夜遊びはときに劇薬で(5)



 少し席を外しているだけかとも思ったが、近寄って椅子に触れてみると温もりが全く感じられない。気になって周囲を見渡してみたら、ちょうど近くを店員が通りかかった。

「ねえお姉さん、この席にいた人どこ行ったか知らない?」

「え、さあ……そういえば、しばらく見かけませんね。お手洗いにしては少し長い気もしますし……片付けようにも、まだお会計も頂いてませんし。お荷物もそのままですからね」

「そっかぁー。お姉さん、どうもありがとう」

 屈託のない笑顔でお礼を言うルーシア。

 それから、ふらっと歩き出して先刻さっきの異質な空気を感じた辺りまで戻ると、彼女はおもむろに背中に差した剣の柄に手をかける。そして――


 いきなり、


 刹那、闇の世界が斬り開かれた。



「あら?」と、ジーナは足元の違和感を感じる。

 長いスカートを少し上げると、足首に紐の付いた革靴が顔を出す。巾着袋のように口を結わいて固定するタイプで、その靴紐が少し緩んでいた。

 その時だ、ジーナの頭の後ろに何か黒い影のような物が生まれた。

 だが、それに気づかず彼女はゆったりと下を向き、

 ひゅんっ!

 ちょうど彼女がしゃがみこんだその頭上を、黒い何かが薙いだ。

『おや?』

 『少女』が顎に手をかける。もう片方の指をパチンと鳴らすと、それは虚空で溶けるように薄っすらと消えた。

 靴紐を結い直すとジーナは再び立ち上がり、ふと思い出したかのように問いかける。

「そう言えばあなた、仮面はお持ちではございませんの?」

 そう、もし目の前にいる人物が彼女の追う『魔障の仮面ペルディアーモ』であれば、その名の示す通り仮面を身に着けているハズであった。

 そして、『少女』もまるで今思い出したかのように言葉を紡ぐ。

『ああ、これの事かい?』

 彼女が右手を開くと手のひらの上にのっぺりとした仮面が現れた。その真中辺りに二つ、目の位置にそれぞれ円に囲まれた正逆の五芒星が描かれている。

『こんなものは記号に過ぎんよ。だが、その方が解り易いと言うのであれば別に付けても構わんがね』

 そう言うと、手のひらから仮面がゆっくりと浮遊しながら『少女』の顔面にすっぽりとはまる。

「随分と気安い言い方をされますわね。あなたにとって、それはその程度の代物でございましたの?」

『まさか、仮面がが本体などと思っていたのかね? そもそも「魔障の仮面ペルディアーモ」なる名は、元々吾輩を呼び出した魔道学者とやらが勝手に付けたもの。所詮は仮初の器でしかないさ』

 などとうそぶく仮面。

 そして、それがまるで合図だったかのように、突然ジーナの頭上で何か黒い影のような物が生まれる。だが、不意に後ろへ引っ張られるように彼女はバランスを崩し、数歩たたらを踏んでから盛大に尻餅を突いた。その丁度目の前を勢い良く影が落下する。

