第119話 ウェルダン

 俺は我が目を疑う。脚を切断され血まみれになっていた揚羽の周囲に魔法陣が浮かび上がり、彼女の姿がその中へと消えていった。

 一体何が起きたのだと痛む体を無理やり立ち上がらせると、彼女の体を吸い込んだ魔法陣が高速で回転し始める。


「な、なんなんだ」


 呟きと共に、俺の持っていた王の駒が光り輝く。

 まるで駒が魔法陣の中にある何かと共鳴しているようで、この光景にデジャブを感じる。

 

「召喚……してるのか?」


 駒の煌めきが強くなると同時に、魔法陣の中から失った足が完全に復元された状態の揚羽が腕組みしながら舞い戻って来たのだ。

 少女の瞳は力強く、先ほどまでの弱々しい雰囲気は微塵もない。

 俺は慌てて揚羽に駆け寄る。


「揚羽!」

「やっほー」

「お前、やっほーって……」

「てか、なんで泣いてんの?」

「泣くだろ! こんなん普通泣くわ! お前今さっきまで血まみれで倒れてたんだぞ。そんで、そんでお前……死んだかと思ったんだぞ……」


 俺は力強く抱きしめると、揚羽はゆっくりと抱き返してくる。恐らく俺の顔は相当情けないものだっただろう。


「何があったんだ? 脚が元に戻ってるじゃないか」

「なんか、あったま痛くてあんま覚えてないんだ。でもさ、一つだけわかることがある……」


 彼女は俺の腕から離れると、一歩二歩と前へと出る。


「おい、揚羽無茶すんな。脚千切れてたんだぞ!」

「そりゃスプラッターだ。揚羽痛い話とか嫌いなんだ」


 中空には鳥と人間が合体した怪物、カルーダの姿がある。

 人間の反応を超えた速度で突撃してくる攻撃は、単純でありながら驚異的な破壊力を持ち、その翼は刃物のような切れ味を誇る。

 彼女の脚をいとも簡単に切り落とした恐ろしいものだ。

 普通ならば足がすくんでしまうような怪物を前にしても、揚羽の歩みは止まらない。


「大丈夫……揚羽は戦えるから」


 そう言ってニッと笑みを作ると、彼女の白い八重歯が覗く。そして手のひらから風が巻き起こり彼女の長い髪を揺らす。


「おっ、お前……」


 彼女の手に握られているのはガラス細工の駒。上部には羽のような装飾デザインがされている。

 その駒を力強く握りしめると、円錐状の下部が鍵のような尖った形へと変化する。

 揚羽は鍵をスマホの画面に突き刺すと強くひねる。


剣神解放ビルドアップユキムラ」

[MATERIALIZEマテリアライズ STARTスタート]


 スマホから鳴り響いた音声と共に、新たに得た駒の力が解放される。

 足元から淡くグリーンに輝く風が舞い、彼女のしなやかな脚部にローラーブーツが復元されていく。

 そのローラーブーツには光の翼が伸び、二度三度鳥のようにはためく。前輪、後輪二つに分かれたホイールはプラスチック製から銀色の金属製にかわり、一見走りにくそうに見えたが、揚羽が軽く地面を蹴ると、金属製のホイールが地面をひっかきボンッと炎が巻き上がると、車輪に紅蓮を纏わせた。


