第265話 キックの神

 翌日、監獄生活三日目。


「さっぶ……死ぬ」


 朝冷えで目が覚めた俺は、ガチガチと歯を震わせていた。

 おばちゃんから牢屋の朝は寒いと聞いていたが、まさかここまでとは……。

 氷のように冷たい石床は体温を奪い、格子窓から吹く冷たい風が肌を刺す。冷蔵庫の中で寝ているようで最早凍死寸前である。

 雪山で遭難したとき、ウサギたちと一緒に寝たのは暖かったなと思いながら起き上がった。

 ふと何かの気配を感じて周囲を見渡すと、昨日まではなかったはずの銀玉が目の前に転がっていた。


「あれ? これって」


 俺が拾い上げようとすると、銀玉はすっと俺の手をかわした。

 間違いないメタルスライムだ。

 オリオンに貰った奴だろうか? 初日に持ち物はほぼ全て奪われてしまったから、その時メタルスライムも逃げ出したと思っていたのだが。

 なぜかメタルスライムは捕まえようとすると逃げるのだが、牢屋の中から出ていくつもりはないらしく狭い牢の中をぐるぐると回っている。


「こんにゃろう。人間には知恵があるんだぞ」


 銀玉状のメタルスライムは笑っているのか、左右に揺れながら玉全体が波打っている。


「あっ、エロい姉ちゃん」


 俺が牢の外を指さすと明らかにメタルスライムの動きが止まった。その隙を逃さず俺はメタルスライムを捕まえた。


「捕まえた」


 まぁ捕まえたからどうだというのか。むしろ捕まってるのは自分である。

 一度捕まると観念するのか、俺の手の中でメタルスライムは微動だにしない。

 珍しい動物がいたから捕まえる、という意味のないことはやめようと思い、メタルスライムをリリースした。


「こんなとこにいると、悪い大人に捕まるから早く逃げた方が良いぞ」


 俺の言ってる意味を理解できているのかどうかわからないが、床に転がった銀玉はそのまま動かずじっとしている。

 まぁ多分、今日の労働から帰ったらいなくなっているだろう。


「開房! 点呼!」


 看守の声と共に、独房が一斉に開かれていく。

 点呼が終わり、外に出ると井戸の前で大量の囚人が顔や頭を洗っているところだった。


「すげぇな、クソ寒いのに……」


 朝の時間は短い為、皆急いで準備を整える。

 ボストロルみたいな女看守が警棒をパシパシと掌で弄んでおり、朝から既に監視されてるのかと思うとげんなりする。

 そんな中、俺は井戸待ちをするクリストファーと出会った。

 彼は顔を隠すように俯いており、その目は完全に死んだ魚のように濁っている。

 イケメンなのに勿体ねぇなと思って注意深く見てみると、彼の顔に無数の痣が出来ていることに気づいた。


「あれ? あいつ昨日あんなのなかったよな?」


 不審に思って近づいていくと、こちらに気づいたクリストファーは露骨に顔を隠した。


「やぁ、えっとクリストファーさんだっけ?」

「君は、昨日の新人さん」

「梶勇咲って言うんだ」

「そ、そぅ。よろしく……僕のことはクリフでいいよ」


 予想外にハスキーな声をしている。オドオドしている、なよなよ系優男かと思ったが、意外と落ち着いた雰囲気だ。

 歳は俺と同じくらいか、一つ上ぐらいだろうか。疲れからか陰が感じられる。

 それにしてもスタイルが良い。

 細い腰にスラッと長い脚、いささか肩幅や胸板は華奢すぎる気はするがプリンスと呼ばれるのは十分納得できる。

 俺もこんだけ美形だったら世界変わってただろうな。

 そんな俺の羨望と妬みが混じった感情はどうでもいい。顔の痣について聞いてみることにした。


「あのさ、聞いて良いかな? その顔なんだが」

「……井戸空いたよ」

「あ、あぁ」


 クリストファーは会話を遮るようにして、井戸へと向かっていく。

 その背中は何も聞くなと無言で言っているようだ。

 その後も彼は逃げるようにして作業場に向かったので、結局何の話もできなかった。


 そして今日も始まるネジ作り。

 慣れてきたので、もう一本別のラインを見ることになり、今度はよくわからないちっちゃい車輪みたいなパーツを担当することになった。

 これに丸っこいゴムを被せるという仕事だ。

 辛い……。溶鉱炉が近いせいで暑い……。せめて椅子とか座っちゃダメだろうか。もうネジとか車輪とか見るの辛い。

 ベテランのおばちゃんを見やると、倒れたボトルを一瞬で立てるというラインをやっていた。

 あれはあれで辛そうなラインだ。

 暑さのせいか、おばちゃんの手が何本もあるように見える。千手観音おばさんだ。

 その隣を見やると、ちっこいモーターの上に星マークのシールを貼る仕事をしている。マジでこの工場一体何作ってんだ。


「あら、ハイパーディスチャージャーじゃなくて、こっちのエーテルバッテリーの方やりたいかい?」


 おばちゃんがボトルのラインを指さして言う。

 あのボトル電池なんだな……。ん? この工場ミ〇四駆作ってない?