 ざくり。と、地面深くめり込んだそれは、煙を立てた漆黒の弾丸だった。

「あらあら? いきなりこんなモノが飛んで来るなんて、びっくりしましたわ」

『ほう?』と、小首を傾げる仮面。

弾丸これも、その魔道学者から教わったのでございますか?」

 だが、仮面は頭を振ってこう返す。

『いいや、教わったというのは少し違うな。まあ、吾輩を呼んだ魔道学者の中にそういう知識があったのだろう。吾輩はその呼び寄せたものの思考を少し拝借したまでだ』

「まあ、さらっととんでもない事をおっしゃいますわね!」

『吾輩は、これを「死神の魔弾サイガブリッド」と呼んでいるがね』

 仮面の言葉と共に、魔弾が今度は彼女の真正面に現れた。

「きゃっ」と悲鳴を上げながら避けようとするジーナ。しかし、慌ててスカートをの裾を踏んでしまう。

 パチンと指を鳴らす仮面。すると数発の魔弾が彼女を取り囲むように現れる。そして、一斉にジーナを襲った。

 が、バランスを崩して倒れこむジーナ。その胴体があったところを今まさに魔弾が飛び交った。

『ふむ……』と頷いてから更にパチンと指を鳴らす。

 立ち上がろうとするジーナへ十数の弾丸が飛来する。

 ふらっとめまいを起こしたように二三歩後退し、横転するジーナ。またも虚空を貫く弾丸。

 斜めから、足元から、死角という死角を突くように魔弾を飛ばす仮面。が、そのこと如くを避けきるジーナ・エイベルン。

 何発目化の弾丸が不意にジーナの目の前に現れた。慌てて後ろに下がろうとして何度目かの尻餅を付く彼女。その直後に魔弾は斜め上を飛び去った。それが、カフェの入り口にぶら下がっている看板の綱を切る。

 とどめとばかりに仮面が指をパチンと鳴らす。必殺の魔弾が起き上がる彼女の額を狙って空を切る。が、ちょうど落ちて来た看板が彼女の盾となって弾丸に撃ち抜かれた。跳ねる看板、慌てて頭を押さえるジーナ。その上を勢いをがれた弾丸が行き過ぎる。

『呆れるほどに運が良いな、君は』

『開き直りか』と一笑に付す仮面。だが、その認識が誤りだということに、魔族は気づいていなかった。

『そうだ、吾輩としたことがすっかり忘れていた』

 そう言って、仮面はパチンと指を鳴らす。すると、虚空に手のひらサイズの円い銀盤があらわれた。その円盤に刻まれているのは、時の女神に巻き付いた蛇の像。

『折角だ、君にもコイツを試しておかないとな』

 それを見た途端、ジーナの目の色が変わった。

「りっ、時の女神を捕えし蛇の銀盤リーリスプレート!?」

『これは驚いた、この道具のことも知ってるのかね?』

「驚いたのはこちらでございますわ、なぜあなたがそれを?」

『何、ちょっとした拾い物さ』

「拾い物……まあ良いですわ。大方、あなたが殺めた人間から奪ったものでございましょう」

『ほう、察しが良いねぇ』

「大体は飲み込めましてよ。二日くらい前に胸元に風穴が空いている死体が複数発見されてましたけど、その事件の謎がようやく解って参りましたわ。あなたのその能力とでも言いましょうか、その自在に思い通りの場所から弾丸を放つ術で撃ち抜かれたのでございますね?」

 仮面の魔族に人差し指を突きつけ、紫髪の風水教授が言い放った。しかし、

『素晴らしい、まさにその通り。やはり人間は面白い生き物だ。愚鈍な者もいるかと思えば、君のように鋭敏な者もいる。それだけに、死を前にして恐怖にひきつる顔が見物だ。君はどのように鳴くのか、あるいは怒りの感情を吾輩にぶつけるも良し、いや……どうせなら内に秘めた傲慢なるさがを見せてくれたまえ。それもまた、吾が愉悦となろう』

 仮面はむしろ彼女のその答えに満足してか、称賛の言葉と共に拍手を贈る。

「なるほど、高次元の存在故に理解不能な嗜好ですこと」

『誉め言葉と受け取っておこう』

 言いながら、魔族は銀盤を揺らした。

『この揺れが止まった時、君の世界は一瞬で凍り付く』

「はたして、そううまく事が運ぶでしょうか?」

 ふと笑みをこぼすジーナ。

『強がりを。それとも、対抗手段でもあるのかね?』

「対抗手段? そんなもの

『何?』と、訝しげに銀盤へと視線を向ける仮面。

 見ると、銀盤の揺れは収まるどころか逆に激しくなるばかり。正確には、何かに引っ張られているような動きをしていた。

『不可思議な次元の力に吸い寄せられている? いや、これはもっと低次元の……』

 銀盤の揺れの先にあるもの、それは地面に突き刺さった磁木線香マグネヒューム。その煙が銀盤のすぐ近くまで漂っていた。

「どうやら、何か高位の力はえるみたいですけど、磁力といった物理的な力までは認識出来てないようでございますわね」

『ほう、その磁力とやらがこのような変則的な動きを引き起こしているのか。ならば、こうするまでだ』

 仮面が指先に力を込めると、銀盤が磁木線香マグネヒュームとは反対の方に引っ張られる。おそらくは、魔族の認識出来る次元の力をせき止めようとしたのだろう。だが、それが却って裏目に出た。

