第266話 クリスとクリフ

 まどろんだ夢の中、クリストファーはいつも見る自身の過去の様子を俯瞰視点で眺めていた。


 とある大きな劇場で、繰り返される練習シーン。

 舞台上に立つのは一流の役者と、監督兼演技指導をするクリストファーの母。

 厳しい表情をした母は演技の流れを止め、声を荒げる。


「クリスティアーナ! 何度言ったらわかるの! あなたは今クリスではなくクリストファー・カーマインなのよ!」

「はい……すみません」

「この物語の主役、クリストファーは気高く、剣も魔法も自由自在に扱える最高の騎士なの! 弱い女の自分は捨てなさい!」

「はい……」

「王国特命捜査騎士クリストファーは宿命のライバル、大怪盗バカモンド・ソレガルパンダーと時に頭脳で戦い、時に魔法で戦い、時に剣で互角の戦いを演じるの。今のあなたではルパンダーにコケにされるボンクラ騎士ゼニーガーター将軍よ!」

「はい……お母様」

「舞台では監督と呼びなさいと何度言ったらわかるの! もう一度初めからよ。あなたのせいで他の役者は今晩も徹夜よ」


 舞台の上に立つ母はいつも厳しく、クリスには常に娘ではなく物語を演じる役者を望み続けた。

 母の期待に応える為、彼女は騎士を学び、剣術を学び、魔法を学んだ。

 彼女の不幸は、ほんの僅かにかじった程度の知識で他者を軽く凌駕してしまうほどの才があったことだ。もっと無能であれば違う生き方ができたかもしれない。

 しかしそれは全てもしもの話だ。

 彼女がどれほど舞台で優秀な男役を演じようと、母は一切褒めることなく次の台本を手渡すだけだった。

 男役を演じる期間は学校にも男の姿で登校し、男子学生として振舞う徹底ぶりで、彼女が周囲から浮くのは時間の問題だった。

 ある学友は「天才は頭がおかしい」と

 ある教師は「家庭環境が複雑で」と

 ある男色家は「抱いてほしい」と

 そう言って”理解している”知人たちは距離を開け、誰一人として彼女がどのような心境で男を演じているのか知ろうともしなかった。

 母の劇団スターライトは天才的な役者揃いで、その中で主役を演じるクリスティアーナには天才を超える演技を求められ、その圧倒的なプレッシャーを乗り越えて今までやってきた。

 おかげで彼女には何千人もの熱狂的なファンがいる。

 しかしそんな娘に、母は常々こう言う「貴女は男を理解していない」

 口癖のようなものだ。その後に次ぐ言葉はこうだ「女性に恋をしなさい」と、そんなことは無理に決まっている。自分は女なのだから。他の女性に対して美しいや、可愛いなど、尊敬や羨望の念を抱くことはあってもそれ以外の感情が芽生えることはない。

