対談

 変わり映えのしない雨が降り続き、朝の光を届ける事のない曇天の空の下。雨音以外に聞こえる音のない城の一室、そこにはラタトスクが机に頭を伏せて悩んでいた。

 昨日の楽しい茶会とは一転して、今日は謁見の間で厳粛な対談が行われる。その為、ラタトスクは今朝起きてからずっと緊張し続けていた。彼にとって蒼流の賢者は身寄りのなく特殊なものの我が子の様に育て、一人前にした親とも言える人である。しかし、それ以前に相手は一国の王だという事が起因して、昔の様に親し気な接し方をしてはいけないと考えているのだ。

 あの茶会が解散してから真っ直ぐ部屋へ戻り、すぐに眠りについたラタトスクだったが、目覚めてから身支度を済ませた後に気が付いたのだ。


〈長年の謎だった自分の出生が少しでも聞けるかもしれない〉


 ヤマタノオロチが語るには、ある日突然出かけた王が赤子を城へ連れてきて、養子として迎え入れたらしい。しかし、何度尋ねてもどこから来た赤子なのか、親はどうしているのかなどを答えてもらえた事はなかった。そうして年月が経つにつれて、ラタトスクは自分の出自を気にしなくなっていた。

 しかし、全く気にならないという事はなく、知る機会があれば十分だと思っていたのだ。とは言え突然その機会が巡ってきた為、自分の正体を知る事に対する恐怖と、また真実を聞けないかもしれない不安とが入り混じっていた。

 悶々とするラタトスクとは関係なしに、扉がノックされると同時に向こうから声を掛けられた。声の主は当然ヤマタノオロチだ。

「ラ、タ、ちゃーん!遊びーましょー!」

子供の様に大声で言うヤマタノオロチを若干引きつつ、訝しげな表情をして扉に歩み寄る。しかし、扉に手を掛けようとした瞬間、それは突然開かれた。そして当然ながらヤマタノオロチと対面する。

 ヤマタノオロチは平然とした顔でそこに立っていたが、彼と顔を合わせたラタトスクは少し驚いた表情に変わった。昨日の動きやすそうな服装とは違い、装飾が多い風雅な装いをしているからだ。中性的な整った顔に普段より幾段か丁寧な化粧をし、青緑色のやや長い髪を蝶を模した髪留めで纏めている。花が描かれた藍鉄色の襟をした白い着物に鉄紺の帯、その上に黒の長い羽織と靴というものだ。

 それに比べ、昨日とさほど変わらない恰好でいたラタトスクは内心焦った。煌びやかとまではいかないにせよ、きちんとした格好を持たない現状ではどうしようもない。

ラタトスクの焦りとは真逆に、穏やかな心持ちのヤマタノオロチは気楽な様子で立ち尽くしているラタトスクに挨拶する。

「おはよう、よく眠れたかしら?」

「おはよう。ぼちぼちだな」

そう答えるラタトスクを心配そうな声色でヤマタノオロチは尋ねる。

「あら、大丈夫?今日から出発する予定だけど」

「何とかなるさ」

「体調悪くなったらすぐに言いなさいね。それじゃあ、行きましょう」

と言ってすぐに廊下を歩きだそうとするヤマタノオロチを引き留め、ラタトスクは自らの不安を打ち明けた。

「俺の恰好、これで良いのか?」

と、不安そうに言ったラタトスクの服装はと言うと、色の着物に濃藍色のゆったりとした袴というものだ。目尻に薄く紅を引いているだけで、他には何も手を加えていない。ヤマタノオロチと比べて華やかさはないものの、程よい清廉さのある装いをしている。

暫く凝視していたヤマタノオロチは、数回頷いた後にこう告げる。

「良いんじゃないかしら。正装だし」

「そう……だよな」

美的センスにおいては信頼しているヤマタノオロチから良しと言われたものの、ラタトスクの不安はすぐに消えなかった。そんな事などお構いなしに、ヤマタノオロチは先に廊下へ歩きだす。ラタトスクはその後を慌てて追いかけていった。

