森のおひめさまの行方

 ――ピクピク。

 

 男オオカミの耳が、仲間の声を聞きつけます。彼は、お客さんに向かって言いました。

「探してるみたいだぜ」

 男オオカミの目の前には、うな垂れた様子のこうもりのお姫さまが。

「キ」

 男オオカミの左隣の男の子ウサギ。こくこくミルクを飲みながら、男オオカミの様子を上目遣いに見つめます。男オオカミは、珍しく固い表情で尋ねました。

「これからどうすんだ?」

「……どうしよう」

 お姫さまの声は、今にも泣き出しそうです。

 ここで泣かれても困るんだよ、と思う一方、男オオカミはこうも考えていました。

(ま、何にせよ、連れて帰ってきてよかった)

 しょぼくれた様子で切り株に腰掛けていたこうもりのお姫さまを見つけたのは、男の子ウサギです。前回とは違い、口の重いお姫さまの対処に頭を悩ませていた男オオカミですが、ついさっきの同胞の声で確信しました。

 目の前にいる、このこうもりの女の子はまごうことなきお姫さま。そして、今とっても悩んでいるということ。

「早く帰ったほうがいいんじゃないか?」

「帰りたくないの!」

 こうもりのお姫さまは叫びました。男の子ウサギ、椅子から降りてちょこちょこ。お姫さまの側によって、「キ」と鳴きました。

「え?」

 こうもりのお姫さま、居心地悪そうにもぞもぞ。男の子ウサギはさらに「キ」と鳴きました。

 

 ――嘘はダメだよ。

 

 お姫さま、肩をすぼめます。やがて意を決したように、言いました。

「ねえ」

「何ですか?」

 男オオカミ、敬意を払って一応敬語。お姫さまは真剣な顔で尋ねます。


「異種族同士に、愛ってあると思う?」

 

 男オオカミ、目をぱちくり。

 お姫さまのきまぐれとなめてかかっていましたが、根は意外と深いところにありそうです。


「ねえ、あると思う?」

 

 男オオカミ、ここは慎重に。まず、肝心なことを確かめることにします。

「お姫さま、好きな男がいるのか?」

 お姫さまに向かって『男』はなかったかと思いましたが、あとの祭りです。あと敬語でもなくなりましたが、これも後の祭りです。そして幸いにも、お姫さまはこの手の質問に顔を赤らめて言い淀むほど、子どもではありませんでした。


「もちろん」

「ほうほう」

 

 男オオカミはうなずきました。

 貴族の暮らしにはとんと縁がなくとも、貴族のお姫さまに自由恋愛が許されるとは思えません。つまり、そういうことなのでしょう。


「そっかー。大変だな」 

「そう。大変なの」

 

 恐ろしい会話です。

 片方はAについて話し、片方はBについて話している。二人は共通の話題を話していると信じ、互いに確認もしない……そんな哲学があったような、なかったような。とにかく、言わんとすることはまったく違うのに、内容は噛み合うという不思議な会話を、二人は続けます。


「わたくしは(お父さまに)会いたいと思っているのに、なかなか会えないの」

「そりゃ(あんたの立場が立場だし)会いたいと思っても、気軽には無理だろ」

「そうかしら」

「そうだろ。だいたい、領主様の目もあるし」

 

 お姫さま、考えます。


「やっぱり(実の子ではないし)遠慮があるのかしら……」

 

 男オオカミ、思わず身を乗り出します。

「そりゃ遠慮しなきゃだろ!」

「でも、お兄さまより年上なのに……」

「……いや、年が上だの下だの関係ないって」

 オオカミ、心の中で首を傾げます。

(お姫さま、意外とおじ様が好きなのか?)

 椅子に戻った男の子ウサギ、ピクピク耳を震わせます。

「キ?」

 ――何かちがう?


「わたくしは(お父さまに)毎日だって会いたいのに!」

「そりゃ(惚れてる男なら)毎日会いたいだろうけど、そこは我慢したほうが……」

「どうして(お父さまと会うのに)我慢しなければならないの!」

 

 あっ。お姫さま逆切れ。男オオカミもついテンションがあがります。


「だってあんたお姫さまじゃん!」

「それとわたくしに会いに来て下さらないことと、何の関係があるの!?」

「大有りだろ!」


「だって!!!!」

 

 二人は同時に叫びました。


「お父さまなのに!」

「恋人だからって……あれ?」

 

 男の子ウサギは一人、得心したように「キッキッ」とうなずきます。

 

 ――ほら、やっぱりちがってた。

 

 男オオカミ、一挙にクールダウン。

「……好きなヒトの話してたんじゃないのか?」

「そうよ、大好きよ。お父さまだもの」

 男オオカミ、体中から力が抜けました。

「じゃあ、異種族の愛、うんぬんかんぬんは?」

 お姫さまは当然のように答えました。


「わたくしのお母さまはこうもりで、お父さまはモモンガなのよ」


「モモンガぁ?」

 男オオカミの頭に、てのひらに乗る程度のちっこい動物の姿が浮かびます。

(へー。あんなちっこいなりでやるなあ……)

 もちろんヒトの姿は違うのでしょうが、それにしても羨ましい。

 男として至って当然、しかし女から見れば不純な感想を抱く男オオカミと違い、こうもりのお姫さま、まだまだ恋に恋するお年頃。お父さまとお母さまのロマンスにうっとり思いを馳せつつ、呟きます。


「お母さまは生まれながらの貴族。だからお父さまの自由な所に激しく魅かれたんですって」

 

 籠の中の小鳥と出会うモモンガ……いや、こうもりを鳥に例えてるんですから、モモンガももっとロマンチックな動物にしましょう。えっと、うんと……テナガザル? いやいや、ちっともロマンチックじゃない。