 だから自分は男を理解できていないのだろうか? と彼女は悩み苦しむ。

 きっかけは男を理解したい。母の期待に更に応えたいという願いからだった。

 それと同時に自分が男だったら母は怒らなかったのだろうか? という疑問もあった。

 そんな彼女にとある錬金術師ファンが、怪しい薬を手渡した。「これを飲めば貴女は男になれる」正直眉唾だと思っていた。

 女が男になる。そんなバカなことがと、受け取った時は失笑したものだ。

 しかし、舞台の練習中に母から酷く叱責され、クリスティアーナは耐え切れずその薬に手を伸ばした。

 本物のクリストファー・カーマインへと一歩でも近づくために――。


 朝、いつものように自分が薬を飲むところで目が覚めた”クリス”は隣で眠る班長を見て顔をしかめた。

 腐敗物が流れるドブのような臭いが口から漂い、そこから伸びた舌が自身の顔を舐めたこともある。

 思い出しただけでおぞ気がする。

 拒めば暴力を振るわれ、従えば自身の尊厳を蹂躙される。

 劇とは違い、本物の暴力は生々しく一切の容赦がない。

 昨日は本当に危なかった。いつもなら拒めば暴力だけで済んだはずなのに、班長は奪うことに執着したのだ。

 あの状況で夜が明けるまで耐えることはできなかっただろう。

 いっそもう自分の思考を切り替え、動かない人形を演じることで奪われてしまうのも手かと思った。

 何も考えない、いや、何も考えられないただの人形。スイッチを切れ、何も感じない物になれと願った。

 しかし、体は恐怖に震え、涙はあふれ出していた。

 そんな時、監獄内に響き渡った奇声が自分を助けてくれたのだ。

 最初はたまたまかと思った。だが、それも三度続くとさすがに偶然ではない。

 班長は看守が何度も何度もやってくるので、さすがに諦め、先に眠りについた。

 心底ホッとした。

 相手がどういった目的で奇声をあげていたのかはわからないが、その人物だけは特定したい。

 自分の体を”クリス”から”クリフ”に戻し、朝の準備を整えると看守から「開房」の声が聞こえてきた。

 班長より後に牢屋を出ると、その相手は一目でわかった。

 目の周りに青痣を作り、至る所に傷を負った少年。

 彼は欠伸を噛み殺しながら独房から出てきたのだ。

 彼はクリストファーの前を通り過ぎると、チラリと横目で伺い「無事そうだな」と一言気だるげにつぶやくと、そのまま外へと出て行ってしまった。

 それだけで彼が自分を助ける目的で奇声をあげていたのだと理解できてしまった。

 看守を呼び出せば、班長の行為を中断させることができる。そのかわり、自身が何度も痛い目にあうとわかっているのに。

 そのことに対してなんら恩に着せることもなく、さも当たり前のように痛みを肩代わりしてくれたのだ。

 彼は今まで見たことのない問答無用で助けてくるタイプの人間だと気づいた時、ドクンと心臓が大きく跳ねた。


「なに……これ」


 クリフはまずいと感じる。自分の体が勝手に女に戻りかけていることに気づき、慌てて気を引き締めクリフを作り直す。

 だが、頭の中に彼の顔と声が一瞬過ると、またバクバクと心臓が早鐘を打ちだし、自然と体がクリスに戻ろうとする。


「な、なんだよこれ……」


 クリストファーは謎の胸の痛みに苦しめられ、強くかきむしってみるが熱い鼓動は止まらない。

 皮肉なことに最高の男役を目指したクリスは、今最高の女役へと孵化しようとしていることに気づいていないのだった。



 その頃――

 警備隊から逃げのびたオリオンたちトライデント一行は、ヘックスから少し離れたボヌボヌ村まで後退させられていた。

 あれから何度もヘックスに接近し様子を確認しようとしたが、警戒が厳重になったことで近くにキャンプを張るということができなかったのだ。

 トライデントのメンバーは宿を一つ貸切ると、これからの指針について会議をしていた。

 人払いをしたロビーには、チャリオットの面々が皆険しい顔をして話し合っている。


「いい加減助けに行くべきよ。もう四日よ!」


 バンっとテーブルを叩くフレイアに、ディーは首を横に振る。


「落ち着け。王を助けるにはヘックスの城壁を正面から打ち破り、更に市街中心部にある独房棟から探し出して解放する必要がある。とても現実的ではない」

「じゃあどうするのよ!? このまま考えてても埒が明かないわよ!」


 今にも噛みつきそうなフレイアとは対照的に、ディーはやれやれとため息をついた。


「フレイア……心配なのはわかるが。……泣くな」


 フレイアはその時初めて自分の目じりに涙が溜まっていることに気づいた。

 王が監獄に送られた不安。たった四日会っていないだけで彼女の胸はきつく締め上げられ、精神状態は極度のストレスに晒され続けていた。

 それは口にはしないが、他のメンバーも同じことだ。


「な、泣いてないわよ!」

「ごめんなさい。フレイアちゃん自分のせいでパパが連れて行かれたと思って責任感じてるのよ」


 クロエがそっとフレイアの頭を撫でて、彼女をなだめる。


「あなたの責任ではありません。それを言うならスモークを散布した本機に責任があります」

「それはいい。スモークの命令を出したのは私だ」

「それならそもそも最初にあの場所にキャンプを張ろうって言ったのはお姉さんたち竜騎士隊よ」

「……調査したとき、あそこは……哨戒範囲外だった。多分ルートがかわった。……ごめん」


 それぞれが自身の行動を鑑みて反省する。

 重く沈黙する皆の様子を見て、オリオンは椅子の上にあぐらを組みながら首を傾げていた。


「なんか空気重いけどさ全部結果論? ってやつじゃないの? ダンジョンだって初めて行くところならどれだけ注意したって罠を踏むことはあるし、モンスターの群れの中に孤立することだってある。その話を後から聞いて、あいつは間抜けだ。もっと注意しないから悪いって言ってくる冒険者がいるけど、そんなのそうなるってわかってるから言えるだけでしょ?」

