第17話 命と常識の天秤

 エーリカの種族は融機人間(メタル)であった。

 融機人間とはこの世界を常に浮遊している大陸、ガリア特有の人種であり、古代錬金術師アイオーンと呼ばれる民達が、不老不死の力を手に入れる為に産まれたとされる種族で、生まれがらにして機械と生命が一体化している種族だった。

 機械の融合率はそれぞれ異なるが、エーリカの機械融機率は35%と生体部分の方が多くしめ、同種の中では低い方だった。

 彼女の特徴は重火器の使用だけでなく、融機人にしては特異なケースである、体内でエーテルを生成することができることだった。

 それにより、通常ほとんどの融機人は魔法が使えないが、エーリカは重火器と魔法の両方を使用することができる、融機人の新たなる可能性とみなされた。

 彼女が神からEX判定を受けたのもこの部分によるところが大きかった。

 しかし彼女には大きな欠点があり、自覚していることがあった。それは感情であった。


 エーリカは…………とても気が弱かった。


 自分自身でも同種と比べて感情機能が低く設定されていることは認識しており、本人も様々な言語機能をインストールしてみたが自分の伝達能力の低さが向上することはなかった。

 ハイスペックであり、融機人には見られない成長要素を保有し、魔法と機械を使いこなす。

 外見スペックも生体部分が多いため、機械ということをあまり感じられず、白いスキンに青銀の髪。女性らしさを象徴する部位の成長も良く、誰しもが美しいと認めるのだが、本人は逆に他の融機人と比べた時の人間ぽさが気になり、全身にボディスーツを着込み、更にその上に巨大な鎧を装備し、自分の人間らしさを消そうとするのだった。

