森のおひめさま 後編

 さて、そんなこととは露知らぬ、こうもりのお姫さま。

 森の新鮮な空気を思う存分味わいます。今日の森は本当によいお天気。散歩する足取りも自然、軽くなろうというものです。


(あー、本当にいいお天気。こんな日に縫い物なんて、やってらんないよね)

 

 晴耕雨読という考えた方もありますからね。

 いい天気の日には、やはり出歩かねば。ですが紫外線にはくれぐれも気をつけて。

 ま、帽子を被っているから大丈夫でしょう。

 お姫さま、足の向くまま気の向くままに、どんどん森の奥へ向かいます。すばらしい開放感を味わっているお姫さまの耳に、何やら『ギコギコ』という音が聞こえてきました。


(何の音?)

 

 なんとなく興味を引かれて音のするほうにいってみると――


「キッキッ」

 ――おいっちに、おいっちに。

 

 小さな男の子ウサギが、ノコギリを引いています。

  

 ――ぽっ。

 

 お姫さま、その愛くるしい様子に、思わずほほを赤らめました。

(かわいい……)

 ここは是が非でも抱っこしてみたい。こうもりのお姫さま、そっと男の子ウサギに近づいて


「ねえ」

 

 と声をかけました。


「キッ!」


  男の子ウサギ、びっくり仰天。ぴょんと飛び上がると、ノコギリを放り出して、ピョンピョンあっちに行ってしまいました。

「あ、ちょっと待って!」

 お姫さま、急いで男の子ウサギを追いかけます。まるで不思議の国のアリスです。もっとも男の子ウサギは不思議の国のアリスとは違って、穴に飛び込むなんてことはしませんでした。すぐにへたばって両耳たれたれ。へーへー肩で息をするはめになりました。


「ねえ」


「キィッ!」

 未知のヒトとの遭遇。もう逃げるだけの体力は残っていません。黒い影が男の子ウサギに覆い被さり、そして!


「つっかまえた❤」

 

 むぎゅうううっ。

 男の子ウサギのお顔は、おっぱいに包み込まれました。


「キ? キィ?」

 お姫さま、男の子ウサギを抱いたまま、くるくる、くるくる。ハイテンションで回り続けます。


「あーん❤ かわいいかわいい❤ ふっかふかー❤」


「キィ」

 男の子ウサギは呟きました。――このヒト、変。

 と、その時。


「おーい、ルルー、どこ行ったー?」

 

 お姫さまはぴたりとダンスをやめました。

 男の子ウサギ、お耳をピクピク。お姫さまの腕の中、甲高い声で「キィッ!」と鳴きました。「そっちか?」やがて茂みがガサガサ鳴り、男オオカミが姿を現しました。


「……れ?」

 

 男オオカミ、目の前の光景に目をぱちくり。

 知らない女の子が、男の子ウサギを抱っこしてる。

「……あの」

 とりあえず、男オオカミは口を開きました。

「どちらさま?」

 ま、基本的な質問ですね。対するお姫さまは、こう答えました。

「わたくし?」

「はい」

 男オオカミは言いました。お姫さまは身じろぎ一つせず、答えました。


「わたくし、お姫さま」

 

 男オオカミ、思いました。

(頭、おかしいのかな?)

 みなさん、想像してみてください。

 見知らぬ女の子が、自分ちの子を抱っこ。で、自らを「お姫さま」。男オオカミは正しい。きっと、誰でもそう思うことでしょう。だって。

(お姫さまがお供も連れず一人って、あり得ないだろ)

 そりゃそーっすよね。常識的にあり得ません。で、男オオカミは、こんな反応をしました。

「へー、そうなんですか。お姫さまなんですか」

 男オオカミ、こうもりのお姫さまの言葉を、嘘か頭がおめでたいと決めつけ、一刻も早くグッバイしようと決めました。にこにことやけに愛想よく答えます。

 一方、いまだこうもりのお姫さまの胸にほほを押し付けたままの男の子ウサギは一人、何か得心したように「キッキッ」とうなずいています。

 

 ――なるほど。この大きなおっぱいの生き物、オヒメサマっていうのか。

 

 違います。

 

 男の子ウサギには、まだまだ、まだまだ、お勉強が必要なようですね。

 さて、やけに愛想のよい男オオカミ、揉み手で、こう切り出します。

「申し訳ないんですが、おれたち、そろそろお家に帰らないと。というわけで、その子返していただけませんか?」

 こうもりのお姫さま、腕の中にいる男の子ウサギを見つめます。と、その顔がふいに険しくなり、青い瞳がきっと男オオカミをにらみつけました。

(あれ?)