 強い力で引っ張られた勢いで銀盤はそのまま時計回りに回転して――

 ――刹那、空は夜の闇に包まれた。




「ふぃ~、危ねえ危ねえ。すれ違った時はちょっと焦ったぜ」

 羽根の付いた真っ赤な貴族帽を軽く上げ、額の汗を腕で拭いながら独りつぶやくサシム・エミュール。

 それから買い物袋を開けると、中から黒い開拓帽テンガロンが顔を出す。

「あのオヤジ、上手くやってくれたかな?」

 開拓帽テンガロンを被り直し、彼はそんなことを口ずさむ。

 それは先刻、帽子屋に入った時の事だ。

 店の前で帽子を取ると、サシムは急ぎ足で店に入る。

「いらっしゃい」と景気の良いオヤジの声。

 店の中を覗くと、棚に並んだ帽子の中に一際目に付く真っ赤な貴族帽があった。

 右に大きな羽根が付いた柄の長い派手な帽子だ。

「オヤジ、この帽子をくれ」

「へい」と小太りの店主がにこやかに返事した。

 レジで店の主人に帽子代と少しばかりの金貨を握らせて、彼はこう注文した。

「悪いが一つ頼まれてくれないか?」

 店主は右手の感触を確認して、にっこりと頷いた。

「すまねえな。実は妙な恰好をした二人組にけられている。もしそいつらが俺を訪ねて来たら、適当にはぐらかしておいといてくれ」

「お安い御用です」と二つ返事で了承する店主。

 真っ先に金貨を渡したのが効いたのか、余計なことを訊かないでいてくれたことが有難かった。

「頼んだぜ」と一言残し、買ったばかりの帽子を目深に被るとサシムは踵を返した。と、ちょうどそこへニームのジャケットを着た蝶ネクタイの男が入ってきた。すれ違い様にぶつかりそうになる二人。

「おっと、ごめんよ」

 軽く会釈して通り過ぎるサシム。

 蝶ネクタイと後から入ってきた小男が訝しげな視線を向けていたが、あくまで彼はさり気なさを装いつつその場を立ち去った。

 ――それから、およそ十分後――

 サシム・エミュールは、少し離れた所にあるカフェの二階で優雅に珈琲をたしなんでいた。

 息抜きにという意味合いでもあるが、その他に別の理由もあった。

 右の片眼鏡モノクルの縁に仕込んだ歯車ダイヤルを回しながら、窓の外を覗くと、別の店から例の二人組が出て来るのが見えた。あれから、しばらく近くの店をしらみ潰しに探し回っていたらしい。

 そう、サシムは彼らの素性を探ろうと偵察を始めたのだ。

 追っ手をくのは良いが、それで連中が諦めるとは限らない。せめて何者かがつかめれば、対策の打ちようもあるということだ。

 さてその二人組はというと、往来で立ち止まっていた。どうも諦めたのか、蒼いニームジャケットの蝶ネクタイ男が懐から煙草と着火灯石器ハンディフリンターを出して火を点けている。相方の小男と何やら話し込んでいるが、遠くてよく解らなかったのでサシムは更に歯車ダイヤルを回す。すると、レンズの画面が拡大した。

