第141話 呪い
天へと続くガラスの階段を駆け上る少年と、それを手助けする揚羽と黒乃。
背後からは漆黒の蛇が迫り、三人を喰い殺そうと迫る
茂木と真凛はそんな非現実的な夜空を見上げる。
「なんであいつら梶と戦ってるんだ?」
「わ、わかれへん」
彼女達は天地を食い止めるどころか、率先して空へと昇って行っている。
これでは大変なことになる。そう思った。
「ほー、やっとるなー。ワシが昔大王アスモデウスを倒した時とよー似とる」
不意に、隣にエロ爺と顔色の優れない女性が現れ二人は困惑する。
「また偽物なのか?」
「誰がニセモンじゃい!」
エロ爺はキセルでパカンと茂木の頭をはたく。
「いってぇっ!」
「こんなプリチーな老人二人も三人もいてたまるか」
「だけど、さっきはドッペルゲンガーで式に……」
「ワシも日本帰ってきてびっくり。勝手に式始まってるとか言うし、すんごい請求書届くしゲンちゃん二度びっくり。しかしまぁあれを見て得心したわ。よく見ろ青二才、お前の真の友がどちらなのかを」
「どちらって……」
空を行くバイクと、それを追う巨大な蛇。
空を舞う揚羽たちがなぜ天地に協力するのか、その理由はわかっていた。
彼女達はどちらが偽物か見極めたのだ。
「お主も本心ではわかっていたのじゃろう。どちらが間違っているのか」
「梶は……人を殺せなんて言わないんだよ。式をぶち壊してやってくるのなんてあいつ以外ありえないんだ」
「願望器の刷り込みは強力じゃ、しかし刮目してみれば見抜くことができる。高度な呪いは疑うということをさせぬのが一番厄介なのじゃ」
「そうだ……本当に疑うべきは天地や梶じゃなくて、自分が相手の術にはまっていると疑うことだったんだ」
「その通りじゃ。目に見えるものだけを信じているとそうなる」
「それなのに俺はあいつを信じてやれなかった。…………俺は、世界を救うって言葉に凄く憧れて。今まで戦ってきた梶の言うことなら間違いないだろうって。誰が疑っても俺はあいつを信じてやろうって思ってた」
「そして言われるまま青二才の皮を被った天地に騙され戦ったと。思考停止もいいところじゃな」
「……ああ、そうだ。俺は、天地を倒せば世界を救えるって。この違和感も消えてなくなるって」
「お主ぐらいの歳ならヒーロー願望くらいあって当然じゃろう。じゃがな、ヒーローというものはな、自分一人で戦って世界を救っている気になっているものにはなれん」
「…………そうだな、俺はヒーローなんかじゃない」
「そうじゃ、この場にいる全員がヒーローなどではない。ただ無様に騙された人間じゃ。しかし、それでも戦う覚悟を持つものが真のヒーローを背負う資格がある」
「…………俺は……もう戦えない。何を信じていいかわからないんだよ」
「自身の弱さを認めるのは結構。それで戦えなくなったものをワシは弱虫や卑怯者と罵ることはせん。できぬことはせんことじゃ」
源三は自身の頭に忍者がしているような黒い頭巾を被る。
「爺さん、何をする気だ」
「ふん、ワシとてころっと騙されとったクチじゃ。えらそうなことは言えんがな。これだけは覚えておけ青二才、ヒーローの最低条件は絶対に諦めてはならんのだ」
「あんたが行ったって戦うことなんて」
「できぬと決めた時点で己の進化は端役で止まるぞ小僧! 己の物語くらい己が主人公を張れ! この白銀源三、この歳でも未だ舞台を下りるつもりはない!」
エロ爺は忍者のように人差し指と中指をたてると、影のように消え、ガラスの階段を俊敏に駆け上がっていく。
「な、なんなんだあの爺は……」
同じように真凛もまた迷っていた。
そこに見知らぬ体調の悪そうな中年女性が声をかける。
「あなたが真凛さんかしら?」
「は、はい。あなたは?」
「私はね、”梶涼子”と言うの」
「梶……って、まさか?」
「随分高くまで登ってるのね」
涼子はガラスの階段を見上げ、ため息をつく。
「私にはね、子供がいて。ほら、あそこあんな高いところにいるの」
「あれは、天地君じゃ……」
「違うわよ。あれは勇咲。だって、母親が子供を間違えるわけないでしょ?」
「!?」
「あなたも特殊な力を持っている人かしら?」
「え、ええ、そうです」
やっぱり、この人が梶君と仲が悪い母親なのか? と真凛は思うが、その表情はとても優し気で、子供をないがしろにする親には見えなかった。
