その3 通り魔はどこか朧げで
通り魔はどこか朧げで(1)
闇は静かに冷たい眠りへと誘い、やがて地平の彼方から暖かな光が小さく灯る。
それは、新たな「はじまり」を告げる道しるべのように。
真っ白な朝霧に包まれたコルビアの大通り。
その黄土の上に転がる複数の躯は、一体何を語っているのだろうか。それを知り得るモノは、最早何処にも残ってはいなかった。
ただ一人、老兵の右手に握られた黒い布の切れ端を除いては。
朝、それは微睡から現世へと魂を呼び戻す刻限。
見る夢が幸せな物であればあるほど、温もりを手放さねばならぬ苦渋は増す。
愛しの白いシーツと枕を惜しみつつも、少女はゆっくりと起き上がった。
朝日の訪れと共に目覚める習性は決して悪くはないのだが、今朝ばかりは仕込まれたこの習慣が恨めしい。とりあえず目覚めた以上は観念してベッドから身を起こすことにしたというワケだ。
「ふわぁぁぁ、おはようって……ほぇ?」
ふと寝ているであろう隣人に一応の挨拶を送ったが、そこで寝返りを打っているのは枝毛一つない奇麗な紫の長髪を垂らした女が一人。
ルーシアは、今一人の姿を探して辺りを見渡した。が、
「いない…………?」
ぱちくりと瞬きしながら口元に指を当てて考えてみるが、そうしたところで答えが出るワケでもない。なので、
「まぁいいや」と、頭を切り替えてベッドから抜け出すことにした。
シーツを剥いで足を出す。床が微妙凸凹している気がしたが、彼女は気にせず起き上がり、
「痛てぇっ!」
「ほぇ?」
突然下から上がった大声に驚いて飛び退いた。
「ぐぇっ!」と、うめき声がする方に目をやると、そこには床に這いつくばっているサシムの姿。
「あ、おっちゃん、そこにいたんだ」
「いってーなぁ……『そこにいたんだ』じゃねえだろ!」
「あはっ、ごめんごめん。そんなとこで寝てるなんて思ってなかったからさ。ていうか、なんで床なんかに……て、もしかして踏まれるのが好きとか?」
「んなワケあるかぁ!」
「違うんだ」
「お前なあ。もしや、嬢ちゃんが持つ男の基準ってヘンタイかケダモノしかないんじゃないだろうな?」
「そんなことないよ。だってボクの父さんは優しくてカッコ良いし」
「おまけに
「あ、でも爺ちゃんはヘンタイかも」
「ひでぇな……実の孫娘にヘンタイ認定される爺さんって……」
「でも感謝はしているよ。だって、ボクの
「ああ、そうだったのか。あの剣……って、嬢ちゃんの家って鍛冶屋なのか?」
「まぁねー」とベッドに腰かけて答える少女。
「そういえば、おっちゃんの家族はどんな人たちなの?」
「俺か……そうだな、俺の家族は……」
ルーシアの何気ない一言に、サシムは床に腰を下ろしたまま少し口を濁した。
「…………いない」
「ほぇ?」
「今はな…………そのうち、どこかで会えるかもしれないけどな」
「ふーん。よくわかんないけど、おっちゃんは今寂しいんだね」
「な、なんだよ……」
サシムが訝しげに眉をひそめる。と、不意にルーシアが立ち上がり、サシムの後ろに回り込む。そして、
ぎゅっと抱き着いた。
「なっ、何すんだ。いきなり!」
「こうするとさ、寂しくなくなるって。母さんが言ってたよ」
「……………………ガキのくせに、生意気言ってんじゃねえよ」
言いながら、サシムは頬を少し赤らめつつそっぽを向いて口を尖らせた。
少女の膨らみかけの胸元から、波打つ鼓動を感じながら。
「ふぃ~、すっかり飲み過ぎちまった……」
霧が薄くなり始めた刻限。
足取りも覚束ないまま、男は一人家路へ向かう。
頭を押さえているのは、いまだ昨夜の酒が抜け切れていないからだ。
野良仕事で付いた太い手足を揺らし、視界の悪い道をふら付きながら、ただ暖かい飯とベッドが待つ家を目指して。
「のわっ!」
不意に足を取られ、つまづく男。
「なな、なんだぁ?」
へたりこんだまま足元の方を見る。
「なんだ、おい……爺さん、そんなとこで寝転がってんじゃねえよ」
転がっているそれを揺さぶりながら、酒臭い息でつぶやく。
「しょうがねえな、いい歳して潰れるまで飲んでんじゃねえよ」
頬を叩き、そこで違和感を覚える。
「なんだ、随分肌が硬いじゃねえか。それになんか冷た…………!?」
言いかけて、男は徐々に青ざめていく。
アルコールも血の気も一気に引いていくように。
「し、しし死んで…………ひっ!」
慌てて遠ざかろうと這い下がる。そこで、右手が別の何かに触れた。
「ひいいいいいいいいっ!」
そして晴れていく視界の先に、まばらに転がった躯の群れが現れた。
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