森のおひめさま、再び
みなさん、前々回登場した森のお姫さまを覚えていますか?
そう、男の子ウサギををむぎゅっとした、お兄さん大好き、超ブラコン姫さまです。
さてお姫さま、お部屋の窓から外を見やり、何だかとっても憂鬱そう。
(ウサギとオオカミなのに……)
ピンクの唇からほうっとため息が洩れます。
美少女のため息ってなんて絵になるんでしょう! 女性のみなさん、美しさの証明のためにどんどんため息をつきなさい! きっと素敵な男性が心配して声をかけてくれるでしょう! ここでもし『太った?』なんて見当違いも甚だしい一言が返ってきたら、遠慮することはありません。ぜひ、平手打ちを食らわせなさい❤
ま、ジョーダンはさておき。
そんなお姫さまの様子に人一倍気を揉んでいるのが、ヘビの領主様。つまり、こうもりのお姫さまのお兄さまです。いつの時代も、兄は妹の行く末をそりゃあ心配しているもの。
まして、その妹が美しく思わせぶりなため息をつかれた日にゃあ、あなた。
(どうしたんだろう)
そわそわ、そわそわ。ヘビの領主様、考えます。
(好きな男でもいるんだろうか)
来ましたーっ。『おれの目が黒いうちは、どこの馬の骨ともわからん奴に妹はやれん!』発言!
でもそんなこと言ってたら、どんな美女も、あっという間にしわくちゃのおばあちゃんになっちゃいますよ! よほど問題ある男でない限り、とっととくれてやったほうが、ウエディングドレスも様になるってもんです!
しかし、それはそれ。これはこれ。
兄が妹を思う気持ちは、理屈で動くものじゃありません。
兄としては一刻も早く妹に幸せになってもらいたい。
しかし、お姫さまの婿として迎え入れるということは、貴族の一員として受け入れることでもあります。少なくとも、妹の身分に釣り合う人でなくてはいけません。
ヘビの領主様、お姫さまの部屋のドアで立ち尽くし、ドアをにらみつけています。その表情には鬼気迫るものがあります。
はたから見てると、ただの危ないヒトです。
お茶を用意してきたこいもそう思ったのでしょう。
押してきたワゴンを止め、半眼でヘビの領主様を見つめて言いました。
「何なさってらっしゃるんですかー?」
ヘビの領主様、飛び上がりました。そして振り向いて言いました。
「な、なんだベアトリス。脅かすな!」
こいは答えました。
「別に脅かしてませんよーだ」
本当に。こいはただ、お声がけしただけなんですからね。
「こんなところで何なさってらっしゃるんですか?」
口調には明らかに棘があります。こい、言外でこう言ってます。
『公務もこなさず、妹観察かよ。シスコンが!』
誤解しないで下さいね。
シスコンが悪いわけじゃありません。
ただ、自分が惚れてる男がシスコンってことになると、これは大いに問題です(マザコンも同様ですよ!)。
さて問題のシスコン、もとい、ヘビの領主様。
まるで、盗みに入る直前に警官に声をかけられた泥棒のような挙動不審ぶりを発揮しながら、こう答えました。
「い、いや、アナスタシアの様子がおかしいから、その、ちょっと、気になって」
こい、相変わらず半眼でヘビの領主様を見つめながら言いました。
「ちょっとって、どれくらいですか~」
あ、こい、ちょっといぢわる。
「い、いや、ほんとにほんのちょこっと」
ヘビの領主様、親指とひとさし指で輪を作って見せました。
こい、さらにいぢわるく。
「ちょっとぉ~」
どうやらこい、ヘビの領主様をいじめることがカ・イ・カ・ンの模様。ヘビの領主様の困った顔を見ながら、心の中でこう呟きました。
(きゃん、かわいい❤)
こい、年を考えましょう。
かわいそうに。純情路線(はたしてシスコンは純か?)一直線のヘビの領主様、両ひとさし指をちょんちょんさせるという非常に男らしくない(むしろ乙女)動作をしつつ、言いました。
「す、好きな男でもできたんじゃないかと心配なんだ」
「あ、それはない」
こい、言下に否定。ヘビの領主様、目をむいて、こいに迫ります。
「なぜそう言い切れる!」
こいは、でっかいお胸を(お忘れかもしれませんが、ぷるるんなんですよ!)これでもかと張り、言いました。
「ふーんだ。女の子にはわかるんだもんね!」
「千歳のばばあが、何を抜かす!」
あ、王様。事実ですがそれ、言っちゃいけません。
こいは気分を害したようで、つんとあごを上に向けると、こう言いました。
「せっかく姫さまから悩みを聞きだしてやろうかと思ってたけど、やーめた!」
「え? お、おい」
今更ながらに自分の失言に気づいたヘビの領主様の前で、こいはワゴンを再び押し始めます。
「へーんだ。いつまでも悩んでろー」
