夜遊びはときに劇薬で(4)



「気づいていないとでも思っておいでですか? 呪われし魔道の禁忌――その成れの果てが……」

 ジーナが珍しく強い口調で少女それに問いかけた。

『ふむ、その程度の認識で吾輩を追ってきたというワケか……』

「それが『学会』の意思でございますから。わたくし達アマタニアの学者は、ただそれに従うのみでございますわ」

『愚かな、学者を名乗っておきながら思考の放棄とは。矛盾を内包する者に吾輩を捕えることなど到底出来まい』

「さあ、それはどうでしょう?」

 そう嘯きながら、ジーナはじっくりと周囲を見渡す。

 いつの間にか、嘘のように店員や客、そしてテラスに面した通りを行く人々の姿が消えていることに。

「なるほど、なるほど」と、一人納得したように頷くジーナ。

 その瞳に迷いは無く、ただ一つの解を導き出そうとする探求の色が浮かんでいた。

『何が、「なるほど」なのかね?』

「いえ、なかなか面白いことなさるものですのね。結界……ですか。それも周囲に巡らして身を守るものではなく、次元そのものを隔てるかたちで相手を閉じ込める方式など、聞いたこともございませんわよ」

『ほう……』と彼女それは眼を細め、何かに感心したように小さく笑った。

「余裕でございますわね?」

『これは失敬。何分、ここまで理解の速い人間に出会ったのは久方ぶりでね、つい嬉しくなったのさ』

「久方ぶり?」

 ふと、彼女それの漏らした言葉にジーナは眉をひそめる。

『ああ、少しおしゃべりが過ぎたかな。まあ問題は無いか、どの道なのだから』

 そう告げると紅い瞳を光らせて、少女の姿を借りたその怪物は不気味にわらった。




 どうやら、ルーシアの勘が当たったか…………


 一人、街をフラつきながら心中でつぶやくサシム。

 その少し離れた所から男が二人、前を行くサシムの後を付けている。

 一人は背の高い若い男で、蒼いニームの上下に蝶ネクタイという風変わりな恰好をしている。

 いま一人はボロ布をまとった小柄な男。目深に被ったフードの下に大きなまなこが二つ、獲物を見据える鷹のように突き刺すような視線を向けていた。


 しっかし下手くそだな、あいつら。あれでバレてないつもりでいるのか?

 それとも、奴らは囮で実は本命が別にいるって事か?

 もしや、俺らが二手に分かれたのを見て…………ルーシアの方に本命が張り付いてるとしたら…………不味いな、ジーナちゃんと待ち合わせている場所が割れちまう。ジーナちゃんが危ない!


 けられているであろうルーシアのことは気にも留めず、そんな心配をし始めるサシム・エミュール。

 十字路に差し掛かったところで、ふと、帽子屋の看板が目についた。




 その頃、ルーシア・レアノードは背後を追う気配を感じつつも、のほほんとした調子で市場モールを見て回っていた。

「フン、出店巡りとは暢気なものだ。どうやら、あたいの尾行にまるで気づいちゃいないみたいだけど。それともアレでいてる心算つもりにでもなっているのかねぇ?」

 後をつけながら、ロゼリッタ・ヴルゴーニがほくそ笑む。

「大方、あの巨乳ババアとどこかで落ち合う算段だろうが、二人そろったところで丸焼きにしてやるよ。いや、いっそ獄炎の魔槍グングニールで串焼きってのも良いなぁ、くっくっくっく!」

