茶会

 部屋は木製の床に白い壁と天井。部屋の左側に天蓋が下がっている赤いベッド、右側にはローテーブルと赤いソファが二つ置かれている。扉側の壁に沿って衣装ダンスがあり、その横にはドレッサーと姿見がある。さらに、ソファとローテーブルの横の壁際には大きな本棚が置かれ、様々な書物が敷き詰められている。

そして、ローテーブルにはお菓子が山のように積み上げられ、ソファではヤマタノオロチが優雅に茶を飲んでいた。

部屋の中央には楽しそうなギーブルが枕を抱えて立っている。

イルルは部屋に入るなり、枕を投げた張本人に説教を始めた。視線の先ではギーブルが楽しそうにケラケラと笑っていた。

「全く、何が楽しいんですか?」

「だってイルルって避けないでしょう、ちゃんと当たってくれますしぃ」

「はぁ……避けたって次が飛んできますからね」

「それはそれ、ですよぉ」

ふふふ、と笑いながら言うギーブルから枕を取り上げたイルルは、ベッドにそっと並べた。枕を取られてしまったギーブルは少し寂しい顔をしている。

何が起こったのか、どうすればいいのか分からないでいたラタトスクは、ソファの方からヤマタノオロチが話しかけるまで固まっていた。

「ラタちゃーん、口開いてるわよ?」

「え、あ。うん」

「とりあえずこっちに座りなさいな」

と言ってラタトスクに手招きし、横に座るよう促した。他にどうしようもないラタトスクは招かれるままソファに腰かけた。

「……明日の事で緊張してるの?」

「まぁな。というか、どうしてここに呼んだんだ?」

「それはね―――」

「それは勿論、ラタトスクさんとお話したかったからですよぉ!」

向かい側のソファに座るギーブルが会話に割り込んできた。廊下で会った時より明らかにテンションの高い彼女は、年相応の天真爛漫さが表れている。恐らく、王族としての威厳を召使いたちの前では崩すまいとしているからであろう。

元気いっぱいの子供を前に、ラタトスクは気迫に押されながら尋ねた。

「え、俺と話す事ってありますかね?」

「たくさんありますよぉ、これから暫く一緒に行動するんですから!」

「へぁ?」

ギーブルの発言に驚愕したラタトスクは気の抜けた声を上げてしまった。そして横で焼き菓子を頬張るヤマタノオロチを見て、無言で訴えた。それに対して少し考えこんだヤマタノオロチは焼き菓子を飲み込み、口許に手を当てながらこう言った。

「あ、ごめん。言い忘れてたわ」

「マジか……」

呆れたラタトスクはそれしか言えなかった。あの場の勢いと国王からの依頼という事だけで、ついて来てしまった自分も悪いと思っているからだ。そもそも、この依頼内容からしてラタトスク単独、もしくはヤマタノオロチだけが同行というのは難しいだろう。

 ラタトスクは魔力を一切持たない為、剣術や体術を駆使して今までの依頼を遂行していた。一方でヤマタノオロチは水と闇属性を持ち、攻撃系の水属性魔術を得意とし、属性が関係しない行動支配系と精神支配系を多く会得している。彼の兄に次いでリエラ国で上位に立つ魔導士と言えるほどの実力だ。

 しかし、ラタトスクの目の前にいる少女は明らかに齢一桁で、彼女の魔力量は分からない。その為、ラタトスクの心境は不安に駆られていた。

それを見透かしているのか、食べていたお菓子を飲み込んだギーブルは言った。

「ご心配はいりませんよぉ、この中で一番魔力量が多いのは私ですからぁ」

「そ、そうなのか?」

疑問が渦巻くラタトスクを見て笑うギーブルは、また一つお菓子を口に含む。彼の問いかけに答えたのはイルルだった。

「えぇ、お嬢が一番だと言うのは本当です」

と言い、更に語り続ける。

「お嬢は火と水属性の加護をどちらも多く取り込まれまして、当時は大変騒がれたものです。特にお嬢の母君は召喚魔術の実力がリエラ国随一で、父君はシアト国で唯一と言われる空間支配魔術の使い手なもので、多くの期待が注がれていいました。その為、お嬢は三歳の頃からどちらの魔術も鍛錬を重ね、今では両親と並んで競える程に……」

