静観するつもりらしい。
魔導師というものは、自身が魔力を持っている訳では無い。例えばラフレールのように龍の力を取り込むものもいれば、マグナスのように魔神と契約を結ぶ希有な例もある。
しかし、そうした強大な魔法的存在を支配するケースはあまりない。ほとんどの魔導師たちが契約を結ぶのは、精霊と呼ばれる存在であった。精霊は龍や魔神のように人間以上に知性を持った存在とは違い、原始的な魔法生命体である。
精霊を構成するのは、砂粒程度の大きさの粒子の集合であった。その個々の粒子が持つ微細な力が集積され、発現される時には強力なものとなる。
精霊に内在する能力は、自身の持つ属性によって限定された。そして、どういう属性を持つ精霊と契約をするかは、魔導師の資質によって決まる。契約を行うというのは、魔導師が自分の生命力を精霊に与えその見返りとして自身の精神的エネルギーを物理的エネルギーに変換することであった。
その物理的エネルギーの発現形態は、精霊の属性によって決定される。ヌバークが契約を結んだのは、風の精霊であった。風の精霊はヌバークの精神エネルギーを空気の振動に変換し、発現する。
微細な粒子である精霊は、空気に浮かび祭儀場を満たしていた。精霊たちはヌバークの魔術的力を感じとり、まわりの空気を振動させ始める。
龍騎士たちは、魔法が発現されることに気がついたようだ。無言のまま、自分たちの周囲に結界を張り精霊の力が及ばぬようにする。龍騎士たちもまた、ヴェリンダと同様に事の成り行きを見守るつもりらしい。
祭儀場の中を、人間の可聴域を超えた音が満たしてゆく。空気に無数の微細な刃が混入していくように、殺意が膨らんでいった。ブラックソウルは獣の笑みを浮かべている。
「やってみなよ、嬢ちゃん。おれを殺したいのだろう」
音が無数の刃と化し、ブラックソウルへ襲いかかる。超振動を起こした空気の固まりが、ブラックソウルめがけて無数に殺到した。
「馬鹿な」
ヌバークは呟く。その、鉄の剣すら砕いたであろう強力な魔法的波動は、ブラックソウルの身体に触れた瞬間消失した。ブラックソウルは何事もなかったように、笑みを浮かべている。
「残念だね、アルケミアの魔導師。おれには魔法というものが、通用しない。おまえの隣にいるエリウス王子と同様にね」
ヌバークは、膝をついた。力を消耗しすぎたせいだ。それでも憎しみを込めた瞳でブラックソウルを見つめ続けている。
「おまえも、王家のものだというのか」
「さあね。そいつはおれには判らん。とにかくおれを魔法で倒すつもりなら、魔族の魔導師並の力が必要だよ」
ブラックソウルはバクヤを見る。
「バクヤ・コーネリウス、おまえはどうだ?今からおれと遊ぶのか」
バクヤは、静かな瞳でブラックソウルを見つめたまま言った。
「見物人が多すぎるな。おれ好みの状況ではない」
「ふうん、ま、おれとしても楽しみは後にとっておきたいところだな。王子はどうするよ?」
エリウスは何が面白いのかにこにこしながら、応える。
「僕を殺すつもり?」
「まさか」
ブラックソウルは笑いを返す。
「トラウスの王子をなぜ殺さないといけない?できれば、おまえとはうまくやっていきたい。何しろ占領後の統治というのは、軍事的な侵略の数倍難しいからな」
「へーえ」
エリウスは嫌みな笑みを見せる。
「オーラの兵は僕を殺そうとしたよ」
ブラックソウルは肩を竦める。
「おまえを見つけたら、手を出すなとは伝えている。しかし、万を越す軍勢だ。手柄を欲しがるやつがいるのはしかたない。抵抗したから殺したといえばなんとかなると思ってるからな、現場の兵士は。だが、そんなことは大した問題じゃないだろう。おまえを殺せる剣士なんて、中原にはいないぜ」
「投降してもいいよ。条件が二つ」
無邪気に微笑むエリウスを、ブラックソウルは苦笑しながら見た。
