送球ノンフィクション

夏目 圭

雲ひとつない青い空を見上げる。   


 走る。走る。どんどん走る。

 これでもかというくらいに、深尾葵ふかお まもるは全力で走っていた。どれくらい全力かと言うと、獲物を狩る時のチーターくらいだろうか。

 昼休みに入り購買部へ昼食を買いに行く生徒たちの間をすり抜け、同学年と思われる謎の4人組から逃げている。

「何だ?喧嘩か?」

「何であいつら、追い掛けっこしてるんだ?」

 すれ違い様に、生徒達の会話が耳に入った。理由なんて知るもんか!、と大声で言ってやりたいが必死に言葉を飲み込み、走りに集中する。

「深尾君、ちょっと待ってよ」

 後ろから、葵の名を呼ぶ声が聞こえた。クラスも名前も分からない相手に名を呼ばれる事に少し違和感を感じていた。

「深尾君、待ってってば」

「待ちません!」

 生徒たちが、次々と振り返っては葵達を見つめる。その視線を感じるたびに、葵の胃は何者かに捕まれたようにキュッと痛くなった。

 あぁ、目立たない高校生活を過ごすって決めていたのに。

 東京都立陽星高校に入学をして、約1週間。明るい性格ではなく目立つ事が好きではない葵は、中学校時代同様に高校生活を静かに過ごそうと心に決めていた。出来る限り目立つ事を避け、ただ訪れる毎日を当たり前の様に過ごす。誰にも気にされないまま卒業できればいいと、そんな風に思っていた。

 なのに、なんで。逃げても逃げても追いかけてくる相手。いつまで逃げてればいいのだと、終わりが見えない現状に気が遠くなりそうになる。

「勘弁してくれよ」

 弱音を吐きつつ、葵は高くない運動神経を振り絞りやっとの思いで校舎裏へと逃げ込んだ。

 校舎裏には先客としてカップルがいたが、自分たちの世界に入り込んで場違いな葵には興味を示すことはなかった。

「ここまで来れば、大丈夫かな」

 後方を振り返り、上手く4人組を振り切ったのを確認する。

「誰も、いない……よね」

 人影が無いことに安堵し、乱れた息を深呼吸で整えた。

「どうしてこうなったんだっけ」

 頭を抱え葵は考えた。しかし状況を整理をするにしても全く理解が出来ない為そのまま頭を悩ませるしかなかった。

「どうして、俺なんかが……」

 ふと本音が声に出る。葵は自分自身が普通以下の人間である事を自覚している。特別な趣味もなく、勉強が出来るわけでもなければ、運動神経がいいわけでもない。友達は少ない部類で、他人から褒められる部分が無いわけではないが、その部分は葵にとって口に出したくない程の嫌いな部分でもある為、自慢できる事でもなんでもなかった。どう考えてもここまで誰かに執着させられる理由など無く、むしろそれ程までの完璧な自分の平凡さに、葵自身が酷くため息が出る程なのであった。

「考えるのもつかれた……、家に帰りたい」

 何故、自分がこんな目に合わなければいけないのだろか、と葵は思った。久しぶりに全速力で走ったことによる疲労と言葉に出来ない虚しさが身体を襲う。その場に座り込み近くにあった草を毟りとった。