「あの子にはほんとにたくさん迷惑をかけたわ。私も長い間異世界に行っていたの。その間あの子の世話をどうしようかと考えた時、ガチャでドッペルゲンガーという自分を二つにする能力を得たの。じゃあ片方の自分を現実世界において、私は異世界に行こうって考えたんだけど、私が異世界に行った途端、ドッペルゲンガーの方が記憶をなくして、自身を梶涼子と認識できなくなっちゃったのよ」
「…………」
「壊れたドッペルゲンガーは自分の息子のことも忘れてしまい、もう一人の梶涼子として生きてしまった。だからあの子が助けを求めた時、ドッペルゲンガーは気味の悪い、知らない子供が助けを求めてきたと思って辛辣にあたってしまったみたい。あの子本当につらかったと思うわ」
「梶君に明かさないんですか?」
「次に帰って来た時にするわ。あの子意外と甘えん坊だから、きっと今教えたら異世界に行けなくなっちゃう」
そう言って空を見上げる涼子の目は少しだけ寂しそうだった。
「梶君、異世界で死ぬかもしれませんよ」
「死なないわ。だって、お友達がたくさんついているし、結婚相手が二人もいるんだから」
真凛のこめかみにビキッと青筋が走る。
「あの、あれ結婚相手じゃないですから」
「あれ違うの? この歳でもうおばあちゃんかしらと思っていたんだけど」
真凛の額に青筋が走る。
「子供とかできてませんから」
「あら、私てっきりデキちゃったから二人と結婚するのだと思い込んでたわ」
「違いますから、梶君プラトニックですから」
「そうなの? おばさんすぐ勘違いしちゃうから。それで……あなたはどうなのかしら?」
なかなか飄々とした態度であったが、するりとこちらの心の間合いに踏み込んできて真凛は驚く。
「ウチは……」
「まだあの後ろの蛇さんがウチの子だと思う?」
「…………」
「あの子は本当に優しい子だから、世界が敵になったとしても誰かを助けちゃうのよ。愛って呪いみたいなものよ、普通に考えたらそんなわけないでしょって思うことでも愛した人間の為ならそれが本当になっちゃう。あなたもあの子を好きでいてくれたから後ろの蛇さんの言うことが本当に思っちゃったんでしょ?」
「…………ウチは自分でそれを壊しました。彼の信じてって言葉を信じられなくて裏切ってしまった」
「若いわね。失敗っていうのはね、間違うことじゃなくてその後立ち上がれなくなることなのよ。そして裏切るってことは信じてたってことなのよ」
「…………」
「この霧が世界を覆った時世界は闇になるわ。あの子は今太陽を落とさないように走っているの。どれだけ傷ついても戦うの、誰かの為に。あなたはそんなあの子に寄りそう月のような存在になってくれないかしら?」
「…………できるんでしょうか……一度は裏切ってしまったウチに」
「できるわよ。どうか、あの子を助けて愛してあげて」
真凛の瞳に静かなる闘志が燃え上る。
直後真凛の目の前に水柱が巻き起こると、その中に勇咲が持っていたはずの水の結晶石が現れたのだ。
「これは……」
「七曜の石が持ち主の呼びかけに応じてやってきたのよ」
真凛は水柱の中に手を入れると、美しいブルーに輝く駒を握りしめていた。
駒の先にはハート型の装飾が施されている。
「あなたの優しい心に石が応えたのね」
「……今、行くから」
真凛は駒を握りしめ、水の駒の力を解放する。
「
茂木はすぐ隣で、蒼光の輝きを纏って変身した真凛を見て絶句する。
光の中から現れた少女の風貌は激変しており、美しいブルーの髪に胸にはハート型の宝石が埋め込まれた大きなリボンと、短いスカートにブーツ。
背中には大きな錨を背負った水の戦士。
少女が思い浮かべたヒーローが色濃く反映され具現化された姿。
少女には力が満ち溢れ、視力も遙かによくなり眼鏡を必要としなかった。
黒ぶちの眼鏡をゆっくりと外す。
そこには迷いのない瞳があった。
コネクトの呪いは解け、今は誰が自分の主であるかがはっきりとわかる。
「茂木君、先、行くね」
真凛は空中にシャボン玉のような水球をつくりあげると、それを足場にして凄まじい勢いで空へと駆けあがっていく。
「ど、百目鬼さんまで……」
茂木は歯を食いしばり、泣きそうな目で空を見上げる。
「俺は……無力だ……。俺には誰も守れない」
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