通り魔はどこか朧げで(5)
「しかし、あの若造……妙なこと言ってたな」
夕暮れの酒場通りを歩きながら、サシムがつぶやく。
「あー、被害者が胸に大きな風穴あけられて倒れていたっていうヤツ?」
隣を歩くルーシアが透かさず答える。
取り調べの時は無言のまま呆けているだけだった彼女は、しかし話の内容だけはしっかりと聞いていたようで中々どうして抜け目のない少女だ。
「ああ、それともう一つある」
にやりと笑みを浮かべながら人差し指を立てると、彼はこう続けた。
「足跡一つ残っていなかったって点だ」
「確かに奇妙でございますわね……それに、あのお爺さんだけ無傷で事切れていたというのも気になりますわね」
サシムの左隣りで、ジーナが更にもう一つの要点を付け加える。
「確かに、仲間がやられるのを見てショック死するってえタマでもなかったしなあ。あの爺さん」
サシムが頷いていると、ジーナは「それにしましても」と首を傾げながら一つの疑問を口にした。
「不可解な現象とはいえこれだけの状況証拠がそろっているなら、なぜわたくし達を疑ったのでございましょうか?」
それは、学者としての見識があってこそ浮かぶ疑問だったが、しかし「学」の無いサシムにとってそれは余り気に留めるものでもないのだろう。だから、彼はそれをすんなり流し、誰にでも解る「一般論」を口にした。
「理由は単純だ。奴らは片っ端から関係者だけに的を絞ってかかる。ましてアマタニアの学者だと分かればなおの事、そういう分野に長けた人間から話を聞くのは筋として間違ってはいねえ」
「で、では、それで場所移してまで長い時間拘束されていたのでございますか?」
「茶菓子と珈琲付きでな」と、サシムが付け加えてから続けてこう述べた。
「ま、大して有益な情報を得られなかったのは奴らにとっても誤算だったろうな」
「そうでしょうね。
そこでサシムは眉をひそめた。ジーナはただ微笑むばかりで、その後は特に何も答えたりはしなかった。
「で、おっちゃんはどうする気なの?」
両腕を頭の後ろに組みながら問うルーシアに、サシムは「そうだなぁ」としばし顎鬚をいじってから、やがて口端に笑みを浮かべてこう返した。
「こうなりゃ、いっちょ
「おいお前、さっき頼んだ『
「申し訳ありませんお客様、今焼いておりますのでもう少々お待ちくださいませ」
「こちとら三十分以上も待たされてんだよ。それが呼ばれなきゃ詫び一つしに来ないなんて、一体どうなってるんだいこの店は。ええっ!?」
コルビアに複数ある酒場宿の中に、取り分け大きな煙突が伸びた店が一軒。その入り口手前のテラスを陣取る三人組の客、中でもひと際小柄な赤髪の少女が口から火を吐く勢いで店員に文句を垂れていた。
「実は薪が少し湿気っていたみたいで、火力が上がらないのです」
「はん、そんなこったろうと思ったよ。ったく、仕方ないねえ」
「大変申し訳ありません、只今薪の調達に走らせておりますので今少しのご辛抱を……」
「もういいさ、薪の補充なんて待ってらんないからね」
と、そこで店員はほっと
「申し訳ございません。では代わりに別の品をご用意致しましょうか?」
「はぁ?」と、少女は琥珀色の瞳から文字通り火花を飛び散らして店員を睨み付けた。
「ひぃっ!」
「代替品なんかで満足出来るとでも思ってんのかい。あたいはさ、あれが食べたくて長い間ずーっと待ってたんだからね!」
「ですが、薪を用意するのにもお時間が……」
「だぁぁぁれがそんなこと言ったんだい、あたいは薪を待つ気も代替品も要らないっつってんだよ!」
思わず椅子の上に乗り出し丸テーブルに片足を乗っける格好で、少女は猛然と抗議を続ける。
隣では、蒼いニームのジャケットに蝶ネクタイという奇抜な恰好をした男が傍目でそれを見ながらうんざりした様子でため息を吐く。
いま一人は、ただ呆然とそのやり取りを眺めているだけだった。
