三日月はされど血の色で(2)



 入り口にほど近い円テーブルの隣、柱の上で反重力燈ホバーランプが仄かな光を発していた。

「小難しいことは良くわかんないけど、要は本気出すってことでいいね?」

 剣を鞘に収めながら、ルーシアはまっすぐに仮面の少女ペルディアーモを見据える。鞘の先をやや下に向けて。

『ま、ほんの少しばかりだがね……』

 そう言って小さく頷く魔障の仮面ペルディアーモ

 紅く色づく月下の舞台に「人」と「魔」が交差する。

 先に仕掛けたのは、ルーシアだった。

 鞘を持った左手の親指で弾くようにつばを押し上げ、柄を握る右手で音より速く薙ぎ払う。

 その刹那の抜剣で空を裂き、生まれたての衝撃波ソニックブームが仮面に迫る。

 仮面は何かをつぶやき、そして――呪を解放した。

魔天の扉クリファポート

 まさに紙一重。衝撃波が仮面の鼻先まで迫り、次の瞬間、少女の姿が目の前から消えた。

 その跡を、衝撃波が空しく飛び去っていく。

「くっ、空間移動!? 三次元上の体でそんなことをしたら粒子分解を起こして、最悪、元に戻れなくなるのではございませんの!!?」

『心配には及ばんよ。この術はあくまで次元に揺らぎを起こし、そいつを利用して別時空へ転移するものさ。せっかくの依代タームを傷つけるのは吾輩も惜しいからな』

 姿なき魔族の声が、ジーナの悲鳴にも似た問いかけに答えた。

「次元に揺らぎを起こすって……いえ、あり得ない事でもございませんか。こんな結界を張れるような方でしたら」

『いいねぇ、本当に素晴らしいよ君は……喰らうのがもったいない程にね』

「そこっ!」と、ルーシアが声のする方へ剣を振る。刃の先より生じた衝撃波をまとわせて。

 そして、わずかに歪んだ視界に斜線が引かれ――いや、背景そのものが斜めに割れた。

 中から仮面を抑える少女――の姿を借りた魔族――が睨みつける。

 奇麗な白い指の間に、わずかばかりの亀裂を覗かせて。

『やってくれるではないか、人間の娘よ!』

 その声音に、ルーシアはどこか驕慢な怒気のようなものが入り混じっているのを感じ取る。

「あれ、もしかして今ので怒った?」

『くっ……なよ……』

「ほぇ?」と眉をひそめるルーシア。

『ほざくな、人間っ!!!』

 魔族が叫ぶと同時に、ルーシアは後ろに飛び退いた。

 直後、彼女のいた上空から数本の黒い槍が降り注いだ。

 避けるのが一瞬でも遅かったら、少女は漆黒の雨にその身を打ち貫かれていただろう。だが、当のルーシアに焦りの色はまるで無かった。

「キミの攻撃、結構単調だから読み易いよ」

『何をっ……! 吾輩を侮るとは不遜極まりないぞ、人間!!』

 不意に左右の空間が陽炎のように揺らぎだす。が、ルーシアは気にせず剣を鞘に収め――


 刹那、巨大な刃が二本、左右を挟むように現れた。しかし――


 ルーシアは剣を抜き放つと、そのまま時計回りに旋回する。

 円を描くように、少女の周りに真空の障壁が生まれる。

 漆黒の刃は障壁に触れた瞬間、小刻みに震え出したかと思えば急速に縮小し、点のような黒い塊となった瞬間、ボンっという煙が噴き出したような音と共に消滅した。

『馬鹿な、低次元の存在にんげんごときに吾輩の断末の双刃ナユタシザードが消滅させられるとはっ!!』

「もしかして、今のがとっておきの必殺技ってヤツなかな?」

「そんなことより今の反応って、まさか…………つ、対消め………………」

 はたで見ていたジーナが、譫言うわごとのように独りつぶやく。

『君は本当に人間か? それとも吾輩と存在を同じくする者か?』

「人間に決まってんじゃん」

『あり得ん。人間が……この次元せかい存在ものが、が力と互角に渡り合うなど。ルーシア・レアノード……確かそう名乗っていたが…………レアノード…………まさか、そういう事か…………?』