「なんだ、いってみな」
「まず、僕のつれを殺さないこと」
「バクヤとその嬢ちゃんだな。いいぜ。ただ、バクヤの左腕と、ヌバークの魔力は封印させてもらうぞ。もう一つは?」
「天空城へ行ってみたいんだけど?」
ブラックソウルは無言でエリウスを見つめる。
「なぜ?」
「別に。面白そうだし」
ブラックソウルは苦笑した。
「とりあえずノウトゥングをおれに渡せ。そうすれば、おまえも連れていく」
エリウスは無造作にノウトゥングを差し出した。ブラックソウルはそれを受け取ると、ヴェリンダに目で指示する。ヴェリンダは歩み出ると、バクヤの腕に触れた。
漆黒の左手に、金色の魔法文様が浮かび上がる。バクヤは自分の左腕が、動かなくなったことに気付く。
ヴェリンダはヌバークの頭にも手を触れる。力を消耗したヌバークは、されるがままだった。ヌバークの額にも金色の魔法文様が刻印される。
それを見届け、部屋の外へ向かうブラックソウルに、龍騎士ミカエルが声をかけた。
「おまえにしては、えらく手こずったように見えたが。気のせいだとは思うが、おまえあの王子が苦手なのか?」
ノウトゥングを左手に提げたブラックソウルは、肩を竦めた。
「気のせいだよ、ミカエル殿。それより、王子たち客人の護衛をよろしく頼む」
ブラックソウルたちは、神殿のテラスへ出た。バクヤたちも龍騎士に四方を囲まれ、テラスに立つ。
夜空は、明るく輝く月が支配している。バクヤはその深く昏い蒼さに満ちた空に、漆黒の影があるのに気付く。その影は次第に大きくなってゆき、気がついた時には頭上を大きく覆っていた。
「なんや、あれは」
バクヤの呟きを聞きとめたミカエルが、あきれたように尋ねる。
「おまえは、オーラの飛空船を見たことないのか?」
「ああ、噂はよく聞いたが」
それは空に浮く漆黒の巨船である。巨鯨のように見事な流線型の船体を持った飛空船は、空気より軽い気体を船体内に充満させることにより、空を飛ぶということを聞いたことはあった。しかし、バクヤは目で見たのは初めてである。
間近に見るとその大きさは空いっぱいを覆うようであり、バクヤはただ圧倒されその姿に見入っていた。船体の下に吊り下げられたゴンドラより縄ばしごが降ろされる。ブラックソウルが先頭に立ち、縄ばしごを登り始めた。
ヌバークは龍騎士に抱えられた状態でゴンドラへと入ってゆく。エリウスはバクヤと違い、特に感銘を受けた様子も無くいつものようにのほほんとしたままで、船内へと入り込んだ。片腕が使えないバクヤも、その後に続く。
最後の龍騎士が乗り込んだ後、飛空船は夜の闇の中へ上昇していった。
船の中は予想以上に広かった。オーラの飛空兵たちが、忙しげに動き回っている。
エリウス、バクヤ、ヌバークは前後を龍騎士たちに挟まれた形で、移動した。
船室の一つにエリウスたちは案内される。
「こちらへどうぞ」
琥珀色の髪の龍騎士、ウリエルに部屋の中へと導かれる。扉が閉ざされ、龍騎士たちは立ち去っていった。とりあえず、バクヤはヌバークを備え付けられたベッドへ寝かせると、呑気に窓の外を眺めているエリウスに向き直る。
「どういうつもりや?」
「どう、とは?」
エリウスは相変わらず、茫洋とした瞳でバクヤを見つめ返す。
「こんな空の上に来てもうたら、逃げようがないやないけ」
「ふうん、そうかな」
エリウスはにこにこしながら言った。
「でも、ブラックソウルにくっついてたらほうが、敵うつチャンスは多いんじゃない」
「左手が動けばなんとかなるかもしれんけどや」
「なんとかなるんじゃない?」
バクヤは思わずエリウスの頭をはたいていた。
「痛いなあ」
「あほか、なんとかならんやろう」
エリウスは、きょとんとした顔になる。
「どうして?」
「どうしてって、おまえ…」