 レンズの先で懐中伝話モバイルトーカーを取り出す蝶ネクタイ。ふたには「逆五芒星の中心に瞳を象った紋章」が刻まれていた。

「あの紋章、どこかで見覚えがあるな」

 そうつぶやいて魔牛肉ミノスボアの腸詰めと葉野菜をパンに挟んだカライヌというコルビア独特の食べ物にかぶりつく中年男。

 こんがりと焦げ目が端々についた狐色の皮を一口嚙むと、中でパリッと弾けるような音を立て口いっぱいに肉汁があふれ出す。歯応えも絶妙で、外は柔らかなパン生地の中でシャキシャキの葉野菜と腸詰めの硬い皮の下に柔らかな肉がぎっしりと詰まっていて、文字通り一口で三度美味い仕掛けになっている。

 余談だが、似たような軽食は他の都市にもあったりする。

 たとえば、コルビアのあるエストーラ半島より北に位置するブリタイン半島の都市ロンデンブルクではパンに肉や酵乳チーズを挟んだスナマグィネという食べ物があり、その起源は賭博中に軽く摘まめるものが欲しいという、とある貴族の我儘おもいから考案されたのが始まりだと言われている。

「こういう時でなきゃ、エールでも頼みたいところだがな」

 腸詰めに舌鼓を打ちながら残念そうにぼやく。と、その時、外の男が何かをつぶやいているのが見えた。気になって片眼鏡モノクル歯車ダイヤルを回す。

 そして、レンズに映る男の唇を読み取った。

「……セクレト(結社)……プラト(圧力)……ファシェス(矜持)……か。ん、結社けっしゃ?」

 怪訝に眉をひそめ顎鬚ビアードを撫でるサシム。

「待てよ、あの紋章……まさか……サリーミ……」

 そこで慌てて口を塞ぐサシム。


 秘密結社サリーミッション――大陸中央に本部を置く巨大組織の名だ。一説では、大陸主要都市の政府要人の中にも何人か組織の人間がいるという噂もあるほどで、裏社会での影響力も計り知れない。


 おいおいおい、よりにもよってそんな大物に追われてんのか俺は?

 不味いな、下手すりゃルーシアやジーナちゃんまで奴らに狙われているかも知れねえってことか……さて、どうするか。


 一応の目的は達したので、このまま何食わぬ顔で待ち合わせのカフェに向かうのも良いが、連中があの『結社』の手の者だとしたら、この先どの都市まちに行っても延々と付け狙われる可能性が高い。

 ルーシアとはこの先もしばらくは一緒に旅をすることになるだろうが、無関係なジーナまで巻き込んでしまうのはどうにも心苦しい。

 ともあれ、今は一刻も早くコルビアを出たいところだ。しかし、生憎と次の都市まちへと向かう馬車はもう終わっている頃だ。

 明朝にでも出立しないといけないが、それも奴らに読まれているだろう。

 心配なのはルーシア達だ。彼女達が果たして他の奴に張られていないか、それによって作戦の立て方を変えていかなければならない。状況は極めて悪いが、それでも連中の目を欺くことが出来れば活路も視えてくる。

 しかし、とサシムは首をひねる。

 いつから『結社』なんぞに狙われるようになったのか?

 心当たりがないことも無い。いや、ありすぎてどれなのか判断に迷うところだが、順当に考えれば先日の馬車強盗の一件か。それとも、一昨日の酒場の傭兵集団か。いずれにしても、そいつらの中に『結社』の息がかかった者がいたということだろう。

「参ったな……」と、つむじの辺りをきながら愚痴を零す。だが、そうこうしている内に外の方で動きがあった。

 何やら懐中伝話モバイルトーカーで連絡を取っていたかと思えば、なぜか頭を抱えている蝶ネクタイ。と、次の瞬間、彼らは急に走り出した。ルーシアが向かった市場モールの方へと。