こい、べーっと舌を出し、こんこんノック。殊更明るい声で、部屋の中のお姫さまに呼びかけます。
「お姫さまー、お茶の時間ですよー」
もちろん、これ見よがしにヘビの領主様をちら見するのも忘れません。
ヘビの領主様、あたふたあたふた。こいを引き止める方法を探しますが、もはや遅すぎます。こいは、
「ばいにゃ」
となぜか魚の天敵、猫語の挨拶を残してさっそうと中に入っていきました。
あとには肩をがっくり落としたヘビの領主様が残っていましたとさ。
さて、お姫さまの部屋の中に入ったこいは、上機嫌で尋ねます。
「お姫さまー。本日のお茶はどうなさいますか?」
「……アプリコット」
おやおや。こうもりのお姫さま、本当に元気がありません。こい、急にお姫さまが心配になってまいりました。
「お姫さま、どうなさったんですか?」
お姫さま、相談しようかどうしようか迷っているご様子。
こい、確信しました。
これは恋の悩みではありません。
「アレクサンドルには言いにくいこと?」
こいはヘビの領主様の名前を呼び捨てにすることで、『お使えする召使ではなく、あなたをお育てした母として悩みを聞く』という姿勢を示しました。お姫さま、育ての母(!)の言葉に、こっくりとうなずきます。さすがこい! 年の功! だてに二人をよちよち歩きのころから面倒見てません!
「ねー、とりあえず話してみなよ」
「……お兄さまには言わない?」
「うんうん」
みなさん、すでにおわかりですね。『絶対秘密だからね!』は、『しゃべってね!』と同義語であることを。
この法則を充分知り尽くしているはずのお姫さまですが、今回はよほど弱っていたのでしょう。思いのほか素直に、こいに悩みを打ち明けました。
「異種族同士に愛ってあると思う?」
こい、大きなおめめをぱちくり。
「どうして?」
「だって……」
言ったきりお姫さまは黙ってしまいました。
こいがお姫さまの様子をじっと窺うと、お姫さまは涙ぐんでいらっしゃいます。
こいは首を傾げました。
お姫さまのお母さまはこうもりで、お父さまはモモンガです。
お母さまは同じですが、お兄さまのお父さまはヘビです。
ヘビの領主様とこうもりのお姫さま、お父さまも違えば、種族も一緒ではありません。
そんなこと、お姫さまだって、とうにご存知のはずなのに。
「何があったか知らないけどさあ」
こい、とりあえず口を開きます。
「愛がなきゃ、アナスタシアは生まれてないんじゃないの?」
「――だったら!」
お姫さま、こいに詰め寄ります。
「おおおお?」
こい、後ずさり。お姫さまは目に涙をいっぱいためて言いました。
「だったら、どうしてお父さまはわたくしに会いに来てくださらないの!」
こい、悟りました。
こうもりのお姫さま、お父さまが恋しいお年頃。
こい、困りました。
「えっと……。それはそのう……」
お姫さま、こいの困った様子を見て、ますます悲しみを募らせます。
「やっぱりお父さまはこうもりのわたくしが嫌いなんだわ!」
こい、飛び上がりました。
「ち、違うよ! お姫さまが嫌いだなんて、とんでもない!」
「異種族同士に愛なんかありえないんだわ!」
「い、いや、だから、あのね……」
「出て行って!」
ヒステリックにお姫さまは叫びました。
「顔も見たくない!!」
別れた男でもなけりゃ、しつこく言い寄った男でもないのに、なんでこんな言われ方しなきゃならないんでしょう? こい、釈然としない気持ちながらも、悲劇のヒロインモードに入っているお姫さまにこれ以上何を話してもムダと部屋を後にすることにしました。
廊下の物陰にはこちらの様子をうかがっているヘビの領主様が。
こいは、「はあ」、とため息を洩らしました。
まったく、ヒトの頭痛の種を作ることだけは、上手な兄妹です。
「領主様ー」
こい、てってってっ、とヘビの領主様に駆け寄り、ご報告申し上げます。
「しばらく一人にしてって」
ヘビの領主様、がっくりと肩を落としました。と、その時。
ばっさあ。
お姫さまの部屋のほうから羽音が。
「え?」
「アナスタシア!」
こいとヘビの領主様があわててお姫さまの部屋に向かうと、そこはすでに、もぬけの殻。
「ちょっとー、お姫さまー!」
こいが開け放たれた窓に駆け寄り、遠ざかっていくこうもりに呼びかけましたが、無駄でした。こうもりの姿はみるみる小さくなり、黒い点になったかと思うと、あっという間に森に紛れて消えてしまいました。
「追うぞ!」
ヘビの領主様、言うが早いか窓枠に足をかけます。こい、あわててヘビの領主様の腰帯をつかみました。
「待った待った! 君は飛べないでしょ!」
「あ、そうだった」
ああ、どうして領主様はヘビなんでしょう!
