三日月はされど血の色で(5)


 さて、人の認識というものは、どこまで確かで不確かなものだろうか?


 そう例えば、コルビア警官隊巡査長ダッディ・ウェスティールの場合――

「ちょっといいか」

「はい、何でしょうウェスティールさん」

「お前、今朝話したこと覚えているか?」

「今朝といいますと?」

「例の手配書の件だ」

「ああ、あの高額賞金首ミリオンバウンティの……それがどうかしましたか?」

「そうだ。あの賞金首ミリオン――確か魔障の仮面ペルディアーモといったか、そいつが例の通り魔事件とどう関係するのか気になってな」

「あ、そう言えば……でも、通り魔って確かウェスティールさんが言い出したんじゃないでしたっけ?」

「そうだったかな……だが、お前もあの時疑問を持たずに頷いただろう?」

「そりゃあ上官のいう事ですから、一々水差したりしませんって」

「疑問に思うことがあるなら素直に言え。私としてもその方が助かる」

「そうですか……」と応えつつも、この青年警官は内心複雑な思いで上官を見る。

「なんだ?」と問う上官に部下は「いいえ、特には」とかぶりを振る。その表情にどこか諦めのようなものが混じっていたことを、当の上官は微塵にも感じ取れなかった。だが、

「いえ、その…………少しだけ思い当たる節が……」

 今一度、勇気を振り絞っていてみることにした。

「なんだ、言ってみろ」

「はっ!」と敬礼してから、

「では不躾ですが、巡査長殿はこのところ例の事件にこだわっておられたようにお見受けしました。それであの手配書を見た時、くだんの通り魔と結びつけてしまったのではないかと思われます」

「私がそこまであの事件に固執していたように見えたのか?」

「恐れながら」

「だとしたら、それは私の落ち度だな。すまなかった」

「え、あ……いえ…………」

 予想外にも鬼の巡査長が自身の失態を認めて謝罪したことに驚く青年警官。

「確かに私は少しばかり通り魔事件にこだわり過ぎていたかもしれん。警官は秩序のかがみでなければならん。それは国家の番犬というだけではない。法の下、市民の安寧をまもるためでもある。そのために必要なことは何か解るか?」

「難しいことをおきになる。そのような難題、若輩の自分にはまだ答えかねます」

 上官を前に遠慮してか、少し困ったように在り来たりの断り文句で返す青年。

 その返事にどこか思うところでもあったか、苦笑しながらダッティは答えた。

「それは真偽を見極める眼だ。何が真実で虚偽であるか、それが解らんと本当に衛るべき市民に罪を着せることになる。法などは秩序の基準に過ぎず、秩序は平和を築くための基盤に過ぎん。すべては市民が平穏に生活できるために我々は努めるべきだ。少なくとも私はそう考えている。だから、一つの事に固執して真偽を見失ったのは私の落ち度ということだ」

「あの、巡査長……えっと、その……」

「なんだ?」とウェスティール、歯切れの悪い部下の様子を見かねて促す。

 実は自分の所為せいでどう返したら良いものか判断がつかないとも知らず。

「失礼いたしました!」と彼は良い言い回しも浮かばず、ただ敬礼だけをした。

「かまわんさ、これは私の失態だ。お前が気にかけることではない」

「は、はい」

 そこでようやくほっとして肩を撫でおろす青年。

 思い込みとは、時に重要な過ちに至る。そのことを、彼は改めて肝に銘じていくのだろう。しかし――――


 実は別の何かに……もっと奥に潜む法によってそう思うように運命づけられているとしたら?


 その『世界』を構成するに――――




 そしてここに一人、その運命に抗おうとする少女がいた。

「くっくっくっく。このロゼリッタ様を敵に回したこと、後悔させてやるぜ!」

 言うが早いか、幼い容姿の少女は手に持った魔炎の剣レヴァティヌスを思い切り振り上げて、そのまま頭から空を斬り裂いた。

 そして…………何も起こらなかった。

「えっと、これで結界とやらは破られたんですかい?」

「……のハズだ。ていうか、これで破けなかったらもう打つ手がない」

「えーっ!」と、男二人がまるでこの世の終わりのような絶叫を上げる。

「勘弁して下さいよ、俺達このままワケ解んない結界の中で誰にも認識されずに一生を終えるんですか?」

「旦那の言う通りですよ、あっしまで巻き込まれるなんて御免ですぜ」

「仕方ないだろ、あたいだってこんなクソ結界の中でお前らと心中なんて嫌なんだぜ。けど、コイツを張った野郎はどうやらかなりヤバい相手みたいだ」

「と言いますと?」

「こいつは、あたいの想像を超えてやがる。結界ってのは普通、外界から身を護るためのモンなんだよ。それを応用して相手を閉じ込める使い方をしているって時点で厄介な相手だってのがわかる。まして、この結界には不可解な点がある」

