七章

七章

休日の午後、賽は自宅でネットサーフィンをしていた。ツイッタのタイムラインに曖昧な注意を向けながら、海外の洋服のカタログの吟味、最新のゲームの情報、気になっている書籍の書評など、思いつくままに情報収集していた。BGMとして、洋楽のポップスが流れている。

ふと賽は手を止める。

(………不思議なものだ)

一人考える。

パソコンとインターネットの発達と普及によって、人間の情報の収集能力は飛躍的に増大した。それは、その実質を深く考えるべきものであった。

欲しいものが、目の前に素直に現れる。そのほとんどを忘れかけていた過去の自分の日記や、好きな動物の愛らしい画像、いつか行ってみたいと夢見る遠方の景勝地の情景、気になる人物の日常など、集めるべき情報には事欠かない。しかし、すべてはパソコンのモニタの中。まるで、覚醒しながら、夢を見ているようだ、そんな卑小な錯覚を、ネットサーフィンをしていると賽は抱くことがある。

人間が本当に苦心して、いや、苦しむ必要など皆無なのだが、労力を割いて、手に入れるべきものとは何だろう。自然、そういう疑問に錯覚は帰結する。

ふと、自分が書いた文章のファイルを開いて、速読し、内容について考える。出来映えはまずまずだと思うけれど、ほんの少し、サークルのメンバから、嫌な人間だと思われるのではないかという危惧。

(馬鹿馬鹿しい)

一人で考えていて、自分でも思わず含み笑いをしてしまう。

欲しいものが、欲しい時に、目の前に現れる。その実質はリアルと呼ぶには甚だ脆弱ではあるけれど、表面的には、しかし少なからず本質的には、現実の世界において達成されている。

生き物を飼う人間を想定する。そこにもう一人、生き物を飼う代わりに、生き物の画像や動画、人形を収集する人間を想定する。今なお、生き物を飼わなければ、生き物に関する様々な要素は、欠落してしまうだろう。画像や動画などには反映し切れない要素、そういうものが確固として存在する。後者は、そこで欠落する要素を享受することができない。けれど、そういったものもすべて、デジタルなものとして、分析され、記録され、プログラミングされ、大衆に提供される日が来るだろうか。来るに違いない、と昨今の情勢を考慮すると思える一方で、コストと構造的な問題の観点から考えて、少なくとも自分が生きているうちには難しいだろうな、とも思える。

(バーチャルな殺人とリアルな殺人が威信を賭けて対決する小説があったっけ…)

そこでの結論は、結局、エンタテインメントな殺人事件を演出する際にも、リアルな素材を用いた方が、圧倒的にコストが低くて済み、費用対効果の面で優れているということだった。この作品が、この問題において、賽が「コストと構造的な問題」を考える一つの大きなきっかけとなっていた。

(そう…、結局問題は、コストだ。構造的な問題とは、すなわち人間の脆弱性、私が私の文章の中で取り上げようとしたものだ。放っておくと、人間は必ず怠ける。一つのところに安住し、変わりない日常において、疑問やチャレンジングな精神を抱かないようになる。この傾向に逆らうには…)

洋楽のポップスが、妖艶とも美麗とも形容できる歌声を賽に届け続ける。次のサークルの集いに向けて、賽は俄然期待が高まってきていた。


次にサークルで集まる日程がまだ決まっていない段階で、花田は賽の文章をメールで受け取った。その内容は次のようなものであった。


人間には自由があるか、自由といっても単なる選択の自由ではない。人間にとっての真に価値のある自由とは何か、それがあるか、だ。大きく分けて、二つの考え方がある。一つは、この世界は、超越的な存在によって生み出されたものであり、人間はその子であるとする考え方。もう一つは、進化論的な考え方、人間は自然発生したのだという考え方。大雑把に言えば、前者は、人間は神の御心の賜物だから、その神の考えに付き従うものだ、神はいつも我々を見ていてくださる、つまり自然科学からはかけ離れた人間の思考である。後者は、人間という存在も、その思考も、純粋に、物理現象(物理的存在)の一つだと考える。だから、物理法則(≒因果律)に従うものだと考えている。