そう語るイルルの顔は段々と誇らしげになっていった。そしてラタトスクはもう一つの疑問を投げかける。

「それでイルル……さんはギーブルとどういうご関係で?」

「あ、敬称は不要です。自分はまだ未成年なので」

「えっ」

「お嬢を任されたのは確か……自分が十五の時でしょうか」

「えぇ、そのぐらいだったと思いますよぉ」

ラタトスクは向かい側に座るしっかりとした体形の男性を二度見した。逞しい顔つきや堂々とした態度からして成人は優に越えていると思っていたからだ。一方、イルルの方はよく間違われる事に慣れており、横に座るギーブルがにやけながら見つめていた。

「それで、自分はお嬢のお世話係兼護衛です。幾ら魔術が秀でていても子供ですからね、身の回りの世話と魔力や体力が切れた時用に仕えてます」

「なるほど、凄いな」

「いえいえ」

そこで黙ってお菓子を貪っていたギーブルが口を開いた。

「それじゃあイルルも自己紹介してくださいよぉ、私の事をぺらぺらと語ってばかりは不公平です!」

「いや、自分の事なんて……」

と言ってイルルがギーブルから視線を逸らす。しかしギーブルはそれを認めまいと彼の服を掴み、体重をかけて力いっぱいに引っ張りながら言う。力を込めた低めの声だった。

「自分から言わないと私がありもしない事言いますよぉー?良いんですねぇー?」

「それは……困ります」

と言って、覚悟を決めたイルルは顔を正面に向けて話しだした。

「えっと……自分は属性は火で、主に防御系や治癒系等が使えるだけです。魔術より肉弾戦が得意なので、皆さんの壁としてお役に立てるかもしれません。はい」

「縮こまる事ないわ、立派な護衛騎士じゃない」

そう言いながらヤマタノオロチは目の前にあったクッキーを一枚、イルルに手渡した。それを恭しく受け取り、すぐに口に含んだ。

「そうだぞ、俺よりかはずっと強そうだし」

と言ったラタトスクは、あまり筋肉が付いていない腕で力を込めて見せた。腕には成人男性の平均的な筋力が付いている。口下手な彼なりの激励に対し、イルルは少し笑ったもののすぐに元の表情へ戻った。

「いえいえ、まだまだ精進せねば」

イルルの話を断ち切り、彼を指差しながらギーブルは子供らしくヤマタノオロチに訴えた。

「でもイルルってば酷いんですよぉ!お菓子は1日50個までって制限付けてくるんです!」

それに対してヤマタノオロチは諭すように優しい口調で話す。

「あのね、ギーブル。食べ過ぎは良くないと思うの」

「だってぇ、いくら食べても全部魔力に変換されちゃうんですよ?」

ギーブルが魔力量が多い理由。それは元となる器が多くの魔力量を許容でき、彼女が体内に取り入れたものは全て魔力となる特異体質だ。これにより、彼女は体内に栄養を蓄えられない為、臓器や血流等は魔力で補われている。

「でも今でそれだけ大食いだと将来大変よ、もし魔力変換が年々減ったら段々太っちゃったり……」

ヤマタノオロチはそう言いながら頬に手を当て、悪戯っぽく笑った。それにすぐに反対する様に声を上げるギーブルだったが。

「それはっ―――」

と言って少し考えたギーブルは両手を頬に当て、手を押し付けたままこう付け加える。太った自分を想像してしまったのだろう、顔は少し蒼ざめていた。

「嫌ですねぇ……」

「そうでしょう、だったらイルルの言う通りにしときなさいな」

「はぁーい……」

と言いつつ、ギーブルはビスケットを頬張っている。その姿はまるで森の小動物のようだった。

そんなギーブルを余所に、ヤマタノオロチは本題に移った。

「それで、今回の旅についてだけれど……ラタちゃんはどこまで理解出来てるのかしら」

急に話を振られたラタトスクは、食べていたカップケーキを噎せそうになった。急いでそれを茶で流しこみ、胸元をトントンと叩いた。

それから一息着いて、ラタトスクは自分が分かっている事を話す。

「えーっと……”龍の暴走”によって全部の国がヤバいから助けてくれ、って感じだっけ」

「うん、半分は正解。もっと詳しく言うと、各国に保管されてる魔水晶を回収して浄化してもらうの。どうしてかっていうのはまた明日ね。

とりあえず、今の所はそのぐらいの認識で良いけれど、少しだけ付け加えさせて」

と言って、何処からか取り出した地図を空いているところに広げる。古びた地図だが、しっかりとした紙質でこの大陸全土が描かれているものだ。

地図には五つの印が付けられており、その印は全て色が違っている。リエラ国に付けられた印は青で、シアト国は赤。と言ったように、それぞれ加護を受けている国によって違うようだ。