 そう言って幼女幹部が人差し指を立てる。

「本来結界を張るには構成要素として何らかのいんを結んでやる必要がある。だが、見たところそれらしき符も陣も見当たらない」

「実は結界じゃなくて、精神系の術とかだったりしないですか?」

 自慢の蝶ネクタイを直しながら、ウィスターが訊ねる。

「それはないな。仮にもし周りの認識を阻害する術を使われたとしても、どこから来るとも判らん不特定多数の人間相手にそんなことは出来ないだろ」

「それもそうですね」

「だからこれは、結界と考えるのが妥当だ。だが、印がどこにも見当たらない。だから、あたいはある仮定を立てたんだ」

「仮定と言いますと?」と問う蝶ネクタイに、ロゼリッタは「チッチッ」と指を振りながら答える。例によって、ポットは置いてけぼりである。

「空気だよ、ウィスター君。目に見えない、この空気に光学的な細工を施すことによって周りからは不可視な状態にさせられる。そういうたぐいの結界だと推測したのさ」

「ああ、だから炎で焼き切れば破れると思ったと」

「そういう事だ。だが、どうも当てが外れたみたいだねこりゃ」

「どうすんですかい?」

「試す手はいくらでもある。まずはそうだな……取り敢えず本部に連絡だな」

 そう言って、彼女は薄い胸元から懐中伝話モバイルトーカーを取り出した。


 だが、次元を挟んだ向こう側へ、果たして電波が届くというのだろうか?




 サシム・エミュールは半信半疑ながらも少年のいう通りに拳を向けた。

 その先にあるのはカフェテラスの円テーブル。

 徒手空爆エクスプロージョンの銘が刻まれた銀の籠手グローブをはめたその拳を握りしめ、膝を曲げ腰を落として脇を締めながらゆっくりと肘を引く。

 そして、右拳を握ったまま手首を回すように強く振る。

 すると拳の周りに熱がこもり、ジリジリと音を立てながら手甲に刻まれた六芒星があかく光を帯び始める。

「こっちは準備整ったぜ」

「良いですか、私が合図したらその拳を正面のテーブルに向けて突き出してください。好機はたった一度っきりですよ」

「ああ、解ってる」

 そう言いつつも、サシムは息を呑んでぐっと拳を握り直した。

 そして、少年がちらりとカフェの方へ視線を移し、

「今です!」

「おりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 サシムは思い切り右の拳を突き出した。

 拳の周りに熱を帯びた空気の幕ができ、外気との間に極度の温度差が生じる。

 それは分厚い気圧の壁となって熱い拳と衝突する。

 刹那、空気が爆ぜた。

 凝縮した空気が熱に触れて一気に膨張すると、それはテラスの円テーブルへと一直線に突き進む。

 突如、空間に亀裂が入った。

 そして、生まれた小さな次元の穴が爆風を一気に飲み込んだ。

 それを見届けてから、少年は一言漏らした。

「お見事です、




 空間の裂け目から飛んできた爆風を仮面に受け、少女はカフェのテラスへと吹き飛ばされた。

 それは、にとってある意味で幸運とも呼べる出来事だっただろう。


 では、その幸運はどこからもたらされたのか?


