夜遊びはときに劇薬で(2)


 闇はどこまでも深淵で、底などあるのかもわからない。

 ただ、それは光も音も無く無限に広がる真っ暗な空間でしかなく、そこに孤独や恐怖を感じるのは心のあり方の問題に他ならない。

 されど、人の心は移ろい易く身近に起こる些細な変化一つで如何様にも反応してしまうものだ。

 だから人は深い闇に囚われた時、心が死んでしまうのかもしれない。



「エメシスイテマ?」と、おうむ返しに問うサシム。

「イテマとは学術の研究などで扱う道具のことなのですが、今探しているその一品は自ら意思を持って行動しているそうです」

「道具が?」

「はい」とジーナが柔らかい笑みを浮かべながら頷く。

「その意思を持った道具とかいうヤツが、どう厄介なの?」

 首を傾げながら、横で聞いていたルーシアが訊ねた。

「そうですねえ……上手くは答えられませんが、例えば銃のように敵を殺すことを目的として生み出された道具に意思があったらどうなるでしょう。心とはその根幹が本能的な部分に左右されるものと考えられておりますので、銃本来の性能を軸に形成された意思というのが存在するなら、おそらくそれは『撃つ』という欲求に従って行動するということが考えられるでしょう。魔障の仮面ペルディアーモなどという禍々しい名を与えられた魔道具イテマであれば、自ら世に災いをもたらすような行動をとっても不思議ではございませんでしょう?」

 人差し指を立てながら淡々と説明するジーナに、ルーシアは眉をひそめる。

「何だか小難しくて良くわかんないけど、要するに『やばい道具が勝手に動いて悪さしようとしている』ってこと?」

「ま、まあ、そんなところでしょうか……」

 少女の乱暴な解釈の仕方に、少し乾いた笑みを浮かべるジーナ。

 それでも何となく伝わったのであればと、話を先に進める。

「ともあれ、その厄介な代物を見つけて捕獲して頂きたいのでございます」

「捕獲ねえ……」と、そこでサシムは少し難しい顔をする。

「どうかなさいましたか?」とジーナが訊ねると、サシムは頬を搔きながらこう返した。

「その道具にはんだよな?」

「ええ、そういうことになりますが」

「だとしたら、手配書が要るな」

「え?」とサシムの意図が解らず、ぱちくりと瞬きをするジーナ。

「俺もこんな稼業だ。もし、そいつが賞金首なら喜んで捕まえてやれるんだがな」

「それはつまり……お金を払わないと引き受けては頂けない……ということですか?」

「ま、そういうことになるな」と、サシムは少し決まりの悪そうに返事する。

 ジーナはしばし思案顔で黙り込み、それからパンと手をたたいて「そうですわ!」と一人納得したように頷く。

「どうした?」と、サシムが怪訝な様子で問う。

 すると、彼女は得意気にこう返した。

「おじさま、もし魔道具アレが賞金首になれば万事解決なんですよね?」

「あ、ああ……まあな。でも、どうする気だ。意思があるといってもなあ、せめて人の姿していないと難しいんじゃないかな?」

「その点ならご心配なく。少々不明瞭ですが、『人の形』はしているそうです」

「そうなの?」

「ええ」と明るい声音で応える彼女。

「なるほどな。しかし、いくら人の形をしていたとしても、何か事件でも起こしてないと指名手配されないだろうし……」

「でしたら」とジーナは袖元を探り、中から五芒星の呪印が記された羊皮紙の札を取り出した。

「この金運が上がる護符を差し上げますわ。そうすれば自ずと所持金が……」

「ちょっと待った」とサシム。ジーナの台詞を遮ってから、静かに問いかける。

「ジーナちゃん、ひとつ良いかな?」

「はい」

「今みたいな交渉の仕方は、やめた方が良い」

「えっと、それはどういう……」

 眉をひそめて問う彼女。

 それに対して「信用を失うからだ」と、にべもなく答えるサシム。

「信用……ですか?」

「そうだ。今ジーナちゃんは『金運が上がる護符をやる』と言っただろ?」

「はい」

「そういう得体の知れない物を報酬代わりに出されても、普通相手はおちょくられているとしか受け取らない。まして相手が普段から命懸けの仕事をしているような連中だったら、今のでブチ切れてるぞ」

