女おおかみと男オオカミ

 ガラガラ、ガラガラ。

 朝もやの向こうで、朝の静けさにはそぐわない音が聞こえてきます。

 一体、何の音でしょうか? しばらく様子を見てみましょう。

 ガラガラ、ガラガラ、ガラガラガラガラ……。

 どうやら、荷車のようです。引いているのは……。


「はあ、はあ……」

 

 うわー、ぶさいくっ。

 超ぶっさいくな顔した女おおかみです。

 にしても、すごいお顔ですね。いま他のヒトとすれ違ったら、まちがいなく化け物と間違われますよ。

「はあ、はあ……。ちょっと休憩」

 女おおかみは道とは言えない道の脇に荷車を止め、路傍の石に腰かけました。

(あー……、疲れたー)

 荷車には、タンスやら、化粧台やら、いくつかの大きな布袋やらが積まれています。あの騒動からすでに2ヶ月。女おおかみは今日ようやく元のお家とおさらばする決心をしたのです。


(……)

 

 おや、元気がありませんね。白いお耳がすっかり垂れていますし、何だか泣き出しそうなお顔ですよ。

(家のこと、あいつになんて言ったらいいのかしら……)

 おや、女おおかみは知り合いの誰かさんが気になっているご様子。

 あいつって誰のことでしょうか? 女おおかみの内心の声をもう少し聴いていたいところですが、どうやら、お客さんがやって来たようですね。

 

 ガラガラ、ガラガラ……。

 

 朝もやの向こうから、女おおかみがさっきまで鳴らしていた音と同じ音が聞こえてきます。

 途端に女おおかみの顔が、ぱっ! と輝きました。

 こんな朝から同じ苦労を分かち合えるヒトがいる。

 そう思うと、嬉しくなるのがニン情ってものですものね。さっきまでのしょぼくれた様子は、どこへやら。女おおかみは腰かけていた場所をちょっと移動して、石の右側を空けました。そのヒトが通り過ぎようとしたら、『朝から大変ですね。ちょっと休んで行きませんか?』と声をかけてあげるつもりなのです。

 

 朝もやの中で始まる恋!

 

 なかなか素敵ではありませんか。

 さて、今から来る通行人を、完全に素敵な男性と決めつけた女おおかみ、彼が目の前を通り過ぎるのを、今か今かと待ち受けます。

 

 わくわく、わくわく……。

 

 荷車引っ張ってたときと違い、素敵なお顔ですねえ。アニメとかでよく見る、おめめの中に黄色の☆、きらーんのお顔ですよ。こういう顔する女の子って、隣に男子がいて『話がある』、って言われただけで、『え? え? まさか愛の告白!?』って盛り上がっちゃうんですよね。んで、大体、『田中のことなんだけど』、とかって期待を裏切られるのがお約束なんですよね。

 これを、『ドジっ子主人公の、愛の告白にかける期待は裏切られる法則』と言います。

 ……え? 長い? じゃあ、『愛告裏の法則』で。

 え? なんのこっちゃわからん? そもそも略す必要あるのかって?

 略す必要はないかもしれませんが、女おおかみの期待を盛り上げるために、時間は必要です。

 

 ガラガラ、ガラガラ。

 

 さ、荷車王子、かもーん。レッツ、ショータイム!


「朝から大変ですね」

 

 女オオカミ、できる限り綺麗系お姉さまの声を作って言いました。本性なんざ、つきあってりゃすぐばれるのに、なぜ女って演技するんでしょうね。え? 演技でも何でも、ゲットしたもん勝ち? そりゃそうです。では納得したところで、はい次のシーン! 行ってみよー!

「よかったら、少し休んで行きませんか?」

 いいよいいよ、女おおかみちゃん、最高! 次、荷車王子のあぁあぁっぷっ!