 それは、にわかに漂う香の匂いが運んだものかもしれない。

 運気を操る磁木線香マグネヒュームの残りが。

 少女は、そのままテラスの円テーブルに衝突したかに見えた。

 しかし、ぶつかる直前少女の身体は、まるで見えない腕に抱きかかえられたかのように円テーブルの上で浮いたままピタリと止まった。

 重力の支配から解放されて――仰向けに浮かぶ少女の真下、つまりテーブルの上には硝子の割れたランプが転がっていた。

「あ、反重力燈ホバーランプ……おそらく、中で凝縮していた重力が解放されたことで霧散して飽和状態となり、あの上だけ一種の低重力領域となったのでございますのねっ!」

 一人で盛り上がるジーナを傍目にルーシアが首をひねる。

「ほぇ、終わったみたい?」

「え、終わったって、何がでございます?」

「うーん、戦い?」

 指を口元に当てながらルーシアが不確かそうに答える。

「え、それじゃ仮面――いや魔族は?」

「多分、今ので倒したかも」

「倒したって……そんなあっさり」

「どんなに凄い奴でもたおれる時はあっさりしてるモンだって、母さんもよく言ってたよ」

「ですが、魔族とはこうもあっさり倒される程度の存在なのでしょうか……?」

「そんなこと言われてもねぇ」と言いながら、ポリポリと頬をかくルーシア。

「ボクは学者じゃないからそんなこと解んないよ。むしろ、ジーナさんの方がそういうの詳しいんじゃないの?」

 そう問われて、しかしジーナは首を横に振る。

「わたくしは風水学者ですから専門ではございませんの。それに、魔族というのは魔道学の用語で高次元の存在を指す言葉でございます。ですので、詳しく知りたいのでしたら、それこそちゃんとした魔道学者にでもいてみないと……」

「そーなんだ」

「あ、でも……かの天道師の少年でしたら……あるいは……」

「ほぇ?」とルーシア、ジーナのつぶやきに眉をひそめる。

「あ、いえ、今のは忘れて下さい。『学会』の領分に関わる話になりそうなので……」

「ふーん。よく解んないけど、なんか色々ややっこしいんだね学者って」

「まぁ、組織には付き物のしがらみというものでございますよ」

 その時、ルーシアの三つ編みが弾けるように跳ね上がった。

「ほぇ?」

「どうかなさいました?」

「なんか今、空気が変わった感じが……」

「お、ルーシア、ジーナちゃんも!」

 不意に声をかけられて振り向くと、そこには見知った顔の中年男がいた。

「おっちゃん!」

「おじさまっ!」

 くたびれた表情の四十男に駆け寄る二人の娘。

 男は二人の様子を見て、ほっと肩を撫で下ろした。

「おじさまがいらっしゃったという事は、結界は解かれたのでございますね!」

「ああ、そうみてぇだな……」

「もしかして、最後の……えっと、いきなり空間の穴が爆発したのって」

「ああ、そりゃコイツだ」と、右手の籠手グローブを見せて言う。

「やっぱし。でも、おっちゃんはどうやってあの仮面の場所が解ったの?」

「仮面って、なんのことだ? 俺はただ、そこにいる小僧の言う通りにしただけだ……って、あれ?」

 そう言ってサシムが指差した方には、しかし少年の姿はどこにも無かった。

「ほぇ、そこに誰かいたの?」

「小僧っておっしゃいましたけど……」

 眉をひそめる二人を余所に、サシムは嘆息しながら後ろ手に頭を掻く。

「いや、何でもねえ。ただ、だけさ」

 夕闇に染まる空を見上げながら、サシムは独り言のようにそう呟いていた。

「そう言えば、大分日も落ちて来たな」

「ほぇ?」と、ルーシアは言われて辺りを見渡す。

 まばらに動く人々、どこからか夕刻を告げる鐘の音、そしてまだ薄明るい茜色が大地を覆っている。

「夜……じゃない?」

「ん? 何言ってんだ、まだ夕暮れだぞ」

「いえ、おじさま実は……」

 ジーナが補足しようとしたが、サシムは「それより」と遮って言う。

「お前、そんな格好してたら風邪ひいちまうぞ?」

 意地の悪い笑みを浮かべる彼の指先には、赤いシャツの胸元から下がばっさりと縦に裂けていた。めくれた生地の隙間から、たわわに実った膨らみを覗かせて。

 しばしの沈黙。

 夕焼けのせいか、少女の顔が徐々に赤みを帯びていく。

「お、ガキだガキだと思ってたが、体の方は意外に成長が早いんだな……お前」

 からかいながら、そのあらわになった胸下の柔肌に視線を向けるサシム。そして、

「こ…………………………んの、けだものぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 顔を真っ赤に染めるルーシアの右拳が、にやける中年の髭面に思い切りめり込んだ。

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