第140話 花嫁空へ
下から突き上げてくる邪悪な感触を俺は感じ取っていた。
「何か……来る」
その予兆は悲鳴であった。
さっきまで俺を追うことに必死になっていた黒服たちの叫び声だ。
「うわぁっ! 助けてくれ!」
屋根から下を見ると、城のいたるところから真っ黒い霧が漏れており、その霧は蛇の姿を形作る。
ゴゴゴゴっと城を揺らすほどの巨大な何かが上がってくる。
「間違いない、天地か!」
この場にいては危険だと悟り、俺は城の屋根から揚羽と黒乃を突き飛ばした。
「キャアッ!!」
「総司! 二人を頼みますよ!」
剣影がすぐさま落ちた二人の体を掴み、真下にあった教会の屋根を突き破りながらも無事に下へと下ろす。
二人が下りたことを確認すると剣影は弾丸のように主の元へと戻る。
「何すんのよ! 眞い……」
揚羽が呟いて空を見上げた瞬間、屋根を食い破り、八つの頭を持つ怪物が姿を現す。
「なに……あれ?」
揚羽と黒乃は呆気にとられる。
普通で考えればありえないはずだが、二人の視界はぼやけ、あの禍々しい蛇こそが梶勇咲なのだと頭が勝手に認識してしまう。
コネクトの魔力は彼女達の持っている概念を捻じ曲げ、ありえないものでも梶勇咲だと信じさせてしまうのだった。
その二人に声をかける男がいた。
「揚羽……」
「黒乃」
「えっ、パパ……なんでここに」
「お父さん」
二人は教会に未だ残っていた父と出会ったのだ。
「揚羽、行かなきゃいけないから」
父岩男との会話を拒み、すぐさま立ち去ろうとする揚羽だったが、その腕を岩男は掴む。
「なに? 急いでんだけど」
「揚羽……」
揚羽はまた何か文句を言われたり、叱られたりするのかと思い一瞬身構えた。だが、父から出た言葉は全く別のものだった。
「……すまなかったな」
「…………なんなの急に、今それどころじゃ……」
「すまないな揚羽。これだけは伝えたいんだ。今の眞一は眞一じゃない」
「どういう……意味?」
「なんと言っていいかわからないんだが、あれは眞一じゃないんだ。父さん今から変な事言うけど、笑わないでほしい。恐らくお前が好きになった少年と眞一は入れ替わっている」
「!」
自身が違和感を持っていたことを、全く関係のない父親が言い当て、揚羽は息を飲む。
「眞一は優秀だが、人のことを想うようなことを言える人間じゃないんだ。眞一は義理の息子とはいえ父さんにはわかるんだ」
「…………眞一眞一眞一眞一、もうウンザリ! 父さんの子供は眞一だけだよ! なら眞一だけ見てればいいじゃん! もう揚羽に構わないでよ! 揚羽に……揚羽にパパなんていないんだから!」
揚羽は涙をこぼしながら激昂する。
育て方を間違えたとされて、なかったことにされた少女が何も思わなかったわけがない。
辛かった。
悲しかった。
他者に親の愛をとられた子供が傷つかないわけがなかった。
すると岩男は地面に膝をつき、深く、深く揚羽に頭を下げた。
「すまない、揚羽。私は本当に不出来な父……いや、父の資格すらない男だ。頭ごなしにお前を叱ることと、遠ざけることしかできなかった、本当に最低な男だ。こんな私が言うことを何も信じられないと思う。だが……お前は本物の梶勇咲という少年が好きなのだろう? 私はお前たちの事情は何もわからない。だが、揚羽、私から一つ父だった男からの最後の頼みを聞いてほしい。お前は間違っている。このままだとお前は自分の手で一番大切なものを砕いてしまう。私のようになってほしくないんだ!」
岩男は揚羽に一度も見せたことのない涙を見せながら、深く頭を下げ頼み込んだ。
これが初めての命令でも、叱責でもなく頼みだったのだ。
その隣で鉄男と黒乃にも同じことが起きていた。
鉄男は空を上る黒い影と、それから逃げる眞一の姿を眺めていた。
「黒乃、父さんは昔はブラックジャックか鉄男かと言われていた男だ」
「……あの……今は……時間が……なくて」