 あれ、そう考えるとネジなのに無駄にカッコイイ名前なのが納得できてきた。


「いや、タイヤでいいです……」

「そうかい? 午後からはそのホイールカバーをゴムグリップからスポンジにかえてもらうからね」

「ス、スポンジタイヤ……」


 それから数時間後、昼飯の時間がやって来た。

 今日も中身が軽い紙袋を受け取り、がっくりとした気持ちになる。

 一日の栄養がこれではいずれ倒れてしまう。

 そう思っていると、昨日と同じく班長の怒声が飛んでいた。


「オメ、何回言ったらわかんだべ! ノルマ終わってねぇのに休憩すんじゃねぇ。仕事に戻れっつってんだろ!」


 まーた苛めか。多分これ毎日やってやがんな。

 他の面子も助けたくても助けられない嫌な空気が作業場に漂っているのがわかる。

 まぁ看守から見たら真面目にやってるのは班長の方だしな。

 これが美少女なら助けてやらなくもないんだが、イケメン助けてもな。


「ほんとに使えない奴だべ! 聞いてんのか!? あぁ!?」


 班長はクリストファーの耳を無理やり引っ張り上げてがなり立てる。

 しかも今日の班長は特別機嫌が悪いのか、黙っているクリストファーの頬をパーンと音をたてて引っぱたいたのだ。

 あぁ、あれ痛い奴だ。思いっきり振り抜きやがったなと思いながら、痛さを想像して俺の方が顔をしかめた。

  クリストファーの目にはジワリジワリと涙がたまっており、必死に泣くのをこらえているのがわかる。


「メソメソ泣くんじゃねっぺ! 泣きたいのはこっちだべ。オメみてぇなグズ相手にしてっと皆が迷惑すんだ。わきまえて行動しろ!」


 容赦のない班長の言葉に、涙腺がとうとう決壊してしまい彼の頬に涙が線を描いた。


「泣くなっつってんだろ!」


 これは二発目が出るなと、この場にいる誰もが察した。

 パンとまた嫌な音が鳴り響き、クリストファーはもう一度頬を強く打たれた。

 彼は必死に我慢しているが、ボロボロと零れた涙が止まらない。

 その状態に追い打ちをかけるように、心ないヤジが飛んだ。


「お前ウォールナイツのプリンス様なんだろ、よくそんなので今までやってこれたな!」


 俺は振り返ってヤジを飛ばした男を見やる。坊主頭に稲妻みたいな剃り込みを入れた、チンピラみたいな男だ。

 確か自己紹介の時、ジェームズ・ポンチとか言ってた奴だな。名前がちょっと卑猥なんで覚えてしまった男だ。


「班長、今そいつ班長を殴ろうとしてたぜ」

「なにぃっ?」

「逆ギレだ逆ギレ、最低な奴だ」


 勿論クリストファーは何もしていない。ただのでっちあげであり、班長もずっと見ていたんだから、そんな気配なかったことわかってるはずだ。

 にも関わらずジェームズに乗って、三度クリストファーに手を上げようとする。


「しょうがないにゃー。人生強者であるイケメンを助ける義理なんてこれっぽちもないが、心までブサイクかこの男と言われたくないからな」


 班長が手を振り上げるのと同時に、俺は作業が終わったハイパーディスチャージャーの箱を盛大に蹴り飛ばした。

 ガチャーンガラガラと凄まじい音をたててネジが地面に散らばっていく。


「あああああっ手が滑ったぁぁぁぁぁ!!」

「オメ何やってんだべ!!? 今明らか蹴ったべ!!」

「おあああああああああっ手が滑ったああああああっ!!」


 ついでなんで電池が入った箱も蹴り飛ばした。

 そのことに気づいて看守たちが慌ててやってきた。


「何をしている貴様!?」

「すみません、つい手が滑って」

「手が滑ってこんなことになるわけないだろうが! わざとだな!?」


 集まって来た看守は警棒で俺を袋叩きにする。

 畜生イケメンの為にボコられるとは割に合わんな。


「貴様ら、休憩時間はなしだ! さっさとハイパーディスチャージャーとエーテルバッテリーを集めろ!」


 看守に怒鳴られ、囚人たちはネジと電池を拾い集めていく。

 午前中の作業内容を完全に吹っ飛ばしてしまった。


「お前もさっさと拾え!」

「はい」


 俺はおばちゃんたちに平謝りしながらネジと電池を拾っていく。

 幸い班長とジェームズを除いて、怒っているものはいない。

 四つん這いになりながら、いろんなところに転がったネジを探していくと目と頬を赤くはらしたクリストファーが偶然を装ってこちらに近づいてきた。


「何考えてるんだ? 今のわざとだよね?」

「偶然だ。偶然キックの神ロナウドが俺に降臨されたのだ」

「嘘だ」

「俺は女は助けるが、イケメンは助けん主義だ」

「…………こんなことしたら飼育係にされる」

「俺、実は昔猛獣使いで、ドラゴンクラスを手なずけられるテイマーなんだ」

「ほ、ほんと!?」

「嘘だ」

「…………なっ、なんなんだ君は」


