第328話 頼み

 俺たちが対応に困っていると、宣教師はゆっくりとルナリアに近づいてくる。


「もうよいでしょう? 人は人に救いを求めるものであって、仮にあの薬湯風呂が本物だったとしても悪魔には助けられたくないんです。それがなぜだかわかりますか? 怖いのですよ、もし助けられたとしてもその後命を要求されるかもしれない。一生の隷属を求められるかもしれない」

「悪魔契約は基本的に対等です。命を救ったから命を要求する……という事例はなくはないですが、そういった契約を持ちかけるには、まず相手にちゃんと契約の意思があるか確かめてからです」


 ルナリアが訂正するが、宣教師はヤレヤレと言いたげに首を振る。


「あなたはそうかもしれない、しかし人間には悪魔に騙され続けてきたという歴史がある。御覧なさい。あなたはきっと必死で呪いを治すワクチンを作ったのでしょう? ですが、民はそれを受け入れられず疑心暗鬼に陥っている。なぜか? 単純です。あなたが悪魔種だから。それ以外に理由はありません」


 周囲を見渡すと、そこには薬湯に入って良いのかわからずオロオロしている民の姿が見える。


「もしあなたが人だったら、いや獣人だろうが、エルフだろうがなんでも構いません、悪魔種以外ならばこんなことにはなっていなかった。民は気兼ねなく薬湯を受け入れていた事でしょう。それだけ人と悪魔には信頼関係が無い」

「…………」

「人間側からはきっちりNOを叩きつけられていて、それでもあなたは彼らを助けたいと言うのですか? そこまでするのはもう余計なお節介、いやエゴとも言えるでしょう。あなた自身嫌な思いをして人を助けるなんてバカらしいとは思いませんか?」


 宣教師は悲し気な顔をして「もう、無駄なことはやめましょうよ」と、彼女のやってきたことを全否定する。


「どうやっても人間は悪魔を理解しないし、いくら頑張ろうが悪魔を認めたりしません」

「…………」

「あなただって気づいてるのでしょう? 人と一緒にいても傷つくだけだって。そしてあなたが無理にこのようなことを続けた先に待っているものは……」


 ――後悔だけ


「信仰とは人の為に存在します。墓石になぜ花を手向けるかわかりますか? 死者は既に墓の中、花なんて見えるわけがありません。それでも美しい花を飾るのは、残された生者の心にある天国に向けて花が飾られるからです。心安らかに生きるものの安寧を祈る。それが信仰。誰もが幸せな気持ちでいたい、そう願う単純なものなのです。申し訳ありませんが、私は人々の安寧を守る者としてあなたを人の輪に入れるわけにはいかないのです。もしあなたに人を思う心があるのであれば、どうかかき乱さないでいただきたい」


 お願いしますと宣教師はルナリアに頭を下げた。

 彼女は一歩二歩後ずさると、膝から崩れ落ちそうになる。


「私のやってることって、人にとっては迷惑になるんですかね……私ちょっとよくわからなく――」

「ならねーよ」


 彼女は振り返ると、手錠をしたままちゃぽーんと薬湯に浸かる俺と目が合う。


「あ、あなたこんな時に何して」

「今そこのおっさんの言ったことに少しでも納得したなら悔い改めてくれ。そいつの言ってることは最終的には私たちの為にお前は仲間外れにしますってもんだ。種族で差別する神の下に入って本当に幸せになれると思うか?」


 俺はゆっくりと立ち上がり、真剣な眼差しで困惑する避難民を見やる。


「本当に助けてくれる人を無視して、己が助かりたいが為に信仰にすがるのか? まぁその詐欺師どもを信じたところで助からないけどな。信仰は心は救うが体は救わねぇぞ」


 そう言うと、ボチャンと水しぶきを上げ風呂の中に何かが飛び込んできた。

 それはスカートめくりの悪ガキで、どうやら体調が良くなったから風呂にやってきたらしい。


「すげぇ、この風呂超気持ち良いじゃん」

「だろ、ウチの温泉とワクチンと薬草が入ったスーパー薬湯だからな」

「気持ち良すぎる上に病気も治るのに、なんで皆入んねーの?」

「ルナリアさんのことが信じられなくて二の足踏んでんだよ」

「えっ? 散々診察してもらって? わけわかんねぇな」


 悪ガキが俺の言いたいことをそのまま言う。


「ルナリアさんのやってることに裏があるんじゃないかって。痛くもない腹を探ってきてんの。おまけにあのハゲが毒風呂とかわけわかんねぇこと言って皆を迷わしてるから余計タチが悪い」

