三章 1

三章

「『権利外観法理』というものが、そもそもどこから出てきたものなのか、どなたかご存知ですか?」

奈倉はゼミ生一同に質問を投げ掛けた。しかし、期待した反応は無かった。目をきょろきょろさせたり、小声で話し合ったりしてはいるが、挙手をして答えを言う者はいない。

「日本人が最初に作った法理論ではないのですか?」

玖珠が奈倉に質問する。

「いえ、違います。皆さんは読み飛ばしてしまったかもしれませんが、私が指定した教科書の脚注に答えが書いてあります」

学生達はテキストのページを捲った。

「この法理がどこから来たのか、は学生レベルでも知っておいた方が良いでしょう。この法理は、大陸法、すなわち、英米法と対比される西ヨーロッパの法理論から輸入されたものです。特にドイツですね。『権利外観』をドイツ語では'Rechtsschein'と言います。rechtは英語のrightに対応していますが、'das(冠詞) bürgerliche recht' で民法を意味します。英語のrightには『法(律)』という意味がありませんね。ここにも色々背景がありますがそれはさておき…。scheinは、輝き、といった意味もありますが、見た目、外見、外観、を意味します。ドイツ語の勉強にもなりますが、ここでの問題は、日本の法律を『解釈』するときに、外国の法理論が参照される、もっと言えば、持ち込まれることがあるわけです。これは、法律の初学者からすると、驚くべきことですよね。というのも、違う国の法律学の理論が一見するとそのまま使われるわけですから。しかし、これにも理由があります。というのも、日本の法律が、その歴史から言って、先ほど言った西ヨーロッパ大陸法を参考にして作られたものだからです」

奈倉は説明を続ける。

「こういうことは、法律学においては極めて多く起きることです。そして、初学者をひどく混乱させる原因でもある。法理論、というのは、理論ですから、確かに、一応は単独で抽出し、論理的に論じることが可能です。しかし、今言ったように、理論は理論として単独で成り立ち得ても、それを異なる2つ以上の国の法律学に実際に落とし込むと、まず間違いなく弊害があります。それは、例えば、判例との衝突であったり、関連する法規範・法理論との衝突であったりです。そもそも、権利外観法理とは、そのオリジナルに即して言うならば、94条2項に関連するものではありません。元々は、不動産法における登記の公信力制度、動産法における善意取得制度を説明するものでした。それが、『善意者保護』の要素や『外観保護』の要素が抽象化され、より広いレンジを説明する法理論として膨らんでいるわけです」

次のゼミへと滞り無く繋げるために、奈倉は次の課題をゼミ生達に出す方向へ話を整えた。

「この話は、システム一般に敷衍することが可能です。すなわち、あるシステムは、特定の条件下において、『系』としてその全体を説明したり、全体の下で上手く機能したりすることが可能ですが、条件が変われば、系そのものも見直されなければなりません。雨が降ったら傘を差すという行動も、外に出る時は靴を履く、という行動も、我々が一定の条件下で生活を営んでいるが故に行われている行為であって、それは生活スタイルや環境条件が変われば変化する可能性を内包しているわけです。もっと単純な喩えで言えば、どれほど腕利きの靴職人が、ある人にぴったりフィットする靴を拵えたとしても、その靴がそのまま別の人も快適に履ける靴であるわけではないですね?今の若い方は子供の頃にシンデレラを読んだりしましたか?」

奈倉はジョークを言ってみた。学生からは幾つか軽い反応が返ってくる。

「権利外観法理、というものが、皆さんが思っているほど、しっかりしたものではない、つまり、その概念さえ持ち出せば、あたかも印籠のように法律判断の論証が組み上がっていくわけではないということが、少し掴めたのではないかと思います。皆さんの法律判断を伺っている限りでは、そこのところの認識がまだ甘かったのではないかと思います。既に学生が一般的に読む教科書のレベルを超えた議論になってはいますが、教科書で挙げられている論文なども参考にして、もう一度、この事例における法律判断について考えてみてください。次回のゼミの時には、今週のものより一段上にレベルアップした事柄をみんなで勉強できるのではないかと思っています」

奈倉はそう言って、質問を受け付ける時間を設けた。

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