「ほぇ?」

 仮面がつぶやいた言葉の意味が理解出来ず、首を傾げるルーシア。

『成程、その真名が示す意味を鑑みれば、自ずと解は得られるワケだ』

「なんかキミの話はいちいち難しいなぁー」

『これは失敬』

 仮面が言い終えたところで、ルーシアの眼前に突如黒い鎌が現れ、横薙ぎに襲い掛かった。

「おわっと!」

 慌てて右に飛ぶルーシア。だが――

 彼女の着地点を狙い、今度は背後から三又の黒い矛が空間を突き破って飛び出した。短い栗色の三つ編みが跳ね上がる。そして、地を蹴る音がした直後、少女の背中を刺し貫く筈だった三又の矛は浮き上がった牛革ジャケットの下を

 勢いよく蹴り上げた両足を遠心力の向くままに前へと降ろす。

 着地と同時に屈みながら身をひねり、

「はっ!」という掛け声とともにバネのようなしなやかさで勢いよく剣を振り上げるルーシア。


 ギンっ!


 少女の頭上で金属がかち合う音がした。

 見上げた先で巨大なギロチンが振り上げた長剣の刃に弾かれて跳ね上がり、一回転しながら横手に現れた槍を弾き飛ばす。

 ずっしりと重い振動が大地を伝った。

魔天の扉クリファポート

 再び、仮面が姿を消す。


 びくんっ!


 その時、不意にルーシアの全身を電気のような物が駆け巡った。

 そして何を思ったのか、彼女は剣を水平に構えて突き出した。つばから伸びた突起に指をかけて。

 直後、仮面の少女がに現れ――


 パンっ!


 銃声が響き渡り、白い破片がわずかに零れ落ちる。

 黒鉛の弾丸を仮面に受け、後ろへと吹き飛ばされる少女メイリア

 ルーシアの構える焼けた硝煙の臭いが漂っていた。




「ちっ……」と舌打ちして、苛立つように周囲を見渡すサシム・エミュール。

 約束の場所に到着した彼を待ち受けていたのは、分厚い豆本と銀色の懐中伝話モバイルトーカーが置いてあるだけの無人のテーブル席。

 恐らくそこに腰を掛けていただろうジーナの姿も、先に分かれて別の道から向かっていたハズのルーシアの姿も見当たらない。

「くそっ、先を越されてたか!」

 そう叫んだサシムは、明らかに動揺していた。

 待ち合わせの場所にいないということは、彼らを付け回していた『結社』の誰かがここを嗅ぎつけていたに違いない。

 そう考えるとつじつまが合う。いや、そう考えなければ説明できない状況だった。少なくとも、彼の視点から言えばだが。

 何者かに追われている現状を鑑みれば、彼がそう考えるのも無理はない。

 追っ手の口から『結社』という単語が出たことも、その一因ではあった。

 つまり、彼は早合点をしていたのだ。

 だから、背後からを感じ取った時、彼は迷わず腰の銃を抜いていた。

 果たして、振り向いたそこにいたのは――




 あの男は、誰を探している?

 不審に思いながら、ダッディ・ウェスティールは張り込みを続けていた。

 赤い髪の少女を保護者と名乗る人物に引き渡してから、しばらく巡回を続けていたら偶然にもあの男――サシム・エミュールを見かけて追跡してみれば、目の前にあるカフェへたどり着いた。

 ここに何があるかはわからないが、どうやら男は大分慌てた様子で周りを見渡している。そして、こう叫んでいた。

「先を越された」と。

 一体誰に何で先を越されたのかは解らない。ただ、あの様子から察すると、誰かと待ち合わせでもしていたのだろう。

 おそらく懐中伝話モバイルトーカー辺りだろうか、テラスの一席で男は銀色の何かを握っていた。

 だが、しばらくして男はそれをテーブルに置くと、まるで当然のように銃を抜いて振り向いた。

 一体誰に?