「へー、大人ってなんか大変なんだな」

「大変じゃねぇよ、深読みしすぎて動けなくなってるだけだ。俺たちが風呂に入ってこんなに普通にしてるのに、まだ毒風呂だと思ってるんだぞ」

「ん~縞パンの姉ちゃんが悪魔なのにいい人すぎて、逆に怪しいって思ってんの?」

「そゆこと」

「じゃあ姉ちゃんがどういう人か皆に教えてあげたら? 兄ちゃん詳しいんでしょ」

「それいいな。よし、おーい皆言っておくぞ。その人悪魔だけど人を助けるのが趣味みたいなもんで、他には機械いじってニヤニヤするくらいしか欲求がない。おまけに顔は良いのにモテたことなくて自分に自信がない、機械だけが恋人だ。その人の姉ちゃんは魔軍のボスでめちゃくちゃこえぇけど、根はすげぇいい人で、あぁ姉妹だなって思う時は何度もある。あっ、機械だけが恋人って言ったけど手は出すなよ、俺のだからな」

「なんだ兄ちゃんと縞パンの姉ちゃんデキでたのかよ。いつか俺の嫁にしてやろうかと思ったのに」

「100年はえーよ」


 俺は悪ガキの頭を湯船に沈める。すぐに浮かび上がってきた少年はブハッと息を吐くと「何すんだ」と怒っていた。その少年に笑顔のクリスが近づく。


「デキてないから。そこ勘違いしてもらったら困るから」

「あれ? 今兄ちゃんデキてるって」

「嘘だから。彼ああやって見栄張らないと生きていけない生き物だから」


 酷い言われようである。


「本機もそのような事実は確認していません」

「あたしも知らない」

「わたくしめも知りませぬ」


 女性陣が息を合わせたように、知らんなと胡散臭く首を傾げる。

 こいつら俺が誰かと結婚しても認めなさそうだな。

 それと同時にルナリアが顔を赤くして怒る。


「だ、誰が機械だけが恋人なんですか!?」

「ちゃんと俺のだからって訂正したじゃないですか」


 そう言うと「うっ……あっ……それってつまり……?」と恥ずかし気に言い淀む。なんだこの可愛い生き物。絶対誰にもやらんからな。


「この通りめちゃくちゃいい人で、聖女系悪魔なんだ。だからよ……彼女を仲間外れにするとか言わないでくれ。頼む、この通りだ」


 俺は風呂から出ると地に頭をつけ、ヘックスの民に頼み込んだ。

 どっちが本当のことを言ってるかわからないと言うのなら、相手の心に頼み込む以外にない。愚直に下げられた頭を見て、住民たちは一瞬ザワついた。

 俺の土下座を見たオスカーが慌ててやめさせようとする。


「頭を上げるんだ梶王! おかしいだろう、なぜ助けてくれる側の君が土下座するんだ!?」


 オスカーの肩を後ろから掴むグランザム。


「オスカー、男が頭を下げて頼み込む意味を考えろ。まして超強力なチャリオットを率いる王が頭を下げてまで、オレ達のことを救いたいと言ってくれてるんだ。彼は仲間を信じてもらう為に誠意を見せている」

「君は……どこまでも気高い男なんだ。できるなら私の体を全部君に捧げたい! 民よ! 悪魔であろうと良き者はいる! それをただ種族が違うからと言って排斥する行為は愚かなものだと思わないか!?」

「仲間の為。いやオレ達を救いたいと頭を下げた男の心、どうか理解してくれ! このまま梶王たちのことを信じられず、この宣教師たちの言いなりになったら、ヘックスは未来永劫笑いものだ。助けてくれる人間の手を間違わないでくれ!」


