通り魔はどこか朧げで(3)
「殺人?」と、怪訝に眉をひそめるサシム・エミュール。
ここはコルビアでもひと際大きな酒場通りだ。
酔っ払い同士の喧嘩は日常茶飯事、傷害事件など珍しくもない。だが、殺人ともなれば流石に大事だ。
しかも、その重要参考人として同行しろだと?
当然、サシム自身はそんなこと身に覚えも無いのだが、その巡査長と名乗る男は現に彼らの前に出てそう言ったのだ。
一瞬、その若い巡査長がルーシア達の方を一瞥する。
「ほぇ?」と、栗髪の少女が同じ色の細い眉をひそめる。
警官は再びサシムへと視線を戻した。
「はい、ついそこの通りで複数の傭兵崩れの男達が遺体で発見されまして、そこにいる彼女達が、昨晩、彼らと揉めていたのを周囲の者達が目撃していたという情報がありましてね。念のため、事情をお伺いしようと思いまして」
「ああ、昨日のあれか……」
つぶやきながら、サシムは額に手を当てて沈鬱そうに溜息を吐く。
「でも、あれは正当防衛って奴だぜ、それに誰も死んじゃいな……」
「話は署で伺います。それに我々が用があるのは、そちらのお嬢さん達です。あなたには関係ありません」
「あん?」
話を中断させられた上に無関係だなどと言われ、サシムの眉がピクリと跳ね上がった。その額に、うっすらと筋のようなものを浮かばせて。
「おい、若いの。俺は、この子達の保護者だ。そして、彼女たちは見ての通りまだ『子供』だ。なら当然、俺には同行する義務ってモンがあるだろう?」
実際のところ、一人は既に二十歳になっているので半分は嘘みたいなものだが。見た目と世間知らずな所を鑑みれば、まだ「子供」と言っても差し支えない。言うなれば詭弁である。が、時にはそういう詐称スレスレの方便も使いようというワケだ。
「ふむ」とウェスティール巡査長は困ったように人差し指でこめかみの部分を二、三度軽く叩いてから、
「ま、良いでしょう。同伴を認めましょう。ただし、これであんたも容疑者として扱われる事をお忘れなく」
「おいおいおい、やっと姿見せたと思ったらあの野郎、
少し離れた建物の陰で様子を見ていた蝶ネクタイの男は、サシム達が警官隊に引きつられているのを見て頭を抱える。
「こりゃ参りやしたぜ旦那。いくらあっしでも、流石に国権の及ぶところにゃ手出し出来やせんですぜ」
「ちっ、面倒なことになったな……仕方ねえ、一応
嘆息交じりにそうつぶやくと、蝶ネクタイは懐から銀色に光る円い物体を取り出した。
鎖でつながれたそれには、表面に『逆五芒星の中心から覗く神の瞳』を象った紋章が彫られていた。
鎖の根元にある小さなボタンを押すと、表面のふたが前倒しにぱかりと開いた。
ふたの裏側には
「コード……ヌン、ラメド、ヴァヴ、へー、アレフ、ギメール、ヘット……」
指で中の銀盤を軽く擦ってから、何かをつぶやく。すると、時計が左へと横滑りに移動し、そこから小さな人の頭が浮かび上がった。目深に被った黒いフードの下に
「ウィスターです。例の奴を見つけました」
そう言って、ウィスターと名乗った蝶ネクタイは仮面に向かい恭しく敬礼する。
『ほう、それで?』
「見つけたには見つけたのですが、その……少し厄介な事件に巻き込まれたみたいでして……」
『なんですか、言いなさい』
歯切れの悪い蝶ネクタイに、仮面は少し突き刺すような声音で、しかし口調の方は変えずに促した。
「その、実は今朝ここで複数の死骸が発見されたのですが、どうも奴らそれと関連があるようで警官隊に連行されてしまいました。如何いたしましょうか?」
『なるほど、それは少々面倒なことになりましたね』
「はい、まったくでありますっ!」
半ば大げさな口ぶりで、相槌を打つウィスター。
『ウィスター君、とりあえず君は引き続き彼らを追いなさい。ただし、決して気付かれないよう官署の外から様子を見ていなさい。後でそちらに応援を向かわせますので、定時報告を怠らないように』