 男オオカミの疑問は、すぐに解消されました。

「この子を、どうするつもり?」

「え? いや、あの、うちの同居人なんで……」

 思わぬ切り返しに驚いた男オオカミ、堂々としていればよいのに、ついつい言葉の歯切れが悪くなってしまいました。これはこうもりのお姫さまでなくとも『怪しい……(じとーっ)』になります。

 果たしてお姫さまの態度は一気に硬化。声をとがらせ、こう言います。


「オオカミと子ウサギが?」

 

 ぎゅっ。

 こうもりのお姫さまの腕に、思わず力がこもります。男の子ウサギは、「キッ(くるちい)」と小さな悲鳴をあげました。

「どうしてオオカミと子ウサギが同居なんかしてるの?」

 こちらも男の子ウサギとは違った意味で苦しい状況。もともと口が達者とは言えない男オオカミ。完全にお姫さまの勢いにのまれてます。頭をかきかき、汗をだらだら。しどろもどろになりながら、必死で説明を試みます。


「えっと、あの、その、話せば長いんですけど……」

 

 むかしむかしあるところに、お家が壊れた男オオカミがいて、お父さんお母さんがいなくて、おじいちゃんおばあちゃんもいなくて、兄弟も姉妹も、それどころか、イトコもハトコもいない、小さなかわいい男の子ウサギがいて、二人はすったもんだの挙句、男の子ウサギのお家に住むことになりましたとさ、めでたしめでたし。

 

 ――そんな途中はしょりまくりの物語、誰が読みたいと思うでしょう。

 説明するなら、これに限ります。


『諸事情により、同居中』

 

 う~ん。ちょっと短すぎるか。なら、これでどうだ!


『男の子ウサギはお友だちが欲しくて、男オオカミは屋根があるお家が欲しかったので、一緒に住むようになりました』


(よし、これだ!)

 男オオカミ、ガッツポーズ! で、伝えました。ありのままを。


「えっと、お互いの利害の一致で」


「……」

 

 ……えっとぉ、まちがっちゃいないけど、それはどうかな。

 

 最初は目が点になっていたお姫さま、案の定、男オオカミにますます警戒心を抱いてしまったようです。

「油断させて、もっと大きくなったら食べるつもりでしょ!」

「え? ええ?」

 思いもよらない言葉に、今度は男オオカミの目が点になりました。

 もちろん、同居した当初はそんな下心がなかったとは言えません。ですが、今は清廉潔白。そう、男オオカミは心を入れ替えたのです。今では『もう何があっても兎は一生食べない!』と固く心に誓っております(もっとも他の動物はおいしくいただきますけどね)。

 というわけでこうもりのお姫さまの言葉は心外中の大心外! 

 さすがの男オオカミも、これには耳の毛を逆立てました。

「冗談じゃねえよ! 下手に出てりゃつけあがりやがって!」

「とうとう本性現したね!」

 こうもりのお姫さま、なかなかに勝気です。男オオカミと一戦も辞さない構え。

 驚いたのは、男の子ウサギです。

「キッ」

 ケンカしちゃダメッ! とばかりに足をじたばたさせますが、この『オヒメサマ』という生き物、なかなかに力が強く、細い両腕はびくともしません。

「やろうってのか?」

「面白いじゃない」

 バチバチッ。

 二人の間には火花が散っています。

「キッ……。キッ……」

 男の子ウサギは困ったように左右に頭を振ります。右にオヒメサマ、左に男オオカミ。

 どうしたら二人は仲良くしてくれるのでしょう?

「キィ……」

 男の子ウサギは、だんだん悲しくなってきました。

「キィ、キィ」

 やがて、大粒の涙が男の子ウサギの目から零れ始めました。

 ぎょっとしたのは、大きい二人です。

「どうしたの?」

「ルル、泣くな泣くな。なっ?」


「キィ、キィ」


 男の子ウサギ、必死で何かを男オオカミに訴えます。

 男オオカミ、耳をぴくぴくさせながら呟きました。

「え? 仲良しなきゃだめだって?」

 男の子ウサギ、激しく首を縦に振ります。

(いや、仲良くたって……)

 男オオカミとお姫さま、思わず顔を見合わせ、にっこー。次の瞬間、ぷいっ。互いに顔をそらして思いました。

(できるか!)