 そう言ってオスカーとグランザムは俺の隣で頭を下げる。

 それに宣教師たちは慌てて声を荒げる。


「こ、こんなパフォーマンスに騙されてはいけません! オスカーさんとグランザムさんはもう悪魔の手に落ちています! そしてこの愚かな王も一緒です! 悪魔を信じて滅びるなんて馬鹿げたことをしないでください!」


 住民たちは一斉に顔を見合わせ、最後の判断に入る。

 やがて答えはでたのか、背筋がピシッとした爺さんが、ゆっくりと前へと出る。


「ワシは……悪魔……いや、お医者さんのことを信じよう」

「……ああ、こんな可愛らしい子が悪いこと考えるわけねーべさ」

「これで騙されたなら、もうしょうがないわ」


 住民たちは吹っ切れたように服を脱ぎだし、次々に風呂の中へと入る。

 そして薬湯の凄さを思い知る。


「うほぉぉぉぉぉぉぉ!!!」

「ほあああああああ!!!」


「「「き、気持ち良いーーーー!!!」」」


 風呂に入った住民の背景が虹色にかわり、全員が恍惚としたヘヴン状態を味わう。


「こ、これは凄いぞ、病だけでなく長年の肩こり腰痛がみるみるうちに消えていく!」

「や、火傷の痕が治っていく!?」

「不自由だった腕の関節が動くようになったぞ!?」

「冷え性なのに、体が芯まで温まっていく!」


 二の足を踏んでいた住民たちもその声を聞いて、嘘だろ!? と次々に薬湯へと飛び込んでいく。

 やばい、段々人でギューギューになってきた。


「G-13!」

[既ニ2ツメノ薬湯風呂ハ完成シテイマス]


 仕事ができるな。


「皆押さないで! お風呂もう一つあるから! そっちに入って下さい!」

「咲、こいつら掌返しが凄い」

「ほんとのこと言うのやめろ」


 その様子を見て宣教師たちは地団駄を踏む。


「風呂に入ってはいけません! 入る……入るな。入るなと言っているだろう! 死にたいのか!? その風呂は毒だ! 悪魔の風呂だ!」


 完全に嘘とバレてしまった奴らの言い分は見苦しく、最早住民は誰も相手にしていない。


「ぐぐぐ、こうなれば……」


 宣教師は不気味な色に輝く闇色のタリスマンを放り投げた。

 すると夜空に紫の光が放射線状に走る。


「ピヨピヨ様ァ! この愚かなる者達を供物に捧げます!」


 あいつら何しやがった? と思うと、女性の悲鳴が響いた。


「キャアアアア、怪物よ! 怪物がいるわ!」


 女性住民が空を指さすと、そこには頭がカラス、体は筋肉質な男、両腕は漆黒の翼になった怪物の姿があった。

 ピヨピヨ様を召喚した宣教師はニヤリと笑みを浮かべる。どうやらもう騙すのは不可能と判断して、神の生贄にすることにしたようだ。


「あれがピヨピヨ様かよ」

「全く可愛くないね」

[完全ニカラス男デスネ]

「マスターお気をつけ下さい。データベースを照合したところ、あれは黒死鳥と呼ばれる低位の神です」

「あぁ……一応神なんだな。見た目バケモンだが」


 この世の終わりを告げるかのように空中を旋回する黒死鳥を見て、グランザムたちは一歩後ずさる。

 それもそのはず、カラス頭は一体ではなく影と共に次々に姿を増やし、夜空を漆黒の羽で染め上げていた。


「100匹くらいはいやがるぜ……」

「黒い翼か……住民が殺される時、毎回辺りに黒い羽が落ちていた。どうやらここを狙っていたのは奴で間違いないようだ」

「オレたちは悪魔に狙われてたんじゃなくて、神に狙われてたってことかよ……」

「しかもそれを悪魔の仕業に見せかけていたわけだ。大方宣教師たちはこのキャンプをまるまる供物として黒死鳥に捧げるつもりだったのだろう」

「完全にやり口が邪教徒じゃねぇか」


 オスカーも腰にタオルを巻いた状態で立ち上がる。

 俺はフシャァァっと風呂敷の中で荒ぶる鷹のポーズをとっているナハルを見やる。


「ナハル、同じ神なんだし説得できないか?」

「無理であります。あれは神というカテゴリーに入っているだけで、意思疎通の利かないモンスターと同じモノであります。人間なんて食料の一つ程度にしか考えていない、ただ年月を重ね、無為に信仰を集めただけの怪物。あれと我々を一緒にしないでほしいであります」