「で、ではい……如何いたしましょうか?」
「悪いが、ここの厨房に上がらせてもらうよ」
「そ、それだけはどうかご勘弁を……」
厨房に上がらせるのは流石に店の沽券に障るようで、店員も渋い顔をする。が、
「つべこべ言わずにとっとと料理長に会わせるんだよ」
「い、一体何を……」
少女は左手を腰に当て右の親指を立てながら、自信に満ちあふれた顔でこう答えた。
「ふん、このロゼリッタ様が窯に火を点けてやるって言ってんだ!」
「なんかあっちの店は騒がしそうだな。他当たるか?」
遠巻きに見ていたサシムが、何やら「ああいうのとは関わりたくないな」とでも言いたげな顔で二人に促す。
「おじさま、昨日のお店には行かれないのでございますか?」
「いや、あそこは流石に行き難いだろ。タダで泊めさせて貰ったのに、今朝のことで迷惑かけちまったからな……」
「せっかく仲良くなれたのになー」と両手を頭の後ろで組みながら、ルーシアがぼやく。
「まあ、向こうはあくまでも商売だからな。ひょっとすると今頃、厄介な客だったとか思われてるかも知れねえぞ?」
「そうなの?」
「あくまで一般的な意見だがな」
「なんか世知辛いねー」
「そういうもんさ、社会ってのはな」
少女の栗髪を軽く撫でながら、サシムはどこか寂し気な顔で返した。そこへ、
「あの……」と後ろから若い娘の声が耳に入る。
振り向くと、そこには見知った顔があった。
「ああ、やっぱり昨日のお客様ですね!」
「酒場の、えっと……」
「メイリアです」と名乗り、娘は小さく笑みを浮かべた。
「あ……や、やあ、昨日はどうも」と、どこか気まずそうに返すサシム。
「いえいえ、こちらこそ大したおもてなしも出来ずにすみません」
張りのある声で応えながら、勢いよくお辞儀するメイリア。
昨晩は麻の服にエプロン姿という
「わあ、お姉さんすっごく可愛いっ!」
「ありがとう」
「どこかへお出かけされるのでございすか?」
「えへへ、まあ」
娘は少し頬を赤らめながら視線をそらすと、もじもじと三つ編みにしたお下げ髪を指に絡ませていたりする。
「その様子だと、もしかして男か?」
顎鬚をいじりながら、サシムが少しにやけ顔で言った。
「そ、その……はい…………」
娘は顔を赤らめるも、どこか嬉しそうに微笑んでいるようにサシムには見えた。
「今日は半年ぶりに婚約者が帰ってきてるんです。だから、お店にもお休みを頂いて、二人でこれからお食事に行くとこなんですよ」
『こ、婚約者ぁぁぁぁぁっ!』
三つの声が同時に木霊した。
「あ、あの……何か変ですか?」
「あ、いや、その……ま、まだ若いから、まさか婚約していたとは流石に思ってもいなかったもんで」
「いえ、お、おじさま、世間の水準からみれば婚約していてもおかしくない年齢ではございますわ。え、
「こ、婚約者って、あれだよね。結婚する相手とか……えっと、つまり、お、お、男の人と……い、一緒に暮らし……」
「あの、そんなに取り乱されてはこちらが恥ずかしいですよ」
「ああ、すまんすまん。いやしかし、お嬢ちゃんも隅にはおけねえな。こんな
「いえ、そんな……」
「久しぶりに会うとはいえ、あんま遅くなると君の親父さんも心配するだろうから、まあ夜遊びは程々にな」
「よ、夜遊びって、その…………えっ、えっ!?」
一瞬、サシムが何を言おうとしていたのか理解出来なかったが、すぐさま血流が上がり全身が沸騰するような思いに駆られる娘。
「わ、私たちは神の名に恥じる契りはしてません!」
「あ、お嬢ちゃん聖教徒か。そいつは悪いこと言っちまったな」
「おじさま、今のは聖教徒でなくても禁句でございますよ!」
「やっぱケダモノじゃん」
「えええええ!? 俺、そこまで罵られるようなこと何か言ったっけ……」
女三人に口々に非難され、四十男が年甲斐もなく涙目で項垂れる。
