通り魔はどこか朧げで(4)
「この度はご無礼の段、謹んでお詫び申し上げます」
セアト署の入り口で、深々と頭を下げるウェスティール。
「頭をお上げになってくださいませ。誰にでも、間違いはございますわ」
本人に悪気があるワケではないのだが、端から見ると「間違い」を強調しているようにも聞こえる言葉で返すジーナ。
「そういうことだ兄ちゃん。大した証拠もなしに疑われて少々不愉快な時間を過ごしちまったけど、ま、誤解も解けたことだし、次から気を付ければそれでいいさ」
と、こちらは寛大な素振りを見せつつ、しっかりと皮肉を入れるサシム。
そんな大人たちを
空は既に朱色に染まり、薄っすらと小さな星がまばらに灯る。
「あーあ、もうこんな時間だよ」と、歩きながら革パンのポケットから取り出した
「あの野郎、しつこく聞きまくりやがって」
「まあまあ、涼しいお部屋で珈琲に
「ま、それに関しちゃあ申し分ねえけどな。結構贅沢な思いをさせてもらったし」
中世の楔から解き放たれ、ようやく大陸中に近代化の風が吹き始めたこの時代、大抵の機械設備がアマタニアの技術に依存しているためか、極限られた層でないとその恩恵を受けることが出来ず、夏涼しくて冬暖かく過ごすなど贅沢そのもの。
もっとも、そのアマタニアの『学会』に身を置くジーナは逆にそれが当たり前になってもいる
「せっかく、今日は嬢ちゃんのグローブ買ってやるって約束してたのによ」
「ボクは構わないよ、また明日買ってくれればさ」
「すまねえな、嬢ちゃん」
「良いって良いって、それより覚えててくれてありがとう、サシムのおっちゃん」
そう言って、ルーシアは屈託のない笑みを浮かべた。
「お、どうやら
セアト署から少し離れた廃屋の二階を占拠して遠眼鏡を覗いていた小男は、官署を出たサシム達の姿をレンズの先に捉えると後に控えている蝶ネクタイをした長身の男に声をかけた。
「ようやっとお出ましか」と、その男――ギオ・ウィスターは両腕を擦りながら小男に近寄ると、彼の持っていた遠眼鏡を奪って標的を視認する。
すっかり日も落ちて凍てつく風が肌を撫でる。宵の口辺りになると、北東にある海岸の方から流れる冷風がこの
「こんな所に半日も待たせやがって、おかげでこっちは風邪ひいちまいそうだ」
「旦那、そいつはいくら何でも理不尽ってモンですぜ。何せ向こうは、あっしらのことなんざ気づいてすらいねえんですから。それに途中、交代で昼飯食いに行ったりしてたじゃないですか」
ウィスターのぼやきに応えながら、小男は布の下から銀水筒を取り出す。その水筒から、同じく腰にぶら下げていたカップに珈琲を注いでウィスターに手渡した。水筒の口からは真っ白な湯気が立ち上っていた。
「そりゃそうだ……っと、悪いなポット。寒い時はコイツが欠かせねえぜ」
「ところで、例の応援とやらはいつ頃来ることになってんですかい?」
「ああ、予定じゃあもうすぐ着くハズなんだが……って、なんか熱くなってきやがったぞ?」
「そりゃ、この銀水筒に入れた珈琲ですからねえ。冷え込んだ身体もすぐに温まりますわ。しかし『アマタニアの技術』ってのは大したモンですね。こんな保温機能の付いた水筒なんか、どうやったら作れるんですかねえ」
「いや、それにしちゃ熱過ぎやしねえか?」とウィスター。
いつの間にか、身体中から汗が噴き出ていた。彼だけではない、隣のポットという小男の顎下あたりからも塩っ気のある水が滴り落ちている。
「なんでしょうね。誰か暖炉に火でも付けているんですかね?」
「誰かって、俺たち以外に誰がいるんだよ」
「ぬっふっふっふ……」と、唐突に背後から不敵に笑う少女の声が聞こえて来た。
「あん?」
ウィスターが反射的に振り返ると、そこには――――
「待たせたな、ウィスター君。来てやったぜ、このロゼリッタ様がなっ!」
真っ赤なマントの下に赤いノースリーブのワンピースで身を包み、癖のある燃えるような長い赤髪と釣り目がちな眼に琥珀の瞳を湛えた小柄な少女が腕を組んで仁王立ちしていた。その身の丈はポットよりも更に頭一つ分低いが、その尊大さたるや、まるで何処かの王侯貴族のようだった。
「な、本部の言っていた応援って…………お前のことかよっ!」
「お・ま・え?」
ぴくり……と、少女の紅蓮の眉が片方だけ跳ね上がる。