「キィ、キィ」

 

 男の子ウサギはなおも訴えます。

「争いからは何も生まれない? 深いなー、お前」

 お姫さま、思わず目を見張りました。


(すごい。まだ未成熟の二本足族の言葉がわかるの?)

 

 二本足族は7才の誕生日を迎えるまで、ヒト語を話せません。小さい頃はみんな、所属する種族のみで通じる言葉を使うのです。

 領主様たち一族が代々領主であるのには、立派な理由があります。

 領主様の血統のみが、すべての二本足族の言葉を理解できます。だから、領主様たち一族は尊敬されているのです。

 ところがどっこい、この男オオカミも、不完全ながら男の子ウサギの言葉を理解しているようなのです。


「キィ、キィ」

 

 お姫さまの腕の中、男の子ウサギはお姫さまに向かって懸命に何かを訴えます。

 こうもりのお姫さまは、しばらく男の子ウサギの話に耳を傾けました。


「キ、キィキィキ」

 

 お姫さまは、じっと男オオカミを見つめます。

「な、何だよ」

 つかつかつか。

 お姫さま、おもむろに男オオカミに近づいたかと思うと、

「はい」

 男の子ウサギを差し出しました。

「は? へ?」


「返す」

 

 男オオカミ、目を白黒させながら男の子ウサギを受け取ります。そして呟きました。

「は? へ? ああ、どうも」

「キィ」

 男オオカミの腕の中、男の子ウサギは安堵のため息をつきます。お姫さまはくるりと踵を返し、言いました。


「帰る」

 

 男オオカミ、呆気にとられて呟きます。

「あ、さようでございますか……」

 何がなんだかよくわかりませんが、男の子ウサギが無事に戻ってきたのは喜ばしいことです。男オオカミは、腕の中の小さなぬくもりに、ほおずりしながら言いました。

「とにかく、無事に戻ってきてよかった」

「キィ」

 黒い目をくすぐったそうに細め、次に男の子ウサギは去っていくオヒメサマの背中を見つめました。森の中に吸い込まれるように消えたその背中は、ほんのちょっぴり寂しそうでした。


 

 さて、お城に戻ったこうもりのお姫さまを待っていたのは。

「アナスタシア、どこに行ってたんだ?」

 お兄さまのヘビの領主様です。お姫さまは精一杯かわいい声を出して言いました。

「だって、外の空気を吸いたかったんだもん」

 そのかわいさ溢れる表情に、ヘビの領主様、ほおがついつい、緩みます。


「ちょっとー、領主様ー」

 

 こいが口を尖らせ、言いました。

 ヘビの領主様、あわてて厳めしい顔を作って言いました。

「アナスタシア、私は言っておいたはずだな。今日は城で縫い物を仕上げるようにと」

「はい。お兄さま」

「じゃあ、なぜ仕事を放り出して外に出たんだ?」

 お姫さま、堂々と胸を張り、言いました。

「外がいい天気だったし」

「アナスタシア!」

 お姫さまはいたずらっぽい表情で言いました。


「それに、ベアトリスがいいって言ったもん」

 

 ヘビの領主様、じろり、とこいをにらみます。


「――え?」

 

 こい、きょとん。領主様は目を吊り上げて叫びました。

「こら!」

「え、ええ!」

 じつは、あんまり妹を叱りたくなかった領主様。こい、いい面の皮ですね。こいは、急いでその場から退散いたしました。その後を追って、領主様もお部屋の外へ。一人になったお姫さまは気だるげに窓の外を眺め、思いました。

(あー、いいお天気)

 ふと思い出すのは、男の子ウサギのこと。

 

 ――お願い。ぼくをラティのところに帰して。ぼくはラティが大好きで、これからも一緒に暮していきたいんです。


(オオカミとウサギなのに……)

 

 おや? こうもりのお姫さまには、何か思うところがあるみたいですね。

 でも、そのお話はまた今度。

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