「さっきの話聞いてたでしょ、ガルンとヴェリンダの」
「どうかしたんかい、あれが」
「天空城に黄金の林檎が来るって」
「まあな」
「ということはラフレールが来るんだよ。その時にはウロボロスの封印も多分解かれてる」
「まさかあの、妖精城の時みたいに?」
「魔法が作動しなくなる」
バクヤはにんまりと笑った。
「チャンスやないけ」
「だからなんとかなるって」
バクヤはエリウスの頭を撫でた。
「ま、悪かったよ。とりあえず待ちやな。天空城につくのを」
「ブラックソウル様、ご依頼のあった件だいたいしらべ終わりました」
船室で机をはさんでブラックソウルの前に座った男は、魔導師のようなフードつきマントを纏っていた。フードに隠された顔はよく見えないが、どこかのっぺりとして個性の感じさせない様子である。全体的に影が薄く、薄暮の世界に棲む精霊といった印象があった。
ブラックソウルは黒い瞳を光らせながら、その男を見つめる。後ろで大きな肉食獣が寛いでいるように、ヴェリンダがソファに寝そべっていた。当然、瘴気は滲み出ているのだが、マントを纏った男は気にする様子も無い。
「ご苦労だったな、シャオパイフォウ」
ブラックソウルは気怠げな調子で、シャオパイフォウと呼んだ男に頷きかける。
シャオパイフォウはブラックソウルに報告を始めた。
「王の指輪は確かにクリスタル家の管理下にあったものです。8年前までは」
「その指輪を使えば、人の心に触れることができるというのは本当か?」
ブラックソウルの問いにシャオパイフォウが頷く。
「ええ。おそらくメタルギミックスライムとよく似た金属の魔法的生命体だと思われます。指輪をはめたものは、指輪を通じて他の人間と心を繋げることができるし、指輪自身の心と触れ合うことができます。かつて医師ラブレスがメタルギミックスライムを利用して義肢を造ったように、人間が造りだした魔法的道具です」
「なるほど、ヴェリンダが知らないはずだな」
ブラックソウルの言葉に、ヴェリンダが忍び笑いを漏らす。
「人間は色々奇妙なものを造る。退屈しないのは確かだな、おまえたちの世界は」
「それで、8年前何があったんだ?」
ブラックソウルに促され、シャオパイフォウが報告を続ける。
「クリスタル市にトラウスの密偵が入り込みました。ユンク流剣術の使い手でしたから、おそらく神聖騎士の一人だったのでしょう。その男は捕らえられ、両目をえぐり取られます。しかし、その男はクリスタル市からの脱出に成功しています。王の指輪が失われたのはその直後です」
「ほう」
ブラックソウルは笑みを浮かべて、シャオパイフォウを見つめる。シャオパイフォウは、全く無表情のままだった。
「その目を失った男が指輪を盗んでいったというのか?」
「記録では、その男は無明流といって人の気配だけを頼りに剣を振るう技の使い手だったとか。ただ、奇妙な点が一つありますね」
「なんだ?」
ブラックソウルは楽しそうに笑って先を促す。
「クリスタル家の王子、アリオス様がその男に接触していることです」
ブラックソウルは獣の笑い声をあげる。
「アリオス・クリスタル・アルクスル王子がその指輪を盗みだし、捕虜に与えて逃がしたというのか。はっ!そんな事実をおれが掴んだことを知られれば長老会から抹殺される理由がまた増えちまう」
「どうされます」
シャオパイフォウの声はあくまでも冷静であった。
「どうとは?」
「エリウス王子から指輪を奪いとりますか?」
「おいおい」
ブラックソウルは苦笑する。
「あの壊れた王子は、指輪があるからなんとかなってるんだぜ。指輪をとりあげたら、さすがのおれでも手におえん」
シャオパイフォウは少し沈黙する。
「本気であのエリウス王子を利用されるのですか?」
「使えるものはなんでも使うさ。せっかく手中におさえた切り札をそう簡単に手放しはしないよ」
