第227話 猫は目を抉る

 食事を終えた俺は、ファラオに呼び出され風呂場へとやってきていた。

 風呂場と言っても地下水路の一部に暖めた湯をはっただけである。ファラオは久々の湯あみを喜び、風呂の中に色とりどりの花を浮かべ、湯の中から長い褐色の脚をのばしてリラックスしていた。


「はぁ……よい……生き返ると言うものだ。そなた、そんなところであぐらをかいておらず、妾と共に入ることを許すぞ?」


 俺はファラオに背中を向けチャプチャプと聞こえる水音に耐えながら、じっとお座りしていた。

 こちらの気も知らず艶めかしい声が聞こえ、裸のファラオが頭の中に浮かぶ。

 あぁ一緒に入りたいなと思っていると、俺のすぐ隣を風呂敷猫たちが風呂敷を被ったまま列をなし、順次浴槽へとダイブしていく。

 いいな、こいつらは……。素直に羨ましい。俺も風呂敷被ったら許されないだろうか。

 風呂敷被ったまま袋叩きにされる図が浮かんで頭を振る。


「そっちが良くてもウチには嫉妬深いニワトリ使いがいてだな。欲望のままに風呂に飛び込んだら目をえぐられるんだ」

「ハッハッハッハ、面白いな。主人をとられるのを嫌がる子猫のようではないか」


 目を抉ってくる子猫なんか嫌だろ。


「それだけ懐いておれば可愛きものであろう」

「まぁな……その、鏡のことなんだが」

「鏡の復元の件はセトより聞いた。妾に気にすることはない。そのまま持って帰るが良い」

「……いいのか?」

「元よりそれが目的だったのであろう?」

「あの鏡を使ってファラオの力を元に戻すことはできないのか? 確か神族の時を元に戻すことができるんだろ?」

「無理じゃな。妾ほど強力な神族を元に戻すにはあの鏡は小さすぎる。あの鏡は構造こそ同じであるが、やはり一度割れてしまっているから、魔力もほとんど飛んでしまっておる」

「やっぱ魔力がないと鏡は効果を発動しないのか?」

「恐らく妾をミイラから人の姿に戻すことくらいはできよう。しかしそれは器を復元しただけで、妾の膨大な魔力を戻すには至らぬ」


 つまりゼノのツノを修復する程度には問題なく使えるが、ファラオみたいに膨大な魔力の塊である存在は外側は元に戻せても、中身は空っぽのままだと。

 一応はピラミッドに入らずとも俺たちがここに来た本懐は達成したわけだ。


「あの鏡は守りのまじないとしても使われるものじゃ。悪しき光を防ぐ鏡の盾となり、英雄を産み出す砂漠の剣になったとも言われておる」

「神話か何かか?」

「実話じゃ。千年単位で昔の話ではあるが、この地で名をはせた英雄はその鏡を使い、数多の戦地を生き抜いてきた」

「英雄ってアレスって男か?」

「うむ、そうじゃ。奴は強く勇敢で、戦場に出れば常勝の毎日であった。民からも神からも英雄と呼ばれ信頼されておった存在でな」

「そりゃ凄い」

「そなたによく似て美男子であったぞ」

「じゃあ大したことねぇな。そのアレスって男は普通の人間だったのか?」

「神と人の間に生まれたものじゃが、人間よりの男じゃったな」

「ファラオはそのアレスって男を愛してたのか?」

「気に入っておったし、愛していたのも間違いない。しかし妾はこの地に住まう砂の民を皆等しく愛しておった。恋人というならこの地に住まうもの全てが妾の恋人じゃ」

「はぁ……神はスケールがデカすぎる」

「お主も今連れてきている女子、全て仲間であり、家族であり、恋人と思っておるじゃろう? それと同じじゃ」

「あっ、なんか一気に理解できたかもしれない」

「フフッ、そうであろう?」


 ファラオの笑い声が、風呂場に響く。


「妾のかわりに、その鏡を後世に伝えてくれ。願わくば悪しきものの手から遠ざけてくれると助かる」

「なんでかわりなんだ? 自分で伝え続ければいいじゃないか」

「妾は明日、最後の力を使い、黒のピラミッドを破壊しアポピスを討つ。恐らく今の力ではよくて相打ちであろう」

「なんで?」

「なぜとはおかしなことを聞く。アポピスを倒すのは妾の使命。そなたらに救われたこの力で奴を討つのは道理と言えよう。それに妾の回復を待てばその分操られた民はウヌトへとなり果て、人へと戻れなくなってしまう」