 そこには、一体誰がいたのか?

 何もない方向に向けて銃を向けた男は、しかし怪訝な様子でそれを腰に戻した。

 何かに脅えているのだろうか?

 不安を抱えているのかもしれない。

 そう感じ取り、鬼の巡査長はその場を立ち去ることにした。

 気がかりなことはあった。本来なら、銃を抜いた時に取り押さえるべきだったかもしれない。だが、街中で発砲しない限りは決して動かないのがコルビア警官隊の掟。それに決闘は都市法で容認されている。即ち、銃を抜いただけではこの都市では罪に値しないのだ。

 だから、彼は様子を見ていた。動くべき時があれば迷わず引き金を引く心算つもりもあった。されど幸運にも、その時は訪れなかった。

 立ち去るダッディの口端に、小さく笑みが零れた。


 では、一体がサシムの背後に現れたのか?




「あーあ、あたいもどうせならサシム様とお会いしたかったよ」

 心底口惜しそうに溜息をくロゼリッタ。

 それを見ながら、蝶ネクタイの青年ギオ・ウィスターが頭を抱えて言い放つ。

「だーかーらー、何度も言ってるでしょ。あいつは結社ウチの傘下の強盗団を潰しやがった張本人だって」

「じゃかぁしいんだよ、このスカチン! 嗚呼、あたいは今まさにジュリアーノになった気分だよ」

 ジュリアーノとは『ロンメルとジュリアーノ』という今流行りの歌劇のヒロインの名だ。

「はっ、さしずめ野郎はロンメルってことですかい。嫌だね全く、ロリの癖に悲劇のヒロイン気取って」

「いちいちうっさいよ。お前、あたいに喧嘩売ってんのかい?」

 少女の目から火花が飛び散る。

「だから、やめて下さいよ。それ……マジでシャレにならないから」

「ふん、なら邪魔すんじゃないよ。あたいとサシム様の恋路を」

「それただの妄……いや、何でもないです」

 琥珀色の瞳からパチパチと乾いた音が聞こえたので口ごもるウィスター。

「旦那方、そろそろ到着しますよ」

 そう言って、先導する小男ポットの指先には――カフェの看板が見えた。

「えらいぞポット、良く見つけた」

 ウィスターが手放しで褒める。

「本当にえらいねぇ。あんなところで待ち合わせしてるなんて良く嗅ぎつけたじゃないかい」

 ロゼリッタも珍しく褒める。

「あっしの情報網を侮っちゃいけませんよ。こう見えてもこの都市まちのことは誰よりも知ってるつもりですぜ」

 なぜ、ウィスターがこの小男を頼りにしていたのか。

 その答えがこれだ。

 彼は、このコルビアをはじめ西方の至る所に網を張る情報屋だからだった。

 メルカナ人の優れた所は、未開の地に足を踏み入れることで陥る不安や混乱を防ぐために培った情報収集の技術にある。

 情報は時に力になることを何よりも理解している彼らは、それを武器や商品に変え戦ったり商ったりする。

 そして、このポットのように独自のネットワークを作り、一早く情報を伝達する仕組みを構築する者も少なくない。

 特に裏社会では、こういう技術を持った者が重宝される。

「さて、いよいよ愛しのサシム様とご対面ですぜ、ロゼリッタ様」

「じゃっかぁしぃーわ!」

 にやにやと下素顔で促すポットの尻を、後ろからロゼリッタが蹴っ飛ばす。

 そして――着いたそのカフェには、標的の姿は




 サシムが向けた銃口の先に、小柄な少年が一人立っていた。

 彼は物珍しそうにその黒鉄くろがねの塊を見つめながら、人懐っこい笑みを浮かべていた。

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