 周囲が可哀想な子でも見る様に憐みの視線を向けているのにも気づかず、独りつぶやきながら含み笑いする幼女幹部。

 不意に、ルーシアと彼女の間を一台の荷馬車が横切った。

「馬車道かい。ったく、こんな時にうっとうしい!」

 などとぼやきつつ、ふと前を向き直る。と――


 ――いつの間にか、標的ルーシアが忽然と姿を消していた。


「なっ!? あの小娘ガキ、一体どこに消えやがった!」

 見渡せども、少女の姿はどこにも見当たらない。

 ほんの数秒目を離した隙に、彼女は標的を見失ってしまったようだった。

「畜生ぉ、やられた。あんな小娘一人に、このロゼリッタ様が出し抜かれるなんて!」

 自分のことは棚に上げつつ拳を握りしめ歯噛みする幼女ロゼリッタ。その直後、いきなり背後から肩を叩かれた。

 驚いて振り返ると、そこに現れたのは――――




 巡査長ダッティ・ウェスティールは険しい顔を浮かべながら、市街を巡回していた。

 都市まちはいつも以上に賑わいを見せ、幾分か騒がしくも思えた。

 だが、彼が眉間のシワを寄せるのはそんな理由ではなかった。

 今朝の放火、そして昨日から立て続けに起きている殺人事件。この二つの事件が実は繋がっているんじゃないか、そんな風に考え始めていたからだ。

 なぜ、そう思ったのかといっても特に根拠などない。ただ、彼の警官としての勘がそう告げていた。と、そこへ見知った顔が横切った。

 栗色の短いポニーテールを三つ編みにしたその少女は、物見遊山でもするように市場街を練り歩いていた。が、それ以上に彼の興味を惹いたのはその後ろ、挙動不審に付いていく見た目の幼い真紅あかい髪の少女だった。

 あの子は、迷子なのか?

 なんであんなところで彷徨うろついているのか?

 ともあれ、あんな小さな子供を放っておくワケにもいかんな。

 と、その幼い少女が急に立ち止まり、きょろきょろと辺りを見渡したかと思うと、何やら地団太を踏んで騒ぎ始めた。

 これはいかん、一刻も早く保護しなければ……と考え、巡査長は急ぎ足で幼女に近づいた。そして、軽く肩を叩いて一言。

「お嬢ちゃん、こんなところで何してるのかな。お母さんは一緒じゃないのかい?」




「わたくし実はこの都市まちに入る際、ある仕掛けを施してございますの」

 カフェや周りの風景だけは『外』と全く変わらないその場所で、不敵な笑みを浮かべて言うジーナ。その頬を一筋の水が滴り落ちる。

『仕掛け?』と問う少女ばけものに、ジーナは琥珀の瞳をまっすぐに向ける。

「そう、あなたが何時いつわたくしの前に現れても良いように予め天門イヌイの方角へと運気の流れを調整しましたの。もし、あなたが『学会』の叡知が示した存在ならば、恐らくわたくしと遭遇した時に結界を張ると踏んで」

『何が言いたい?』

 訝し気に眉をひそめるも、その表情かおには余裕の色がにじみ出ていた。

「ズバリ、あなたは正体を明かしましたわ。ある魔道学者の手によって遥々高次元より召喚された存在――魔族――の証をね」

『こいつは驚いた。吾輩の正体を既にご存知とは恐れ入る』

 意外にも、存在それはあっさりと認めた。いともあっさりと。

 その様子に何か違和感を感じてか、ジーナは怪訝に眉をひそめた。魔族それは構わず続ける。

『だが、それだけに解せぬ。が正体を知りながら、何故わざわざ吾輩のにえとなりに来たのか?』

「まさか、このわたくしがむざむざとわれるためにあなたを追って来たとでも? だとしたら、お門違いも甚だしいでございますわよ!」

 そう言うとジーナは豊かに実った胸元を少し開け、その谷間から四本の磁木線香マグネヒュームを取り出した。そして、人差し指と中指にはめた銀色の指輪をその先端でこすり合わせる。すると火花が飛び散り、線香の先があかく光った。辺りに仄かな香りが漂う。

『ん、何をした?』

 そこで、眉を跳ね上げて問う彼女ばけもの

「あらあら、ただ香を焚いているだけでございますけど……魔族あなた?」

『そんな低次元の現象などは知らんさ。吾輩はただ不可思議な次元の変化が生じたのを感じたまでだがね』

「なるほど」と、ジーナは小さくつぶやいた。

 人間との対話は可能だが、五感などといった物質世界の影響を受ける肉体的な働きについては不完全な部分があるようだ。

 ならば、視覚や聴覚は、実際に正しく機能しているのか?

