第96話 続・たのしいたいいく
「おい、梶」
唐突に低い声をかけられて、やりたい放題やっていた二人の拘束がとける。
そこには当初の予定を崩されて怒り心頭している刑部の姿があった。
うわー、頭から湯気でてる。
「お前たちふざけてるのか。柔道とは本来神聖なものであり、ふざけ半分でやっていいものではない」
さすが女子に寝技かけようとしていた教師は言うことが違う。
「特に梶、貴様は最近本当にたるんどる」
数学しか担当していないし、ほとんどからんだこともないのに既に敵対意識が凄い。女の恨みはそれほどまで大きいということか。しかし、20も違う生徒に嫉妬する教師ってどうなんだ?
「全員練習やめ。今から先生と梶が乱取りを行うからよく見ておくように」
男女ともにおままごとみたいな寝技の練習をやめ、中央の俺と刑部を囲むようにして座る。
捕まえようと思ってた女の子とられて相当頭にきてると見える。完全に教育者失格だと思う。
「いくぞ、そのチャラついた性根鍛えなおしてやる」
本日のお前が言うなスレはここですかって感じだ。
刑部は鬼気迫る表情で突進してくると全く手加減なしで、思いっきり俺の体を投げ飛ばす。
「どっせぇい!!」
「痛ったっ!」
腐っても全国選手だったことはあるのか、力が強く、技のキレもいい。
俺の体操服を無理やり掴み強引に立ち上がらせると、もう一度組みなおす。
「死ねぇぇぇい!!」
お前それ絶対教師が生徒に言って良い言葉じゃないだろ。
ドゴンと嫌な音と共に背中から畳に落ち、肺にダメージを受けゲホゴホとむせる。
周りの生徒達も刑部が憂さ晴らしで投げ飛ばしていることに気づき「うわ、大人げねぇ」としかめっ面である。
刑部の奴嫉妬して生徒を憂さ晴らしに投げまくると、彼の嫌な事件にまた一つ追加されたことだろう。
「もう一回!」
やばいこれ授業終わるまで投げ飛ばされるぞ。
しょうがない、後15分くらいだろう。それまで甘んじて受けるかと諦めの境地である。
ドゴン、ドゴンと畳に背中がうちつけられる音だけが武道場内に響き。
見ている方も、弱いものいじめの現場を見せられているようで、視線をそらすものが多い。
「もう一っかーい!」
くっそ、アホほど投げやがって。1分間に何回投げんだコイツと嫌になるくらいのハイペースで畳に打ちつけられ、背中の傷が痛みだしてきた。
「くっそ、傷開いたんじゃないかこれ」
「もう一回! なにしとる、早く立たんか! 早くしろバカモン! 立てぇぇぇ! キェェェェィ!!」
雄たけびなのか奇声なのかよくわからない声を上げる刑部。
コイツマジもんのサイコパスじゃないのか。
半ばグロッキー状態で立ち上がると、間髪入れずに投げ飛ばされた。
「先生、梶君背中から血がでてます!」
体操服に滲んできた背中の血に真凛が気づき、大声を上げる。
しかし響き渡るのはドゴンと背中を打ちつける音だけである。
二度、三度叩きつけ、もう一度真凛が大声をあげてからようやく刑部は止まった。
「先生血が!」
「血が出てるくらいどうした、先生が学生のときはもっと厳しい指導だったぞ! ちょっと血がでたくらいでガタガタ言うな!」
サイコパス!!
