その4 夜遊びはときに劇薬で

夜遊びはときに劇薬で(1)


 それは小さな始まりだった。

「師よ、それは……」

「見たまえ、これは私がここ数年ほど取り組んでいたによって得た一つの『答え』だ」

「こ、このがですか?」

「そうだ。これはまだ、ほんのわずかな切っ掛けに過ぎんがな」

「師は生ける人形ホムンクルスでも造られるお心算つもりですか?」

「そんなつまらぬ物を造ったところで、私の欲求は満たされぬよ。それよりも、もっと未知なる領域に足を突っ込んでみないかね?」

「未知とは?」

「君は『宇宙のひも』という言葉を知っているかね?」

「ひも?」

「そうだ。この世界はひも状の原子核によって構成されているという学説だよ。それによれば、その『ひも』が高次元にまで連なり、一つの大きな膜状の結界を成しているとされており、『ひも』にある種の刺激を与えることで結界に綻びが生じて異界へと通じる道が開くと言われている」

「まさか、そんな非現実的な」

「科学とは、時に現実では起こりえないと言われているような現象すらも想定し、世の真理を解明していくものだよ」

「では、これはその『宇宙のひも』とやらが関わっていると?」

「そう、その『だよ」

 彼はそういうと、狂気の色に満ちた笑みを浮かべた。



 その朝は、とても穏やかでいつにもまして静まり返っていた。

 酒場通りというのは、夜更け過ぎまで灯りが絶えることはなく、常に喧噪の中にあって眠ることを知らない街という印象を受ける。しかし、朝のそれは本当に昨晩と同じ場所なのかと疑いたくなるほど辺りは閑散としており、街全体がまるで静かに寝息を立てているかのようだった。

 だから、そこにすぐに人垣で埋め尽くされるという理由わけでもない。

 そこに若い男女が折り重なっていたとしても。

 仰向けに倒れた少女の虚ろな瞳には、ただ朝霧に包まれた空だけが映っていた。

 そして、独りゆっくりと「それ」は起き上がった。



「まったく、昨日はロリゼッタのお陰で散々な一日だったぜ。なあ、ポット?」

 円テーブルの一席に腰かけて、ギオ・ウィスターが憂鬱に溜息をつく。

 向かいに座る小男は、同意を求められてしばし苦い顔を浮かべた。

 別にウィスターの意見に異論があるワケではない。むしろ、そのこと自体は半ば同意見なのだが、ただという意味の渋面だった。だが案の定、

「なんだよ、その顔は?」と向かいで蝶ネクタイを直しているウィスターに睨まれる。

「い、いえ、まあ確かにおっしゃる通りですよ、旦那。けど、もう終わったことでしょう、いつまでも蒸し返さないで下さいよ」

「これが言わずにいられるかよ。おめえは端で見てただけだからまだ良いけどよ、俺なんか馬鹿幹部バカんぶなだめるのに必死だったわ、料理長にずっと睨まれるわ、周りからは変な眼で見られるわで、何度あの場から逃げ出したいと思ったことか。おまけに、あんだけ騒いでおきながら結局あのロリ一人が満足しただけで、こっちは謝り通しとか割に合わねえっつーのっ!」

「まあ、あのお嬢さん、ちょっと変わってますよね」

「ちょっとどころじゃねえよ。ありゃ、もう世界がテメー中心で回ってると本気で信じているとしか思えねえレベルだ」

 溜息と伴に思いの丈を吐き出すウィスター。

 その話題の中心人物――ロゼリッタ・ヴルゴーニは、今も自室のベッドで静かに寝息を立てている。それはそれは、とても気持ちよさそうに。

 そんな彼女が一体何をしたのかというと――



 それは昨晩の出来事だった。

 夕飯に立ち寄った酒場で注文した「魔牛ミノスのミルクパイ」が三十分ほど待っても来なかったのに苛立ったロゼリッタが、店の給仕を呼びつけて散々文句を言った挙句、厨房に上がり込み釜戸に火を点けてやるとまで言い出したのだ。

 これには、店の厨房を取り仕切る料理長も癇に障ったようで、

「お客さん、ここは神聖な調理場なんです。勝手に立ち入られちゃ困りますな」

 低くドスの効いた声で少し威嚇するように注意を促した。だが、

「なんだいアンタが料理長かい。あたいが注文したミルクパイがちっとも来ないから訊ねてみりゃ、何でも薪が湿気ってて窯の火が点かないっていうじゃないかい。本来なら賠償金払ってもらっても良いところを、態々こうして火を点けに来てやってんだ。むしろ、ありがたくお思いっ!」