 熱い映画監督からそんな声がかかりそうな名(?)演技の中、荷車王子の顔が、徐々に徐々にはっきりと……。


「ん?」

 

 向かい合った二人から、明らかにシナリオにはそぐわないセリフが。

「……」

 石に腰かけた、恋愛映画と書いてロマンスと読む映画の主人公、女おおかみ。

 そして、荷車王子こと、男オオカミ。

 二人はしばし見つめあった後、同時に叫びました。

「なんなんだよー!」

「なんなのよー!」

 女おおかみは石から立ち上がり、男オオカミはその場から飛び退り。二人は互いに好き勝手なことを言い合います。

「な、ななな何で、お前がこんなとこに!」

「あ、ああああんたこそ、何でこんなところに!」

「オレは荷運びの仕事中なんだよ! 大体何だよ! さっきの気持ち悪い声!」

「うるさいわね! 荷物運んでる最中なのよ! 大体何よ! 気持ち悪い声って!」

「気持ち悪いから気持ち悪いっつってんだよ!」

「何ですって!」

「何だよ!」

 ハァハァ、ゼイゼイ。

 

 はい、二人とも息切れです。さ、大きく息を吸い込んで。


「何だよ!」

「何だよって何よ!」

「何だよって何よとは何だよ!」

「何だよって何よとは何だよとは何よ!」

 はあはあ、はあはあ。

 お約束事項、ご苦労さんです。

 さて、お約束なお二人の御関係は?

「お前は昔っから、おてんばで! ヒトに迷惑かけどおしで!」

「あんたこそ! びびりで、おねしょが八歳まで直んなくて!」

 ふんふん。

「まったく!!」

 二人は同時に叫びました。

「しょうがない兄貴ね!」

「しょうがない妹だな!」

 息切れした二人は、ぜーぜー、はーはー、仲良く体を折って膝に手をつきます。

 なるほど。お二人が息ぴったりな理由がよくわかりました。大体の仲も。

「と、ところで……」

 男オオカミ、酸欠のせいか、顔上半分だけ青いですよ。ちょっとキモいです。

「な、なに?」

「そんな大荷物、どこ持ってくんだよ」

 女おおかみ、ぐっと言葉に詰まりました。で、苦し紛れに尋ねます。

「そ、そう言う、あんたこそ」

「あっ!」

 突然、男オオカミが大きな声を出しました

「な、何よ」

「そうだ、そうだ。おれ、仕事の途中だった。ここで、アホな妹の相手をしている暇はないっと」

「なっ! 誰がアホですって!?」

 男オオカミ、かまわず荷車を再び引き始めます。

「事実だろ。じゃあな~」

 男オオカミはバカにしたように笑って、手を振りました。

 ガラガラ。

 荷車は軽快な音を立てながら、道を進んでいきます。

 ――と。

 

 がらがらっ、がらがらっ。

 

 何でしょう? 後ろからがさつな妹そっくりな、がさつな音が聞こえてきます。

 がらがらっ、がらがらっ。

「――おいっ!」

「あら、何よ?」

 隣には、涼しい顔した女おおかみが。どうやら、男オオカミを追い抜くつもりのようです。

「何でムキになってんだよ!」

 女おおかみはつんとそっぽを向いて、言いました。

「別にムキになんかなってないわよ。あんたがとろいだけじゃないの?」

「……」

 男オオカミは、苦虫を噛み潰したような顔になりました。跳ね返りの妹は、どうやら、とことん、兄貴とやりあうつもりのようです。

「……おもしれえ」

 こうなりゃ意地です。兄貴の底力、見せてやろうではありませんか。

「うりゃあああ!」

 気合一閃! 男オオカミはぐっと全身に力を入れました。

「おりゃあああ!」

 妹も負けじと雄叫びをあげます。

 二台の荷車は静かな森の中を、激しい車輪音と土煙をあげながら、進んでいきます。

 ものすごいデッドヒートであります! 抜きつ抜かれつ、両者、一歩も引きません!