「いや、なんでそんな力技で壊しにいくんだ?」

「黒のピラミッドを正攻法で攻略することはできぬ。あのピラミッドに入れるのは妾らの中ではレアリティダウンのスキルを持つナハルだけじゃ」

「ナハルってそんなの持ってるのか?」

「うむ、レアリティを下げる隠匿の能力じゃ。その他にも奴は変装の達人でもある」

「嘘だろ。風呂敷被っただけで変装と言い張る奴だぞ」

「しかしナハル一人入れたところで意味がない。ピラミッドの力は強力じゃ、個の力だけでは打ち勝てぬ」

「アポピスが黒のピラミッドを解放している理由は本当に冒険者の力を吸収するだけか? なんだかいちいちダンジョンに誘いこんで、殺してから吸収って面倒な手順を踏んでる気がするんだが?」

「奴は妾への嫉妬と復讐で出来ておるからな。黒のピラミッドは妾の白のピラミッドをそのまま再現したものじゃ。奴はどうあっても妾から神の立場を奪いたいと見える」

「ファラオを落としてめて、ヤーイヤーイって言ってやろうとしてるわけか。邪神にしては随分小者だな」

「神なんてそんなものじゃ。妾に封印されたのを相当根に持っておる。しかし今の妾では奴に打ち勝てぬのも事実。ムハンという男がリーダーのようだが、ここにいる民が奴を信頼すればするほどそれはアポピスの信仰心となり、奴は強力になっていく。だからこそ奴は外面は良かったはずじゃ」

「確かに」


 初めてここに来た時、俺たちはムハンに水を貰ったり案内してもらったりした。それも下心ありと考えると納得がいく。


「妾ももう少し民に優しくしていれば、このようなことにはならなかったのかもしれぬな」

「…………」


 きっと後ろにいるファラオは遠い目をしているんだろうな。そんな確信があった。


「わかったならば、そなたらは明日にでもこの街を去るが良い」

「俺たちもピラミッド行くぞ」


 そう言うと後ろでパチャパチャやってた気配が止まった。


「そなたはもう目的の物を手に入れたじゃろうて? 中に入ったところで恐らく今持っているあの鏡以上のものは出て来ぬぞ?」

「いや、鏡貰ったんだから給料分は働くぞ?」


 俺の言葉にファラオはほんの少しだけ語気を荒げた。


「それはそなたらの仲間を危険に晒すことになるのだぞ?」

「それは知ってる。でも、俺の欲しいものは手に入ったから、お前ら大変なのは知ってるけど帰るわってあまりにも薄情すぎるだろ」

「薄情云々の問題ではない。いくらそなたらが強者であろうと――」


 ファラオは後ろでザバッと音を立てて立ち上がるが、俺は彼女が言い切る前に言葉を繋ぐ。


「俺にはファラオ、あんたの方がよくわかんねぇ。今まで世話になったファラオのことを簡単に忘れてアポピスなんかにコロッと鞍替えするような、そんな恩知らずな人間の為に己の命を賭けて、刺し違えようとようとしてるんだ。今にも消えそうな体と、ボロボロの墓守たちだけで」

「…………」

「言わば絶体絶命のピンチで、恐らく戦いの後はどちらが勝ってもただじゃすまないとわかってるんだ。そこに偶然にも通りかかった俺たちが加勢しようって時に、危険だから手伝うんじゃないっておかしいだろ。どんだけ謙虚なんだよ。良い奴すぎるわ」


 彼女は優しすぎる王なのだ。この地に人が根付くのを母のように見守り続けることができる、そんな慈悲深き王。

 安易な優しさで民が堕落してしまわないよう、あえて民には不自由を強いた。だが、その結果民は安い富をくれるアポピスにすがりついた。

 いつだって優しい奴ってのは救われねぇもんだ。

 王は民を守ったが、民はあっさりと王を切り捨てたわけだ。

 救いがねぇ。

 だけど

 そんな奴を誰か一人、いや一つのチャリオットが味方についたって悪くはないだろう。


「……なぜじゃ、なぜそうまでして妾らを助けようとする?」

「俺にはなんでそんなこと聞いてくるのかの方がわかんねぇ。どんだけ人間不信になってるんだよ。困ってる奴を助けることがそんなに異常か?」

「…………」

「俺は俺の意思でファラオたちが正しいと思う。正直なとこ言わせてもらうと、この街の住民救って英雄になってやるなんてつもりはサラサラないんだ。ただファラオやナハル、セトみたいな奴らが死んでいくのを黙って見てるのは嫌なんだよ」

「そなた……」

「ウチの連中に笑われちまうだろ。お前は神も救えない男なのかって」

「…………救うなどと初めて言われやもしれぬ。不思議な感覚じゃ、なぜこうも心が暖かくなるのか……嬉しいものだな」


 ファラオがじっくり噛みしめるように言うと、風呂場にたくさんの足音が聞こえてきた。その一団は一糸まとわぬウチの連中だった。

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