焦る黒乃をよそに、鉄男はそのまま続ける。
「医者というのは患者の顔を見ただけで健康状態がわかるのだ」
「……はい」
「岩男兄さんのせがれ……眞一と言ったか。式が始まる前に既にたくさん怪我を負っていたな」
「……はい」
「傷は男の勲章であり、誇るものだ。医者の私からしたらふざけるなと言いたくなるが、気持ちはわかる」
「あ、あの……後で……聞き……」
「黒乃、男が傷を隠して立っている時はどういう時だと思う?」
「……わかり……ません」
「母親に怒られるからか? そんなもんじゃない。男が傷を隠して立っている時はな」
鉄男は息を吸い込んで溜めをつくると、目を見開いた。
「誰かを守るときだ」
「!」
「黒乃……私はお前が好きになった男なら誰であろうと結婚は構わないと思っていたし、梶勇咲に関しては私からの推薦だ。だがな、黒乃……変なことを言うが、恐らくあれは中身が入れ替わっているぞ」
「!?」
「顔の筋肉の動き方や、立ち居振る舞い。全てがおかしいと思い、梶勇咲と天地眞一を入れ替えて考えてみたとき全てがしっくりときた。これはいれかわっているなと」
「…………」
「私は天才だからそれくらいの観察眼はもっている。黒乃、お前はあの不愛想な男と、結婚式をぶち壊してお前たちを取り戻しに来る男、どっちが本物の男だと思う?」
「…………」
「黒乃お前は私の娘だ。父は勇気のない臆病者だがお前は違う。勇気のある優しい子だ。見た目に惑わされるな。お前が好きになった男を心臓で感じろ」
「…………ん」
「後悔するのは父さんたちだけで十分だ」
黒乃はコクリと頷くと、鉄男は優しくほほ笑んだ。
揚羽は俯いて小さくなった父を見据える。
幼少の頃あれほど恐ろしかった父が、今ではこんなにくたびれて小さく見えてしまう。
話せてよかった。心からそう思った。
自分の父も悩んでいたとわかってすっきりとした。
苦しんでいるのは自分だけじゃない。
やはり、自分は一人ではなかった。
「ねぇパパ……なんか揚羽すんごい酷い間違いしちゃってたみたいなんだけど、どうしたらいいと思う?」
「間違ったなら……謝って、気持ちをちゃんと伝えればいい」
岩男の言葉は一体誰に向けられた言葉なのか。
父と娘、切れたと思われた絆は決して切れていたわけではなく、ただ薄くなって見えなくなっていただけだ。
その絆はもう一度輝きを取り戻し、ここに揚羽と岩男の長年の確執は消えた。
揚羽は次は愛という絆を取り戻す為に戦う。
「うん……じゃあ、許してもらう為に行ってくる」
揚羽は戦いの空を見上げる。
そこには孤独のまま一人で戦う少年の姿がある。
ポケットの中の駒は既に準備完了と光り輝く。
今までの光とは全く別のものだ。迷いながら偽物に命令されて戦ったときとは違う。
自分の意思で、本物を信じる。
そう思うと、彼女達を欺いていたコネクトの呪いは消えた。
揚羽と黒乃は駒を取り出し手の上で一度だけ弾きキャッチする。
「
「
「総司! 上に上がりながら食い止めてください! 僕は先に上に行きます!」
この決戦の日の為に剣影には魂を貯蓄している。何度か殺されてもロードでやりすごせるはず。
そう思いドクロの仮面を被った侍を送るが、総司の体は一瞬でヤマタノオロチの牙により真っ二つに切断された。
「さすがラスボス! 瞬殺ってやつですか!」
[ReLOAD]
剣影の体はロードですぐに元に戻るが、こっちが異界門に到着するまでに足止めしきれるかが問題だ。
俺は全力でガラスの階段を上り、後ろから迫って来る暗黒の化身のようなヤマタノオロチから逃げる。
だが、相手のスピードの方が圧倒的に早い。
そもそも奴の質量が違う。
奴の巨大な蛇腹は城から今も伸び続け、延々と大きさを拡張していく。
恐らくこれが伸びきって届かなくなるとかそんなんはないんだろうなと思いながら、足を進め、フラッシュムーブも交えて逃走する。
