森のおひめさまとお父さま

 開け放たれた城の門の側では、おじさまオオカミがちょこんとお座りして、みんなを待っていました。おじさまオオカミは、音楽家モモンガさんの姿を認めると、驚いたようにヒトの声で言いました。

「なんだ、イヴァンも一緒か」

「ああ、久しぶりだな。マシアス」

 おじさまオオカミ、ちょっと首を傾げます。

 音楽家モモンガさん、心なしか足元がふらついています。そう言えば、いつもはしわ一つないスーツがよれよれな気が。おじさまオオカミ、くいと顔をこいの方に向け、尋ねました。

「おい、なんかこいつ、ぼろぼろじゃねえか?」

 こい、冷たく言いました。

「気にしないで」

「……ふーん」

 納得はしかねますが、おじさまオオカミはオトナです。すぐに、やるべきことをやりました。

「まあいい。さっさと行くぞ」

 足を折り、乗れと無言でうながします。

「うん」

 こい、スカートの端をちょいと摘んで、おじさまオオカミにまたがりました。

「イヴァン」

「ああ」

 音楽家モモンガさん、こいの手を取ると、ぼひゅっとモモンガに姿を変えます。音楽家モモンガさん、こいのお腹にしっかりと捕まりました。

「行くぞ。クロウ、ついて来い!」

「はいはーい!」

 少年タカも再び姿を鷹へと変えます。

 おじさまオオカミは瞬く間に森を駆け、そして、チョコレート色のレンガでできた、二階建ての小さなお家の前へとやって参りました。そこは、そう。男の子ウサギと男オオカミのお家です。こいはモモンガ片手に、こんこん。どういうわけか、道からそっぽ向いている玄関の扉をノックしました。

 中から、若い男性の声が聞こえます。


「はい、どちらさま?」

 

 こいは、元気よく答えました。


「城からの使いで、やって参りました」

 

 今度はすぐにお返事がありませんでした。中のやりとりが、微かに聞こえてきます。やがてそれも静かになり、ドアが開きました。


「あ、いたいたー」

 

 目標を発見したこい、男オオカミをぐいと押しのけ、ずかずかお家に入ってきます。

 お邪魔しますも言わないで、まあ、なんて失礼な! 男オオカミの顔も、ちょっと不満気。

 が、当事者たちは、そんな場合ではありません。

 こうもりのお姫さま、気まずそうに、こいに尋ねます。

「どうしてここが?」

「マシアスがね」

 お姫さま、こいの後から入ってきたおじさまオオカミ(おじさまオオカミはちゃんとご挨拶しましたよ!)に目を向けます。おじさまオオカミ、すかさず言いました。

「言っておくが、文句は聞かんぞ」

 こうもりのお姫さま、口はつぐんだまま、恨めしげにおじさまオオカミを見上げます。

 と、音楽家モモンガさんが、こうもりのお姫さまに向かって、ずいと両手を差し出しました。


「アナスタシア!」

 

 お姫さま、ぎょっ。思わず叫びました。


「お、お父さま?」

 

 モモンガ、うんしょとこいのてのひらで立ち上がり、娘に向かって精一杯、両手と体を伸ばします。

「聞いたぞ。どうして急に城を飛び出したりしたんだ?」

「……だって」

 お姫さま、泣きそうになりながら助けを求めるように視線をあちらこちらと動かします。

 ふと、男オオカミと目が合いました。

 男オオカミ、ちょっと困った顔をして――そして、言いました。

「言っとけよ。親子だろ」

 お姫さま、こいから音楽家モモンガさんを受け取ります。

 改まった口調で、お姫さまは言いました。


「お父さま」


「何だ?」


「大事なお話なの」


「……わかった」

 ぼひゅっ。

 音楽家モモンガさんはヒト形になり、娘の手を優しく取りました。


「何だ? 何でも言ってごらん」

 

 お父さんって、こんな時なのに、どうしてこんなに優しいのでしょう。

 こうもりのお姫さま、これからとっても大切なことを聞かなければいけないというプレッシャーと、『やっぱりやめたほうがいいかしら。きっとお父さまを困らせるわ』という気持ちがないまぜになってこみあげて、美しい瞳に自然と涙を浮かべてしまいました。

「アナスタシア?」

 でも、やっぱり聞かなければいけません。

 知ってどうするかはわかりませんが、聞かなければなりません。

 こうもりのお姫さまは、涙をぐっとこらえて言いました。


「お父さま、はっきり言ってちょうだい。こうもりのわたくしが気に入らなくて、お城を出てゆかれたの?」


「何をバカな」

 音楽家モモンガさん、娘の手を、何度も何度も優しくなでます。

「お前がどんな種族に属そうとも、お前はおれの愛する娘だ。そんなことは関係ない」

「だったら、どうしてお城を出てゆかれたの!」

「ん? それは、そのう……」

 急に歯切れが悪くなりました。音楽家モモンガさんの瞳があたりをさまよいます。


「お父さま!」

 

 こい、つめたーい目で言いました。

「ちゃんと言っといたほうがいいよ。イヴァン」

「……うーんとだな」

 男の子ウサギ、男オオカミを思わず見上げました。男オオカミも変な顔をしています。


「えっと、それは、だな。なんと言うか、その……」

 こうもりのお姫さま、また悲しくなってきました。


「お父さまったら!」

 

 声にも悲哀がこうもります。と、その時、とうとうあのヒトが、ぽつり。

「城での生活も悪くなかったが、また外でオンナと楽しみたくなったんだろ」


「――え?」

 ちゅーもーく。

 発言したおじさまオオカミは腕組みしたまま、そっぽを向いています。

 こうもりのお姫さま、信じられない面持ちで音楽家モモンガさんと、おじさまオオカミを交互に見つめました。最初は真っ白だった心に、徐々に疑惑の雲が。時を置かずして、それは確信に変わります。青ざめていたお姫さまの顔は、みるみるうちに真っ赤になりました。

 そしてやって参りました。大爆発!