「お前、それは……」

「じゃあ、あいつ殺してくるね」


 そんなちょっとコンビニ行ってくるみたいな気軽さで恐ろしいことを言うと、上空を滞空するガルーダを見据え揚羽は空を舞った。

 彼女が地面から飛び立つと同時に凄まじい風圧が襲い、俺は尻餅をつく。

 彼女がいた場所には二筋の炎が伸びている。

 あまりにも一瞬すぎる跳躍はこちらに消えたと錯覚させ、戦いの空へと飛んだのだと理解するのに数秒遅れる。

 すぐさま天井を見上げると、そこには炎を巻き上げならローリングソバットを放つ揚羽の姿があった。


「桜井、揚羽はもう人のもんだから諦めろ!!」


 そんな恥ずかしいことを言いながら放った怒りの回し蹴りは、美しい弧を描き、ガルーダの首筋にヒットする。

 俺には奴の動きが速すぎてとらえきれなかったのに、彼女の速度はそれを凌駕している。

 首を変な方向に曲げられたガルーダは驚き、すぐさま離脱する。

 たった一瞬で音速近い速度まで加速したガルーダを追いかける術は常人にはない。

 だが、それはあくまで常人の話であり暴風を従えた少女はそれを逃さない。


 空中にアフターバーナーのような炎の軌跡を残し、一瞬でガルーダに接近する。

 一体どれほどの速度が出ているのかわからないし、もしこの光景を物理学者が見ればあまりの無茶苦茶な加速運動に泡を吹いて倒れていることだろう。

 深紅に燃える彼女の力、ユキムラは大きく翼をはためかせ、主に圧倒的な速さという力を与える。

 彼女の体はまるで体操選手のような、美しいムーンサルトを描きガルーダの頭上を一気に追い抜く。

 そのすれ違い様、彼女の頭が真下を向き敵と体が交差した瞬間囁く。


「揚羽の前、進まないで。イラつくから」


 渋滞の原因になっているトロい車を追い抜かすかの如く、揚羽はガルーダの前に出る。

 しかしガルーダはわざわざ前に出てくるなんて馬鹿な奴だと思う。

 このまま体当たりして揚羽を落とす、そう考えた。しかし前を行く紅蓮の蝶に追いつくことができない。

 それどころか引き離されている。

 空中を滑るように移動する揚羽を全力で追いかけているのに、それでも追いつくことが出来ない。

 こちらは限界だというのに、向こうはまだ余裕がありそうなところが恐ろしい。

 このまま行くと壁にぶつかるというところで、揚羽の体はふわりと壁に足をつく。先ほどまでの超スピードとはうってかわった制動性能。むしろこちらの方が驚異的である。

 どれほどでも速く走れる車や飛行機は存在する。しかし最高速からいきなり止まれるものは存在しない。

 いくら頑張ったところで100から0、0から100にはならないのだ。

 それは物理法則に縛られるガルーダも例外ではない。彼女の異常な動きに驚かされる。

 揚羽は水泳選手が折り返し地点でターンするように壁を蹴ると、真正面から突っ込んでくるガルーダに動きをあわせる。


「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 ガルーダは向かってくる障害物に対応できず、そのまま突っ込んでくる。