シャオパイフォウは黙ったままだ。
「不服か?シャオパイフォウ」
「いえ。あの王子がエリウスで無ければもっと安心なんですが」
「何がいいたい?」
ブラックソウルは謎めいた笑みを浮かべる。シャオパイフォウは少しため息をついた。
「おそらく、この世界で神々を滅ぼそうという不遜な野望を持つ者は、ブラックソウル様かエリウス王子のように魔法的世界の外側に生きる人々です。もし、エリウス王子がブラックソウル様と同じ結論に達し、尚かつブラックソウル様より先に黄金の林檎を手に入れれば」
「かまわんさ、どうでもいい」
ブラックソウルは投げやりにいって、肩を竦めた。シャオパイフォウは抗議を唱えようとする。
その時、船室のドアがノックされた。
「なんだ?」
ブラックソウルの声に、外からミカエルの声が応える。
「天空城が見えたぞ、ブラックソウル」
「判った」
ブラックソウルは立ち上がる。
「すぐ行くよ」
天空は昏く、紺碧の海底のように静かである。それは地上から見上げる空ではなく、魔道によって造られた世界の空であった。永遠よりも果てしなく広がる青い空は、凄みのある闇を内に秘めており、飛空船は音もなくその青い冥界のような空の海を進んでゆく。
ブラックソウルは、飛空船の下部にあるゴンドラの甲板に立った。龍騎士たちは、既に甲板にならんでいる。風は凪いでおり、甲板は凍り付いたようにひどくしんとした世界と化していた。
ブラックソウルの隣に立ったミカエルが、遙か遠くを指さす。
「見ろ、天空城、エルディスだ」
それは昏く青い空の彼方に浮かぶ、一枚の木の葉のように見えた。ミカエルは、その進路の遙か先にある緑に輝く島を指さして言う。
「見えるか、天使たちが飛び立っているのが」
ブラックソウルは頷いた。白い粒子のようなものが、天空城より舞い上がっている。それは幾千もの天使であることは、間違いない。
「やつらはこの船を見つけたようだ。どう思う、ブラックソウル?」
ブラックソウルは苦笑する。
「天使のもたらすものは常に一つ。生有る者の殺戮さ。戦う相手が天使では不服か?
ミカエル殿」
「いや」
ミカエルは晴れやかといってもいい笑みを、ブラックソウルに返す。
「充分だよ。では我々が天使たちと戦うことを認めるんだな」
「あたりまえだ。おれたちの行く手を遮るのであれば天使だろうが、神だろうが関係ない。消えてもらう。おれの許可なぞ得るまでもないさ。好きにすればいい」
ミカエルは楽しげな笑みを、後ろに控えていたロスヴァイゼと龍騎士たちに投げかける。
「始めるぞ、みんな」
ミカエルは龍騎士たちに声をかけると、ロスヴァイゼに頷きかける。ロスヴァイゼはミカエルに頷き返した。そして瞳を閉じ両手を、何かを抱えるような形に広げる。その両手に囲まれた空間に、闇が出現した。
闇は瞬く間に大きくなり、ロスヴァイゼの胴を呑み込む。そして闇はロスヴァイゼの上半身と両足を吸い込んで膨らんでゆき、残ったのは球形の闇だけとなった。
闇は飛空船の甲板の上で、中空に浮かんでいる。その闇の奥底で一瞬閃光が走った。次の瞬間には、その闇の中から光輝く巨人が出現する。
その姿は、最後の巨人と呼ばれるフレヤとよく似ていた。背丈もほぼフレヤと同じくらいである。美しく均整のとれた見事な肢体が、眩いばかりの光を放ち甲板の上に立ちつくす。その太陽の女神のような輝く裸体を晒す巨人とフレヤの最大の相違点は、背中に生えた天使の翼である。
光は突然収縮し、黄金の液体となり巨人の身体を覆ってゆく。やがてそれは、金属のような硬質の輝きを放ち始めた。それは、黄金の鎧となって巨人の身体に装着される。
そこに立ちつくしているのは、黄金の鎧を身につけた天使であった。ブラックソウルが薄く笑いながら呟く。
「こいつが、戦闘生命体といわれるジェノサイダか」