 窓の外の景色は、昨夜と比べると幾らか外が明るくなっているが、雨は変わらず同じだけ降り続けている。他に違う事と言えば、外に人がいるという事だろう。

昨日門の前に兵士が立っていた様に、この大雨とは言え昼間の警備は怠らないらしい。

 特に会話のないまま廊下の端まで来た二人は、大きな扉を通って本殿へと入っていく。扉を出てすぐに左へ曲がると、先程歩いていた廊下と同じ様な内装が広がっていた。しかし、こちらの廊下では扉があまりなく、升目の様に通路が作られている。

 ラタトスクにとっては数年ぶりに歩く本殿だが、これから王の前に立つ事の不安と緊張で息が詰まりそうだった。平常時なら廊下ですれ違う使用人全員に挨拶しているのだが、今はそれどころではない上にすれ違った事すら気づいていない。恐らく王との対談が終わるまでこの状態が続くだろう。


 ヤマタノオロチに連れられるままに、ラタトスクは本殿の中心に位置する謁見の間へと辿り着く。謁見の間の前には廊下の蒼に映えるような黒を基調とした大きな扉があり、王族関係者以外が立ち入り出来ないような施錠がされている。扉の中心には大きな円がありその中で大きな濃藍色の蓮華が描かれており、両端から伸びる銀の茎には小さな蒼い蓮華が左右対称に咲いている。

中央の大きな蓮華の中心にある山吹色の部位には小さな受け皿が作られており、ヤマタノオロチがその前に立ち懐から取り出した短刀の先で人差し指を刺した。指先から流れる血を受け皿に数秒垂らすと、扉に描かれた全ての蓮華が蒼く輝き始める。暫くして鍵を解除された音が聞こえ、扉がゆっくりと開かれていく。

これこそがこの城の持つ強固な施錠方法。王家の血が流れる者でなければこの扉は開けられないのだ。その為、ラタトスクがここへ入る機会は少なかった。

 扉が完全に開くまでの間に、ヤマタノオロチは自らの指先を治癒し、時間が巻き戻ったかのように傷口は塞がれた。一方でラタトスクは、段々と募っていく緊張を紛らわせる為、先程から何度も深呼吸を繰り返している。

「さぁ、行くわよ」

深呼吸し続けているラタトスクに対する気遣いなのだろう、いつもと変わらない表情で微笑み声を掛けた。幾らか気分が落ち着いたラタトスクだったが、声を出せそうになかった為、数回だけ頷いて返事する。

それを視認したヤマタノオロチは、開け放たれた謁見の間へと足を踏み入れる。それに続いて、ゼンマイ仕掛けの人形の様な足取りでラタトスクが入る。二人が中へ入るのを待っていたかのように、扉はゆっくりと閉められた。

 謁見の間は広い正方形の空間に四本の柱があり、入口から玉座まで青藍色の絨毯が敷かれている。玉座の手前には数段の低い階段があり、

玉座には王と寄り添うように優雅に佇たたずむ女王がおり、二人の左右には立派なローブを羽織った魔導師が立っていた。優しくも厳しい雰囲気を持つその人こそが、リエラ国の王であり”蒼流の賢者”だ。年齢は不明だが、顔に深く刻まれた皺と白く長い髭が長寿を物語っている。王と女王は花紺青色の着物と銀の冠、勝色のローブという装いでヤマタノオロチたちを見つめている。

二人が階段の手前まで来た所で、王がゆったりとした口調で話しかける。

「おぉ、ヤマタノオロチ……。わしの2人目の孫よ。そしてラタトスク、よく来てくれた」

「はい、お爺様」

と言って、胸に手を当て恭しく礼をするヤマタノオロチに合わせ、ラタトスクも無言のまま礼をする。それを温かい眼差しで見つめている王は、二人が頭を上げ終わった頃に言葉を続ける。

「ヤマタノオロチは城で暮らしておるが、其方の顔を見られるのはとても嬉しく思う。美しき者、特に愛らしい孫ともあれば見ているだけで安らぐのだ」

「ありがたきお言葉」

「うむ。して、ラタトスク。其方と暫く会えず、心淋しく思っておった」

「は、はい。お、いや、僕もです」

唐突に話しかけられ、困惑したラタトスクはしどろもどろに返事をする。それを見ていた女王は口許に手を当て、優しく微笑んでこう言った。

「ふふふ、素直に育ったのねぇ。愛らしいわ」

「これこれ、あまり言うでないぞ。本人は一生懸命なのだから」

「えぇ、存じておりますよ。私は黙って見ておりますね」

と柔らかい口調で傍らにいる王にそう宣言し、女王はただニコニコと微笑むだけとなった。そんな女王の様子を少しはにかみながら見ていた王は、話を本題に移そうと少し咳払いをする。仕切り直したところで、