やきもきしているオトコより、こんな時はオンナのほうがよほど頼りになります。
いち早く立ち直ったこいは、てきぱき言いました。
「クロウとマシアスに探してもらおう。ぼく、行ってくる!」
「あ、ああ、そうだな」
さあ大変!
こいはスカートの端をちょいとつかみ、階段を駆け下ります。
「クロウ、マシアス!」
さあ、二人はこの広いお城の中どこにいるのか?
こい、だてに千歳のおばあちゃんじゃありませんよ!
ちゃんと心当たりがあるんですからね!
「クロウ!」
叫びながらこいがやって来たのは、台所です。
「ムグムグ……」
おや? なんか猫背のおっきなのが。
「ちょっと!」
こい、その猫背を勢いよくばんっと叩きました。
「いらっ!」
口の中をもごもごさせながら、体の大きな少年が叫びます。どうやら「いたっ!」と叫んだようですね。
「なに?」
お口の中のものを飲み込んで、少年が振り向きました。
「じつはね、お姫さまがお城を飛び出しちゃったの」
本当に文字通り、飛び出しましたね。
少年はカットしてある次のケーキを、口に放り込みながら尋ねました。
「なんで?」
「女の子にはね、色々あんの。とにかく探してきて」
「えー」
どうやら、まだまだ食べたりない様子。クリームまみれの顔が、不服そうに歪みます。こいは彼の手からひょいとケーキを取り上げ、自分のお口にぽいと放り込みました。
「あ!」
「んんー、あまっ。おいしー。……ほらさっさと行く」
こいは少年の腰をぐいぐい押し、台所の外へ連れ出します。少年は名残惜しそうに遠ざかって行くケーキを見ていましたが、やがて、あきらめたように言いました。
「探すって、どの辺り?」
「森」
「よくわかんないけど、わかったよ」
うな垂れたまま少年は言いました。その頭にあるのは相変わらず『ケーキ』ですが、お姫さまが見つからなければ、ケーキは食べられそうにはありません。ため息をついて、少年は城の門に向かい、おもむろに走り出しました。
1、2、3、ジャンプ!
少年は姿を瞬く間にタカへと変え、大空に羽ばたきます。
それにしてもタカなのに『クロウ』とは。変わった名前ですねえ。
さて、少年タカを送り出したこいの捜索は、まだ続きます。
「マシアスー、マシアスー」
「なんだ、小娘」
苦みばしった、と表現されるのがぴったりな素敵なおじさまが、ソファからゆっくりと身を起こしました。
応接間のソファでお昼寝とは。こいの気も知らず、いいご身分です。こいの口調も、ちょっぴりとがり気味なものになります。
「あ、いたー」
「せっかく気持ちよく寝てたのに……」
ロマンスグレーと表現されるような味わいある髪を撫でつけ、タキシードの乱れた襟を直す。いちいち様になってます。
うら若い女性たちは、こういう素敵なおじさまに弱いのでしょう。
「いちいち格好つけてんじゃないの」
こい、おじさまの頭をぽかり。おじさまは目を上げ、面倒くさそうに言いました。
「何かあったのか?」
「お姫さまがお城を飛び出しちゃったの」
「腹がすけば戻ってくるさ」
おじさま、再び横になろうとします。こい、おじさまの頭を再び、ぽかり。
「ほら、早く行って」
「――やれやれ」
おじさま、体を起こして庭に出ました。くんくん鼻を鳴らします。
「風が強いな。匂いがもうわずかしか残ってねえ」
オオーンッ。
おじさまの口から狼の咆哮が。立派な灰色狼に変身すると、おじさまオオカミは森へと駆け出しました。
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