第237話 黒のピラミッドⅧ
時間はフレイアが地下水路で汚物を消毒した、ほんの少し前に巻き戻る。
鏡の中へと俺たち6人が分かれて入ると、俺の視界が一瞬波打つようにぼやけたが、すぐに元へと戻る。
目を開くと自身のいる場所が見慣れぬ部屋の前へと移動したらしく、いかつく巨大な鉄扉が俺の視界を占有している。
同じ鏡に入ったはずなのに隣にオリオンの姿はなく、どうやら飛ばされた位置が違うらしい。
「まずはあいつと合流か。それとも先に番人の方とご対面するか」
これ見よがしの鉄扉の中には恐らく番人が待ち受けているのだろう。
ナハルの言っていた俺にとっての最強の敵が一体何なのか気になっていたのだ。
ちょっとだけ、ちょっと覗くだけ。そう思いながら扉を開いて中へと入ると、予想外なことに出迎えたのは番人ではなく黄金の光りだった。
部屋の中には金銀宝石がわんさかと散らばっており、番人部屋かと思われた部屋はどうやら宝物庫だったらしい。
「おぉ、すげぇ! 金や、金やで!」
一瞬我を忘れて金の海へとダイブしようとしたが、後ろからジャリっと足音がする。
オリオンかと思ったが、見なくてもわかる。あいつの足音はもっと静かだし、これは明らかに俺に気づかせる為にわざと音を鳴らした。
オリオンの鏡に入ったわけだから、あいつの天敵となるものが出てくるのか、それとも一緒に入った俺の天敵が出てくるのかどちらかはわからない。
可能性的にはオリオンの天敵の方が高そうだが、どちらにしても生半可な相手ではないだろう。
あいつが恐れをなすような敵がザコなわけがないし、俺の恐れる敵であれば尚更強大なドラゴンや、魔人のようなものが出てきてもおかしくはない。
しかし絶対に生きて帰る使命を背負った俺は、どのような困難な敵にでも立ち向かって見せる。
なんならオリオンのかわりに俺が番人を片付けてやろう。
そう思い意を決して振り返ると、そこにはおっぱいの大きい獣人の女の子がいた。
「くっ、俺の負けだ」
俺は胸をおさえて膝をついた。
まさか、勝てないものがそういう方向でくるとは思っていなかった。
恐らくセトと同種のアヌビス族なのだろうか、黒い艶やかな髪をした褐色の女性は頭に三角形の犬耳を伸ばし、股の間から犬らしきふさふさとした尻尾が見える。
セトのように完全獣人というわけではなく、ナハルと似て特徴的な耳や尻尾を除けば人間に近い。
耳には大きな十字架のようなアクセが揺れ、何かを隠す面積もない腰布と紐のような黄金色の水着が、もう限界だと言いたげに重そうな胸を支えている。
そしてその豊満な胸を見せつけるように女性はモデルポーズで立っていた。
「これは是非とも近くで見に行かねば」
そんな使命感に駆られて俺は女性に近づく。
もし彼女がセトと同じ神官であれば、呪術がしかけられている可能性は十分考えられた。しかし、そんなことはわかっている。わかっているが、何かが俺を突き動かしているのだ。
美しい犬耳の女性は妖艶な笑みを浮かべ、切れ長の瞳でこちらを誘惑する。
あぁ、最高じゃ。財宝に囲まれ美人の女性と一緒にいられるなんて。
女性はこっちが至近距離まで近づいても笑みを崩さず、何もしてはこない。
俺は彼女の胸元をスケベ心で覗き込むと、光るパズルのピースのようなものを見つける。
もしかして、これが勝利のピースだろうか?
それならば俺はこの胸に触ってピースを取り出さなければならない。誠に遺憾だが、皆の勝利の為に俺は彼女の胸を触りピースをとりだそう。
そのことによって浴びせられる罵声も汚名も甘んじて受けよう。
そう決意し、女性の顔色を伺いながらゆっくりと胸へと手を伸ばす。
「あっ、手がすべった(棒)」
誰がどう見ても事故としか言いようがない案件で、俺は女性の大きな双丘に手をかけた。
柔らかな感触が手に伝わる。素晴らしい。この番人が幻影なのか実体なのかはわからないが、今この手におっぱいの柔らかさを感じているというのが大切なのだ。
「もしかしたら……これが生きてるってことなのかな」
だとしたらこの試練、深いな……。
そんな頭沸いてることをしみじみと感じていると、突如「ザクッ」と音がして、何か赤い液体が飛び散り俺は顔をあげた。
見ると、女性の首から剣が伸びている。犬耳の番人は何者かに後ろから剣で突き刺されたのだ。
番人は大量に吐血し、呻くことも出来ずぐらりと倒れた。
「いやあああああああっ!」
返り血を浴びた俺は、そのあまりにもスプラッターな光景に乙女のような悲鳴を上げる。
試練役と思われた女性は、謎の乱入者によって姿を光の粒子へと変化させて消え去った。
不幸中の幸いか、彼女は実体ではなく試練が作り出した幻影らしい。
俺は自分の手に残った光るピースを持って後ずさる。
「予想外に早いな。ファラオの使者たちよ」
低い声と共に番人を突き刺した男が、影の中からゆっくり前へと出ると、こちらに向けてニヤリと笑みを浮かべる。
いかつい顔立ちに筋骨隆々の巨躯、赤い肩掛けをしたアポピスの手ごまと呼べる男の名は。