 エーリカ自身この性格を治したいと思い、外の世界に触れる事を望み、王に召喚されることを良しとしたのだった。




 出会いはほんの三か月前、乾王に召喚され数日しか経っていない時だった。

 乾王は最初のガチャでエーリカを引き、自分の幸運を喜んだ。エーリカもその期待に応える為、一人で難易度の高い依頼をこなし続けた。

 ほんの数日でいくつもの高難易度依頼を達成し、乾王は一瞬でステファンギルドの有名人となっていた。


 エーリカはいつも通り乾王に頼まれ、ギルドで次に受ける高難易度の依頼を見繕っていた。


「うっ、卵拾いしかない……」


 卵拾いとは産卵期のジャイアントフロッグの卵を回収することで、放置すると大量に巨大なカエルの子供が産まれてきて農作物を食い荒らして非常に危険なのだった。

 ベトベトにされるのでやりたくはないのだが、これ以外に報酬の良さそうなものは他の冒険者や王にとられてしまいなくなっていた。

 ギルド職員に聞けば、まだいくつか依頼がでてきたかもしれないが、内気な彼女がそんなことを聞けるはずもなかった。

 今日はもう遅いので、また明日依頼を見てみようと諦めて踵を返そうとしたとき、血まみれの少女を腕に抱いた青年が息も絶え絶えになりながら駆け込んできたのだった。

 裏山にでたナーガに襲われたらしく、血まみれの少女にはひっかき傷や噛まれた跡が見られた。

 少女は急いで手当てが施されたが、一緒に来た少年の顔は青ざめたままだった。

 エーリカはなぜナーガ程度であれほどの傷になったのか気になったので、珍しく声をかけてみることにした。


「大変……ですね」


 勇気を出して声をかけたのだが、最初少年は自分に声をかけられていると気づかず黙ったままだった。

 しかし目の前に立つエーリカを見て、ようやく自分に言われているのだと気づく。


「えっ……あっはい……」


 見慣れない服装からして、恐らくこの世界に召喚された王なのだろう。筋肉のつき方から見て戦士という線は早々に消えた。


「何に襲われたのです?」

「ナーガです……蛇の下半身と人間の上半身をした怪物です……」


 今の説明で少年が異世界から来たと見て、間違いなかった。

 ナーガはありふれているモンスターでいちいち外見的説明をする人間はほとんどいないと言っていい。

 その説明をしたのは彼にとってナーガが見慣れぬものだったからだろうと予測した。


「大きかったのですか?」

「一メートルちょっと……くらいかな。尻尾いれると凄く長かったですけど、起き上がった背の高さはそれくらいです」

「まだ子供ですね。では数が多かったのですか?」

「二匹です」


 数も大して多くない。その程度なら武器を持った大人一人でもなんとかなるだろう。

 先ほど運ばれていった少女は戦士と見て間違いない。彼女ならば子供のナーガ程度ならなんとでもなるだろうし、最悪逃げようと思えば逃げられたはずだ。


「失礼ですが、彼女はなぜあれほどの傷を?」

「…………俺が……止めたんです」

「止めた?」

「ええ……やめろって」

「それはなぜ?」

「…………だって……生きてるじゃないですか」


 エーリカは一瞬彼が何を言っているか理解できなかった。

 生きてるのは当たり前で、生きてなかったら襲ってはこないだろうと。


「それは生きているから殺すのは可哀想ということですか?」

「…………」


 少年は答えない。それは肯定を意味しているのだろう。

 そこで、もしやと思った。


「あなた日本はご存知ですか?」


 そう聞くと少年の目の色がかわる。


「日本を知ってるんですか!?」

「ええ、私のマスターが日本出身です」

「そう、なのか。やっぱり俺以外にもここにきている人がいたのか……」


 そう言って少年は安堵と同時に、やはりここが異世界なのだと理解して、複雑な表情になる。


「日本にはこのようなモンスターはいないと聞きました」

「ええ、いないです」

「ですが、ここは日本ではなく魔物が存在する世界です。襲ってくるものは倒さないと自分が死にますよ」

「……ええ……でも、でも異形の形をしていても、人の体をして生きてるんですよ……人殺しじゃないですか」

「人殺し……。ですが、そのせいで貴方の仲間は大きな怪我をした。人の形をしているだけであれは人ではなく魔物です」

「…………」


 エーリカは責めるつもりはなかったのだが、魔物を殺すことが人殺しなどと言う少年に少し苛立ちを覚え、自然と語気は強くなっていた。


「あ、あなたは王なのでしょう。そのようなことを言って兵を殺すつもりなのですか?」

「でも……でも……生きてるんですよ……命なんですよ」


 気づけば少年は涙を流して、嗚咽をかみ殺していた。

 そこでエーリカは気づいた、この少年はよっぽど死から遠い世界からやってきたのだと。

 恐らくこの分では生きるために必要な動物を殺すのも躊躇ってしまうくらいにきっと優しく、そして心が弱い。

 そんな人間が、まして全くの別種だとしても人間の形をしているものを殺せるわけがないのだ。

 なんたる優しさと慈悲の深さ、そしてなんたる偽善かとエーリカは思う。

 襲い来るものの命は刈り取る。

 自身の力が足りなければ死ぬ。

 命の上に命が立っている世界で、命は大事だから奪えないと、今時教会でもそんなことは言わない。

 そこでエーリカは少年と自分が似ていると感じる。

 いけないことだとわかっていても立ち止まって動けなくなる。

 その結果仲間を傷つけるようなことになってしまった。

 自分には力があったからそのようなことは起きなかったが、少年には力がなかった。

 これがもし自分に力がなければ立場は同じところにまで落ちていたかもしれない。