 ぶつかる間際に揚羽はガルーダの体をかわし、頭上から命を刈り取る踵落としを見舞う。

 暴走するトラックを正面からジャンプでかわして、踵落としで破壊するような出鱈目さである。

 翼を焼かれ、火だるまとなったガルーダはそのまま地上へと落下していく。


「クソガァァァ、コノママジャ終ワラネーゾ!!」


 憎悪の表情で睨むが、落下するガルーダはまだ気づいていない。

 落下予測地点にマサムネが回り込み、既に散弾銃を構えて待っていることを。


「ウェルカムトゥーフライドチキン。いや、ローストか」


 マサムネはニヤリと笑みを浮かべるとショットガンの引き金を引く。

 ダンダンと短い銃声が響き渡ると、火だるまになったガルーダの体は弾丸でズタズタになり、地面へと堕ちた。


「コンナ、コンナハズジャ、揚羽、揚羽ァァァァァァ!」


 桜井だったものは断末魔をあげるが、彼の体は既にバラバラになりうっすらと消えていく。

 いくらが魔法の力があろうとも、これだけズタズタにされてしまえば再生することはできないようだった。


「マジか……お前、マジか」


 俺にはそれ以外言葉がでなかった。

 上空にいる揚羽はブイとピースサインのドヤ顔である。




 上空から降りて来た揚羽を迎える。


「本当に大丈夫なのか?」

「うん、全然オッケー。超余裕」


 ニッと笑みを作る揚羽にほんの少しだけ違和感を感じる。なんというか少しだけ垢ぬけたというか、大人びているように思えたのだ。

 そういや黒乃もマサムネと入れ替わって人格かわってるし、俺もパー君になると敬語になっちまうし、彼女の手に入れた力が原因かもしれない。

 俺はその一番の原因とおぼしき、彼女の手に握られた駒を見やる。


「お前、それどこで……」

「なんかよくわかんないけど、トカゲさんがくれた。あんま可愛くはなかったかな」


 薄くグリーンに光る駒は風の力が宿っており、揚羽は手品のように駒を中空に浮かせて見せる。


「トカゲ……」


 俺の頭に小さい痛みが走るのと同時に、神と呼ばれていたドラゴンのことを思い出す。


「あいつか……」

「それより黒乃は? 揚羽自分よりあのマッドマック〇スタイルの方が気になったんだけど」

「そうか、お前はマサムネのこと知らないもんな」

「マサムネ?」

「お前が手に入れた力と似たようなものだ」


 二人でマサムネの方に近づくと、彼女の前にガルーダの首が転がっている。

 その首はまだカタカタと動いているのだった。


「こいつまだ生きてたのか」


 とどめをさしてやろうかと思ったが、ガルーダの首がドロドロと溶け始め、元の鼻の顔へと戻っていく。

 どうやら魔法の効果が切れたらしい。

 鼻はゼェゼェと苦しそうな息を吐きながらも、不敵な笑みを浮かべる。


「俺をやったところで無駄だ。俺と同じようにコネクトから力を引き出した人間は何人もいる。そいつらはあの方の命令でお前たちを殺しに来るだろう。覚悟するがいい」

「俺は四天王の中では最弱みたいなこと言いやがって。あの方って、あのフェイスマスクの奴か?」

「ククククク、フアーーッハッハッハッハ、いつ襲われるかわからないことに恐怖するがいい。俺は地獄のはてで揚羽、お前を待っている」

「人の話聞いてねぇなコイツ」

「恐怖し、俺をやったことを後悔しろ! お前たちは--」


 鼻が大声を上げようとした瞬間、マサムネがショットガンで残った鼻の顔面を粉々に吹き飛ばした。


「うるっせーんだよ。前々から精液の臭いがして、お前のこと嫌いだったんだよ」


 硝煙の匂いがするショットガンを肩で担ぎながらマサムネは吐き捨てる。

 そら嫌われるわと、ある意味同情する。

 吹っ飛ばされた鼻の特徴的な顔の一部がべちゃりとプールサイドに落ちたが、そこから何か発せられることはなく完全に鼻は消滅したらしい。

 普段の黒乃と全く違う姿に、揚羽は目を白黒させている。

 マサムネは一瞬だけ揚羽の方を見やると、すぐに視線をそらした。


「お嬢様、大丈夫ですか!」


 大声を上げてやってくるのは白銀の黒スーツたちだ。どうやら目を覚ましたらしい。


「一旦はけるから、後で落ち合うぞ」


 俺と黒乃は急いでその場を離脱し、揚羽は一人説明するのめんどくさと頬を引きつらせる。

 その後目を覚ました他の一般客たちは、怪獣でも暴れ回ったんじゃないかと思うようなプールの惨状に閉口する。

 当然ながらすぐにプールは一旦閉鎖となり、俺達は着替えと傷の手当てを行って外に出ることになった。

 更衣室の外で揚羽たちと合流して、施設の外へと向かう。


「あー、説明すんのダルかった」

「お疲れさん。本当に脚は大丈夫なのか?」

「うん、大丈夫。ちゃんとくっついてるし。別に痛くもなんともない」


 揚羽は脚を上げてパンパンと叩いてみせる。


「そりゃ良かった。見合いはどうしたんだ?」

「お見合いも全部中止、てか全員その場で落としてきた」

「全部蹴ってよかったのか? イケメンだらけだったのに」

「ん~、揚羽にはダーリンいるし。それよかダーリン、マサムネのこととか、コネクトのこととか知ってるんでしょ? 揚羽にも教えてよ」

 

 俺は揚羽やマサムネが使っている力が異世界の力によって行使することが出来ていることと、今の異常な状態は全て異世界の門が開いて異界の力が流入してきていることを伝える。

 コネクトがその力を使った願望機であること、放っておくと異世界と現実世界が融合してしまうことを伝える。


「えっ、それってやばくない?」

「やばいやばくないで言うとかなりやばい。というか世界が終わるかもしれない」

「超マジ?」

「マジマジ、超マジ」

「ぱないよね。ツブヤィターに今の話書いていい?」

「なんて書く気だ?」

「世界と異世界合体、マジやばい」

「お前がバカで良かった。ただやばいのはお前の頭だと思われるからやめておいた方が無難だ」

「そっかぁ、そうかも」


 なんかこいつとバカっぽく話していると、全くやばい感じがしない。

 この状況をなんとかする為には駒を集めて異世界の門が閉じるしかないと伝える。

 ただ、異世界の門を閉じる時閉じようとしたものが異世界に飲み込まれること、他の残された人間がその者の記憶を失ってしまうことは伏せた。


「なにそのファンタジー的なの。揚羽リアルMPとか信じないよ」

「さっきまで空飛んでたくせによく言う」

「あれ実は空飛んでるんじゃなくて、空気を固めてそれを蹴ってジャンプしてるだけだったりする」

「それでもすげーな。お前、今さっきの風の力使えるか?」


 揚羽はパチンと指を鳴らすと、目の前を歩いていた女子高生のスカートが突如めくりあがりボーダーパンツが目に映る。


「うん、やっぱ使える」

「おい、なんだよ。俺にもそれ使わせてくれよ……」


 バギとエアロは間違いなく三十まで童貞を貫いた時に覚える魔法だろ。


「じゃあこの魔法が使えるようになってるのって」

「そっ、異世界の門が開いて俺たちには本当はないはずのMPって概念が出来てるとでも思ってくれ。そしてその鍵はお前の持っていた駒だ」

「そっか、じゃあ揚羽のHPバーの下にMPバーできたのか」

「まぁゲーム的に言えばそうなるかな?」


 二人で話していると、隣にいたマサムネから元に戻った黒乃がわずかに俺の服の裾を掴む。

 眉をハの字にしながら唇を少しだけ噛んでいる。

 どうやら彼女も怒っているらしい。

 俺は手を握るのは照れくさいので、服の裾を握っている彼女の指を掴んで歩くことにした。

 すると黒乃は恥ずかし気に俯く。

 やはり自分もかまってほしかったらしい。


 揚羽のスマホが鳴り響くと、彼女は画面を見て顔をしかめる。


「どうかしたのか?」

「ここでの見合いが終わったら、すぐ戻ってきて眞一とお見合いしなさいってパパが」

「お前の父ちゃんこう言っちゃなんだが、マジで自分のことしか考えてないな」

「それは揚羽が一番知ってる」


 揚羽はマジサイテーとイラ立ちながらスマホをポケットに戻すと、俺達は地下から地上へと戻ってくる。

 そしてスポーツセンターの外に出て愕然とする。


「なに……これ?」

「嘘だろ。来る前はこんなんじゃなかったぞ……」

「霧……濃くなってる」


 来る前はうっすらと出ていた霧が、今は街全体を覆い隠すように深く、濃くなっており、4、5メートル先の視界も危うい状況になっていたのだ。

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