戦闘への興奮のためか微かに頬を上気させたミカエルが、ブラックソウルの呟きに応える。
「そう、龍の幼生の細胞と、人の細胞を混交させて造りだした人工生命体だ。アイオーン界で微睡む龍の幼生と魔道空間を通じて繋がっており、その身体には龍の血が流れる。身体はGMGS(ゴールドメタルギミックスライム)の鎧で防御されており、おそらく地上でこれ以上強力な兵器は存在しない」
ジェノサイダの黄金に輝くボディへ、闇が出現する。その闇は、水面のように漣をたてた。そして、その闇の中から卵形のポッドが出現する。ポッドは甲板の上に降りてきた。ポッドは幾本ものワイアーで、ジェノサイダの胴体にある闇へ繋がっている。
ポッドは丁度人の背丈と同じ位の長さであった。ポッドの上面のハッチが開き、コックピットが顕わになる。ミカエルは、そのコックピットの中に身を横たえた。
ミカエルを収納したポッドは吸い込まれるように、ジェノサイダの胴体に浮かぶ闇の中へと消えて行く。それと同時に、黄金色に輝くジェノサイダの瞳へ意志の光が宿った。
ミカエルの乗ったジェノサイダ以外に、4機のジェノサイダが甲板上に出現している。
月の光を受けて輝いているような、銀色のメタルギミックスライムの鎧を装着したガブリエルのジェノサイダ。
立ち上がった影のように、漆黒のメタルギミックスライムの鎧を装着したラファエルのジェノサイダ。
黄昏の薄暮を思わせる、灰色のメタルギミックスライムの鎧を装着したウリエルのジェノサイダ。
そして新雪のように汚れない、純白のメタルギミックスライムの鎧を装着したラグエルのジェノサイダ。
黄金のジェノサイダはミカエルの声で言った。
「出撃するぞ。おれが先頭を飛ぶ。ガブリエルとラファエル、それにウリエルはおれに続け。ラグエルは、飛空船の近くを飛行して待機だ」
4機のジェノサイダたちは、無言で頷く。
ミカエルのジェノサイダは翼を開いた。その翼の上面が金色に輝き始める。魔道の力により翼の上面に空気の流れが生じ、翼の上面と下面の間に生じた気圧差が、ゆっくりと金色に輝くジェノサイダを宙へ浮かせる。
ジェノサイダたちは、一斉に飛空船から飛び去っていった。
ミカエルを先頭に、その左右にガブリエルとラファエルが展開する陣形をとる。
その少し後ろにウリエルが追尾していた。
天使たちは、紺碧の空に広がる白い雲のようだ。無慈悲な戦闘機械たちは、殺戮の意志だけを担い真白く輝くその姿をミカエルたちの前に晒している。
その数は幾千とも知れず、天使たちの放つであろう火線は一瞬にしてミカエルたちを焼き尽くすと思われた。その圧倒的な数の前にミカエルたちは無力に見える。
「それにしても、多すぎるわ」
ガブリエルの声で、銀色の鎧を纏ったジェノサイダがうんざりしたように呟く。
ミカエルが苦笑しながらそれに応える。
「たかが旧式の戦闘機械だ。やつらの放つ火線の有効射程など、剣を振り回してとどく距離と大差が無い。やつらは狩人の前に現れた白鳥の群と同じだよ」
「久しぶりの戦闘が鳥の群の掃討じゃあ、報われないといいたいんでしょ、ミカエル」
ラファエルが口を挟む。ミカエルは頷くと、後ろを飛ぶウリエルに向かって叫ぶ。
「ウリエル、さっさと終わらせてガルンを狩りにいこうか。バスターランチャーを用意してくれ」
灰色のジェノサイダは無言で頷く。そしてその左手を中空に掲げた。左手の先に星無き夜のような暗黒が出現する。その暗黒の中から巨大な円筒形の物体が出現した。
ウリエルの身長の倍以上はある巨大な砲身である。無数のケーブルがその砲身から伸び、暗黒の虚空へと繋がっていた。ウリエルはその長大なバスターランチャーを肩に担ぐと、照準を合わせ固定する。