「自覚ないのが世界で最も罪深いことなんだって、母さんも言ってたよ」
「そういえば」とジーナ、周りに目をやりながらメイリアに問いかける。
「二人でとおっしゃいましたが、婚約者の方はどちらに?」
「ああ、彼でしたら……あそこのテラスに待たせてます」
そう言って彼女が指差す方に視線を向けると、一軒の酒場の前で浅黒い短髪に長身の細面が爽やかに手を振っている。蒼い瞳の映える切れ長の眼と太い眉毛が力強さを印象付けている。
「まあ、これは素敵な殿方ではございませんか」
「良い人そうだね」
「ふん、まあまあかな」とサシムはしかし、腕を組みつつなぜかそっぽを向いていたりする。
「でしょう! 私のヒーローなんですから」
「ヒーロー?」とルーシアが聞き返す。
「ええ、彼はこの
「そーなんだ」
「はい、それで昔彼に助けてもらったことがあって……それからお付き合いしていく内に……」
「お互いに惹かれあったと?」
ジーナの言葉に無言でうなづく娘。
同じく無言で、サシムが店先の男をじっと観ていた。
「……………………」
「どうかなさいました、おじさま?」
「いや、なんでもねえさ」
「ほぇ?」と、そんなサシムにルーシアも首を傾げる。
「じゃあ、俺らもそろそろ行かねえとな」
「あ、すみません足止めしてしまいまして」
「いいや、こっちこそ。また飲みに行くよ」
そう言って踵を返し、後ろ手に手を振るサシム。
「はい、またお待ちしております」
「では、ごきげんよう」
「そいじゃ、メイリアさん頑張ってね!」
「は、はい……ありがとうございます」
それぞれに挨拶を交わしてから踵を返すと、娘は元気よく手を振ってテラスの方へと駆けていく。
そこで一度立ち止まると、サシムは振り返りざまにメイリアの背を見送りながら、独り小さく呟いた。
「ああいう手合いとだけは
「すっかり遅くなってしまったな」
「ええ。でも見て、星があんな綺麗に光ってるわ」
その夜は、とても奇麗な蒼月が冷たく照らしていた。
連日にも増して冷え込み、まばらな星々が遥か高い
「本当だ。まるでその水晶の様だ」
そう言って、彼女の首元に突けたブローチをそっと指先で撫でる。
そして男はそのまま指を娘の顎の辺りまで這わせ、小さな唇に軽く触れた。
わずかに漏れる白い息で親指を湿らせて、男はゆっくりと顔を寄せる。
蒼き月光の下で、二つの影が重なり合っていた。
「好き」と小さくつぶやく乙女は、次の言葉を心待ちにしながらその青い瞳で彼を見つめていた。そして、その言葉は放たれた。ただし、
「いいねえ、月下に戯れる二つの魂。これはさぞかし美味であろうな……」
それは彼らのすぐ横にある酒場宿の屋根の上から。
「な、なんだ君は! いきなりやって来て無礼ではないか!」
「これは失敬。吾輩はただの通りすがりの魔法使い。今宵も良い月だね。美しさの余り、思わず寒空の下に誘われてしまう。そうは思わないかい?」
その影は、ゆらりと音も無く舞い降りた。目の前に立っているにも拘らず、何かの仮面を付けていること以外はっきりとした特徴もなく、まるで闇をまとっているかのように不定形で不気味な存在。ただ、ぼんやりとではあるがそれは人の形をしていた。
「な、何を……言っている?」
男は娘を庇いつつ、その影から距離を置くように一歩ずつ
「気にするなよ、ただの戯れだ。それより」
影は懐の位置から銀色に光る小さなメダルのようなものを取り出した。
「せっかくの拾い物だ。こういうのは色々と試してみなければ面白くない…………だろう?」
それは「女神の身体に巻きつた蛇」を象った手のひらサイズの円い
「さて、君たちはこれに抗えるかな?」
その夜は、とても奇麗な蒼月が冷たく照らしていた。
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