「お、お父さまあ!?」

「い、いや。まー、あはは!」

 あははじゃありませんよ、まったく!

 音楽家モモンガさん、後ろ頭をかきかき、苦笑い。さらに、こうぶっちゃけました。

「す、すまん。マシアスの言う通りだ。お前たちとの生活は楽しかったが、おれはバイオリンを弾きながらの気楽な生活の方が性に合ってる」

 体をぶるぶる震わせているお姫さまを見て、男オオカミは心配になりました。

 お姫さまと音楽家モモンガさんがいつ別れた知りませんが、父親がここまで軽いヤツだとは考えていなかったに違いありません。下手をしたら、また飛び出して行ってしまうかも。

 男オオカミがちらりとドアに目をやると、おじさまオオカミ、察してくれたのか、ドアをさりげなく自分の体で塞ぎました。

 お姫さまの両こぶしは、ぶるぶる震えています。


(……いくかな)


(アナスタシア、やっちゃえ!)


(キー)


(ひどい顔になったら笑ってやーろう)

 思うところは、それぞれあれど。さて、気になるお姫さまの決断は?


「まあ、いいわ」

 

 ――ずるっ。

 一同拍子抜け。

 お姫さまは椅子にゆっくり腰を下ろして言います。

「お母さまはきっと、お父さまのそういう自由なところがお好きだったんでしょうし」

 にっこり。

 お姫さまは、本当にすっきりした笑顔で微笑まれました。

 それはお姫さまの笑顔ではなく、少女の笑顔で。みんなは、それにほっと癒されたのでした。

「じゃあ、もうお城に戻るよね」

 安堵から出たこいの言葉に、お姫さまは「ええ」とうなずきます。

 立ち上がるとお姫さまは優雅に一礼なさり、男オオカミに言いました。

「どうも、お邪魔いたしました」

「いいえ。大したおかまいもできませんで」

「よかったよかった。じゃ、おれはこれで!」

 ぼひゅっ。

 再び小さくなり、こそこそドアに向かう音楽家モモンガさんを、お姫さま、すばやく抱き上げました。


「待って、お父さま」

 

 音楽家モモンガさん、足をこちょこちょ動かしながら、首だけ娘のほうを振り返ります。そこには先ほどとは違い、黒い笑みを浮かべたお姫さまが。口調だけは優しく、お姫さまは囁きます。

「せっかくですもの。お母さまの顔も見て行ってらして。わたくしがお母さまの城までご一緒するから」

 こいとおじさまオオカミの顔が、さっと強張ります。

(あの女王様と?)

(うわー、殴られたほうが、まだましだったかも……)

 音楽家モモンガさんの、助けを求める視線を二人は無視しました。だって、とばっちり食らうのはごめんですもん。

「じゃ、ぼくたちはこれで! お邪魔しましたー」

 男オオカミと男の子ウサギにはよくわかりませんでしたが、とにかく、こいがこの話をここでまとめてしまいたい気持ちはよくわかりました。で、それには逆らわないことにしました。

 男オオカミと男の子ウサギ、ばいばいと手を振ります。

 少年タカが出て行って、おじさまオオカミが出て行って、こうもりのお姫さまが音楽家モモンガさんを手にぎゅっと握ったまま出て行って、最後に、こいがばいにゃと手を振って。

 

 ――ぱったん。

 

 扉が閉まると、また二人きり。

 急に寂しくなりましたが、まあ、これでよいのでしょう。

「……キー」

「そうだな。にぎやかだったな」

「キー」

「ん? どうした?」

 男の子ウサギは、聞きたいことがたくさんありました。

 自分を置いて戦争に行くと言われたとき、男オオカミは、本当はどんな気持ちだったのか。

 血の繋がりのないお父さんを、男オオカミは本当にお父さんだと思っていたのか。

 なんだかとっても嫌な気持ち。

 男の子ウサギは耳をしょぼんと垂れたまま、考えました。

 ――聞こうかな。やめようかな。

「どうした?」

 男オオカミは屈んで男の子ウサギの顔をのぞき込みました。


「キー」

 ――あのね、あのね、ラティ。

 

 息を一つ吸い込んで、男の子ウサギは顔を上げました。


「ルル?」

 

 そこには、とっても優しい男オオカミの顔が。

 その顔を見たとたん、どうしてでしょう? 男の子ウサギは思ってもみなかったことを叫んでしまったのです。


「キッ!」

 ――釣りに行こう!

 

 男オオカミ、ニッと笑います。

「よし! 行くか!」

「キッ!」

 男オオカミが大きい釣竿と小さい釣竿を用意します。男の子ウサギは、秘密を隠すように小さな手で男オオカミの手をそっと握って、お外に釣りに行きましたとさ。――ぱたん。

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