 が、お姫さまのお話はドラマチックに展開していきます。

「でも、わたくしが生まれる前に、お父さまは自由へと戻っていかれたの……」


『愛している。だがわかってくれ、おれでは君を幸せにできない』

『待って! もうすぐ子どもが……』

『さよならだけが人生だ!』

『ああ!』

 

 ……かっこいいのは当人だけで、周りはさぞ白けるんでしょうねえ。

「へー」、と適当に相槌打つ男オオカミ。が、ここではた、と気づきました。

「あれ? でも領主様はヘビだよな?」


「ええ。お兄さまのお父さまは名のある伯爵様よ。でも退屈な人で、お母さま、飽きてしまったんですって」

 

 男オオカミ、目が点。&絶句。

 ティーンエイジの若者でもあるまいし、何なのでしょう。そのふざけた理由。


「今はご自分の領地で、お母さまと結婚する以前からお付き合いのあった方と一緒に暮らしてらっしゃるんですって」

 

 男オオカミ、思考停止。


「お母さま、よくご冗談でこう仰っておられたわ。『わたくしが女でよかったわ。でないとアレクサンドルが自分の子かどうか、疑わなくてはならないものね』」

 

 男オオカミはヘビの領主様を深く、深く尊敬しました。

 よくぞ、よくぞ、真っ当にご領主におなりになりました!

(孤児だったおれの過去なんざ、クソみたいなもんだよな!)

 男オオカミ、浮かんできた涙をぬぐいます。一方、男の子ウサギはこうもりのお姫さまの方を向いて言いました。


「キ」

 ――大変だね。

 

 お姫さま、首を横に振ります。

「ちっとも。だって、これがわたくしたちの生活なんですもの」

「じゃあ、何が不満で飛び出したんだよ」

 お姫さま、急にもじもじ。先ほどまでの自信たっぷりの態度とはずいぶん違い、言い出しにくそう。でも、心の中に留めておくのはやっぱり苦しいみたい。お姫さま、きっぱりした口調で言いました。


「誤解しないでね」


「うん」

 男オオカミ、うなずきます。


「わたくしは、お父さまの愛も、お母さまの愛も疑ったことはないわ」


「うん」

 男オオカミ、再びこっくり。


「でも、不安なの」


「何が?」

 お姫さま、もじもじ。小さな声で言いました。


「お父さまが出て行かれたのは、こうもりとして生まれたわたくしが、原因ではないのかって」


「つまり?」


「……わたくしが、かわいくなかったのではないかしら」

 

 男オオカミはため息をつきました。

 疑ったことはないと言いながら、お姫さまはやっぱり疑っているのです。疑っているという言葉が妥当でないなら、信じていないのでしょう。お父さまを、ではありません。お父さまに愛されている自分を信じていないのです。

 男オオカミはお姫さまがここにいる理由が、ようやくわかりました。

 お姫さまは男オオカミと男の子ウサギがうまくやっていることを見て、『異種族同士の愛はある。だから、自分も愛されているのだ』と納得したいのでしょう。


「……あのさあ、お姫さま」

 

 だから、男オオカミもちゃんとお話することにしました。

「おれは、おれの言葉でしか言えないけど」

 男オオカミの真剣な口調に、お姫さま、ちゃんと居住まいを正します。

「……ええ」


「ずっと一緒にいることが愛情の証明なのかな?」

 

 お姫さま、目を丸くしました。

 男オオカミ、いつになく真剣です。男の子ウサギも耳をそばだてました。


「むかし、あるところに男の子オオカミと女の子のおおかみがいて、二人には本当のお父さんじゃないお父さんがいたんだ。お互いに血の繋がりはないけど、三人はとっても仲が良くて、このままずっと一緒にいて、男の子オオカミは、いずれ女の子おおかみと結婚するんだろうなって思ってた」

 

 男オオカミは、手の中のマグカップを見つめました。もう残り少なくなったコーヒーの黒い表面。そこに、自分の顔が映っています。


「だけどある日、戦争が起こった。お父さんオオカミは二人を呼んで、『もう一人の娘のために戦いに行く』って言ったんだ。女の子おおかみはものすごいショックを受けて、お父さんに言った。『あたしたち、家族じゃなかったの?』って」

 

 お姫さまは小さく呟きました。

「……ひどい」

 男オオカミは悲しげに笑います。

「そうかもしれない。でも、男の子オオカミは女の子おおかみとは違う考えがあった。『お父さんはぼくたちを愛してるけど、いま力になってあげたいのは、ぼくたちじゃないんだ』って」


「わからないわ!」

 

 お姫さまは叫びました。

「だって、女の子の言っていることは正しいじゃない! 家族なら、愛しているなら、いつも側にいるのが当たり前でしょう!」

 男オオカミは言いました。

「でもさ、そしたら離れている娘はどうなんの?」

 お姫さま、言葉を失いました。

「お父さんにとったら、どっちも大事だよな」

「でも……だって……」

 お姫さまはしどろもどろになって、それでも反論を試みます。男オオカミは、悲しそうな笑顔で言いました。

「女の子おおかみも、同じことを言った。で、彼女はお父さんを追いかけて戦争に行った。お父さんにもう一度会いたい、会って自分とその子、どっちが大事なのか、お父さんから聞きたいって」

「……男の子オオカミはどうしたの?」

「残って、女の子おおかみが帰ってくるのを待つことにした。彼女が傷ついて戻ってきたとき、『お帰り』って言えるように」

 お姫さま、さらに何か言おうと口を開きました。

 と――コンコン。突然、ノックの音がしました。

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