 はっきりとサシムにそう言われ、ジーナははっとした。

 ちょうど一昨日にも同じような交渉をして相手を怒らせてしまったことがあったからだ。その時はルーシアが近くにいたお陰で助かったが、そうでなければ貞操を奪われていたかも知れなかった。ただし、彼女が風水学者でなければの話だが。

 とは言え、ジーナは今までそうとは知らず無神経に相手を怒らせるやり方をしていたことに変わりはない。そして、彼女と争った相手の傭兵達があの後一体どうなったのか――そこまで考えが及んで、ジーナは初めて自分の軽率さを恥じた。

「ジーナちゃん? どうした、そんな怖い顔して」

 彼女の重たい表情を見て、サシムが思わず声をかける。

「え……わたくし、いま怖い顔しておりましたか?」

「ああ、何かを思い詰めているように見えたぞ」

「いえ、その……わたくしのせいで彼らを死なせてしまったのかと……」

 そこで思わず立ち上がり、サシムはジーナの肩を掴んだ。

「おいおい、しっかりしろ。妙な因縁が付いちまったからって、そいつらの運命まで背負う必要なんざこれっぽちも無えだろ!」

 しかし、ジーナは首を横に振ると真剣な眼差しでこう返した。

「いいえ、違うのです。おじさまは『アマタニアの学術』について、どういう印象をお持ちでございますか?」

 いきなりそう問われて、ぽりぽりと頬を掻くサシム。

「ん? そうだな、何だか良く解らんが『魔法みたいな超常的な力を扱う技術』てくらいかな。それが、どうかしたのか?」

「はい、実は今おっしゃられた超常的な力についてですが……たとえば、わたくしが扱う風水学はこの世界に流れる力や方位を司り、世界を構成する仕組みを追及することを目的とした学術なのですが、それは言ってみれば『この世界を構成する力の流れそのもの』を取り扱う学術ということになるのです」

「ん、それってつまり、どういうことなんだ?」

「えっと、簡単に申しましたらというワケです」

「なんだよそれ、スケールがデカすぎて理解が追い付かねえんだが」

「無理はございませんよ。実際にそこまで達している風水学者は、これまでの歴史の中でも一握りしかおりませんでしたから」

「いや、そんなのがいること自体、ワケ解らんのだが」

「そうでしょうね。ですが、最近も一人だけその域に達した学者が現れましたよ。それもまだ十代の娘で……いるんですね、天才って……」

 ため息交じりに吐き出すジーナ。その言葉にはどこか嫉妬にも似た感情が見え隠れしていた。

「まあそんな話は置いといて、問題は風水学という学術が『世界』の構成に影響をもたらす程の力を扱うという点です」

「そうだな」と頬を掻きつつ、自分の理解が及ばない所は半ば聞き流そうと心に決めるサシム。

「わたくしはあの時、彼らとの間に流れる運気を操作してこちらに有利に働くように仕向けました。それは同時に彼らにとって不利に働くように仕向けたワケですが、一度運気の流れが悪い方へ働いた場合はその流れを引きずってしまうことがあり得るのです」

「それは、どういう……」と、サシムが言いかけたところで、不意にルーシアが声を上げる。

「あ、もしかしてってこと?」

 その一言で、サシムはなぜジーナが「自分の所為」にしていたのか、その理由をはじめて理解した。

 運気操作などというオカルトじみた術を行うことで、相手の運命をも左右してしまうということに成りかねない。だから、彼女は彼らを死に追いやったのは自分だと思い込んだんだろう。

 いや、おそらくそうなのかも知れない。彼女の言う風水学の影響が『世界』の構成とやらにまで至るというのであれば、人の生き死に程度など些細なことでしかないのだろう。

 だが、それは理屈の上であって現実を想定してなどいない。

 誰だって、他人の生死に関わることを簡単に背負えるワケがないのだから。

 だから彼女はその重圧を、たった一度会っただけの名前も知らないような連中のために重い十字架を背負わなければならないと考えてしまったのかもしれない。

 だが、サシムは言った。

「関係ねえ」と。

「え?」

「たとえ、そうだったとしてもだ。その度にジーナちゃんが重荷を背負う必要なんかねえって言ってんだ」

「ですが……」

「あれは、奴ら自身も覚悟の上での行為だ。奴らも戦場で常に命のやり取りをしている傭兵なんだ。常に自分てめえの選択に命を懸けてんだろうから、ジーナちゃんが例えそういう力を持っていたとしても気にすることじゃねえ。ジーナちゃんにちょっかい出して運気を操られたってんなら、それはちょっかい出した方が悪い。自業自得って奴だ」