 オリオンが俺のそばに来て、ただならぬ空気を纏うカラス頭を見て言う。


「おい咲、もしかしてバカみたいなセンキョーシと違ってあいつはやばい奴か?」

「おう、かなりやばい奴だ。最悪死人が出るぞ」


 オリオンはそりゃ難儀だと結晶剣を構える。

 荒事はウチの得意分野でもあるが、ここにはたくさんの住民がいる。きっとカラス頭は住民を襲うだろう。そうなると厄介――

 と思っていると、一筋の閃光が空に向かって放たれた。

 電気を纏ったそのレーザー砲は、俺のすぐ真横から発射されたものだ。


「ここの人たちは絶対やらせません」


 ルナリアは赤茶色の髪を金色に変え、伝説の戦闘民族のようにバチバチと電気を体に纏わせていた。


「ルナリアさん……」

「ありがとうございます。私の為に頭を下げて下さって……。でも、そのおかげで吹っ切れました。例え恐れられても良い。それでも私は自分のやりたいように人を助けます……誰にも理解されなくてもいい。ただあなた一人に理解してもらえればそれで」


 そう言った彼女の横顔は晴れやかだった。

 金色の閃光レーザーは的確に黒死鳥を穿ち、バッタバッタと落としていく。


「なんか……すげぇな」

「あたしいらん子じゃん」

[アノレーザーニ見エルモノハ高電圧デ磁場ヲ発生サセ、物体ヲ加速サセ撃チダス電磁砲レールガントイウヤツデス]

「なんだその最高レベルの異能者が使いそうな技は……」


 イングリッドさんはルナリアの戦闘力は低いって言ってた気がするけど、夜空を斬り裂く電磁砲を放つ彼女を見てどこがなんだと思う。


 戦闘の決着はわずか五分程度。黒死鳥は漏れなく全てルナリアに撃ち落とされ、カラス男から焼き鳥男へと変化した。

 神対悪魔は悪魔に軍配が上がる。

 その様子を住民たちは、呆気にとられながら見ていた。


「す、すげぇ……」

「ありがとう!」

「あんたはほんと守り神だよ!」

「信じてやれなくてごめんね」


 皆がルナリアを取り囲むと、彼女をもてはやす。

 悪魔と人間の溝も埋まり、これでめでたしめでたしだな。

 逃げようとしていた宣教師を剣の柄でぶん殴って昏倒させたオリオンが、ひょこひょこと俺の隣にやって来た。


「どした?」

「ん、なんか人間って嫌な奴じゃない? ルナルナが活躍したから守り神とか言い出してさ。最初からルナルナの言うこと信じてたらこんなことにならなかったよ」

「お前の言ってることはぐぅの音もでんくらい正論だ。けど、人間は常に誰かを疑って生きてる。それが警戒心って奴だが、それのおかげで他の種族より弱くても生きていけるんだ」

「それはわかるけど、咲土下座までしたし……おかしいよ、助けさせてくれって頼み込むなんて。いつもの咲なら知るかボケー! ウチの子信じられんなら勝手に死ねーー! って言うじゃん」

「あそこでいつも通りにすると、宣教師の言うように悪魔と人間は仲良くなれないってのを肯定することになるからな。ルナリアさんや皆の努力を無駄にしたくなかった」

「むぅ……なんか……もにょる」

「なんで?」

「咲、偉いはずなのに、頭下げるしかなかった。多分偉い王ってあんな地面に頭つけてお願いしたりしないぞ」

「ありがとよ、でも気にすんな。信仰の話じゃねぇけど、最後皆がルナリアさんのことを信じてくれたのは、俺の言葉に嘘がないって感じてくれたからだと思う。お前だってただ信じろって言われても信じられないだろ?」

「あたしは……わかんない。咲か仲間の言葉しか信じないし」

「お前はその辺頑張って成長していこうな」


 俺はオリオンの髪をくしゃっと撫で、恥ずかし気に人間に囲まれるルナリアを見やった。





―――――――――――――――――

次回エピローグ

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