トラブルはつねに憑き物で(4)


「さあ、その剣を捨ててもらおうかの?」

 銃を片手に不気味に笑う老人。その銃口を柔らかなジーナの胸に食い込ませて。

「えぇっと……」

 人質の少女は下唇に指を当てながら、おどおどと目を泳がせている。

 そして、ルーシアは頬をかきつつ剣の柄に隠れている方の突起を下げてから、言われた通り剣を下に置いた。

「卑怯だなどと思うでないぞ、これがいくさというものじゃて」

「解ってるよ。戦場で油断した奴が悪いって、いつも母さん言ってたし」

「なら話が早い。では、次にどうするかも解っておるな?」

 老人の声が低く、膨らみかけの少女の胸を刺すように鋭く響く。

 その眼の奥に、邪な光を湛えたままに。

「はいはい、解ってますよー」

 ルーシアは、半ば観念したように手を上げて頭の後ろに回す。

「よろしい。それじゃあ」と老人がねっとりとした笑みを浮かべる。

 その蛇にも似た眼光に、少女は一瞬頬の辺りを引きつらせる。

 ふと、仄かに焼けたような香りを彼女の鼻先が捉える。風上に立つは、老人と捕らわれの少女ジーナの姿。その少女の衣服から、甘い香の匂いが漂っていた。

 そして、意気揚々と老人が銃口を下げて歩み寄り――刹那、ルーシアが足元の剣を蹴り上げた。

「なっ、貴様!」

 ルーシアは宙に舞う剣の柄を右手でつかむ。

 一瞬の隙を付かれ、慌てて銃を構えなおす老人。息を呑む野次馬達。

 そして、白い指が引鉄を引いた。


 パン!


 一発の銃声が、コルビアの大通りに甲高く鳴り響く。


 沈黙が支配する中、重々しい音を立ててくろがねの長物が地に落ちた。

 肩口から指先にかけて滴り落ちる鮮血。ぽたりぽたりと雫が土を打つ。

 そして、愕然とした表情で

 視線の先で横向きに剣を構えるルーシア。その柄の先から、微かな硝煙が消え残っていた。



 サシム・エミュールはグローブをした拳を構えたまま、しばし硬直していた。

 連れの少女が無策に飛び出したまでは良い。

 荒くれ共が婦女子に乱暴していたところを目の当たりにして、思わず体が動いたのだろう。そういう行動を躊躇なく取れるというのは美徳というものだ。

 だが、いくら彼女が強いといっても所詮は素人に毛が生えたレベルの話。複数のそれもかなり腕の立つ傭兵たち相手では、いいようにあしらわれて最悪罠を仕掛けられて捕まることも十分予測できた。