結局どちらも、自分の「前に(周囲に、奥深くにまで)」自分にはどうすることもできないものがあると考えている。私はそれが気に入らない。私がどう生き、どう死ぬかは私が決める。色々な障害があったり、上手く行かないことがあったりしても、それは純粋に私の「外」のもの、私の中に誰も入ることなどできない。それが原則だ。私は、私の感覚を不適切に邪魔する一切のものからの干渉を明確に拒絶する。

自分はどこから来たのか、自分は何ものなのか、自分はどこへ行く?その答えが明確に外部にあると考えることが、ナンセンスだ。明確に外部にあると考えると同時に、自分がシステムに縛られている、システムの一部であることを肯定することになる。

どのような状況に置かれていようとも、人間は、人間の足で立っている。物理的な意味ではない。生きるという決断を、どれほど無自覚であろうと、瞬間瞬間でし続けている。そのことの重要さ、その繰り返される空白のようなものの中に、人間の生の積み重ねがある。死という定常状態に対する抵抗。どれほど曖昧な、意志とも呼べないようなものに基いていようとも、そこには価値がある。人間や大いなる存在に価値を認めないニヒリズム的な考え方も嫌いではないけれど。

「偉い」とか「優れる」とか、人間は自分と自分以外を比較し、差異を見つけ、それを飾りとして意識したがる。どうしてだろう。それは、かつてはすべてが一つだった、自分もそのすべての一部だった、その全体への回帰を志向する本能だろうか。

こんな私でも、そういった人間の本能が少し分かってきた。確かに、分かってくるとそれほど悪いものではない気もしてくる。なにかを「素敵だ」と感じるとき、その素敵さは、外から内に取り込まれている。厳密に言えば、内から湧き出てきている。真似することはできないし、同じものを作ることはできないけれど、共感できる。それはすなわち、(変化の)可能性の発露。「自分も相手と同じように成れる(考えられる・感じられる)余地がある」ということ。

私は私が決める、と言ったけれど、私はまだ、私のことをよく知らない。もちろん、自分自身のことを知り尽くしている人間などいないだろう。ここに、生きる意味と価値がある。

ただ、非常に多くの人が、流されるままに生きている。流されていることに無自覚な人もいれば、自覚して、それでも、それが好きなのかもしれないが、流されている人もいる。

そういう人達が特別嫌いなわけではない。ただ、自分はそうはならない、と反面教師にするだけだ。

現代社会では、人の「意志」や「欲望」は、自由であるとされたり、自由でないとされたりする。経済は意志や欲望を可能な限りそのままに、実現することを目指して築き上げられている。「恣(ほしいまま)」が、そのままでは、建前としては悪いものだとされ、裏面の基盤としては、社会を動かすエネルギィとなっている。もう建前と本音は裏返り切ってしまっただろうか。

その現実に対して、別にそれほど強い嫌悪感を抱いたりはしない。人類の大多数が、目指してきた社会であるから、皆が納得しているということだし、大多数にとって害が少なく、利益は大きいはずだ。そう、人間は、大局的には、そしてほとんどの場面で、損得で動く。そういうものらしい。

しかし、古代の哲学者達の考えは違ったようだ。人間は「理性」に基いて行動すべきだし、「理性」を持つことことそ人間の人間たる所以、人間の価値の根源である、そう考えられていた。今でもその割合は極めて小さくなったが、生き残っている思想だ。

私の中では、現段階では、自由は、「でない」の繰り返しによってしか意味を絞り込むことができない。単純に、自分をコントロールする、でなく、単純に、英雄のように崇高な理想を抱き実行する、でなく、もちろん、単純に、恣にする、でもない。これでは、超人を夢見た哲学者のようではないか。

「無我」という精神がある。これも一つの素晴らしい人間の有り方であると思う。だが、私の好みではない。

私たちは、生きている時代や場所、属する社会集団等によって、見るものや聞くもの、考え方や感じ方、そういうものが大幅に規定されている、今の「当たり前」は、普遍的な「当たり前」ではない、これは既に広く浸透した思想、現実認識だ。私は、そういった自分を規定するものに対して、能動的になること、能動的になってこちらからそれらを規定するまでにはいかなくとも、無自覚に受動的に規定されることを可能な限り避けること、これもまた、真の自由に至るための重要なステップであると考えている。