「イエッサリー!」と、再び敬礼するウィスター君。
『ではウィスター君、良い報告を期待してますよ』
言い終えると、
「あっつぅ~いっ!!!」
スカーフを緩めながらパタパタと仰ぐ素振りで訴えかけるルーシア。
セアト署の取調室は湿気が籠り易く決して居心地が良いとは言えなかった。
窓といえば申し訳程度に小さい天窓が空いている程度だ。特にこの日は気温も高く中は蒸し風呂のようで、居るだけでも体力を削られてしまうくらいだ。
「おい兄ちゃん、なんとなんねえのかこの暑さ!」
真ん中のサシムがイラついた口調でウェスティール巡査長に愚痴を零した。
だが、向かいで制服を脱ぎ胸元までシャツのボタンを開ける若い巡査長は、ややウンザリした様子で返す。
「仕方ありませんよ、ここは元々保安官詰所だった建物をそのまま利用しているだけですからね。諦めて下さい」
巡査長の言葉に、サシムの左に座るジーナがすかさず反論した。
「設計ミスもいいところですわね。このような板張りの壁で覆われていては湿度も上がりますし、通気孔もないから空気の循環も悪くて淀んでしまいますわ。これでは体を壊してしまうではございませんか」
「あー、一応言わせてもらうが、あんた達は自分の立場ってものを解って言ってるのかな?」
こめかみの部分を指で押さえながら、向かいに座るウェスティール巡査長が問い質す。
「存じておりますわ。むしろ、あなた方こそお解りでございますか? 心身の衛生管理は人として守られるべき最低限の尊厳です。それが保証されないのであれば、たとえ大陸法で裁かれても文句はございませんわよね?」
「そっ、それは……そうですが…………」
都市の治安などについてはそれぞれ独立した『都市法』が敷かれているが、基本的人権など風土や人種を超えて共通する問題については、一部を除き『大陸法』と呼ばれる国際法に基づいて取り決めがされていた。
造船技術の発達などにより、海路を使った交易が盛んに行われるようになって約一世紀半。その間、国際意識が高まった国々が中世的世界から脱するため、かの『学術の都』が推進してきた都市国家化の導入、それに伴う『都市法』の制定、そして国際社会への参加権を得る手段として『大陸法』を我先にと受け入れる都市が相次いだ。その結果、後々起こり得たであろう人種差別などの問題も解消されつつあった。もちろん全てが上手くいっているわけでもなく、一部では帝国思想を掲げる地域もあり、植民地とした島の原住民と争うような国もある。
しかし、コルビアは国際社会に参加する都市国家の一つだ。彼女の言うように『大陸法』の影響も当然受ける。
「では、場所替えをお願いしてもよろしくて?」
「このアマ……あんま調子に乗ってんじゃ……」
堪りかねて、巡査長の脇に控えている若い警官が吠える。が、ジーナは慌てた様子もなく、腰の辺りに括り付けた鎖を引っ張る。ダークブルーのスカートのポケットから現れたのは、銀色に輝く
我が証をここに示せ――
すると、銀盤の文様が淡く光り、それに反応するように時計が右に横滑りに移動して、そこから新たに映し出されたのは彼女自身の顔と何かの光文字。
『
「ふ、風水教授……?」
「あ、『
「改めまして、わたくしアマタニアの『学会』に名を連ねる風水学者ジーナ・エイベルンでございます」
やんわりとした口調でほほ笑む紫髪の娘。その奥に底知れない怖さを覚えて後退る若い警官。
巡査長も息を呑みつつ、一言だけこう返した。
「で、では、応接室へご案内いたしましょう。エイベルン教授」
「はい、よろしくお願い申し上げますわ」
ほんわかな雰囲気のまま、彼女は会釈した。
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