 だが、サシムは彼女の実力を見誤っていたようだ。

「おいおいおい、俺の出番無しかよ。せっかく良い策を思いついたってのに……」

 などと意気消沈のあまり愚痴をこぼして項垂れる四十男。だが、いくら悔やんだところで、時間が巻き戻るワケでもない。

 この『世界』に魔法など存在する筈もないのだから。

「しゃあねぇか」と気持ちを切り替えて立ち上がるサシム。と、そこで、ふと目を止めた。

「あれ、もしかしてジーナちゃん?」



「危ないところを助けていただきまして、ありがとうございます」

 深々とお辞儀をするジーナ。垂れた紫の長髪から、仄かに甘い香りを漂わせて。

「どういたしまして」と、ルーシアも頭を下げる。

「本当になんとお礼を申し上げたら良いか」

「お礼なんて別に良いって。ボクもちょうど退屈してたトコだし、身体も疼いてたからね」

「私からも」と、横合いから今一人少女が声をかけてきた。

 先刻酒場の中で絡まれたウェイトレスだ。

「お姉さんも危ないトコだったね。ホントあのスケベオヤジどもと来たら、とっとと役所にでも突き出しちゃった方が良いかも」

「残念だけど、そいつは俺らの仕事じゃねえな」

「あ、おっちゃん」

 ルーシアが振り返ると、指で頬を撫でながらサシムが寄ってきた。

 彼はジーナの方を見ると、少しはにかみつつ軽く咳払いする。

「あ、やあ、しばらくぶりだね。ジーナちゃ……いや、エイベルン教授」

「サシムおじさまっ!」

 帽子を軽く上げて会釈する中年男の顔を見た途端、ジーナは両手を口元に当てながら嬉しそうに声を上げた。

「ご無沙汰しております。お変わりありませんか、おじさま」

「ああ、相変わらず着の身着のまま、賞金を追って大陸を東へ西へと旅する日々さ」

「まあ、まだそんな危ないお仕事をなさっておいでですか。もし、お怪我をされるようなことがあったら、一体どうなさるおつもりですか!?」

「ま、そうなったらそうなったで、そん時にでも考えるさ」

「まあ、あきれた」

 そう言いつつも、サシムと二人で笑い合うジーナ。

「ほぇ?」

 何やら置いてけ掘りを喰らったような顔で、ルーシアは首を斜めに傾けた。



「では、こちらでお待ち下さい」

 ウェイトレスの少女が、にこやかに会釈して水を差しだす。

 案内された円卓に腰を下ろす三人。そこへ彼女が品書表を手渡す。

「ああ、すまない」とサシムが受け取ると、

「どうぞ、お一人ずつどれでも一品お好きな物をご注文下さい。こちらは店からの奢りです」

「そいつはありがてぇな」

「そんじゃさー」と、早速ルーシアが手を上げる。

「このドリームジャンボショコラクリームパフェってヤツを一つ!」

「はい、かしこまりました」

「おいおい、ちっとは遠慮くらいしろよ」

「えー、せっかく奢ってくれるのに遠慮なんかしてたら却って失礼だって、母さん言ってたよ?」

「お前、二言目にはそれだな……どんだけ母ちゃん好きなんだよ」

 そこで、なぜかルーシアは顔を強張らせた。

「なんだ、どうしたんだそのつら?」

「おっちゃんは知らないから、そんなこと言えるんだよ……ボクの母さんを……」

「ん?」

 訝しげに眉を跳ね上げるサシムを余所に、ルーシアは真っ青な顔で身を震わせながら何やらつぶやいている。

「ウサギ(コードネーム)追いしの山、コブナ(コードネーム)釣りしの川……悪夢ゆめは今も巡りて……忘れがたき戦場ふるさと……」

「あのぅ」と、ここで黙々とメニューとにらめっこしていたジーナが手を上げる。

「わたくし、こちらのブラッディエールをお願いします」

「はい、盃は如何いたしますか?」

「もちろん『大木』で!」

「はい、木盃ウッジョグの大ですね」

「ちょっ、ジーナちゃん。お酒なんて飲めるんだっけ?」

「まぁ、少しは嗜みますよ。わたくしこう見えてもう二十歳になりましたから」

「あ、そうだったっけ? いや、まだ十代かとばかり……」

「ふふん、もう子供だなんて言わせませんわよ。それに、ここは年齢制限なんて元々ございませんでしょう?」

「ま、それもそうだが……念のため言っとくけど、隣の都市では絶対飲まないようにね。あそこ、禁酒法あるから」

「禁酒法?」と、オウム返しに問う彼女。

「そう、なんか随分昔の話だけど、ちょうど今日みたいにある女に絡んだゴロツキどもが居たんだが、相手が悪かったらしく逆にそいつ一人で十数人をなぎ倒したそうだ」

「あ、その話なら知ってます。酒場の女の子達の間で伝説になってますよ。最強の戦乙女ワレキュリアとして!」

 端で聞いていたウェイトレスが、思わず身を乗り出す。

「はぁ、そうなのですか。でも、それくらいで禁酒法なんて……」

「それが、困ったことにそのゴロツキどもの親分が実はその都市を牛耳る裏組織のボスだったらしく、てめぇのシマで手下をやられたもんだから落とし前ってんでその女をアジトに呼び出したんだとさ」

「ほぇ?」

「まあ、怖い」

「だが、その後が厄介でな、その女もかなりヤバいヤツだったみたいで、乗り込みついでに片っ端から組員をぶっ飛ばしたらしい」

「そして、ボスとその幹部も問答無用でぶっ倒したんですよね!」

 ウェイトレスの少女は左手で右の二の腕を掴みながら、ペンを持ったまま握り拳を作る。

「ああ、しかも聞くところによるとボスは『アマタニアの技術』まで持ち出したって話だ。もしそれが本当なら、その女はとんでもない化け物だったってこったな」

 それは「学術の都」と呼ばれる都市アマタニアで発達した科学の産物。物によって、それ一つで国家すら揺るがしかねない代物まで存在するといわれている。

「やっぱり……」と、苦笑を浮かべて独りつぶやくルーシア。

「でまぁ、焦ったのはそこの市長でな。よくある話だが、そいつとボスがまた裏で繋がってたんで、事が大っぴらになる前に辞職したらしい」

「そこで急きょ市長選が行われたんですよね!」

「そう、そして選ばれたのが今の市長なんだが、その市長の掲げた公約が『禁酒』だったワケだ」

「なるほど、そういう経緯があったんですね。それにしても、都市法にまで影響を与えるなんて、すごい女性かたがいらっしゃるものですね」

「多分、それ…………母さんだ」

「へえ、そうなのですかぁ……って、はい?」

「……………………え?」

 一言そう漏らした少女に向かって、その場にいる全員の視線が集まった。



 酒場通りから少し離れた裏路地に集う男達。

 その一人、銃を杖代わりにする老人が忌々しく舌打ちをする。

「えらい恥をかいたものじゃ。あの小娘、もはや容赦せんわ!」

 言って銃の柄を思い切り大地に叩きつける。

 その右手には、銀色に光る手のひらサイズの円いレリーフを握りしめて。

 そのレリーフは、「女神の身体に巻きつた蛇」を象っていた。

「こいつで目に物を見せてくれるわ!」

「ほう、これは面白いものを持っているね?」

 不意に背後から声が聞こえた。

「誰じゃ?」と振り返る。

 そこには、夜の暗闇の中にひっそりと佇む影があった。

「ああ、これは失敬。吾輩は……そう、ただの通りすがりの『魔法使い』だよ。略して『通り魔』なんてね」

 そう名乗る影は、仮面の奥で不気味に笑っていた。

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