跋文

おわりに

 このエッセイを書き始めた当初、まさかここまでの好評を賜るとは思いもしていなかった。

 私とて武術はまだまだ未熟、小説も修行中の身だ。それが閲覧数は4,700PVを超え(2016年7月22日時点)、幾多のフォローとレビューをいただき、ランキングでも上位に押し上げていただいた。

 つまりそれは、武術描写・アクション描写で筆を悩ませる方がそれだけいたということなのだろう。

 しかし、とうとう私自身が筆を擱くときがやって来たのだ。


 武術とは奥妙深淵なもの、その極意を書き出そうとすればきりがない。実際、まだまだ書こうと思えば書けないでもない。

 だがそれはきっと、汎用的とは言えないマニアックに過ぎる内容となるに違いない。

 使いどころに困る知識を与えられるよりは、知らぬままに想像力を働かせるほうが表現の幅は広がる。老子道徳経にも「道の道とすべきは常の道に非ず」とある。こうあるべきだと示された道は、いつでも正しいとは限らないのである。

 本エッセイをここまで読み進めて来られた方は、すでに武術世界の入り口にいる。ここから先の道は私が示すものではない。それは常の道ではないからだ。


 ――早い話が、後は書いて書いて書きまくれ。そして慣れろ! ということだ。


 忘れてはならないのが、本エッセイの内容はあくまで知識の一つであり、参考にしかならないと言うこと。

 武術には型とか套路というものがあるが、あれはなにも「あの通りに動いて敵を倒す」ことは想定していない。何度も繰り返して体を動かし、いざという時に「己の体はこのように動かすことができる」と覚えさせるためにやるのだ。

 本エッセイの内容もそのまま用いられることはないだろう。場面に応じて表現を変え、解釈を加えて描写されるはずだ。そのとき、私がこうだと書いていたからとて、それに固執する必要はない。多少逸れたとしても構うことはないし、真逆であっても良いのだ。武術理論の真逆を行く技だって、創作の中では存在して良いのだから(「黯然銷魂掌あんぜんしょうこんしょう」などまさにそれだ)。


 筆を擱いた今、私は一抹の寂しさを覚えると共に、期待に胸を膨らませている。

 このエッセイはただのきっかけに過ぎないが、これから血沸き肉躍る戦闘描写の作品が輩出されることだろう。

 さて、どのような戦闘が描かれるのだろう。

 さて、作者はどのように秘伝を活かすのだろう。

 さて、どれだけの読者がその戦闘に引き込まれるのだろう。

 さて、その読者の中の何人が武術に興味を持つに至るだろう。


 さて、私は一体何人の書き手に追い抜かれてしまうのだろう。

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