「ちっ、あの野郎ども……まさか、嗅ぎつけやがったか!?」

 言い捨てるなり、サシムは慌てて席を立つ。テーブルに置かれた番号札を掴むと、急ぎ足でレジに向かう。

「お会計ですね」と尋ねる店員に、サシムは金貨を一枚渡して一言添えた。

「悪い、急ぐんでこれで頼む。釣りは取っといてくれ」

 明らかに食事代を超える金額を支払うと、サシム・エミュールはそそくさと店を後にした。




 ギオ・ウィスターは、苛立ちを押さえつけるように頭を抱えていた。

「ああもう何やってんだ、あのバカロリ幹部は……」

「まさか、あのめんどくさい鬼の巡査長に捕まっちまうとはねえ」

「なんだポット、お前知ってんのかあの警官?」

「ここいらじゃ有名人ですよ、あのウェスティールという人は。一度喰らいついたら離さない、鬼蛇ダイルのダッティと呼ばれているくらいですからね」

「………………なんかエラい厄介な奴に眼を点けられたみたいだな…………」

 そう呟いてげんなりするウィスター。が、次の瞬間、顔を上げると彼は溜息と伴にこう告げる。

「とにかく、まずはあの馬鹿幹部バカんぶを迎えに行くしかないか。行くぞポット!」

「へ、へいっ!」

 言って二人はロゼリッタのいる市場モールの方へと駆け出した。




「お嬢ちゃん、名前は?」

「……リッタ」と小さく、まるで子猫が鳴くような声で答えるロゼリッタ。

「リッタちゃんか。お父さんかお母さんは、一緒じゃないのかい?」

 目の前の警官は、蛇のように鋭い目つきで少女を詰問していた。

「えっとぉーリッタねぇ、パ、パパとはぐれちゃったのぉー」

 その場しのぎとはいえ、ロゼリッタは言いながら背中がムズがゆくなるのを覚えた。


 って、なんであたいが、んなこと言わなきゃなんねんだよぉーっ!!!


 心の声でいくら叫べども、別に返事がくるワケでもない。ともすれば、口から飛び出そうなその怒りを抑えるために取り敢えず念じているに過ぎない。

 いや、彼女の場合は声どころか、下手すると危険もあった。

 兎にも角にも精神面が炎という形で具現化してしまうこの幼い少女からすれば、些細なことであっても想いがダダ漏れにならないよう制御する必要があった。

 そういう意味では、彼女は決して幸福な人生を歩んではいないのかも知れない。だが、それは他者から見た主観でしかない。彼女自身が何を考え、何を感じているかなど誰も知る由もないのだから。

 この警官にしてもそうだ。他人の幸せを一般的な尺度で量っているような言動からしても、ロゼリッタの生まれ育った境遇など微塵も想像出来ていない。組織にかこわれ、それが当たり前のものとして育った彼女の気持ちなど解るハズもなかった。

「そっか、じゃあお父さんと何か連絡取れる手段はないのかな?」

「うんとぉー、うーんとぉー……なんかあったかなぁ~?」

 怪しまれないように、あくまでも無垢な幼女に成りきる彼女。ここでうかつに懐中伝話モバイルトーカーなど出したら、物分かり良すぎて却って疑われかねない。少しお馬鹿なくらいが丁度良いだろう。そこまで考えて敢えて頭の弱い子供を演じていた…………ハズだったが…………

 目の前にいる警官は、なぜだか可哀想な子を見るような眼を向けている。それも心配してというよりは、どこか憐れんでいるような感じに。

 こう見えても彼女は組織では優秀な方で、知能指数も二百は優に超える。

 そんな彼女が(自業自得とはいえ)憐憫の眼差しを浴びせられるのは耐え難いことだろう。

 徐々に居心地の悪くなるのを覚え、一瞬、殺意のような感情が芽生えそうになった。と、その時だ。ロゼリッタの懐中伝話モバイルトーカーのベルがけたたましく喚き始めたのは。