バスターランチャーは無数の金属片を電磁的誘導で加速し射出するものであり、龍の血自体が含む雷撃エネルギーを利用した武器であった。射出される金属片は音速を超え、絶大な破壊力を持つ。また、金属片には魔法的な呪詛がかけられており目標を自動的に追尾するだけでは無く、霊的な汚染を行う為魔法的防御を突き破るパワーを持つ。つまり、魔法により位相をずらすことによって物理的攻撃をそらす一般的な魔法的防御は、バスターランチャーには無意味である。
無敵に思える兵器であるが、至近距離では射出したジェノサイダ自身が被害を受ける為ある程度の距離がとられている時にのみ使用可能であり、又、使用すると大量のエネルギーを消費する為、連射はできないという欠点を持つ。
ウリエルの持つバスターランチャーは青白い稲光を放ち始める。稲光は砲身を螺旋状に這い回った。ミカエルたちはバスターランチャーの射線よりはずれるため、天空の高みへと上昇していく。
バスターランチャーの砲口が青白い光を放ち始めた。その光が次第に強まり、砲身自身が周囲に光彩を放つ。
天空を揺るがすような轟音が響いた。空の巨獣が断末魔の悲鳴を放ったかのようだ。無数の光と雷光がバスターランチャーの砲口から放たれる。同時に、反動を相殺するために、砲身の後部よりジェット噴射が放出された。ウリエル自身が光と爆煙につつまれ、見えなくなる。
音の壁を超えソニックブームを放つ無数の砲弾は光の矢と化して、天使たちの群へ襲いかかった。空気を切り裂く爆音が、放たれる。
天使の群は、光の奔流に呑み込まれた。それは炎の渦に巻き込まれてゆく、無数の落ち葉のようでさえある。
無慈悲な戦闘機械たちは龍騎士の兵器の前に全く無力であり、その大半が身体を切り裂かれ落下していった。それでも、半数近くの天使たちが生き残り、ミカエルたち目指して群がってくる。バスターランチャーに狙われることを考慮してか、いくつかの小グループに別れて散開していた。
ミカエルたちは飛翔速度を上げ、天使たちへと向かう。ミカエルは右手を虚空に掲げる。そこに出現した暗黒より、長剣を取り出した。剣はGMGSに覆われ黄金に輝いている。
ガブリエルたちも虚空から連射砲を取り出す。ジェノサイダの腕と同じ位の長さの武器であり、形態はオーラでよく使われる火砲と似ていた。射出されるのはバスターランチャーと同じように魔法的呪詛のかけられた金属片である。龍の血によるプラズマエネルギーで金属片を射出する武器であるが、バスターランチャーとの違いは使用するエネルギー量が小さいため、連射可能であるということだ。
威力は当然バスターランチャーより劣るが、至近距離で天使の数体を破壊するパワーは充分にある。ガブリエルとラファエルはその連射砲を構えてミカエルに続いた。
(天使たちが、破砕砲の射程に入ります)
ミカエルは心の中にロスヴァイゼの声が響くのを聞いた。今のミカエルは完全にジェノサイダと意識がシンクロナイズされた状態にある。ジェノサイダの見るものは、ミカエルの見るものであり、ジェノサイダの身体はミカエルの身体となっていた。元々ジェノサイダ自体がミカエルの細胞と龍の細胞を混交して造りだしたものであるため、ジェノサイダが半ばミカエルの身体の一部分ともいえる。
ロスヴァイゼは龍の幼生と共にアイオーン界におり、アイオーン界からジェノサイダのコントロールをフォローしていた。ロスヴァイゼは龍とジェノサイダの関係を調整しているのと同時に、アイオーン界に待機させている武器の管理も行っている。
破砕砲はそうしたアイオーン界に待機されている武器のひとつだ。原理的には火砲とほぼ同じであり、鉄片と火薬を詰め込んだ陶器の筒を放出し炸裂させる武器である。火砲との違いは火薬の代わりに龍の血が使用されていることと、魔法的呪詛がかけられているため目標を次元界を跨って追尾するということだ。