 あるいは、魔道の術式を組み込んで対話を可能としたか……

 そして、魔族あれ先刻さっきなんと言ったか。

「理解の速いに出会ったのは

 たしかそう言ってなかったか?

 だとしたらこの場合、そのとは一体誰のことを指すのか?

 ジーナには、一人だけ心当たりがあった。それは、


魔障の仮面ペルディアーモ』なる魔道具の素材として、魔族を召還した一人の魔道学者だ。


 その学者自身が、召喚に当たって高次元存在と対話するために特殊な術式を施した可能性は十分にあった。

 そもそも魔道とは『世界』における物理法則から外れた、言わば非ざる法則。その理を追究する学術――すなわち魔道学――と呼ばれるそれは、主に精神科学の分野で研究が行われ、五感が受ける外からの刺激によって働く心理の変化、共感覚、体内電気の変化や外界への脳波信号の仕組み等を解析し、それによって生ずる内的世界と外的世界の相互干渉の比率を計り、精神世界の扉を開けることを目的としたもの。

 だが、あまりにも難解で非科学オカルトな要素を孕むため『学会』でも「異端の科学」などと言われている。

 その忌むべき研究の末に現世に生みとされた存在、その一つが『魔障の仮面ペルディアーモ』と称される魔族だった。

 少なくともジーナには、そう考えた方が筋が通っているような気がしていた。

 だから、

「人間には味や香りを楽しむ文化というものがございますの。いつ如何なる時も娯楽を忘れない余裕を持つことが、最高の仕事パフォームを成す秘訣でございますわよ!」

 などとうそぶくと、彼女は磁木線香マグネヒュームを約三歩半四方にばら撒いた。あかく火の点いた方を上に、それが見事地面に突き刺さる。

「さて、。もう、あなたに女神ラックが微笑むことはございませんわよ」

 彼女のその言葉が、物理の壁を超えた戦いの火蓋を切った。




「旦那、どうしやしょ?」

「どうするも何も報告するしかねえだろ」

 嘆息混じりにつぶやくウィスター。

 遡ること、十分ほど前――――

 ロゼリッタの指示で、ウィスターとポットの二人はサシムを尾行していた。

 だが途中、十字路を右折したところで彼は突如行方を眩ましたのだ。

「野郎、一体どんな魔法を使いやがった!」

 そう叫ぶウィスターに、隣のポットがジト目で返す。

「旦那ぁ、あんまでかい声で恥ずかしいこと言わないで下さいよ。魔法なんて、今時子供でも信じてないですぜ」

「馬鹿、言葉の綾に決まってんだろ! くだらねえ事言ってる暇があったら、とっとと奴を探しに行け。まだ、そう遠くへは行ってねえハズだ」

「へ、へいっ!」

 返事をするや、慌てて真っ直ぐ通りを駆け出そうとするポット。

「待て待て」と、ウィスターがそれを制して言う。

「おいポット、一体どこへ行く気だ?」

「いえ、遠くへ行ってないならこのまま走って行けば追いつけるかと……」

「ったく、少しは頭使えよ。こんなだだっ広い通りを走っただけで、いきなり俺らの前から消えるわけねえだろ」

「じゃ、じゃあどこに行ったってんですかい?」

「多分、どっかその辺の店に入ってやり過ごそうとしてるに違いねえ。そうだな、例えばあの店とか……」

 そう言ってウィスターが親指を向けた先には、入り口の柱に開拓帽テンガロンを象った木の看板が付いた店があった。



 店の中は細々としていて、大人二人がやっと通れる幅の通路を挟むように帽子や服が棚に並べられていた。

「おっと、ごめんよ」

 ウィスター達がレジの方に向かう途中、ちょうど向かいから羽根の付いた赤い貴族帽を被った男とすれ違う。男は買い物袋を片腕に抱えながら、通り過ぎ様に軽く会釈して行った。