読み終わって、花田は一人、自室で短く声を上げて笑った。

(極めて賽らしい文章じゃないか…)

その内容は、高校時代から花田が賽に対して抱いていた印象を、本質をそのままに明確にしてくれるものだった。

(遠野君に強く興味を持つのも頷ける。遠野君はこの文章を読んで何を言うだろう。そして、九葉君は…)

自分以外のサークルのメンバの思考を推し量っている自分を自覚して、花田は思索をストップさせた。自分以外のことは、自分以外の人間に任せれば良い。自分は自分が言うべきことを言わなければならない。では、自分は何を考えたかと言えば…。

花田がまず考えたことは、おおよそ次のようなものだった。賽の文章は、極めてアグレッシブで、何か(自由)を掴む、ということに対して熱心であるように見受けられる一方で、これも彼女の本質なのかもしれないけれど、怠惰に対する恐れのようなものを感じられる。恐れは怠惰に対してだけではない。自分に影響を与えるもの、その影響を吟味して受け入れるかを選択することが難しいことへの恐れ、確固としているようで揺らいでしまう自分、そういうことも反映されている。自分の中で自分の理屈を追い求めているという点で花田と類似性があると思える一方で、そのベクトルは興味深い形で異なっている。正義と自由、と単純に比較することはできないけれど、いずれも人間の生き方を左右する概念であることは間違いない。

(少し肩の力を抜いてみては?とでも言ってみようか…。いや、それでは、賽が肩の力を抜くことには結局繋がらないか…)

頑張っている人間に対して、頑張るな、と言ってもほとんどの場合効果が無い。ここで想定されている人間も、賽も、根が不必要なくらいに真面目なのだ。そして同時に、自分一人ではどうしようもない脆さも抱えている。普段決して見せない賽のそういった側面が文章から感じられて、花田は少し微笑ましいと感じられる一方で、彼女の破滅的な脆さの針が悪い方向に振れないように、自分にできることはないだろうか、と考えた。


週末にアルバイトのシフトが入っている、と郷子が言ったので、純永他五名は、水曜の夕食後にサークル室に集まった。夕食を共にしているとき、郷子が、アルバイト仲間に対する不満を皆に述べ、花田や賽がそれに対して意見を述べた。郷子の不満は要約すれば、その同僚が仕事に対して熱心ではない、ということであった。花田はそれに対して、アルバイトとして働いている者の中には、そういった人がしばしば居るのだから、割り切りを自分の中で行った方が良い、と言い、賽は、同僚が仕事熱心にならざるを得ない状況を作り上げるべきだ、という戦略的な提案を行った。

サークル室に到着した五人は、いつもの席に着く。郷子と賽は、夕食のときから引き続いて、人を仕事熱心にさせる戦略について話し続けていた。

「さて、悩み相談はそれくらいにして、サークルの活動をそろそろ始めようじゃないか」

二人の会話を聞きながら、無理矢理その区切りを見出して、花田が切り出した。

「あ、ごめんなさい。一志木さんありがとう。また後でね」

郷子が一同に対して軽く謝罪する。

「じゃあ議論を始めよう。誰か最初に発言できる人はいる?あ、賽は僕みたいに何か最初に言っておきたいことはある?」

前回の議論を思い出して、花田は賽に対して尋ねる。

「いえ、私には特に言いたいこと、事前に提出した文章に付け加えたいことは無いわ。ただ…、一つだけあえて言うならば、これは私の考えていることの幾つかの側面を切り出したものだから、この文章から、私という人間について全体的な印象を形成してほしくない、ということかしら。もちろん、私に対してどんな印象を持って貰っても構わないのだけれど…」