「おじさま……」

「だから、いちいち気にすんな!」

 言って、サシムは親指を立ててウィンクしてみせた。




 今朝方、コルビアのある酒場宿で小火騒ぎが起こったという報せがセアト署に入り、警官達は早速捜査に当たってみた。が、原因は酔っ払いが誤って入り口のランプを落としてそれが壁板に引火したものとされ、この件はあっさり打ち切られた。

 ウェスティール巡査長辺りはこの決定に不自然さを覚えてはいたが、その脇でため追及を諦めざるを得なかった。

 それは、別の店先で若い男が死体となって発見されたというもので、その胸元には大きな風穴が空いていたというのだ。そう、先日起こった傭兵団殺人事件と全く同じ手口だ。ただし、今回はだったという。先日のように「無傷の遺体」はどこにも見当たらなかった。

 その若者の身元はすぐに割れた。ビリーズ・チルドという銃士ガンマンで、つい昨日この都市まちに戻ってきたばかりだったという。

 青年には婚約者がいた。すぐ近くの酒場で女給ウェイトレスをしていたメイリアという娘だ。彼女もまた、昨日から行方をくらましているらしい。

 コルビア警官隊は早速、彼女の捜索に当たり手配書を発行した。

「上手くいくもんですねえ」と、ボロ布をまとった小男が感心したようにつぶやく。

 セアト署からほど近いカフェのテラスには、円テーブルを囲む異色な三人組の姿があった。

 一人は先につぶやいたポットという名の小男。その両隣にはそれぞれ、幼さの残る小柄な少女と背の高い男が腰を下ろしている。少女の方は癖のある燃えるような真紅の長髪に灼熱の炎を思わせる琥珀の瞳をした釣り眼が特徴的だ。片や男の方は、細面で少し尖った口と蒼いニームのズボンとジャケットに蝶ネクタイという風変わりな恰好をしていた。

「まったく『結社』様々だな、こんなあっさりと片付くとはねえ」

「言ったろ、『冥府の沙汰もなんとやら』ってな。連中がどんだけ正義だ何だと奇麗事並べたってな、裏じゃこういう下衆な繋がりってのが息づいてるってモンさ」

「ロリが言うと違和感しかねえな」

「誰がロリだコラ!」と、少女が瞳から火花を飛ばす。

「わ、やめ……勘弁して下さい、ロゼリッタ様!」

「じゃっかあしいわ、あたいの逆鱗にいちいち振れてんじゃないよ。消し炭にすんぞコラ!」

「へいへい、俺が悪ぅございました」

「よく解んねんですけど、結局『結社』ってのは公的機関にんですか?」

「ポット!」

 不意に小男が口にした疑問をかき消すように、蝶ネクタイが声を怒鳴った。

「今のは聞かなかったことにしてやるから、二度とその話をするな。良いな?」

「へ、へい……」と、ポットはそこで両手を口に当てる。

「ロゼリッタ様も、それで良いですね?」

「ああ」と、こちらは面倒臭そうに手を上げる少女。

「そんなことより、あたいは早くサシム様にお会いしたいよ」

「だーかーらー、奴はターゲットなんですよ。まだ味方になるワケでもないのに、様付けしないで下さいよ」

「うっさいねー、そんなのあたいの勝手だろ。心配しなくても、ちゃんと弁えてはいるさ。敵になるかも知れないってことくらいはな」

 言いながら、ロゼリッタは通りの向かいにあるセアト署を眺める。

 その瞳は、どこか寂しそうでもあった。

「嫌な命令しごとだよ、まったく……」

「ロゼリッタ様?」

 不思議そうに声をかける蝶ネクタイに、少女は椅子から飛び上がってからこう返した。

「何でもないよ。そんなことより、あたいらもボチボチ動くとするか。なあ、ウィスター君」


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