「なんだありゃ? どこの田舎貴族か知らねえけど、随分と派手な野郎だな」

「妙な恰好でしたね、真っ赤な羽根帽子に黒革ジャケットとか。あんな趣味の悪い組み合わせは、あんまし見ないですぜ……」

「あんましって、お前他にあんなの見たことあるのか?」

「え?」と、そこで返事に詰まるポット。視線の先には、蒼ニームのジャケットに蝶ネクタイという奇抜な恰好をしたウィスターの姿。

「気色悪いな、なんで俺をジロジロ見てんだ?」

 あまりにも自覚のない蝶ネクタイの台詞に、ポットは思わず苦笑する。

 ワケも分らず、眉をひそめるウィスター。

「まあ、取り敢えず俺は店のヤツに訊いてみるから、お前は奥の方を見ておけ」

 そう言うと、振り返ってレジへ向かった。

「いらっしゃい」と店のオヤジが景気よく声かける。

「何かお探しで?」

「ああ、ちょいと人を探しているんだが」

「人ですか?」

「黒い開拓帽テンガロンと革のジャケットを着た中年男なんだが、ここに来なかったか?」

「さあ、見かけませんでしたけどねえ」

「そうか」と返してから、ウィスターは店の奥にいるポットに声かける。

「おい、そっちはどうだ?」

「ダメです旦那、見当たりませんよ」

「わかった」と返事して、再び店主の方に向き直る。

「邪魔したな」

「お気をつけて」と会釈する店主に見送られ、二人は店をあとにした。

 他の店も当たってみたが、やはり収穫は得られなかった。

「どこにも居やがらないですぜ、旦那」

「野郎、どこに隠れやがった」

 煙草を咥えながら、懐から着火灯石器ハンディフリンターを取り出して愚痴るウィスター。

「やっぱ、もうどっか別の場所に移動したんじゃねえですか?」

「だとしても、まだこの都市まちのどこかにはいるハズだ。今から駅に向かってもトンボ返りするだけだしな」

 言いながら、ウィスターは懐中伝話モバイルトーカーを取り出す。ふたを開けると、光学時計フォトクロックの針は既に午後三時を指していた。

「ああ、もう今日の便が全部終わってる頃合いですね」

「そういう事だ。しかし、交通手段が馬車しかないってのも不便なモンだなっと」

 ウィスターは懐中伝話モバイルトーカーの銀盤を軽くなぞってから、小さく何かを唱える。すると映像が切り替わり、何かの名簿が浮かび上がる。指を上下に振りながら画面をスライドさせていくと、目的の名前が目に止まった。

「とはいえ、どこに行ったか解らないんじゃ探すのは困難ですぜ。旦那、どうしやしょ?」

「どうするも何も報告するしかねえだろ」

「そりゃそうですが、どう言うつもりですか?」

「ああ、そうだな……とりあえず、『標的を見失ってしまいました。ここは地理に明るい奴の方が有利でとても探し出すのが困難なので、一旦出直しましょう』とでも言っとくか」

 嘆息混じりにつぶやきながら、ウィスターは画面の名前を指に押し当てる。

「ったく、『結社』の面目丸つぶれだぜ……」

 独りぼやくウィスター。画面を見ながら、目的の相手へ通信コードを送って待つこと約五秒。基地局からの受電を確認し、相手との通信が開かれる。

「あーあー、こちらウィスター。ロゼリッタ様ですか?」

 少々苛立ち気味に応答を促す蝶ネクタイ。しかし、伝話先の相手から来た返事は彼の予想を遥か斜め上に超えるものだった。

『あ、パパぁ! どこ行ってたの、リッタひとりぼっちで寂しかったんだからぁ~!!』

 直後、ウィスターの咥えていた煙草がポロリと落ちた。




「ほぇ?」とルーシアは首をひねった。

 追っ手を撒くことには成功した。少なくとも、背後からけてくる気配はもう無い。ただ、


 それとは別のが漂っているのを感じていた――


 その正体が何なのか、それは彼女にも解らない。ただ、ここには確実にがいる。

 そして、今一つ気になっていることがある。

 このカフェで待っているハズのジーナの姿が、どこにも見当たらない事だ。

 入り口付近のテラスに一席、誰かが使っていると思われる無人のテーブル。その上には見覚えのある鎖の付いた銀色の円い物体があった。

 それは、五芒星の外側に四対の羽根が刻まれたジーナの懐中伝話モバイルトーカーだった。

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