 男オオカミ号、内側をとった、カーブを曲がった! 追う女おおかみ号、直線残り100メートル! いけるか? がんばれ、がんばれ! 女おおかみ号がんばれ!

 意地の張り合いから始まったドラマの決着は、あまりにも突然に、あまりにも唐突に訪れました。


「ん?」

「ん?」

 

 茂みから、ひょっこりのぞいた二つのお帽子。

 男オオカミと女おおかみは、そろって青ざめました。


「うわっ!」

「危ないっ!」

 

 キキーッ!

 女おおかみと男オオカミはそろって両足を踏ん張ります。荷車は思いっきり前のめりになり、後ろが逆立ち状態になり、しまいにものすごい音を立てて地面に叩きつけられました。


「危ないな」

「危ないね」

 

 一方、飛び出してきた方は落ち着いたものです。彼らはてくてく歩いて二人のそばに来ると、あきれたように言いました。


「お兄さん、危ないよ」

「お姉さん、危ないな」

 

 ここまでの全力疾走と、今の全力停止ですっかり息の上がった二人。しかし、無茶な走りで危うくヒトを轢いてしまうところだったのですから、とりあえず謝らなくては。


「ご、ごめんね」

「怪我はなかった?」

 

 そう言って顔を上げた二人の視界に。

 ゆーら、ゆーら。

 見覚えのあるお帽子二つ。

 片方は、タッタッーラーラ、タタタッララッ、タッタッーラーラ、タタタッララッ、オレッ、情熱の赤。もう片方は、おお、まきばーはー、癒しの緑。

 二つのお帽子はくるりと向かい合い、互いに向かって言いました。


「タム、けがは?」

「トム、けがは?」

 

 二人は腕を組んで、ぐーるぐる。


「ないねー」

「ないなー」

 

 ぐるぐる回り続ける二人の前にいま、白いオーラと青いオーラが。


「あ・ん・た・た・ち~」

「お・ま・え・ら・~」

 

 二人はぐるぐるをやめて、

「ん?」

 かわいらしく小首を傾げました。

「くぉくぉであったが、ひゃくねんめ~」

「くあ~くごしなさあい」

 いたずら子リスたち、今度は逆方向に首を傾げます。んで、その後おもむろにお顔を見合わせました。


「やばいね」

「やばいな」

 

 危機はすぐそこに! もはや、一刻の猶予もありません!


「逃げようか」

「逃げようよ」

 

 二人はくるんと帽子のつばをひっくり返し、次いで男オオカミと女おおかみに背中を向けました。


「それ逃げろ」

「やれ逃げろ」

 

 双子は手に手をとって、一目散に逃げ出します!


「待ちやがれ!」

「待ちなさい!」

 

 男オオカミと女おおかみも一目散に駆け出しました!

 

「鬼さんこちら!」

「手の鳴る方へ!」

「待ちなさーい!」

「待ちやがれー!」

 大きいってのは不便だね!