「…………」

「今回だってたまたまルートがかわった警戒に引っかかって、たまたま咲が崖から落ちたんだ。なんでもっと注意した位置にキャンプを張らなかったんだ。なんであの時煙を撒いたんだって思われるかもしれないけど、そんなのそうならないとわからないじゃないか」

「オリオン……」

「調査した上であの場所にキャンプを張ったし、逃げる為に必要だと思って煙をまいた。それがたまたま上手く転がらなかっただけだよ。いい加減なことしてああなったわけじゃない」


 オリオンがそう言うと、フレイアとクロエが冷や汗をダラダラかいていた。


「……ご、ごめんちょっと遊んでたかも」

「マ、ママも……」

「大事なのはここからどう戻すかでしょ? やってしまったことは反省すればいいし。まぁあたしは反省しても同じこと繰り返すけど」


 オリオンはそう言ってニッと笑みをこぼすと、重かった空気が幾分か和らいだ。


「よし、改めて作戦を練り直す。いくつか案がある――」

 

 それから数時間に渡って作戦が考えられた。


「やはり我々の中でも誰かが捕まり、中へと潜入するのが良いか……」


 皆が深く考えていると、外に出ていた銀河が一枚の依頼書を持って帰って来た。


「あの、この近くにあるハローワギルドで転職情報を見てきたのですが、こんなものがありました」

「なんであんたはこの時期に転職情報見てんのよ……」


 フレイアがジトっとした視線を向ける。

 銀河は慌てて手を振った。


「あ、あの、あれだけ大きい施設を維持するにはきっと人手が足りないと思いまして……自分たちを襲って来た警備兵の人もあまり真面目そうではありませんでしたし」

「同感だ」

「ですので、何か求人情報がでているのではないかと思いまして」


 そう言って銀河はディーにギルドの転職情報を手渡す。

 そこにはヘックス領内の雑務募集という条件で人員募集がされていた。


「高級独房の清掃に、調理担当、機械に強い方歓迎。自給850ベスタ、制服貸与。採用担当からの一言……とてもアットホームな職場です」

「冷酷非道な監獄の募集には見えないわね」

「アットホームってブラックの常套句だって咲が言ってたよ」

「でも、それいいんじゃないですか? 労働者なら好きに監獄内歩き回れますよね」


 ソフィーが素晴らしいと手を打つが、ディーは顔をしかめた。


「しかし、募集年齢が70代から80代限定と書いてあるぞ……」

「なんでそんな爺さん婆さん集めてんの?」

「恐らく我々のような考えを持つスパイを弾くためだな」

「爺のエージェントがいたらどうするつもりなんだ」

「あ、相手も考えてるってことですね……」

「いや、転職情報に採用出してる時点で頭は悪いネ」


 どうするかと考えていると、今度はG-13が案を上げる。


[ワタシニイイ作戦ガアリマス]


 ディーはG-13が両手に装備しているものを見て、何をやろうとしているか察しがついた。

 螺旋に切れ込みが入った円錐形の削岩機がゆっくりと回転する。


「ドリルで地中を掘り進めるのか?」

[上ガダメナラ下カラデス。地質調査ヲシタ結果、ヘックス領地内ニアル鉱山ノイクツカガ休火山トイウコトガ判明シテイマス]

「なにそれ爆発させんの?」

「いいですね。わたし一回火山の噴火って見てみたかったんです」

[バカコンビハ黙ッテイテクダサイ]


 軽く一蹴されるオリオンとソフィー。


[地層ノ中ニ火山灰デデキタ層ガアリ、ソコヲ掘リ進メレバ、楽ニ地中カラヘックスヘト近ヅケルデショウ]

「問題は城壁だな。あの壁が一体どこまで埋まっているかだ」

[最悪時間ガカカッテモ、ドリルデ城壁ヲ貫通サセルコトハ出来マス。ワタシノドリルニ不可能ハアリマセン]


 G-13はチュイーンとドリルを回す。


「なるほど」

「でも、いくら地下穴が掘れたとしても絶対時間はかかるわよね?」


 フレイアの問いにG-13はアイカメラをチカチカと点滅させる。


[実際ノ地質状況ニモヨリマスガ、早クテモ数日ハカカルデショウ。ヘックス内ニ近ヅケバ更ニペースハ落チマス」

「足元でガリガリやってたらバレるもんね」

「地下ルートの件はもう少し詰めた方が良いな」

「本機も地下ルートの調査に協力しましょう。もしかしたら時間を短縮させる方法があるかもしれません」

「わかった。そっちはエーリカとG-13に任せる。こっちは潜入作戦の方の方を考えたい」

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