ミカエルは心の中でロスヴァイゼに命ずる。
(天使たちに照準を合わせろ)(了解、マスター)
ロスヴァイゼの返答とほぼ同時に、ミカエルの乗るジェノサイダの周囲に十個の黒い次元口が出現した。その向こう側に破砕砲がある。
天使たちは獲物を狙う猛禽のように鋭く空を飛び、ミカエルたちに接近してきた。
天使たちは龍騎士の攻撃を警戒して、自分たちの身を置く次元界を目まぐるしく変えてゆく。存在する位相が激しく変化するため、天使たちは光輪に包まれ輪郭が霧の中にいるようにぼやけている。
ミカエルの周囲に展開された十個の次元口から炎の矢が放たれた。天空を舞う火龍のごとき十の矢は、光輪を背負う天使たちに襲いかかる。
十の光球が出現した。紅蓮の炎が紺碧の空を駆け抜ける。ずたずたに切り裂かれた真白き天使たちは火につつまれ、煙を放ちながら墜落していった。
天空に出現した火焔地獄からかろうじて脱出した天使たちは、さらにミカエルたちに迫ってくる。その天使たちをガブリエルとウリエルが連射砲でねらい撃つ。
青白いプラズマ光が迸り、輝く金属片が天使たちを切り裂く。射出される金属片は発射と同時に次弾がアイオーン界より供給される為、瞬きするほどの時間で数百発の金属片が射出された。
胴体を切り裂かれる天使たちは、光輪を失い打ち落とされた白鳥のように地上へと墜ちてゆく。それは無慈悲な虐殺のようであった。かつて地上に殺戮をもたらすため舞い降りた天使たちが、今は姿形のよく似た龍騎士たちのジェノサイダに撃ち殺されてゆく。
(ロスヴァイゼ、ブーストモードに入るぞ)(了解、マスター)
ミカエルが心の中で発した命令に、ロスヴァイゼが応える。
黄金の鎧を纏ったジェノサイダの周囲の空間が、青く輝き始める。ミカエルは、南国の海のように鮮やかに輝く青い球体に包まれた。
ブーストモードとは、空間の位相をずらし込み時間の流れが速い空間へと転移することである。ミカエルは通常の時空間より数倍速く時間の流れる空間へ入り込んだ。さっきまで天空を飛翔する鳥たちのように素早く動いているように感じられた天使たちは、停止してしまったようにゆっくり動いている。
ミカエルは間近に迫った天使たちに向かって飛ぶ。空気は深海の海水のように重く、身体にまとわりつく。ミカエルのジェノサイダーは空気を強引に食い破るように飛翔した。
ミカエル自身には這うような速度であったが、天使たちにとって補足できない速度で移動している。ミカエルはゼリーの中を移動しているようなもどかしさを感じながら、天使たちのそばにきた。
剣が、ソニックブームを起こしながら、天使の胴を薙ぐ。衝撃の凄まじさに、小さな爆発が起こったように天使の身体が切断された。
ミカエルは超絶の速度で移動しながら天使たちを切り刻む。黄金に輝くGMGSでコーティングされた剣は、爆砕するように真白き天使の身体を破壊してゆく。
もどかしいまでにゆっくりとした作業であったが、天使たちの認識ではほんの一瞬で十体の天使たちが破壊されたことになる。天使たちはミカエルに向かって青白く輝く火線を放つが、ブーストモードにいるものにとっては全てがゆったりとした動きにしか感じられない。
天使たちはミカエルに次々と打ち落とされてゆき、それを逃れた天使はガブリエルとラファエルの連射砲の餌食となる。天使たちは既に自殺するために戦っている状態になっていたが、神の造った戦闘機械である彼らに恐怖は無く自らの死を無視して戦闘を続けた。
天使たちはまだ空を覆い尽くせるほどいる。その天使たちが龍騎士に僅かな傷でも負わせるために、その身体をなげうって立ち向かってゆく。
龍騎士たちは、永遠に続くかのような殺戮の宴に呑み込まれていった。
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