「さて、今回其方らを呼んだ理由については分かっておるな?」

そう話を切り出す王の顔は、先程の会話中よりも凛々しい表情をしている。それに対し、ヤマタノオロチが即座に短く返事した。

「其方ら四人に任せたい仕事も分かっておるか?」

「はい、五つの国からそれぞれ魔水晶を回収し、ラルド島におられる神に浄化してもらうのですよね」

王はヤマタノオロチの答えを聞き、深く頷いてから 話を続ける。

「……そうじゃ、魔水晶の回収には昨日渡した小瓶を使うのだぞ」

「えぇ、分かっています。私の魔術にて回収して参ります」

「うむ。しっかりと分かっておるのでは、わしの出る幕はないだろう……」

「出発する前に確認を、と思って参りました。失敗は許されませんから」

「うむ、正確に行わねばならぬ。何かあれば手紙を飛ばすのだ、すぐに駆けつけようぞ」

「お心遣いに感謝しますわ。しかし、私も未熟者ではありませんし……それに、ギーブルを連れて行きますから」

「くれぐれも無理をするでない。五人の賢者へは連絡したが……なかなか個性の強い者ばかりじゃ、心してかかれよ」

「肝に銘じておきます」

という返事に対して数回頷いた王は、視線を直立不動のラタトスクに向ける。その視線に気づいたラタトスクは、これ以上ない程に姿勢真っ直ぐ整えた。

「ラタトスクも気張るのだぞ、自分を大切にな」

「は、はい、ありがとうございます!」

そんなラタトスクを見て微笑ましく思ったのか、一瞬だけ優しい眼差しへと変わった。それから二人を交互に見て話を続ける。

「では、何か聞いておきたい事はあるだろうか。遠慮なく聞かせておくれ」

そう言われ、ラタトスクは絶好の機会が舞い降りたと思い、少し身震いした。しかし、遠慮なくとは言えども緊張は変わらない。寧ろ今までに増して動悸が強くなってくる。その様子を見て取った王は、ラタトスクに優しく声を掛ける。

「ラタトスクよ、具合が悪いのか」

「い、いえ。大丈夫です」

「それなら良いのだが……」

そして一呼吸置いてラタトスクは尋ねる決心した。緊張を振り払うように先程よりも大きな声で尋ねる。

「あ、あの!質問しても良いですか!」

幼い子供のような話し方をするラタトスクを微笑ましく思った王は、あやす様に穏やかな抑揚で返答する。

「無論だとも。聞かせておくれ」

ラタトスクが予想していた以上に王は寛大で、本当に尋ねても良いのか再び不安に駆られる。しかし、謁見の間にいる者全てがラタトスクの問いを待っている以上、尋ねなければ不敬となるだろう。