賽は、やや気恥ずかしそうな、バツの悪い顔をして言った。

「なるほど。賽の言いたいことはよく分かるよ」

花田は、口を斜めにしながら言った。賽は、花田に対して、非難にも似た視線を向ける。

「それじゃあ僕から…」

二人の遣り取りを見ていた純永が、口を開く。

「どうぞ」

花田が促す。

「ありがとう。一志木さんは、この文章から読み取る限り、無神論者、と言えるのかな?」

純永が賽に対して尋ねる。

「ええ、基本的にはそうね。いわゆる宗教的な唯一神、唯一じゃなくても、神とされるもの一般について、学問的な興味、つまり人間に対してそういうものがどういう機能を果たすのか、そういうことには関心があるけれど、私個人はそういうものの存在を信じる気にはならないわ。生理的に受け付けない、というより、もっと単純な話として、神って中身がよく分からないじゃない?全能だとか、色々場面に応じて形容が為されるんだけれど、少なくとも私には見えないし、存在を認識できない。信じる者は救われる、なんて言われることもあるから、信じてみれば違った景色が見えてくるのかもしれないけれど、この信じるっていうのもよく分からない。『疑わない』ってことなのかしら。ここまで来ると、生理的に無理っていうのにかなり近くなる」

「うん…」

純永は注意深く賽の発言を追っている。他の三人も同様だった。

「人間が物理法則に従う個体であるということ、これについては、正しい、と暫定的に考えるしかないと思うわ。人間を支配する物理法則が決定的に明らかになるか、と言えば、それはたぶん無理だと思える。というのも、人間というのは個体差があり過ぎる。個体差を捨象して、抽象的に正しいことを幾ら積み上げても、結局人間はそれを超えて行くし、ずれていく。そんな風には考えているかな」

「私は最初にこの文章を読んだとき、一志木さんは花田君に似ているなって思った」

郷子が言う。花田はそれほど反応しなかったが、賽は少し驚いた様子を見せる。

「どんなところが?」

少し嫌な顔をして、賽が尋ねる。

「なんて言えばいいかしら…、えっと、自分の中で自分を納得させられる理屈を考えようとしているところ、って言えばいいのかな」

言葉を選びながら郷子は言った。

「方向性は違うけれど、一志木さんも花田君も、自分の中で、一言では表現できない疑問のようなものを抱えていて、それについて真剣に考えている。花田君の疑問については、前の時にも言ったけれど、私にはいまひとつピンと来なかった。でも、一志木さんのそれは、私には、ピンと来ないというのもあるけれど、むしろ、文章を読んでいて、一志木さんのことが少し恐く感じられた」

「そう…」

相槌を打った賽は、冷静な顔をしている。相手の反応を予測していた様子だ。「でも、もちろん一志木さんが最初に言った通り、この文章が一志木さんのすべて、というわけではないのだと思う。ただ、私が一志木さんに対して、出会った当初から抱いていた、曖昧な印象、それがクリアになったとは言えそう」

郷子は付け加えた。

「理性というものを賽は取り上げているよね。現代においては、一般的には、欲望を制御するものだという意味を持っている。欲望の制御だけじゃなくて、色々な場面で機能するものだと思うんだけど、これについて何か考えを持っている人はいる?」

花田は皆に尋ねた。

「理性というのは、正義とよく似ていると思う。正義感と言えば、それは場面によっては、ほとんど理性と同じ意味になる。つまり、人類全員が理性を必要十分に持つようになるならば、『一応』正義の問題はその役目を終えるわけだ。でも、囚人のジレンマみたいな話もある。理性的とはやや異なるけれど、完全に『合理的に』人間が思考したとしても、全員が一番得をする選択ができない状況があるというわけだ」

吾務人が発言する。

「偏にこれは、自分以外の人間が存在するということ、人間が他の人間と関わって生きているということが原因であると言えるし、それが境界条件であると考えられる」

「でも、一志木さんの文章って、他の人間との関わりについて書かれてあるとも言えるけれど、もっと個人的なもの、つまり、他の人間がどんなものであろうと、あるいは、他の人間なんて居なくて、世界に自分一人しか存在しなくなったとしても、問題として取り上げられるべきことについて書かれているよね」

純永は言った。

一同が賽の方に注目する。

「私は…」

賽が話し始める。

「小さな頃から、色々なものを見るにつけ、『こういう風にはなりたくない』って思うことが多かったわ。何かの否定が私の基調だった。でも、否定を重ねていっても、自分の中の虚(うろ)みたいなものは埋まらなかった。よくある話よね」

