エピローグ 終幕はつぎの旅立ちへ……

終幕はつぎの旅立ちへ……(1)


 ――さかのぼること一月ひとつきほど前、その事件は静かに幕を開けた――


「師よ、これは?」

 弟子と思しき男が、隣の年齢不詳の男に問いかける。

「見ての通り、骸肉ミイラだよ」

「一体、誰の……」

「誤った手続きで次元の先に手を伸ばそうとした者……その成れの果てであろう」

「次元の先……もしや、魔族の召喚……」

「魔族――遥か高位次元の先に潜む存在もの――という意味で言うておるなら、その認識は決して間違ってはいない。されど正解とも言えまい。次元を超えた先の世界、そのことわりを正しく解いていなければ魔族アレは見抜けんよ。そして、この骸もその程度の認識でいたのであろう。召喚に当たって扉を開けることしか念頭になく陣を完成させたことで満足し、それ故に身を護るための円を描くことを失念していた。果たして、魔族は確かに召喚には応じただろう。だが、此奴こやつは契約を交わすいとますら与えられず、真っ先にわれてしまった。哀れな物だ……」

「師よ、喰われたと申されましたが、一体というのでしょうか?」

 弟子が訝しげに問うのも無理もない。

 その骸には、外傷が何一つ残っていなかった。

 ただ干からびて、そこに座しているだけ。

 しかし――

「ここだよ」と、師は自らの額を二回人差し指で叩く。

「脳……ですか? しかし、頭には傷どころか血の跡すら残ってはいないようですが……」

「頭を喰うのに物理的に脳を破壊させる必要性は無いよ。ただ、思考力を奪ってしまえば良い」

「そのようなことが可能なのですか?」

「アレはそういう存在だよ、三次元空間の肉体に依存する我々とは根本的に異なる。そう、君は『死』の定義について考えたことはあるか?」

「死……ですか?」

「うむ、例えば植物は土に根を張り、水と太陽と二酸化炭素を得ることによって体内で酸素を生成し、それを空気中に吐き出して循環させることで命を紡いでいる。それは植物がこの地上の一部である証拠だろう」

「なるほど、つまり植物にとっての『死』とは、その循環が途絶えた時という事ですか」

「左様」と満足そうに肯いてから、師は続ける。

「では、動物の場合はどうか。彼らは骨や筋肉を持ち、それらを動かすために心臓が血液を循環させ、脳が神経を伝って信号を送る自律して動く生き物だ。したがって、致死量の出血によって動けなくなった時が彼らにとっての『死』となる」

「確かにそう考えると、彼らは我々人間と差ほど変わらないのかもしれませんね」

「うむ、強いて挙げるなら言語を持たない事くらいだろう。だが知っての通り、たったそれだけの違いで我々は文明を生み出し、社会を築き上げた。即ち、言語を操れる発達した思考力が人間を人間足らしめている要因だと言えるだろう。ならば、人にとっての『死』とは何か。君には、それが解るかね?」

 問われてから、弟子は口に手をやりながらしばし考える。そして、次の答えをひねり出した。

「脳機能の停止……心臓を停止させても、結果として脳に血が廻らず脳はその機能を停止させる……それじゃ、この骸肉ミイラは!」

「そう、人間としての自我を形成するための根幹たる情報、記憶、血液のもたらす思考の方向性、それらを統合した人格――彼は魔族によってそれを瞬時に奪われた――つまり、脳機能を強制的に停止させられたのだよ。まるで呪詛や催眠による暗示にでもかけられたような手法でね。まさにとでも言うべきかな?」

 師と呼ばれた男は、まるで難解なパズルを解いたかのような声音でその不吉な真相こたえを明かした。


 それから一月ひとつき、その骸肉ミイラは今もそこに腰を下ろしている。

 ただ、心臓の鼓動おとだけを響かせて――



 夕暮れと共に、決して記録されることのない一つの戦いが静かに幕を閉じた。

「さて、コイツはどうするか……」

 割れた仮面を拾い集めながら、サシムがつぶやいた。

「これが例の魔道具イテマってんならジーナちゃんに引き渡すが、これじゃあなあ」

 破片を抱えながら溜息を吐く。

「おっちゃん、さっきここに来る途中こんなの拾ったんだけど。こいつの仮面と同じもんじゃないかな?」

 そう言って、ルーシアがズボンのポケットから取り出したのは無造作に折りたたまれた一枚の紙きれ。それを広げると、

「な、こいつは……まさか!?」

 それは、仮面姿の人物の写画フォートの下に『魔障の仮面ペルディアーモ』という文字と賞金額が書かれた手配書だった。



 同じ頃、遠い大陸の中央にある学術の都では、宵の闇を白き月明りが静かに照らしていた。

「あら、そんなところで外套マントなんか羽織って何してるのかしら?」

 金糸のような長い髪を腰までらした少女が、室内で紺の外套マントを身にまとった少年へ声をかける。その穢れ一つない純白の法衣は、彼女の清廉さを象徴するようだ。

 少年は、少し癖のある白金の髪プラチナブロンドをいじりながら少女の方へと振り返った。人懐っこい笑みを浮かべて。

「やあ、ベルダルク博士。何、ちょっとした実験だよ。今の保護者パートナーへ挨拶を兼ねてね……」

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