 そう思うと少年を責めるのは酷だと思った。


 仲間の少女の容体が安定したとギルドの職員から聞かされ一旦の安堵が訪れる。

 しかし彼はほっと胸を撫で下ろしたのと同時にギルドから姿を消していた。


 エーリカはどこに行ったのかとギルドを出ると、少年は鉄の剣を露店で購入しているところだった。

 装飾も何もない、恐らく魔物とやりあえばすぐに折れてしまうような、鍛冶屋の失敗作を安くで売りだした剣だ。

 エーリカはその少年が気になり、ついつい後をついていってしまう。

 少年は剣を握りしめたまま、元来た道を戻る。

 ラインハルト城下町からかなり遠い道を少年は一人、血まみれの少女を抱えたまま歩いてきたのかと思うと、痛ましい気持ちになる。

 少年が行きついた先は、裏に大きな山が二つ、辺りには何もない錆びれた城の中へと入って行く。

 恐らく自城なのだろう。

 自分の城も年期が入ったものだが、この城に比べればよっぽど住み心地の良いところだろうと思う。


 崩れた城門を抜け、人気のない真っ暗な城の中に入るとシュルシュルと何かが這う音と、動物を喰っているのか血の臭いがする。

 闇の中で輝く金の瞳が四つ。近くには動物の死体がいくつも転がっている。

 エントランスにいた二匹のモンスターがむくりと体をおこし、本来の主を侵入者として威嚇に満ちた目で睨む。

 裏山にいたというナーガはどうやら降りてきたらしく、城の中へと侵入してきていたのだった。

 二匹のナーガは長い舌をのぞかせ、ガラガラと鳴き声をあげる。

 蛇腹の魔物は両手に粗末な剣を持ち、少年に近づいていく。

 エーリカは舌打ちを一つして、腰から拳銃を引き抜き、ナーガの眉間に照準を合わせる。

 だが


「うあああああああああああああっ!!」


 少年は雄たけびをあげながら、安物の剣を引き抜きナーガへと斬りかかる。

 突然の行動に驚いたナーガは一匹は回避行動すらとれず、体を袈裟に斬られて倒れた。

 もう一匹のナーガはすぐさま少年を手に持った剣で斬りつける。

 斬られた少年の腕から血飛沫が飛ぶが、少年は構わず残ったナーガに斬りかかる。


「ああああああああっ!!!」


 絶叫しながらの斬撃。

 型も何もない、ただ振り回すだけの剣戟。

 ナーガが剣を弾くと、少年の鉄の剣はそれだけで刃が欠ける。


「畜生おおおおおおおっ!!」


 めちゃくちゃに振るわれる剣を嫌い、ナーガは少年の背後に素早く回り込み、両腕を押さえつけながら蛇腹を体に巻き付かせた。

 少年の体をみしみしと音をたてて締め上げていく。

 顔の真横で長い舌を揺らしながら、早く死ねと笑みを浮かべるナーガ。


「うっぐ……っぐ……っぐ……」


 少年は再び泣きだしたのだった。

 戦意を失ったのか、死の恐怖からの涙なのか。

 どちらにしても少年が危険な状態なのは間違いなかった。

 エーリカは物陰から構えた銃を撃つか撃たないか迷う。

 撃っていいのか? ここで助けるのは簡単だが、今彼があの魔物を倒せなければいずれ近いうちに死ぬ。わかっていて助けるのかと。

 エーリカの網膜に映される少年のバイタルがみるみるうちに下がっていく。

 これ以上は危険だと判断し、トリガーに手をかける。


「ごめん……ごめんなさい……」


 少年の謝罪の声が聞こえる。

 直後背面にいたナーガの背中から剣が生える。

 笑みを浮かべたナーガの顔は苦悶にかわり、紫の血を吐きながらゆっくりと崩れ落ちた。

 彼の謝罪が、誰に向けられたものかエーリカはすぐに理解した。


「ごめん……なさい……」


 少年のすすり泣く声が響き、穴の開いた城の天井からエーリカは空を見上げる。

 小さな星が夜空を滑り落ちていた。

 エーリカは悟った、彼はこの世界で生きていく覚悟をしたのだと。

 マスターは言った。自分のいた世界で襲われたことなど一度もないと。

 そんな幸せな世界エーリカは夢に見ようと思っても、見ることは出来ない。

 日本からやって来た少年はたった二匹のナーガに仲間を傷つけられ、自分の世界を否定された。

 この世界で自分は正しくないのだと教えられた結果なのだ。

 そして少年は剣を手に取り、自分のいた世界から決別した。

 でも、それはとても痛みを伴うもので、体の痛みなんかよりずっと心の痛みが強くて泣いてしまった。

 だが、それ以上に仲間の少女を傷つけられたことの方が重い罪だったのだ。

 だから自分の手でナーガを殺した。

 本来謝罪はするべきではない。

 ナーガは少年と少女を殺そうとした。それに対して少年は返り討ちにしただけ。

 この世界では何も珍しいことではない。

 でも、心が、彼の中の常識が罪悪感に耐えきれなかったのだろう。


「あなたは王なのでしょう。そのようなことを言って兵を殺すつもりなのですか?」


 エーリカはそう問うた。しかしそんなことは本人が一番強く責任を感じていたことであり、部外者がわざわざ口出しすべきことではなかったのだ。

 ただの少年が王になった瞬間を見た、そんな気がする。

 エーリカのマスターは未だモンスターを自分の手で倒したことはない。

 恐らくエーリカがいる限り、マスターが直接手を下すことはないだろう。

 果たしてそれは本当に良いことなのだろうか?

 合理的に考えればそれで良い。

 王が戦いの場に出て、直接手を下すなんてことはあってはならないのだ。

 だが……嗚咽を漏らす少年を見て思う。

 彼は精神的な面では一段階も二段階も前に進んだと。

 それはいつか地力の差として確実に表れるだろう。

 命を奪った事のある王と、奪った事のない王。

 命に対する自身への跳ね返りを受け止められるのか?