 第一話が、たっぷりデ・ジャ・ビュ。

 木が生い茂る森の中では、小回りの利く双子たちが圧倒的に有利です。

 数分と経たないうちに、二人はいたずら子リスたちを見失ってしまいました。やがて疲れ果てた二人は。

「はあ、はあ……」

 互いに、木のそばに座り込んでしまいました。

「な、なあ」

「な、何よ」

「何で、あいつらを追ってんの?」

 女おおかみは気まずそうな顔で黙ってしまいました。

「何だよ?」

「あ、あんたこそ、何であの子たちを追いかけたのよ」

「え? いや、おれはその、家を壊されたから……」

 驚きのあまり、女おおかみ、つい口を滑らしてしまいました。

「ええ?! あんたも?!」

「あんたもって……。まさか、お前も?!」

 男オオカミの顔がさーっと青ざめます。

「……って、まさか」

 女おおかみの白いお耳がしょぼんと垂れます。消え入りそうな声で女おおかみは言いました。

「……ごめん」

「……」

 男オオカミの青いお耳も、しょぼんと垂れました。

「……そっか、壊れたか」

「ほんとに……ごめん」

 男オオカミは、ふーっと息を吐き、言いました。

「仕方ねえよ」

「……でも!」

「いいって」

「……」

「父さんが言ってただろ。形あるものは、いつか壊れるって」

「……でも」

 ぽんぽん。

 優しく男オオカミは、女おおかみの頭を叩きます。

 男オオカミは、お父さんみたいに言いました。

「帰るか」

「……うん」

 朝焼けの中を、二人はとぼとぼ歩きます。

 男オオカミは静かに尋ねました。

「……いまどこに住んでんだよ」

「……女の子うさぎちゃん、ララ・マリアって言うんだけど、彼女の家に居候」

「うさぎ? なにお前! うさぎと暮らしてんの? ぎゃははは!」

 ぎゃははっ、というデリカシーのない笑い声に、女おおかみ、顔を真っ赤にしてふくれっ面。

 咄嗟にこう言い返します。

「そう言うあんたはどうなのよ!」

「え? お、おれ?」

 男オオカミ、あたふた。小さな声で、ぼそぼそ呟きます。

「……男の子ウサギと同居中」

「は? 聞こえないわよ!」

「だから、ルル・リックっていう、男の子ウサギと同居中!」

 あっ。女おおかみ、してやったりの顔。にしても、目がふにゃんって感じの三日月目。おもしろいけど、めっちゃ根性悪そうですよ、その顔。

「なに? あんた、ヒトのこと散々笑っといて、自分だってウサギと同居してんじゃん!」

 同じ穴のむじなならぬ、同じ穴の狼ですかねえ。

 あっ、余談ではありますが、狼も巣穴掘って、そこで子ども生んで、しばらく育てるんですよ。

 さて、『きゃはははっ』と女オオカミが大笑いしている間に、二人は荷車のそばに戻って参りました。

「じゃあな。気をつけて帰れよ」

「……うん」

 男オオカミが荷車を持ち上げたその時、「あっ」、大きくなった妹が小さな声を上げました。

「どうした?」

「車軸が……」

 車軸の外れた車輪が、ころんと転がり落ちました。あのむちゃくちゃな走りと急ブレーキで外れてしまったのでしょう。

「……しゃーねーなー」

 ため息つきつき、男おおかみ、荷車を下ろします。

「ちょっと下がってろ」

 男オオカミは「ふんっ」、と気合を入れて、ちょっと荷車を持ち上げます。ずれた車輪を素早く元の位置に戻した男オオカミは、続いて車軸も元の位置にがこんとはめました。

「よし、これでもう大丈夫」

 女おおかみは、思い出しました。小さいころ、ふざけて木に登り、降りられなくなったときのこと。あの時も、男オオカミは「しょうがないなあ」、そう言いながら木に登ってきて、言いました。『レベッカ、もう大丈夫』。そう言って、青い男の子オオカミは、白い女の子おおかみの首を優しくくわえて、木から降ろしてくれたのです。

「じゃあな。今度こそ気をつけて帰れよ」

「……うん」

 ガラガラ。

 荷車がどんどん遠ざかって行きます。

 ガラガラ……。

 どんどん、どんどん、遠くなって行きます。

 遠ざかる男オオカミの姿を見送りながら、女おおかみはまた思い出しました。

 あれは、シュ・ア・ラ・クレムにお引っ越ししてきて、まだ間もない頃。男オオカミとの競争につい夢中になって、二人して迷子になった時。

『ラティ、レベッカ』

 お父さんの大きな手が、二人を優しく抱っこしてくれました。

 もう、あの大きな手はありません。もう、三人で暮らしたあのお家もありません。

 でも。

 大きくなったお兄ちゃんは、大きくなった妹を今日も助けてくれました。

 荷車が道の向こうへすっかり消えてしまってから、女おおかみはぽつりと呟きました。

「ありがと。……お兄ちゃん」

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