「えっと、自分の出生について聞きたいのです、が……」

言葉を詰まらせながらも、王の顔を真っ直ぐに見るラタトスクの表情は真剣なものだ。その問いに少し驚いた王は、すぐに答えを出せなかった。

数秒の静寂が流れ、王はこう答える。

「……そうだな、それは其方にとってとても大切な事だろう。だが、儂の口からは話す事が出来ないのだよ」

「そ、そう……ですか」

「しかし断言しよう、此度の依頼を達成する頃には見つけれらるだろう」

と、神妙な顔つきで告げられたラタトスクは、素直に喜びの表情を露わにした。そして余程嬉しかったのか王の御前である事を忘れ、明るい声色で返事をした。

「本当ですか!凄く嬉しいです!」

これまで黙って平伏していたヤマタノオロチが、隣の緩んだ顔をしたラタトスクに小声で忠告する。とは言え、強い口調ではなく窘める程度の柔らかいものだ。

「もうちょっと控えなさいな」

「へへ、ごめん」

その会話は王まで聞こえないものの、こそこそと話しているヤマタノオロチの姿は王にとって新鮮だった。

「よい、其方らは我が子同然の者たちなのだ。其方らが楽しげにしているだけで儂も楽しくなるのだ」

「私だってそうですよ、だからもっと気を楽にしても良いのです」

続けて女王も嬉しそうに付け加えて話し、ヤマタノオロチは少し驚いた一方でラタトスクは安心した。自分の行動が不敬と取られていないと分かったからだ。

「は、はぁ。なるほど……」

「うむ。もっと気軽に話すがよい、王と言われども儂とてただの人間である。孫と触れ合えるのならこれほど喜ばしい事はなかろうて」

と言う王の話を黙って頷き、微笑む女王もまた同じ気持ちなのだろう。和やかな空気が流れる中、それを区切るようにヤマタノオロチが王へ宣言する。

「それでは、行って参ります」

「頼んだぞ、賢者らによろしく伝えておくれ」

「分かりました。では、失礼致します」

と言ったヤマタノオロチに合わせて一礼した二人は、来た時と同じように謁見の間を後にする。二人が扉を出た瞬間、閉じた扉には再び魔術的な施錠が施される。

扉が完全に閉まった後、ヤマタノオロチはラタトスクの方へ向き直って提案した。

「さて、ギーブルたちと合流しましょうか」

「あ、あぁ。そうだな」

王との対談が終わった事の脱力感と緊張し続けていた事の疲労感、そして朝食を食べていなかった事からくる空腹感とが同時に押し寄せていた。少しふらつき気味に返事をするラタトスクを見ていられないのか、先程の提案に付け加える。

「ギーブルたちとご飯にしましょう、それから出立よ」

「わかった」

「よし、そうと決まれば急ぎましょう!」

と言って、歩いてきた廊下を足早に進み始めるヤマタノオロチだが、ラタトスクに合わせてあまり早くはない速度を保っている。この気遣いが彼を”兄貴分”としている事を自身がよく分かっている。つまりは、彼の実際の兄を手本としている為、必然的にこうなってしまうのだ。

 ヤマタノオロチの兄『セイリュウ』は、この国で上位に入る程の魔術的な実力があるものの、それを理由に高慢になる事なく努力を怠らない人物である。顔立ちは男性的なしっかりとした目元と鼻筋をしており、剣術や体術も鍛錬を続けている為か度々近衛兵と間違えられている。現在は”龍の暴走”によって発生する大雨が起こす二次災害を食い止めるべく、各地を奔走していて城にいる事はない。


 不安定な足取りのラタトスクを連れ、ようやく着いた回廊でラタトスクは奇妙な音を聞いた。その音は明らかに昨夜訪れたギーブルの部屋から聞こえており、近づくに連れて香りは強くなっていく。あと数歩進めば部屋の前に到着するという所で、ヤマタノオロチは立ち止まる。それに合わせてラタトスクも横に並んで立ち止まった。

そして、タイミングを見計らっていたのか、ギーブルの部屋からイルルが出てきて話しかける。何の変わりない、昨日会った時と同じ雰囲気だが、彼の後ろの部屋が放つ雰囲気は異質だった。

「ヤマタノオロチさんにラタトスクさん、どうもこんにちは」

「こんにちは。ギーブルは今お取込み中かしら」

「えぇ。まだ暫くはかかるかと」

「そう……それじゃあ、ラタちゃんの部屋で待ってるから、終わったら連れてきて頂戴」

「わかりました」

それでは、と言って会釈したイルルは早々と部屋に戻っていく。状況がよく飲み込めていないラタトスクは、よく分からないものの深く聞いてはいけない様な雰囲気があるのを感じ取った。感情を取り繕うように静かに口角を上げて話しかけるヤマタノオロチは、鈍いラタトスクでも分かる程何かを隠そうとしていた。

「そういう訳だから、部屋に戻るわよ。ご飯もそこで済ませましょ」

「わかった」

そう話している間にも回廊で漂う不思議な香り。ラタトスクは気になりはしたものの、頭の中は食べ物の事で埋め尽くされている為、部屋に着く頃にはあの音も香りもすっかり忘れていた。

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