「はわっ!」と大げさに驚く彼女に、巡査長は頭を軽く撫でてから一言忠告する。

「もしかして、お父さんからの連絡じゃないのかい?」

「あ、そっかぁー、リッタすっかり忘れてた。てへっ」

 ムズがゆさを堪えつつ、拳を作って自分の額を軽く小突く幼女。くどいようだが、これでも知能指数は二百以上ある。

 ロゼリッタは警官からは死角になる向きで鳴り続ける銀色のそれを取り出すと、蓋を開けて指で銀盤を軽くこする。

 すると、銀盤の上に見知った顔の立体映像が浮かび上がった。

 蒼いニームのジャケットに蝶ネクタイをした男が少々苛立った様子で口を開く。

『あーあー、こちらウィスター。ロゼリッタ様ですか?』

「あ、パパぁ! どこ行ってたの、リッタひとりぼっちで寂しかったんだからぁ~!!」

 その直後、立体映像が口をあんぐりと開け、咥えていた煙草がポロリと落ちた。

『あ、あの……』と頬肉を引きつらせるウィスターに、ロゼリッタは小声で耳打ちするように返す。

「…………ちょっと合わせろ」

『はい? 合わせろって何を?』

 いまいち状況の飲み込めないウィスターに、ロゼリッタは後ろの警官の姿を見せるように立ち位置を少しずらす。

 それを見た瞬間、ウィスターがげんなりとした表情を浮かべたがそこは敢えて無視して続ける。

「リッタねぇー迷子になってパパを探してたらぁ、このお巡りさんにつかまっちゃったの……」

 人聞きの悪い言い回しに、後ろの巡査長が苦い顔をする。

「だからね、お迎えに来てほしいのぉー」

『じゃあすぐ行くから、リッタはそこでじっとしていなさい。良いね?』

「はぁーい」とこの上ない猫なで声で返事する幼女幹部。

 蓋を閉じて巡査長の方に向き直ると、ロゼリッタはにこりと愛らしさを全面に出して言った。

「パパが迎えに来てくれるってぇー、だからもう大丈夫だよぉ」

「そうか、それは良かったね」

「うん。じゃあ、お巡りさんありがとねぇー」

 そう言って離れようとしたロゼリッタの両肩をがっしり掴んで、鬼蛇ダイルのダッディはまっすぐな瞳でこう返した。

「良し、じゃあお父さんが来るまでお兄さんが付き添ってあげよう」

「へ?」

「お嬢ちゃんを無事に届けるまでがお兄さんのお仕事だからね」

 半分の責任感と、もう半分は善意で満たされた申し出に断る理由も見当たらず、ロゼリッタはそれをけざるを得なかった 。




『これは一体?』

 刹那に頭上を覆い尽くしたを見上げ、仮面の魔族は首を傾げる。

「時間が早送りしたようでございますわね」

『早送り………………とは?』

「その銀盤の真価は、時を止めるのではなく時を自在に操ること。あなたは、それを奪った相手の記憶から『時間停止装置』であると思い込んだ。けど、そのとしたら?」

 つまり、魔族は元の持ち主であったノルム人の老兵から記憶を読み取ったに過ぎない。買い取った死の商人から吹き込まれた出所の怪しい知識を。

『なるほど、道理だな。確かに吾輩はあの老人の知識だけでコイツの使い方を理解した心算つもりになっていたようだ』

「あの老人……やっぱり、あなたが彼らを……」

 仮面の台詞を聞いて確信するジーナ。同時に、まるで贖罪でもするように胸の中で弔いの言葉を紡ぐ。

 ごめんなさい。必ず、あなた方の無念を晴らして差し上げますわ。

 ジーナは小さく頷いてから、きっと仮面を睨み据える。

 ふと、仮面は空を見上げた。

 空気は冷たく、宵の空を三日月が照らしていた。まるで血のように紅い光で。

『しかし、良い夜だ。は三日月だったか。それも魔性の色を帯びた……』

 パチンと指を鳴らす魔族。すると、虚空に数十発の魔弾が彼女の視界を埋め尽くすように現れた。

『これで逃げ場はない。さあ、どうするかね?』

 その言葉を合図に、眼前にいるジーナへ向けて放たれた。

 その時だ、ジーナのすぐ前で空間が切り裂かれたのは。

 無数に飛来した凶弾は、そのことごとくが次元の穴に飲み込まれる。

 そして、まるで予定調和であるかのように、そこに英雌ヒロインが現れた。


 栗髪の短いポニーテールを三つ編みにした翠眼すいがんの少女が――

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