トラブルはつねに憑き物で(5)


「こちらのお部屋をご用意させて頂きましたので、ごゆっくりお過ごし下さい」

 そう言って、満面の笑みを浮かべながら会釈するウェイトレス。

 酒場の三階にある一番高い部屋へと案内されたサシムは、広々とした小奇麗な室内で肝を冷やしていた。

「気持ちはありがたいが、なんていうか落ち着かないな」

 そうぼやく彼は、懐に手をやりながら中に入れた革袋を弄っている。

 何とは無しにその様子を目端に留めつつ、彼女は笑顔で補足する。

「あのお代でしたら、お支払い頂かなくても大丈夫ですよ。この度はお嬢様に危ないところを助けて頂いたお礼をと店主の方に掛け合ったところ、滅多に予約の入らないこのスイートが空いておりましたので」

「お嬢様?」と、サシムは思わず隣にいるルーシアに視線を送る。

 しかし、件の少女も何のことか解らないようで、ただ瞬きを繰り返すばかり。

「あの、失礼ですがお連れの方はエミュール様の娘さんでは?」

「あ、ああ、そういう意味か」

 サシムは頷きながら、ふと、今もどこかで平穏に暮らしているであろう自分の娘のことを思い出す。


 ああ、あの子もちょうど、このくらいの年齢だったな。


 ルーシアの方をじっと見ていると、彼女が「ほぇ?」と小首を傾げた。

「ま、連れではあるがな……」

 サシムは無精に伸ばした顎鬚ビアードを指でつまみながら、片眉を跳ね上げる。

「ともあれ、宿泊費がタダなのは助かるよ。恩に着るぜ、姉ちゃん」

 片手を上げながら礼を言うサシムの傍で、白い手が長旅で汚れている彼の外套マントを二回引っ張る。

「ねぇねぇ、今日はここに泊っていいってこと?」

「ああ、そういうことらしい。嬢ちゃんのお陰でな」

「ほぇ?」と、よく解っていない様子のルーシア。

「あのぉ、わたくしもこちらで宜しいのでしょうか?」

 後ろから、おずおずとふくよかな膨らみを持て余すおっとり娘が割って入る。

「あ、そうですね、失礼しました。た、直ちに別のお部屋を…………」

「いえ、そうではなくてですね、その…………おじさまがご迷惑でなければ、一緒の部屋でお願いしたいのですが……」

 もじもじと、ジーナ・エイベルンは俯き加減で問う。

「え? あ、いや、ジーナちゃんがそうしたいなら、俺は別に構わないけど」

 少しズルい返事の仕方だと自覚しつつも、彼女に判断を委ねるサシム。

「では、お言葉に甘えまして、ご一緒させて頂きますわ。サシムおじさま」

「お、おう」

 あっさりとお願いされてしまい、戸惑いつつも苦笑する四十男。

「そいじゃぁ、今夜はジーナさんも一緒だね」

「はい、よろしくお願いします。えっと……」

「ルーシア、ルーシア・レアノードだよ。よろしく!」

 屈託のない笑みを浮かべると、ルーシアは左手を差し伸べる。

「はい、ルーシアちゃん」と、ジーナもその手を握り返した。

「では皆様、ごゆっくりお過ごし下さい」

 そう言って深くお辞儀をすると、ウェイトレスは名残惜し気にその場を去って行った。

 部屋に入り、真っ先にベッドの上に座り込むルーシア。

 真っ白なシーツの上から柔らかな感触を愉しみながら、彼女はジーナの方に向き直る。

「でも良かったよ、ジーナさんがいて」

「あら、それはまたどうして?」

「だって、いきなしサシムのおっちゃんと二人っきりで寝泊まりなんて、なんだか落ち着かなさそうだし」

「安心しな、俺はガキには興味ねえから」

 透かさず、サシムが茶々を入れてくる。

「なんでか知んないけど、今すっごく失礼なこと言われた気がする」

「ま、もう少し大人になったら考えといてやってもいいけどな」

「ボクにも選ぶ権利ってモンがあると思うけど?」

「こいつは手厳しいな」

「それに、ちょっと気になることもあるし」

 そう言って、ルーシアはジーナの綺麗な瞳を真正面から見つめる。

「気になること?」

「うん。ジーナさんって、サシムのおっちゃんとどういう関係なのかなって?」

「ああ、そう言えば話してなかったな」

 サシムが相槌を打つ。

「ジーナちゃんは、俺の古い友人の娘さんで『学会』の風水教授でもあるんだ」

「ほぇ、『学会』っていうとアマタニアの?」

『学会』とは大陸学術を統べる機関のことで、ルーシアがそう訊ねたのはその本部がアマタニアに置かれているからだ。

「改めまして、ジーナ・エイベルンです。教授って言っても、そんな大した物でもございませんのよ。まあ、せいぜいが運気を操る程度しか出来ませんから」

「運気?」とルーシア。

「はい。わたくしの最も得意とする学術分野で、磁木線香マグニヒュームという磁気を帯びたお香を焚いて空間に漂う運気の流れを操ることで意図的に幸運を呼び込む研究をしておりますの」

「よくわかんないけど、それって本当に科学なの?」

「もちろん科学です!」と力強く断言するジーナ。

「風水学の基本は地理を読むことです。地形や建物の構造と配置、道筋などからその地に流れる気流や地脈、その方位などを計算し、力の流れを読み取るのでございますわ」

 少女には全く理解不能な理論を述べて熱弁を振るうジーナ。

 それを端で眺めながら、サシムは大きく欠伸をする。

「いまいちさっぱりだけど、さっきの甘い匂いで運気を操ってたってこと?」

「はい」と満足そうに肯くジーナ。

「それより、俺はお嬢ちゃんの剣の方に興味があるな」

 退屈そうにしていたサシムが割って入った。

「ああ、これ?」とルーシアが背負っていた剣のベルトを外して前に出す。

 鍔の所に前後で二本の突起が付いている変わった形をしている剣だ。

「こいつの銘は『仕込み銃剣タネガシマ』っていって、母さんから譲り受けた大事な相棒さ!」

 得意げに剣を掲げるルーシアに、サシムが一言つぶやいた。

「年頃の娘が瞳を輝かせながら言う台詞じゃねえな…………」



 夜の風は冷たく、闇に瞬く星は蒼白く、そして灯りの消えた街を薄く照らす半月は蒼き光をまとっていた。

「ああ、美しい。月は上弦と下弦、そして満月になると血のような魔性の深紅へと染まることがあると云うが、今宵のような白き蒼月も捨てたものではない。そうは思わないかい?」

 空樽に腰を掛けるそれは、静かで冷たい眼差しを銀色の円いレリーフに向けながら、靴底を白髪上に押し付けていた。

「き、貴様……返せ、それはわしらが見つけた……」

「滑稽だな。これは貴君には相応しくない故に、吾輩が貰い受けるとしよう」

「か、勝手なことを……言い……お……る……」

 一言そうつぶやくと、老いたノルム人の男は足元で静かに瞳を閉じた。

「ふふふふ、今宵も闇が心地よい」

 意味深げに独りごちる影は、雄大な天空を愛おしく眺めていた。

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