その地図の青い印を指差しながら、ヤマタノオロチは語り始めた。

「ここが水属性の魔水晶がある場所。でもここは島になってるから、船で行かなきゃならないの。だから、始めにここへ行ってからシアト国へ行くわ。暫くは船旅だから、ラタちゃんは船酔いしそうだったら早めに言う事。

 そして、最初に行くここの中心に魔水晶が保管されてる場所があるから、そこまで馬で移動。魔水晶は大きいけれど、私が小さく出来るから心配しなくて良いわ」

と言いながらポケットから小さなガラス瓶を取り出して見せる。ここに魔水晶を封じ込めるらしい。ラタトスクは不安げな顔でそのガラス瓶を見つめ、素朴な疑問を投げかける。

「ところで魔水晶ってどのぐらいの大きさなんだ?」

「あら、名付けの時の事を覚えてないの?ラタちゃんは五つ全部を回ったじゃない」

「だってアレ、3歳くらいにやる儀式だろ?覚えてるわけないって」

そう言ってヤマタノオロチに向かって開き直るラタトスクの向かい側では、威張るように腕を組んでいるギーブルが声を上げた。

「そうなんですかぁ?私はちゃーんと覚えてますよぉ」

「お嬢は数年しか経っていませんからね、当然でしょう」

楽しそうに言うギーブルに苦言を垂れるイルル。不貞腐れたギーブルは小さな拳でイルルの脇腹を力任せに叩くが、叩かれている彼は物ともせずに茶を飲んでいる。

「そうねぇ、ラタちゃんに分かりやすく説明するなら……あ、うちの城門。あのぐらいかしら」

「え、そんなデカいのか?」

「国中の人に魔力を与えてるのだから、あのくらいが妥当でしょう」

「それもそうか……」

「えぇ。それで話は戻るけど、明日の午前にお爺様から色々なお話があるのよ。その前にラタちゃんの疑問を解消しておこうと思ってこの場を設けたの」

「なるほど」

「まぁ、みんなでお菓子を食べるのも楽しいからっていうのもあるけどね」

「だろうな」

そんな他愛のない会話をし、それぞれ思い思いに茶会を楽しむ。菓子のほとんどはギーブルが食べ尽くし、普段から間食を取らないラタトスクとイルルは茶を飲んでいた。無言の茶会は居心地が悪いのか、イルルが最初に口を開く。

「そういえばお嬢、ラタトスクさんに何か用事があったんじゃないですか?」

と言われたギーブルは、口に運んでいたドーナツの手を止めて話始めた。

「そうでした!」

そう言いながらソファから立ち上がり、すぐ近くの本棚へ駆け寄った。ギーブルが本棚に近づくと、届きやすい位置に置いかれていた深緑の表紙をした厚い本が浮き上がった。そして、ギーブルの前で本はパラパラとページを捲り、とあるページで止まり浅葱色に光りだした。

突然の出来事に戸惑いを隠せないラタトスクだったが、ヤマタノオロチとイルルは微動だにしていないところを見て、自分を落ち着かせる。この時ラタトスクは、ギーブルの目の下にある黒い線が一つ増えていたのを見た。

「さぁ、おいでなさい。ギーブルの名の下にその姿を見せるのです」

そう呟いたのを合図に、本から発せられる光は強くなっていく。やがて目を開けられない程の光となり、しばらくした後に目を開けたラタトスクは驚きの声を城に響かせた。

「もぅ、あんまり騒ぐと怒られちゃうでしょ?静かになさいな」

「いや……だって、あれ―――」

「ふふふ、こんなに驚いてもらえるなんて感激ですねぇ」

そう言ったギーブルの声は先程より高い場所から聞こえる。それもその筈、ギーブルは自分が召喚した緑の精霊の手に乗り、宙に浮いているのだ。筋肉隆々としている肉体と手首から指先までしかない両手、堀の深い顔立ちをポンパドールのように後ろへ纏められた髪らしき部位。全身が風で構成されているらしく、部屋の低い天井の下を窮屈そうに浮いている。

 ラタトスクはこういった精霊を一度も見たことがない為、未知の存在にただ純粋に驚いていた。そんな事を構いもしない精霊は、頭に直接書き込まれた言葉のように話しかけてくる。

『ギーブルよ、吾に何用か』

「今日は新しいお友達を紹介しますよぉー、ラタトスクさんです!」

『ほぅ、新しき友か。交友が広がるのは良き事だ』

と言った精霊は、ソファの上で固まるラタトスクに顔を近づける。あまりの大きさと近さに卒倒しかけるものの、持ち前の忍耐力と精神力でどうにか堪えた。その様子を見て納得したのか、精霊は顔を離してこう言った。