 今もがいている彼は必死にそれを受け止めようとしているのだと。

 それは自分自身にも言えることだ。

 価値観なんてものは容易にかえられるものじゃない。

 それでも必死に抗って戦う少年は確実に成長していくだろう。

 自分もこのように変わることができるのだろうかと自問する。


 それから一週間後、ステファンギルドで王とエーリカは再会した。

 仲間の少女と二人、泥だらけになりながら口やかましく喚きながらやってきた。


「お前普通水攻めするにしても、貯水池の水全部流し込むとかないだろ」

「咲だって、巣からゴブリンいっぱいでてきたから、これはもう水でも流し込むしかねーって言ってたじゃん!」

「確かに貯水池から流れ込むように水路は作ったけど、全部は多いってわかるだろ」

「仕方ないじゃん、水門開けたら閉まらなくなったんだもん」

「危うくびちゃびちゃになった農作物弁償させられるところだったぞ」

「大丈夫だって、依頼者も顔引きつってたけど何も言ってこなかったし、全ては結果オーライだろ」


 二人がエーリカの前を通り過ぎる。

 どうやら彼は一人前にこの世界で生きているようだった。

 やはりあの時引き金を引かなくて良かったと安堵する。


「あっ、エーリカさん」


 王はエーリカを見つけると子犬のように駆けてくる。


「は、はい、なんでしょう」


 王とはあの後一度マスターである乾王と面会している。

 その時に喧嘩になったこともあり、自分からは声をかけずらいエーリカだった。


「まだお礼が言えてなくて」

「お礼? とはなんのこでしょう」

「以前オリオンが怪我をして、ナーガが城に入って来た時です。あの時エーリカさん、心配してついてきてくれたでしょう?」

「……気づかれていたのですか?」

「たまたま後ろ振り返ったら見えたんで。あの時銃を構えてたのは助けようとしてくれたんでしょう?」

「ぐ、偶然です」

「はは、凄い偶然だな。でも、そのおかげでモンスターを倒す覚悟が出来たんで」

「見られているのと、覚悟は繋がりませんが?」

「いや、美人に見られてたら、大体の男は頑張りますよ」

「!」


 予想外の答えに、エーリカの体温が一瞬急上昇する。


「いえ……私は何も」

「とにかくお礼だけしたくて。今度機会があれば一杯おごらせてください」

「ええ、楽しみにしています」

「どこに一杯おごれる余裕があるんだよ。あたしの稼いだ金で女口説くとかいい度胸してるじゃねーか」


 眉をつり上げたオリオンが王の耳をつまみ、ギルドカウンターへと向かって行く。


「痛い痛い痛い!」

「女口説く暇があるなら仕事しろ!」

「お前にだけは言われたくない!」


 その様子を後ろでクスリと笑うエーリカの姿があった。





「なんだにゃ、エーちゃんは美人って言われただけで落ちたのかにゃ? チョロインかにゃ?」

「な、なんでそうなるんですか! わ、私はこう人が成長する様を見るのが好きで、それが決して恋愛感情云々でわ……。そ、それに彼のおかげで私も前を向いていこうと……」


 エーリカの声は段々尻すぼみになっていく。 


「シレっとパシャパシャ盗撮してる女の子に言っても説得力ないにゃ」

「ぐっ、なぜそれを」

「エーちゃん気づいてないけど、エーちゃん写真とってるとき口元ニヤケてるにゃ」


 ばっと自分の口元をおさえるエーリカ。


「まぁ少なくともウチのバカ王よりかは見てて楽しそうにゃ。それに召喚されてきた王にしてはそこそこ根性ありそうだし、兵も懐いてるにゃ。つまりはそういうことだろうにゃ」

「別に私は今のマスターが悪いとは思いません。そういう王もいると思いますし、むしろもっと非道なことを強要する王だっているでしょう」

「でもエーちゃんが求めてるのは人の成長にゃ、バカはバカと気づいてないから成長もなにもないにゃ」

「口がすぎますよ」

「事実にゃ」


 二人は軽口をたたきながらもクスリと笑い合う。

 今まで男の人の話でどうこうと盛り上がったことがなく、しかもこんな切羽詰まった状況でと思うと、なんだが笑いがこみあげてくるのだった。

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