 その言い草に、さしもの料理長の眉間に薄っすらと青い筋が浮かび上がった。

「なんだとこのガキ、下手に出てりゃいい気になりやがって!」

 まるで鬼の形相で上から睨みつけ、その丸太のような硬い剛腕をまくり上げる。

 だが、相手は怯むどころか、むしろ不機嫌そうにその燃えるようなセピアの瞳で睨み返す。パチパチと文字通り火花を散らして。

「あんっ? お前、誰に向かって口きいてんだい? このロゼリッタ様に喧嘩売ろうってんなら、買ってやろうじゃないか。ええっ!?」

 怒声と共に思い切り右足を踏み込む彼女。その途端、足元から焦げた臭いと煙が立ち昇り、虚空から炎渦が生まれ、少女の全身を包み込んだ。

「ひぃっ!」と、それを見た料理長が思わず三歩後退あとずさる。

「はっ、ビビるくらいなら最初っから突っかかって来んじゃないよ。今度、因縁吹っ掛けてきたら消し炭にしちまうからね。このスカチンがっ!」

 ひとしきり言い終えてから、ロゼリッタは窯の方へと視線を移す。

「ふん、薪が湿ってて燃えにくいってんなら、?」

 当たり前のようにそう言うと、少女は右手を窯の入り口にかざして目を閉じた。

 ただ静かに、精神を開放する。


 それは、闇の中で小さく光る魂火ともしび

 赤の象徴にして、宇宙の原初はじまりたる光を生み出せしもの。

 虚空に漂う精霊たちが惹かれあい、新たなる結晶を求めあう。

 生み出せしは、命を喰らいし小さな鬼火ともしび――


 少女が瞳を開いた刹那、窯の中で湿った薪を取り囲むように何もない空間で熱を帯びたオレンジの光が生まれた。それが瞬く間に炎となって薪に燃え移った。

「ざっとこんなもんだ」

 「ひぇぇぇぇぇ」と、一部始終を見届けていたポットや店員たちがまるでキツネにつままれたような顔で少女を見る。

 ロゼリッタは無い胸を張り、偉そうにふんぞり返るとこう答えた。

「あたいはねぇ、焼くのは得意なんだよ。そんなことより、これでようやくパイが焼けるだろ。遅れた分はきっちりサービスするこったね。三人前だ、いいね!?」

「さ、三人前?」

「なんか文句あんのかい?」

「い、いいえ……」

「じゃあ、美味うまいモン期待してるからね?」

 満足気にそう言うと、少女は踵を返して厨房を後にしたのだった。



「まあ、結局あの後あっしらもパイをご馳走になれたから良いじゃないですか」

「あんな騒ぎ起こされた後だぜ? ほとんど喉に通らなかったよ俺は……」

 嘆息混じりにウィスターがぼやいていると、

「ごめんください」

 横合いから突然声をかけられた。驚いて振り向くと、そこには栗髪の『少女』が血のように紅い瞳で彼らを見つめていた。

「や、やあ……こんな朝っぱらから何かご用かな、お嬢さん?」

 そう答えながらも、ウィスターは警戒を怠らなかった。向かいのポットに目配せしつつ、右手をそっとホルスターに伸ばしている。

 それもそのはず、つい先刻さっきまでのだから。

「実は、人を探しています…………もし心当たりがありましたら、教えてほしいのですが……」

 ポットがそっと席を立って二階に上がるのを見届けてから、ウィスターは『少女』に向き直って答えた。

「なんだい、俺の知っていることだったら良いぜ。何でも話しな?」

「ありがとうございます。突然のお願いにも拘らず快く聞いてくれて」

「良いってことよ、婦女子の頼みを聞くのは紳士として当然のことだからな」

 左手で蝶ネクタイを軽く直すフリをしつつ、右手はしっかり腰に当てている。

 「実は……」と、『少女』が言いかけたところで突然何かが爆発したような轟音が響いた。

「ちっ、あの馬鹿……やがったな」

「あの、何か?」

「いえ、こちらの事です」

 思わず口調が丁寧になるウィスター。

 首を傾げる『少女』を余所に、彼は冷汗を流しながらちらりと階段の方を見た。

 心なしか、辺りが妙に蒸し暑くなってきた。

「なんだか、蒸してきましたね」

 気のせいじゃなかった。

 『少女』の台詞から、蝶ネクタイ紳士ウィスターがそう確信した刹那、虚空で炎の槍が生まれた。

 それが『少女』へ目掛けて飛びかかった。

「ひっ」と慌てて身をかわすウィスター。

 『少女』はしかし小声で何かをつぶやくと、何食わぬ顔で一言こう言葉を発した。

 『見えざる神盾エイギス』と。

 『少女』の胸元へ炎の槍が迫ろうとした瞬間、空間に波紋が生まれ――炎はその波に飲み込まれた。

「はぁ? なんだいそりゃ、あたいの獄炎の魔槍グングニールを飲み込んだだと?」

 唐突に上がった声に『少女』は思わず振り仰ぐと、階段の上で十歳前後に見える赤髪の幼い少女が仁王立ちしていた。

 寝起きで機嫌の悪いロゼリッタだ。