「虚に耐え切れない?」

純永が声をかける。優しい調子だった。

「どうなんだろう。よく分からない。それは、今の段階では、虚が私にとって致命的なほどにはなっていないからかもしれない。でも、物心ついたときから、同じようなことを考えていた。気がついたらこうなっていた。でも、そんなに悲観していないのよ。ただ、ときどき、途轍もなく強く疑問の感覚を覚えるだけ」

「でも、発展途上ではあるけれど、賽のスタンスは、良い方に針が触れるならば、強靭な人間性っていうのかな、そういうものに至る可能性を秘めている気がする」

花田が口にする。

「自由というものは、人類の歴史のほとんどにおいては、食べること、飢えないこと、飢えずに住処を保障されることだった。今でもそういうレベルの問題は世界に残存しているけれど、そういったものを乗り越えたとしても、人間は容易に自由を手に入れることができなかった。どうやら、単純な富の問題ではない、ということに、敏感な者達は気づいていた」

吾務人が、囁くように言った。

「不思議よね。飢えているわけでも、悲しんでいるわけでも、人生に絶望しているわけでもないのに、自分の中から疑問が湧き上がってくる。何かに熱中して、一時は意識しなくなったとしても、ふと間隙が訪れると、同じ疑問に向き合ってしまう」

賽は、少し、急かされたように、言葉を継ぐ。

「別に、同情とか、そんなものは欲しくないの。なんだか少し湿っぽい雰囲気になっちゃったけれど、私は心の底からドライなつもり。むしろ、湿っぽいものに還元できない、どこまでいっても乾いた感じで、私自身に問いを投げかけてくる。誰が、あるいは何が、それをしているのか」

「私は、ある程度だけれど、一志木さんの抱えるものが分かる気がする」

郷子が言った。

「ピンと来ないといったけれど、それは、私とは綺麗に重ならない、という意味であって、綺麗に重ならなくても、一志木さんの考えていることは理解できた。私は、私に影響を与えるものに対して、一志木さんほど敏感にはならない。でも、それでもね、時々、影響の度合いが大きかったり、自分の中で大きな意味を持つようなものだったりすると、一志木さんのように考えることがあるんだ。ああ、自分がこうして、変わっていっているのかなって」

「ありがとう」

賽は言った。それは、いつもの鋭敏さが取り払われた、滅多に見せない優しげな口調だった。

「思春期までに、あるいは成人する前に、人間の性格の大部分が決まってしまう、そんなことが言われたりするよね。賽のそれは、確かに幼少期から積み重なった何かであると言うことができると思うけれど、でも、個人的な性格や傾向の問題としてのみ捉えることには、僕は反対だ」

花田が意見を述べる。

「賽が考えていることは、少なからず、すべての人間に関わっているはずだ。それは、抽象的に言うならば、人間と人間の関わり合いにおいて、個人が、自分に対して影響を与えるものを、本当の意味で、主体的に吟味することの困難さ、そういうふうに言い表すことができるだろう」

人間と人間の関わり合い、という花田の言葉を聞いて、純永は一人、サークル室で考え込んだ。議論はメンバの間で引き続き行われていたが、その流れからは離脱して、自分の思考の中に埋没していった。

「遠野君は、何か意見があるかい?」

花田は純永に話を振った。自分の思考に囚われていて、咄嗟の対応に困った純永は、花田の口振りや表情をそのとき確認する暇が無かった。花田のそれは、客観的に見るならば、あたかも、純永に意見があることが予め分かっているかのようなものであった。

「僕には…、特に明確な意見は無いです。ただ、人間って、人生の中で、どうにも自分の中で処理し切れないもの、処理することを生きている間はずっと保留しなければならないもの、保留するのだけれど、考え続けなければいけないもの、そういう無根拠な責務を伴う対象に、遭遇するものだと思う」

純永は過去の一点を強く意識しながら、話をする。

「一志木さんは、たぶんそういう対象にまだ出会っていないか、出会っていたとしても自覚をまだしていないのかもしれない。にもかかわらず、あたかもそういう対象に遭遇した人間のように、自分の有り方を突き詰めようとしている」