「ちょっ、先生やめなよ。みっともないことすんの」
見かねた揚羽が刑部の腕を掴む。
「誰がみっともないだ! お前みたいに男にだらしないふしだらな不良が、どの口でみっともないなんて言うんだ! 分をわきまえろ!」
あっ、お前言ったな。言ってはいかんことを。
武道場内が静寂に包まれ、誰もがこいつ人として最低だなと顔をしかめる。
揚羽は顔を伏せ俯いた。
「…………」
揚羽は唇を噛んでジワッと涙目になる。
そりゃ大人のまして学校の教師にふしだらな不良なんて言われたら誰だって泣くわ。俺だって泣くわ。
「離さないか」
刑部は揚羽を振りほどき、もう一度俺と組みなおそうとする。
「先生、酷すぎます!」
あまりにも酷い言い方に怒った真凛が前に立つ。
だが、刑部は真凛の大きくなった胸を見てやれやれとため息をつく。
「百目鬼、お前も親からもらった体に傷をつけるなんていけない生徒だ。そんなにも男にちやほやされたかったのか?」
「こ、これは違っ!」
こいつ普通他の学生の前で誤解を招くような発言するか。
傷をつけるなんてというのは、彼女が整形手術でもしたと言いたいのだろう。
「ふん、どいつもこいつも色気づきおって、学生の本文は勉学だとわかっておらん!」
刑部は俺の体操服の襟首を持ち、もう一度投げようと足をかける。
が、先ほどまで面白いようにすっ転がっていた脚は大樹の如く畳に根をはり、びくともしない。
お前絶対許さんからな。
「あんた、言っていいことと悪いことの区別もつかないんですか?」
「何を言っとるんだお前は、先生の言うことの正しさがわからんのか」
「自分の生徒泣かせて俺が正しいってどや顔してる奴の言うことが正しいとは思えないんですよ!」
「梶、あまり生意気な口を叩くんじゃないぞ」
「うるせー、お前はまず数学じゃなくて道徳の勉強からやりなおしてこい!」
俺は刑部の柔道着の襟と帯を持ち、体重をスライドさせ重心を低くし、そのまま力任せに思いっきり奴を背負い投げた。
「パワーーーーーッ!!!」
渾身の背負い投げはドゴンと大きな音をたてる。
刑部の顔面は畳に突き刺さり、俺は逆さまになった刑部の体をそのまま凄い勢いで押していく。
「あ、あれは人間モップ!!」
茂木がガタッと立ち上がる。
「あがががががが」
刑部の頭頂部は激しく畳にすられ、無惨にも奴の飛び散った毛が直線状に散乱していた。
壁際まで引きずった後、手を離すと刑部は半ケツを突き出した間抜けなポーズで固まっている。
一瞬の静寂、その後聞こえるのは俺の荒い息遣いだけだ。
「ハァハァハァハァ、モテたかったらもっと女の子に優しくしろボケが。あとお前乳首から毛が生えてんだよ」
丁度のタイミングでチャイムが鳴り響き、体育の授業が終わりとなる。
「いや、なかなかスカッとしたぜ」
「すげーな梶」
「いや、梶はやる男だと思ってたよ俺は」
「これからこいつハゲ部って呼ぶわ」
男連中が次々に俺の肩を叩いて武道場を後にする。
「あいつどうしよっかな」
ケツを突き出した状態でのびている刑部を見やる。
「ほっとけあんなクズ。つか、パワーってああやって使うんだな、俺には真似できそうにねぇわ」
茂木が笑いながら背中を叩くと、俺は痛みに顔をしかめた。
「おっ、すまん。血が出てんな、保健室行った方がいいぞ。それとあっちも一声かけといた方がいいぞ」
言われて見てみると、そこにはカッと顔を赤くした揚羽と真凛の姿があった。
揚羽はずっと指先で横髪をクルクルしている。
「悪い、無茶苦茶したわ」
「あんなことしたら、今度からダーリン目ぇつけられんじゃん……」
「まぁその時はその時だろ」
どうせ俺の数学の成績なんてゴミみたいなもんだし、今更下がりようもない。
「うん……その……」
「どうした?」
「あの……やっぱ好き」
「えっ、なんだって?」
「難聴かよ!」
伝家の宝刀交友関係をこれ以上進めない為の、ノベズヒーローイヤーを発動すると揚羽はえらく怒っていた。
「好きっつってんの! やばいの!」
揚羽は顔を赤くして、ガンガン押してくる。これでは俺の難聴が通用しない。
そんな空気を真凛は叩き割る。
「梶君怪我してるしね、ほら早く保健室行こ」
「あっ、百目鬼ちゃんちょっと待って」
「あかんよ、これ以上の固有結界(スイーツ空間)は認めへんよ」
俺は真凛に連れられて保健室へ、揚羽が一緒についてきたのは言わずもがなだ。
「許さんぞ、梶勇咲……絶対にだ」
誰もいなくなった武道場で静かに怒気を孕んだ声が響いた。
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