「これは珍しい、神通力じんつうりき? いや、人工能力者サイ・ヴォーグといったところか……」

「あん? 誰だお前。訳知り顔でぐだぐだと御託を並べやがって、なんかムカつくねえ。特にその胸っ!」

 びしぃっと少女の豊満な胸をまっすぐ指した指先から、バチバチと火花が飛び散っている。

 『少女』は『少女』で、ロゼリッタの嫉妬にも似た視線を受けて余裕の笑みを浮かべる。

「ふん『結社ウチ』の人間ってワケでもないみたいだけど、その様子だとどっかの組織に雇われたモグリの魔道学者かなんかかい?」

 その言葉に『少女』は、わずかに眉を動かす。そして、

「ハズレかな……」と独りごちた。

「何がハズレだって? 今、お前が使ったの『アマタニアの学術』ってヤツの応用じゃないのかい?」

「ああ、なるほど。を扱うすべがあるとは聞いていたが、これがそうか……」

 自分の手をまじまじと見つめながら、さも初めて試したかのような口ぶりでそう答える少女。

「なるほど、これは便利だ。これなら、この器も傷つけずに済みそうだ」

「さっきから何言ってんだい、お前?」

 少々イラついた様子でロゼリッタが問いかける。

「別に他意はないさ、ただ……というだけだ」

 ふと、何か不吉な予感がロゼリッタの脳裏によぎった。

 一方でウィスターは既に腰から銃を抜いて撃鉄を起こしていた。無論、彼もこれが通じるような相手ではないことは重々承知していたが、援護くらいには成るだろうと踏んだ。

 だから、躊躇ためらいもなく引鉄ひきがねを引いた。


 パン!


 ―─という乾いた音が店内に響く。

 一瞬、『少女』の注意が銃声の方に移る。その隙を突くように、ロゼリッタは手をかざした。

「爆ぜろ!」と一言叫ぶと共に、栗髪少女の周りを囲むように炎が生まれた。

 すかさず『少女』は小さくつぶやく。そして――

魔天の扉クリファポート

 刹那、空間が揺らいだ。そう錯覚したと思った次の瞬間、『少女』の姿は炎の中に消えた。直後に鉛が炎の柱に触れ、爆発が起こった。

 酒場宿の入り口が一瞬にして空洞と化した。火の手は更に広がり、壁や屋根にまで燃え移る。

「おいおい、この馬鹿幹部バカんぶ。どうすんだよこれ!?」

 ウィスターが半ば八つ当たり気味に声を上げる。

「ふん、これしきの事で慌てんじゃないよ。このスカチンがっ!」

 言いながら、ロゼリッタが両手を前に突き出して目を閉じる。

 集中しながら、あるイメージを浮かべる。

 大気に散らばる精霊シルフの子ら、その中でも最も多い元素たましいを炎に収束させて分解する。さらには大気の熱を下げることで、次第に鎮火させていく。結果、一部の屋根や壁が木炭と成り果てたももの、何とか小火は収まった。

「あたいにかかれば、こんなもんよ!」

「何がこんなもんだ。全焼こそ免れたけど見てみろ、外が丸見えじゃねえか!」

「おい、誰に向かって口きいてんだコラ!」

 ロリっ子幹部が眼から火花を飛ばすのを見て、条件反射でたじろぐ蝶ネクタイ。

「い、いや、ですけど……これ、どうすんですか?」

「取り敢えず、『結社』の力でもみ消すしかないだろ」

「もみ消すって、どうやって……」

「昔から言うだろ、冥府の沙汰もなんとやらってな!」

 そう言うと、ロゼリッタはニッと歯を見せて笑った。



 そんな小火騒ぎがあったことなどつゆ知らず、とある酒場の一階ではサシム達が食後の珈琲を楽しんでいた。

「さっき、どっかで物凄い音しなかった? 何かの火薬が破裂したみたいな」

 どこかの爆発が聞こえたのか、人一倍耳の良いルーシアが誰となく問いかける。

「気のせいじゃないのか、俺には鳥の羽ばたく音くらいしか聞こえなかったぞ?」

「わたくしも、そのような音は聞こえませんでしたけど」

「ふーん。まあ、いいか」と、すぐに興味を無くすルーシア。

「それより」と、珈琲を一口飲んでからジーナが話題を変える。

「そろそろ、おじさまにお話しておきたいことがございますの」

「もしかして、昨日言ってた探し物ってヤツか?」

「はい」と答えてから、ジーナは再びカップに口を付ける。

 一息ついて、彼女はこう続けた。

「探し物は二つ。一つは『時の女神を捕えし蛇の銀盤リーリスプレート』と呼ばれるもので、こちらは一般に流通しては困る程度の代物。そして、もう一つ。実はこちらの方が厄介でございまして……」

「厄介?」

「ええ、そのもう一つの方こそが本命の品――魔障の仮面ペルディアーモ――『生ける魔道具エメシスイテマ』とも呼ばれている代物でございますわ」

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