純永は笑みを浮かべる。

「僕は、そういう一志木さんの有り方に触れて、素直に好感が持てた。危ういって感じも、文章から読み取れたんだけれど、一志木さんには、その危うさをねじ伏せる力があると思う。そういう強さは、僕にはまだ無いかなって」

花田は頷いた。純永が賽の方に目を向けると、彼女はいつもの怜悧さと鋭敏さを取り戻していた。

「ねじ伏せる…か。今までは、主として、自分に影響を与えるものを、軽く『人間』と表現してきたけれど、人間や人間が作ったもの以外に、自分に影響を与えるものってあるだろうか」

花田が問いを投げかける。

「人間が作ったもの、も考えるならば、世界の大部分は網羅されてしまうんじゃないかな。あるとすれば、純粋な、人間の手が加えられていない自然などが挙げられるかもしれないけれど、例えば、それを一人の写真家が撮影したとする、すると、そこには人間の意志が明らかに介在している。景色が綺麗なところそのものを取り上げても、人間が整備していることが多いし、少なくとも地球に関して言うなら…」

純永が答える。

「じゃあ地球以外、自分で夜空の星や太陽や月を見たり、宇宙に行ったりするしかないということか」

笑いながら花田が言う。

「ごめんごめん、ちょっと話が極端になり過ぎたかな。人間の干渉を完全に排除した対象を考えるのはあまり価値が無い気がする。等しく『人間が関わっている』と表現できるものであっても、その中には無限のグラデーションがある。人工物の極地と言える小説のようなものから、自然に限りなく近い風景を撮影した写真までね。でも、興味深いと言えるのは、小説のようなものこそ、人間の手を離れたものに近づいていて、たった一枚の写真にこそ人間性がこれ以上無いほど強く現れている、そういう逆説が成り立っている可能性があるかもしれない」

「なるほど、なかなか面白いわね」

賽が相槌を打つ。

「地球上のほとんどのものが、人間が関わっているとして、その中には、『人間の有り方』みたいなものを、とりわけ強く示すものがあるじゃない?テレビのバラエティ番組だったり、政治家の発言だったり、あるいは、後世に広く名を残さなかった詩人の詩だったり。それぞれに対して、私は色々な感じを覚える。俗っぽいな、とか、ああ、この人はなんて素敵な、私には持ち得なかった世界の見方をしているんだろう、とかね。そのいずれもが、私にとっては一応素直な反応なのだけれど、そういう反応をした後に、ふと熱が冷めると、『ああ、なんで私はこんなにも色々なものに、節操無く感じ入り、拒絶し、惹かれてしまうのだろう』って、少し呆れたような気持ちになる」

賽は笑った。それは彼女の心境と同じく、乾いたものではあったが、自分に嫌悪している感じではなく、心の底から愉快だという様子だった。この一連の遣り取りを通じて、賽の中でマイナスに働いていたものが、中和されたのかもしれない。

「自由って、常に不自由と自由の間を行き来して、迷って、後悔して、それでも選択して、少しずつ積み重ねの結果として掴み取るものなのかもしれない。残るべきものが結果として残るのだけれど、残ったものが、何が残ったかが重要なのではなくて、それを残らせたということ、そのプロセスこそが自由の本質。人間の証。行程に取り掛かる前に、結論だけを先取りしようとする、私はそんな風に思考していたのかしら」

「だけど、賽の葛藤は、決して無駄じゃない。結果としてどんなものを掴み取るか、それは偏に自分次第だとしても、少しでも気を抜けば、人間は堕落の方向へ真っ逆さまに突き進む。もちろん、自分だけじゃどうしようもない部分、環境によって人間は大きく左右される。どんな人間に対しても、程度や質の差こそあれ、与えられている外部の条件、そういうものに屈しないこと、賽が言った『行程』に取り掛かる前の心構え、そういうものを、僕は賽の文章から読み取れた気がするよ」

花田は興味深いという感覚を表に出しながら、賽に感謝するように、丁寧に気持ちを明らかにした。

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