本来もっと転移魔法であるフラッシュムーブを使っていければいいのだが、転移地点を少しでも狂えばガラスの階段を踏み外して地上へと真っ逆さまである。
だが、そんなことも言っていられない。フラッシュムーブを使ってやっとギリギリ逃げられるレベルだ。
「しくじらないでくださいよ僕」
俺のいたすぐ真下をオロチの牙がかすめていく。
「卑怯なんですよ、こっちは生身だっていうのに」
しかし、それにしても階段が長すぎる。いけどもいけども終わりが見えない。
[ReLOAD]
もう何度目かわからないロードを繰り返す。
徐々にこちらの集中力が切れてきて、オロチの攻撃が命中し始めている。
気分的にはマ〇オメーカーで作られた鬼畜ステージを走らされるマ〇オの気分だ。
きっとあの配管工も内心ふざけんなよと思いながら走っていたに違いない。
大蛇の口の中から小さな蛇の頭が現れ、俺の肩に喰らいつく。
肩なら大丈夫、足じゃなければ。
そう自分を鼓舞し、全力でガラスの階段を駆け上がる。
もう下を見る気もしない。一体どこまであがってきたのかわからない。
辛い。こんなときオリオンや仲間がいてくれれば。そんな泣き言がでてしまうくらい膝は笑い、フラッシュムーブの乱発と剣影の維持により魔力はガリガリと減っていく。
一瞬でもミスれば即ゲームオーバーのチェイスなんて今時はやんないぞと思う。
「やばっ!?」
横腹に喰らいついてきた小さな蛇の頭に気をとられ、足を踏み外した。
俺の姿勢は一気に崩れ、ガラスの階段に顔面を思いっきり強打し透明な階段に鮮血が流れる。
ミスをカバーする為に、剣影は俺の盾となり全身を蛇の頭に貫かれた。
「すみません」
[ReLOAD]
剣影は自動で修復されるが、目に見えて魂の残量が下がっており、露骨に動きが悪くなってきた。
もう、持たない。しかしゴールは未だ見えず。
何か、何かを見落としている気がする。明らかに異界門までの距離が遠すぎる。
これだけ登って門の影すら見えない。このままでは本当に月まで走らされるのではないかと思ってしまう。
だが、今迷ってる暇なんてない。
走れ、走れ、走れ。
世界を守るんだ。
皆を守るんだ。
くじけるな、俺の心。
皆の為に記憶を取り戻す為に!
だが、その時聞こえないはずの声が聞こえる。
「天地を殺せ!」
「早く死んで!」
「梶君早くあいつ殺して!」
「死んで……お願い」
聞こえてきたのは仲間の声だ。
しかしそれは俺を応援する暖かいものではなく、世界を守ろうとする、あまりにも無慈悲な声だった。
「そうか……今の僕は敵でしたね」
きったねぇな、あの蛇野郎。こっちの心折りにきやがって。
でも、負けない。
例え100万回やられたとしても、負けない。
かの有名な魔界村で活躍されたアーサーさんのお言葉だ。
折れかけた心にしみるぜ。
血まみれになった顔を拭い、走る走る。
王の駒の中から晶が出せとわめいているのがわかる。
ごめん姉さん。今姉さんだしてもやられるだけだ。
「フラッシュムーブ!」
俺は転移魔法を叫ぶが、体が移動しない。
転移位置の指定をしくじったのかと思った。だが、スマホから無情な音声が響く。
[MP残量0 全スキル使用限界 剣影魂魄残量16%弐式形態維持不能]
やばい、完全にこちらのスタミナ切れだ。
「それでも! 負けない!」
こちらに残っているものはもはや気合い以外なにもない。
だから声を上げ、それでも登るしかない。
しかし、そんな俺の目の前に大蛇の顔があった。
大蛇は二股に割れた舌を出すと、口に闇色の玉を貯め込み、ゼロ距離で爆発させた。
回避することもできず直撃し、俺は爆風でガラスの階段から完全に足を踏み外す。
直後自分を襲う浮遊感。
地面との接地感がない。言うまでもなく落ちているのだ。
「戻れない!」
剣影は既に人型の弐式形態から、戦闘力のない壱式に姿が戻っている。
ダメだ、回避できる手段が何もない!