 クリストファーは眉を寄せながらこちらを見やると、その時くーっと可愛らしい腹の音が鳴った。

 勿論俺の腹ではない。

 こいつずっと班長に飯取り上げられてんもんな。腹ぐらいなるだろ。 


「やるよ」


 俺は石みたいに硬い黒パンと、珍しい動物性油の干し肉をクリストファーにやった。


「なんで……」

「顎関節症で医者から硬いもの食うなって言われてるんだよ」

「嘘だ……」

「人間人の厚意を素直に受けられなくなったらお終いだぞ。貰えるもんは毒じゃなけりゃ貰っとけばいい」

「…………」

「俺は無理強いをしてまでこれをお前にやるつもりもないから、いらないなら引っ込める」

「…………」


 クリストファーはゆっくりパンと干し肉を受け取った。


「あ、ありがとう……」

「おう、生きて出れたら俺に美人の女の子紹介しろよ。俺はボインちゃんが好きなんだ」

「君、かわってるって言われないか?」

「普通だ普通。顔も性格もな」

「お前ら早くしろ!」


 看守の怒声が響いて、サボってるのがバレるとまずいのでクリストファーとはさっと別れた。

 ネジと電池を拾い終えて作業が再開されると、班長は俺のことを問題児だと認定したのか、ずっとこちらをマークしてきていた。


 それら数時間後、ようやく今日の作業が終わった。

 目は疲れたし足は痛ぇし指はゴム臭いし、早く休みたい。

 ヘトヘトになった俺は独房へと戻っていく。

 すると今朝勝手に侵入してきたメタルスライムが、朝とかわらぬ銀玉形態でじっとしていた。


「お前出ていかなかったのか?」


 メタルスライムを拾い上げようとすると、さっとかわされた。

 貴様となれ合うつもりはないと言っているようだ。

 ストイックなのか寂しがりなのかよくわからん奴だ。


「まぁいたいなら追い払うつもりもないが。とにかく体力が限界だ」


 とりあえず寝て体力を回復させよう。今のところできるのはそれしかない。

 独房の明かりが完全に消え、就寝時間となった。

 しかし、人間疲れすぎていると逆に寝れないらしく、目がさえてしまっている。


「最悪だ。明日居眠りとかしなきゃいいけど」


 早く寝ろ、早く寝ろと呪文のように唱えていると、何やら艶めかしい声が聞こえてきた。

 俺たった三日で欲求不満なのかなと思ったが、どうやら本当に聞こえてくる。


「んっ……あっ、やめ……やめ……」


 なんだろうかこの声は。この辺男しかいないはずなのだが。

 しかもこの声は完全に始まっているのではないだろうか。

 眠れないときに変なモノ聞かせかないでほしい。これはつまり男と男がアレしているということだろう。

 監獄ってほんとにそういうことあるんだな。

 できる限り聞かないようにしているが、周りが静かなせいで小さな声なのによく聞こえてくる。

 メタルスライムが声に反応して、コロコロと転がりながら俺の独房を出ようとしていた。


「お前、男同士のアレを見たいのか?」


 そう言うと意味を理解したらしきメタルスライムは布団に戻って来た。

 わかりやすい奴である。俺も気にしないで寝よう。

 こんなところに閉じ込められているなら溜まるものもあるだろう。両者合意の上ならそれもいいのではないだろうか。


「もう嫌だ……。やめろ……僕に……触るな……」

「うるせぇっぺ。オメ生意気なんだよ。オデに口答えすんじゃねぇ」


「……………はぁ……またか」


 くそ、あの独特の喋りで誰と誰がそうなっているのかわかってしまった。

 これは明らかに合意の上ではない。

 あいつ24時間酷い目にあってんな。

 頭の中にイケメンのクリストファーに襲い掛かる、ブサメンの班長の姿が浮かぶ。なんて酷い絵面なんだ。


「しょうがないにゃあ。これじゃ気持ち悪くて寝られないだろ」


 俺はすーーっと息を大きく吸いこんだ。


「お゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーーーーーーーーうおああああああああああああーあーあーあー!!」


 突如響いた大声に、全員が何事かと起き上がる。

 すぐに独房が明るくなり看守たちが駆け込んできた。


「お゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」

「黙れ、またお前かこのクソ野郎! 今度は何だ」

「あっ……すみません、オッサンに襲われる夢を見てしまいまして」

「気が狂ってるのか貴様は!」


 再び袋叩きにされる俺。

 なんでオレがイケメンのケツを守って、ボコられにゃならんのか。

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