「もう帰っちゃっても良いと思う?」

 草に問いかけても、答えは返ってこない。

「虚しい……」

 小さく丸まり込み、本日何回目かのため息を落とした。いっそ、本当にこのまま帰ってしまおうか、そう思い顔を上げると見覚えのある顔を目が合った。

「あの、落ち込んでいる所、申し訳ないけど……深尾くんだよね?」

「あっ!」

 しまった、と思ったときには時既に遅く、葵の周りを例の5人組が囲い込んでいた。なぜ気づかなかったのだろうと草むらを毟っていた数分前の行動を責める。

「やっと、見つけたよ。かくれんぼはもう終わりでいいかな?」

 メンバーの1人が、満面の笑みで問いかける。どこかの王子様かと勘違いする様なあまりの爽やかさに、葵は無言で頷くことしか出来なかった。

「よかった。やっぱり……深尾くんだ。ごめんね、沢山走って疲れているよね。本当は、追いかけるなんて乱暴な方法取りたくなかったんだけど」

 爽やかな生徒は、そう言葉を伝えると座り込む葵に手を差し伸べた。王子様からの甘い誘惑に思わず手を掴もうとするのと同時に、今度は後ろから怒鳴るような声が聞こえてきた。

ゆう、優しすぎなんだよ。こんな奴に手を差し伸べる必要なんてないだろうが。ほら、自分で立て」

 爽やかな生徒と全く同じ顔をした生徒が、伸ばした葵の手を叩いた。

「痛っ」

「あ!しゅう、いきなり人の手を叩くなんて酷いじゃないか」

 葵の叩かれた手を取り、優しくさすられる。男にさすられても嬉しくはないはずなのに、何故か自分の顔が熱くなっていくのが分かった。

「ごめんね、深尾君。弟は僕と違って少し乱暴な性格で」

「あ、俺は別に全然……」

 どうやら会話の流れから、爽やかな生徒と手を叩いた乱暴な生徒は、双子なのだと葵は察した。

「なんだよ、優。こいつに優しくすんのかよ」

「秀、あんまり意地悪言ってるとさすがの僕も怒るよ?」

 兄である「優」の顔付が変わり、弟の「秀」の顔を睨み付ける。無言の圧力を感じたのか秀は舌打ちをし、葵の方へ体を向けた。

「手」

「え?」

「叩いて、悪かった。……別にお前に怖いことなんてしねぇから」

 兄に怒られ反省したのか、ばつの悪そうな顔で話を続ける。

「ほら、立てよ」

 秀はそのまま恥ずかしそうに手を差し伸べると、葵はゆっくり頷き手を取り立ち上がった。

「あ、ありがとう」

 口調が柔らかくなり、ほっとする。実はそんなに怖い奴らではないのかもしれないと葵は思った。

「……ん?」

 何かがおかしいと感じる。葵が立ち上がり、そのまま秀の手を放そうとしても、葵の手は離される事がなかった。

 まさか……。葵が恐る恐る視線を前に向けると、不敵な笑みを浮かべた4人組が葵を見つめていた。

「やっとつかまえたよ」

「俺達の話聞いてくれるよな」

 先程まで喧嘩していたはずの双子は、どうやら一芝居うったのだと気づいた。後ろにいた、2人組も「やっぱ、双子の演技はえげつないわー」などと関心をしている。

 もう、逃げられないな。と、心の中でぼんやりと考える。もしこの人数でリンチにされたらひとたまりもないだろう。殴られた痛さで泣く自信が葵はあった。尋常ではない程の汗が頬をつたう。冷静を装い、この状況から逃げ出す方法を考えてみても上手い方法が思いつかず絶望を感じた。

 平和な高校生活を送りたかった。人に追いかけられない人生を送りたかった。

 そんな事を思いながら、葵は空を見上げた。

 心也しんや、お前があんな事言いださなければこんな事には……。

 ふと、親友の顔を葵は思い出した。つい数日前まで笑顔で語りあっていた筈なのに、今はもう口をきいてもいない。


『ごめん、葵……』


 雲ひとつない青い空は、数日前も今日みたいに良い天気の日だった。


『僕、ハンドボール部に入ることにした』


 病弱で弱いくせに、人一倍夢を語りたがる親友の一言。偶然だったのか、運命だったのか。はたまた必然だったのか。そんな一言からこの物語は始まっていた。


 それは、数日前に葵と親友である心也が喧嘩する所まで遡る――


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送球ノンフィクション 夏目 圭 @kichijoji_buko

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