「おい下っ端、幹部に向かってなんだいその口の利き方は? あたいじゃ不服だってーのかい?」
鋭い目つきを一層尖らせて睨み据える少女。その焼き付けるような眼光を前に、ウィスターは思わず身をすくめた。
「いや、何でもない………………です…………」
「ふん、せっかくこの可憐で最強なあたいが態々出向いてやったってのに、随分なご挨拶じゃないかい」
「あのぉ旦那、この小娘は一体?」
ポットが訊ねると透かさず、
「ああん、なんだいお前は? 名乗りもせずに人のことを小娘呼ばわりたぁ、随分無礼でないかい、えぇっ!!?」
少女は思い切り右足を踏み込んで凄んで見せた。すると、同時に全身から文字通り火が噴き出した。
「ひっ!」と、慌ててウィスターの後ろに隠れるポット。
「お、おいそこの
「じゃっかぁしいんだよ、このスカチンがぁ! 毛穴の奥までチリチリに焼きむしんぞコラぁ!」
「いや、そ、それはちょっと…………か、勘弁して下さい」
至極真っ当な抗議の声も怒りの『炎』に身を焦がす少女には一切響かず、逆にジリジリとにじり寄られ、まるで蛇に睨まれた蛙のように大人しくなる蝶ネクタイ。
「たかが
「解りやした、俺が悪かったです。猛省しますんで、どうか怒りをお鎮め下さいロリゼッタ様!」
「誰が『ロリ』だ、わざとらしく間違いやがって。あたいの名はロゼリッタだっつってんだろ!」
「へいへい、ロゼリッタ様」
「ふん、まあいいさ。そんなことより仕事だ仕事。何つったっけ、例のヤツ?」
「サシムですよ、サシム・エミュール。『
「今見れるのかい?」
「どうぞ」と遠眼鏡をウィスターに手渡され、まじまじと筒の中を覗き見るロゼリッタ。
「へえ、あれが。どんなスカチン野郎かと思えば、結構イイ男じゃないかい」
「けっ、この中年好きが……」
「なんか言ったかい?」
「何でもありあせん」
「ところで旦那」と、そこでポットが口を挟む。
「どうした?」
「つかぬことをお伺いしますが、この小……ロゼリッタさんも『
「ああ、こんなのでも一応俺より全然偉い幹部様の一人だ」
「おい、どさくさに紛れて『こんなの』とか言わなかったかい?」
聞こえてはいるが、ロゼリッタの抗議を無視するウィスター。
「幹部ってことは、本部の方からわざわざ?」
「ああ、そうだな……」と、なぜか少し濁すような口調で答えるウィスター。
「そういやあ、本部って何処にあるんですかい?」
「ちっ」と内心舌打ちしつつもどう答えようかと思案していると、
「ぬっふっふ、アマタニアと同じ大陸中央の方さ」
そこで自慢げに小さな胸を張って答えたのは、赤い長髪を炎のようにはためかせる少女ロゼリッタだ。
「あのバカ……」と、手を顔に当てて嘆息するウィスター。
「中央!? こっから船で行っても半月以上かかる距離じゃないですか!」
「なんだいお前、
「えーら?」と首をひねるポット。
「待て待て待て、コイツは外の人間なんだ。そんな超科学の代物なんぞ知るわけねえでしょうが!」
「そうなのかい?」
「はぁ、これだから引き籠りは……いいですかロリ……じゃなかったロゼリッタ様、俺達が何気に使っている『骨董品』の数々もこの辺じゃ近代兵器みたいなもんなんですよ」
「おいお前、いま絶対わざと間違えたよな?」
「何の話か判りかねますが、それより今は奴を追うのが先ではないですか?」
「ちっ」と舌打ちしつつ、ロゼリッタは仕方なしに再び遠眼鏡を覗く。
「しかし、見れば見るほど色男だね……って、なんだぁ? あたいのサシム様にくっついている栗髪の革ジャン小娘と紫髪の青服ババアは?」
「さ、サシム……様ぁ!?」
「あん? なんか文句あんのかい?」
「大ありだこの
「うっさいねぇ、いちいちバカバカ言いやがって。あたいはこう見えても幹部なんだよ。下っ端のお前なんかより知能指数は上なんだからねっ!」
「知能指数は……だろ? だから
「へいへい、頭の悪ぃ部下ですみませんね。それでロゼリッタ様、結局奴らを
皮肉を言いつつ、何気なく質問するウィスター。
そう、彼らはサシム達を見張れとは言われただけで、その後どうするかは何も知らされていないのだ。
対するロゼリッタの言葉は意外なものだった。
「取り敢えず、まずは観察しろ。そして、使えるようなら『
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