はじまりはいつも唐突で(3)
垂れた三つ編みを弄くりながら、少女は少し退屈していた。
その下に、例の長剣を抱え込んで。
「伏せていろ」とは言われたものの、いつまで伏せていれば良いのか。
それに「隠れていろ」とまで言われたワケではない。つまり、事が片付くまでじっとしていなければならない道理など無いのだ。
とりあえず、あの禿頭の覆面はサシムが捕らえた。後は仲間を追っ払えれば、それで終わり。その場で全員やっつければ上々といったところだろうか。
少女が何やら考え込んでいると、ふと何かが近づいて来ていることに気づく。
「なんだろう?」と思いながら、伏せていた頭を少しだけ上げる。
「ほぇ?」
そこで、目が合った。
少女の
全身を闇色の衣服に包んだそいつはまさに死神の如く、鼻先まで隠した口当てと頭巾の間からは魂を狩るような冷たい眼が覗いていた。
視線に込めた殺意だけで命を射抜くような、そんな眼だった。
そして、その男は少女を見るや真っ先に右手を突きつけた。
籠手の先に仕込んだ銃口を。
そして、叫ぶ。
「おい、こっちを見ろ!」
突然、背後から投げかけられた声に反射的に振り向くサシム。
眼前には、意識すらしていなかった六人目が馬車の戸口に向けて右手を突きつけていた。その先には恐らく何かの得物を携えて。
ヤツの右手を向けている奥に潜むモノと言えば?
俺と同乗していたのは、一体誰だった?
そこまで考えて、サシムは瞬時に血の気が引いていく感覚に襲われた。
「ま、待て、その
皆まで言う間があればこそ。だが、
パン!
――という耳慣れた音が、乾いた空気を揺さぶった。
その男は冷たい眼をした
その忌み名の通り、人を射抜く視線と籠手に仕込んだ毒針の銃弾で相手を確実に死に至らしめるという。弾頭の先に毒針が仕込んであり、発砲と同時にそれが音を超えた速度で標的を射抜く。そのショックで死ぬこともあれば、貫通による出血死、全身を毒に侵されて死に至る場合もあるが、どちらにしても死の秒読みからは逃れられないという寸法だ。
その男が、確実に仕留めるために放った一発だ。
眼の前の少女が、死神から逃れる確率など万に一つとして無かった。
そして、それを見せ付けられる相手の顔。それが苦痛に歪む瞬間こそが、彼にとっては何よりの「報酬」だった。
それが楽しみで、今日まで生きてきた。
それが味わいたいから、暗殺者としての道を選らんだ。
それが得られると踏んだから、この強盗団に雇われた。
満足のいく「報酬」さえ受け取れれば、他はどうでも良い。
もし奴らが粛清と称して裏切るならば、返り討ちにして更なる「報酬」を得れば良い。
その程度にしか考えていない。
彼にとって馬車強盗などという仕事は、ただ快楽を追求するための
その本性を知っていたら、はたして彼らは雇っていただろうか?
少なくとも、仲間一人を人質に取られただけで
おそらく、彼らのボス――
だからこそ、少女が死んだ後で起こり得る惨劇は想定すべき結果だった。
少なくとも、この暗殺者にとっては。
そう、少女が死んでいたのならば――――
それは、あまりにも信じ難い出来事だった。
銃口を少女の頭に向けたまま、
ダッツというスキンヘッドを盾にしながら、背を向けているサシムに対して。
その時、サシムの他にもう一人だけ標的から眼をそらした人物がいた。
そう、
そして、彼が懇願する男の眼の前で引鉄を引こうとした瞬間、少女が動いた。
頭を右にズラして両の手で籠手を掴んで
慌てて少女の方へと向き直る暗殺者。
刹那、視界を蒼い何かが遮った。
それが少女の膝頭だったと気付いた
たったの一撃。それだけで、最悪無比とまで謳われた暗殺者の意識がぷつりと切れた。喩えるなら、最近貴族が茶の間で
そのまま、少女は扉を飛び越え乾いた黄土の上に着地した。
空気が止まった。まるで、時が凍りついているかの如く。
誰もが唖然としていただろう。肩を撫で下ろして安堵すべきサシムでさえも。
当の少女は気にも留めず、跳ねた勢いで頭に乗っかった三つ編みを軽く払う。
「このガキ!」
硬直からいち早く解けた眼帯が足元の猟銃を拾い、少女を狙う。が、彼女は扉に手をかけ、ひらりと舞うように馬車の中に飛び移った。
一瞬遅れて、弾丸が金属の取っ手を弾く。
一方で
先ずは初老の傷顔が動いた。
浅黒い男の
そして今一人、眼帯が少女の潜んでいる馬車に向かう。次の弾を挿れながら。
はたして、彼らが扉の前に差し掛かった時、それは飛び出した。
不意に現われたその影を見るや、眼帯がすかさず銃を構える。が、その影――栗髪の少女は、眼帯が引金を引くよりも速く銃身を蹴り上げた。いつの間にか、その左手には一振りの剣を収めた鞘が握られていた。
宙を舞う猟銃はブーメランの様に弧を描き、横転している車台の屋根の辺りに墜落する。そして、跳ね上がり様に暴発した。
間近でとどろく銃声に鼓膜を押さえる少女と暴漢たち。
それを少し離れた所で見ていた浅黒い男が、装填を終えて狙いを定めていた。
咥えていた煙草の火を縄の先端に移し、男は殺意と共に引鉄を引く。
硝煙と死の臭いをまとわり付かせ、
乾燥した空気を揺らす音をも超えた鉛の塊が、少女の眉間へ一直線に向かう。
刹那、少女の短い三つ編みが大きく揺れた。
まさに紙一重。そのわずかな差で、少女の頭を逸れる弾丸。
「なんだ今の……まるで弾丸の動きに合わせて避けたみてえじゃねえか……」
ぽつりと呟いたのは、少女を気にして時折後ろを向いていたサシムだった。
彼は
「今だ!」と叫ぶ濁声。
「あ、てめっ!」
濁声が銃を拾おうと動いた。
サシムは咄嗟にスキンヘッドを捨て、濁声の方へ駆け寄る。
「馬鹿め、わざわざ
間に合うはずが無い。そう算段しながら銃を掴もうと手を伸ばし――
突然、手の甲に焼け付くような痛みが走った。
その視線の先には銀色に光る刃が突き刺さっていた。
赤黒い血糊が付いた
「ぐぎぃぃぃああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
部下に続いて今度は自分がのた打ち回る番となった。
「馬鹿はてめーだ豚野郎。不意打ちってのはな、気付かれねえ様にやるから不意打ちってんだよ。声を発した時点で、てめーの負けだ」
言って男は歩み寄ると、落ちていた
そして、その銃口を濁声の頭に突きつけた。
「さあ、懺悔の時間だ。神に祈りな」
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