[BOOST UP]
機械音声が聞こえた瞬間、俺の体は空を舞っていた。
「えっ!?」
「しっかりしてダーリン!」
「揚……羽?」
そこには鋼鉄のローラーシューズに紅蓮の炎を纏わせた、揚羽の姿があった。
「どう……して?」
俺はすぐに身構え、黒鉄を鞘の状態で手にする。
彼女達は現在敵であり、剣神解放した状態でやってきたということは天地の加勢に来たとみて間違いなかったからだ。
俺が戦闘態勢に入ると揚羽は大きく首を振る。
「違うの、全部思い出したから!」
「えっ?」
「もう惑わされてない! 揚羽は味方だから!」
「でもさっき、天地を殺せって声が」
「はぁ!? そんなん言ってないし! てかダーリンは眞一じゃないじゃん!」
あのクソ蛇、幻覚みたいなのが使えるのか。
俺のへし折られた心を返してほしい。
「ちゃんと僕が梶勇咲であると認識できてるんですね!」
「もう大丈夫だから! 迷わないって決めたらモヤみたいなのが消えてダーリンってわかるようになった!」
「良かった……本当に良かった」
俺はあまりにも安心しすぎて、目じりから涙がこぼれてしまった。
「うぅぅぅぅぅ……ごめんね、ごめんね、ほんとごめんね」
それを見て揚羽がグズグズと泣く。
直後大蛇の頭が揚羽の脇腹をかすめ、手を離してしまう。
「キャアッ!」
そのまま再び真っ逆さまに下に落ちると、眩いヘッドライトが落ちる俺の姿を捉える。
鋼鉄の騎馬がエンジン音を轟かせながら、すさまじい勢いで駆け上がってくる。
鋼鉄のアイマスクをつけた漆黒のライダーが階段を登って来たのだ。
黒乃はギャリギャリとブレーキ音を響かせながら、俺の落下地点へとバイクを走らせ、見事にキャッチする。
「生きてんのかハニー!」
「え、ええ黒乃さんも、大丈夫なんですか?」
「ああ、見事に踊らされた。黒乃本体は凹みまくってしばらく再起不能だ。悪いな、このお姉さんがハニーのことを間違えるなんて絶対あっちゃならないことだ」
「良かったです」
俺はきゅっと後ろから黒乃の腰を抱いた。
「間違いない、こっちが本物だ」
「信じてもらえたんですね」
「パパがね、中身入れ替わってるって」
揚羽が空中をスケートの如く滑りながら、黒乃のバイク横を並走する。
「岩男さんが?」
「父さんもだ」
「鉄男さんも」
「良かった……本当に良かったです」
鼻を鳴らしながら黒乃の背に顔をくっつけると。
黒乃の方もグズグズと流れた涙をぬぐう。
「きっとダーリンがパパをなんとかしてくれたおかげだよ!」
「一人でほんとによく頑張った。この壊れかけた世界を守り続けたのはハニーだ」
「思い出してくれただけで十分です。愛してますよ二人とも……」
「やめろ、泣くから、ほんと泣くから!」
「罪悪感と喜びと、なんかいろいろまじってわけわかんなくなるからそういうこと今言うの禁止!」
[揚羽、黒乃、何をしている。そいつは敵だ。今すぐ殺せ]
頭の中に天地の声が響いてくる。
こいつ、また揚羽たちを操ろうとしている。そう思った瞬間黒乃のショットガンが火を吹き、迫っていた大蛇の頭を吹き飛ばす。
「うるせー蛇野郎。ぶち転がすぞ!」
「眞一、もうあんただってバレてんのよ! よくもやってくれたよね」
揚羽の真横を蛇がかすめる。
「幸村加速加速!!」
[AXEL! AXEL!]
揚羽の体が加速し、鋼鉄のローラーシューズユキムラが荒れ狂う風を巻き起こす。
暴風を従えた少女はほんのわずかな火を起こすことで、業火をも従える。
超高速状態で繰り出される揚羽のハイキックは
早い話、あいつが蹴りを出すとカッターみたいな衝撃波が飛んで行って蛇の首を切断するということだ。
自分で言っててあいつめちゃくちゃだなと思う。
そして、特筆すべきは彼女の股関節の稼働領域の広さであり、揚羽はどんな無茶な態勢であろうと蹴りを放てる。
例え大型トレーラーのような大蛇の頭をかわした後だろうが関係ない。
風のブレードは容赦なく蛇の体を真っ二つに切断する。
首を切り落とされた天地は怒りに燃える。
[揚羽あああああ!!]
「うっさい、黙れペテン師」
揚羽は迫りくる蛇の頭をかわし、空に舞い上がると空中で美しい弧を描きながら燃え盛る踵落としを叩きこむ。
蛇の体は燃え上がり、導火線に火がついたように本体へと火が燃え広がる。
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