(補遺)力量を測る

 その姿を一目見た瞬間、彼は悟った。――こいつ、できる。


 強者同士が対面する場面ではよくある描写だと思う。秀でる者は秀でる者を見抜く。自身に匹敵するのか、あるいは凌駕しているか。些細なことから推測を付ける。


 ではどのような部分に目を配り、判断しているのか。今回はそんな視点で戯言を垂れてみよう。


 例えば足運び。とりわけ日本の武道はすり足を基本とするので、これが染み着いている人間は足運びに特徴が出る、かも知れない。

 かも知れないというのは、私自身はそうでもないと自分で思っているからだ。私は極々普通の歩き方をしている。「その歩き方はあなただと思いました」と言われたことなど数回しかない。

 閑話休題。

 そんなわけで、何気なく歩いている人物の足運び、その足音を聞いて武術家と悟るといった使い方ができる。ずっしりと力が籠っている、あるいは見た目に反して軽やか、のように。あるいはさらに発展させて、「あれは○○派、あれは××派」と利き足音をさせるというのもあるだろう。


 次いで手。巻き藁を毎日突いて鍛錬する人間なら、その拳頭は皮が厚く硬くなっていることだろう。

 あるいは剣を得意とする者はその掌に剣ダコがあろう。いかにも力仕事を生業としているような相手ならともかく、文弱な書生と思って握手をしてみたらぎょっとした、のように使える。

 とはいえこの剣ダコのような治癒する身体特徴は修業を積めば積むほどに「それが当たり前の刺激」となっていくため、熟練の者ほど目立たなくなるものだ。すなわち、剣ダコは未熟の証とも言える。


 現実でもよく言われるのが、耳だ。耳が潰れて膨らみ、形が変形してしまっている。一部ではこれを「餃子耳」などと呼ぶ。

 これは柔道、相撲、レスリングやラグビーなど、体(とりわけ頭部)を強く擦り付けあう競技をやった人間がなりやすい。耳が強い圧迫を受けることで内出血を起こし、その血がそのまま固まって肉に変じてしまうのである。

 いずれにせよそのような競技で体を鍛えてきた相手に喧嘩を売るのは愚行である。ゆえに「耳が潰れている奴には手を出すな」と言われるのである(私の周囲だけであろうか)。


 ただ立っているだけでも自然と覇気を発するのは、やはり背筋が伸びて堂々としているからだろう。こじつけるならば体幹をしっかり鍛えていることの証左、とも言えよう。

 一方でわざと背中を曲げて力量を隠すこともあれば、そもそも腰を丸めることでバネの力を溜めている場合もある。


 視線もアリかも知れない。SPやらシークレット・サービスやらがサングラスを身に着けるのは、周囲に向ける視線を隠すためと聞く(真偽は知らない)。

 何気なく視線が武器を警戒するように動く、それに気づくという演出はアリだろう。

 視線だけでなく、他にも些細な物音に敏感であったり、まだはるか遠くの馬蹄の音を聞き分けたりというのも武侠小説ではよく見る。


 色々と書いてきたが、結局手っ取り早いのは「いきなり襲い掛かる」ことだろう。相手が応じられずにいれば未熟と言えるし、逆に反撃されればこちらが死ぬだけだ。実にわかり易い。

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