「ムハン。まさかお前が俺の最強の壁なんて言うんじゃないだろうな」
「我が名はアポピス。……既にこの男の意識は失われている」
ムハンのその目は赤く縦に割れ、爬虫類のような瞳がこちらを見据る。チロリと長い舌が一瞬覗き、完全に蛇人間一歩手前の状態だ。
どうやら奴はアポピスがコントロールする
「……最終層近くまで来たもんだから直接手を下しに来たってわけか」
「左様、貴様が死ねば試練は失敗に終わる」
「全員が別れたところを見はからってたってわけかよ。相変わらずこすい奴め」
俺は黒鉄を抜いて、ムハンだったものに構える。
「貴様の相手は我ではない」
アポピスが何か術を唱えると、足元に黒く禍々しい魔法陣が浮かび、そこから甲冑を着た戦士が姿を現す。
まるで何百年もの間野ざらしにされていたような甲冑は、錆びと砂に汚れてボロボロだが、逆にその劣化した武具が威圧感を増す。
戦士が両手に持つ武器は、同じく刀身がボロボロで、半月のように弧を描くショーテルだった。
あれだけ酷い装備なのに、弱さは微塵も感じない。全身から呪いにも見える黒いオーラが漂い、その得体のしれぬ恐ろしさから俺は冷や汗が止まらない。
戦士が一歩前に出た。その瞬間俺の心臓がドクンと強い鼓動を打ち、ぐらっと視界が霞む。
それほどまでに戦士の放つプレッシャーが強く、直視していると強い吐き気に襲われ、対峙しているだけで体力を持っていかれそうだ。
「やばい、強い」
こいつはただの戦士じゃない。恐らくアポピスが召喚した、
奴が一歩足を踏み出すごとに足元から不気味な黒い煙のようなものが上がっている。あれは恐らく死者の魂だ。弱い魂が、強い魂に惹かれるように戦士の足元を渦巻いている。
例えるなら奴は無数の死を身に纏っている。幾千もの死と呪いが凝縮して出来上がったような死という怪物。
「―――――――■■■■■――▲▲▲▲▲▲!!」
死霊の戦士は聞き取れない呪いのような雄たけびを上げる。その瞬間石床が奴を中心に音をたてて砕けた。
「まずい! 剣神解――」
俺が王の駒をスマホに突き刺そうとした瞬間、ガキンと金属音をたてて死霊の戦士はショーテルをクロスし、凄まじい勢いで突撃してきた。
咄嗟に黒鉄で受けるが、勢いを殺しきれず宝物庫の壁へと激突する。
「がっはっ」
背に強い衝撃を受け、口から鮮血が零れ出た。
やばい、一瞬すぎて何にも見えなかった。
わかるのは黒鉄で受けていなければ俺の首は簡単に
瞬きする間もなく放たれた突撃剣は、たった一撃で俺の握力全てを奪い去った。
「重すぎる! 剣神解放しないと勝負にすらなんねぇ!」
俺は落としてしまった王の駒を探すが見つからない。その隙を相手が逃すはずもなく、死霊の戦士は再び金属音を打ち鳴らしショーテルをクロスさせて突撃してくる。
「まずい!」
あまりにも鋭く重い突撃を、今度は受け止めきれず俺の体は中空へと吹き飛ばされてしまった。
そのまま石床に叩きつけられ、肺にたまった空気が漏れ出るように小さくうめいた。
あまりにも桁違いな強さに眩暈がしそうになる。
「強いなんてもんじゃない……」
実力差が歴然となった俺の前に死霊の戦士が立った。
勝負にすらならない。俺が地べたから戦士を見上げると、錆びついたフルフェイスの兜から黒い煙が漏れ、濁った太陽のような赤い光がその奥に煌めく。
このまま首を斬り落とされて終わりかと、自分の呆気ない未来を予想して嫌になる。これでは大人と子供、いや神と人くらいの差があるんじゃないだろうか。
俺はすぐにでもショーテルが振り下ろされると思っていたが、一向に剣が降ってくる様子がない。
なぜだ? と思い、もう一度奴の姿を確認すると、死霊の戦士は膝をついて苦し気にうめいているのだ。
「ぐっ――――――ガアアアアアアアッ!」
突如死霊の戦士の背中から、黒い泡のような不気味な塊がボコボコと膨れ上がったり、小さくなったりを繰り返している。
「なんだありゃ……」
まるで自分の中にある呪いが制御できず、無理やり外に出ようとしてるようにも思えた。
「くそ、冗談じゃないぞ。あんな祟り神みたいな奴、まともにやりあえるか」
奴が混乱している隙に態勢を。
そう思った瞬間、死霊の戦士は
「がっはっ」
石壁が玩具のように崩れ、俺の頭の上に硬い石片がバラバラと降り注いでくる。
奴は追撃のショーテルを放とうとするが、再び頭をおさえ苦し気に呻きだした。
ふらついた足取りで壁際まで移動すると、雄たけびをあげながら何度も何度も自分の頭を打ちつけだしたのだ。その狂い様は異常にしか見えず、こいつの精神が安定していないことが伺える。
「くっそ、情緒不安定の
なんとか立ち上がろうとした時俺のスマホが転がり落ち、ワンセグゥ機能が勝手に起ち上がった。
画面に一瞬ノイズが走り、まさかと思いスマホを奴に向けた。
すると、死霊の戦士の姿が浅黒い傷だらけの青年の姿を映し出す。
「こいつは……まさか、砂王アレス……」
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