『無力な人間にしては良き反応だ。良き友を迎えたな』

「ふふふ、良かったですねぇ。褒められてますよぉ」

「そ、そうなのか?」

と不安気なラタトスクに対し、ギーブルは精霊に視線を送った。彼女の意思を察してか、精霊は優しく言葉をかける。

『うむ。誇るがいい』

「だそうですよぉ」

「……あ、ありがとうございます」

軽く会釈する事しか出来ないラタトスクであったが、唐突に精霊の姿を見せられて逃げ出さないだけでも褒められたものだろう。ラタトスクが精霊に少し慣れてきたのを見て、ギーブルは手の上から話しかける。

「それでですね、この精霊は私の召喚によく応じてくれる者なので、ラタトスクさんには慣れてほしいなぁーって思ったんですよぉ」

「なるほど……これが召喚ってやつか」

ニコニコと微笑みながら話す彼女の目の下には、どす黒い色で二本の線が引かれている。それに同意する様に精霊も頷く。

『吾はこの通りの存在だ。それ故、よく人間を怖がらせてしまうのだ』

「なるべくで良いので、あまり驚かないようにしてもらえたら嬉しいですねぇ」

少し考える様な姿勢をして話すギーブルに声をかけたのは、新しく茶を淹れ直しているヤマタノオロチだった。茶器に茶葉を入れ、イルルに水を温めてもらっている最中だ。

「大丈夫よ、ラタちゃんだし」

「何だよそれ……」

と言いつつも、段々と精霊に慣れつつあるラタトスクだった。そして精霊はラタトスクの方を見て話しかける。

『人間よ、名を何という』

「俺はラタトスク。さっきギーブルが言っただろうに」

『自分の名はその者が口にしてこその名だ。ラタトスクというのだな、初めて聞く名だ』

「そりゃあ……まぁ、当然だろうな」

と言って不意に視線を逸らす。相手が精霊である以上、魔力がない事は分かるのだが声にして言うのは気が引けるのだろう。ラタトスクの心情を察してか、精霊は優しく声を響かせた。

『そうか。汝をしかと覚えたぞ』

その様子を眺めていたギーブルは納得したのか、精霊に本へ戻るように伝える。

「大丈夫そうなので、今日はもう休んで良いですよぉ」

『承知した、ではまた次の時に』

と言いながら、ギーブルをゆっくりと床に降ろした。そして形を保っていた体は風となり、本の中へ吸い込まれるように消えていく。

その様子を見届けて、静かに本を閉じながらギーブルは呟いた。

「はぁーい、おやすみなさぁい」

そして本は宙に浮き、元あった本棚へと収まった。本が戻る頃にはギーブルも自分が座っていた場所へ戻り、再び菓子を食べ始めた。

「お嬢、お菓子はあと5つまでですよ」

「えぇー、数えてたんですかぁ?」

「お世話係なので」

「ちょっと引きますよぉ」

「そう言いつつあと2つです」

「むぅ」

 先程の精霊を呼びだした反動か、少し魔力が減ってしまったのだろう。残り2つも食べてしまったが、まだ食べたりない様子でイルルを睨んでいた。

暫く無視していたイルルだったが、根負けしてしまいギーブルにこう言った。

「今日だけですからね」

「わぁーい!」

と嬉しそうに菓子を頬ばるギーブルを見て、やれやれという様な表情をするイルル。それに対してヤマタノオロチは微笑ましく思い笑いながら言う。

「ふふ、甘いのね」

「お恥ずかしい限りです」

「良いのよ、私だって同じことするから」

と言って、ギーブルの目の前から空になった皿と菓子が残っている皿を取り換えた。ラタトスクは特にする事もなく、和やかに過ぎていく茶会の雰囲気を楽しんだ。

それから一つ二つと過去の出来事や、昔ラタトスクが請けた依頼の話などをし、すっかり四人は旧知の中の様に親しくなった。

 やがて、山のようにあった菓子たちも無くなり、すっかり夜が更けた頃。ギーブルが重い瞼を擦りながら言う。

「そろそろ寝ませんかぁ?」

一同はそれに賛同し、お互いに就寝の挨拶を言いながら部屋を出る事にした。外は暗闇の中から雨音が聞こえるのみで、まるで城に他の人間がいないように錯覚するほど静かだ。大雨の影響で冷たい空気が廊下を凍てつかせ、寒さで身を震わせながら各々の部屋へ戻っていく。

 ラタトスクが自分の部屋の方へ歩きだす時、ヤマタノオロチが一言だけ「ありがとう、楽しかったわ」と声をかけた。

彼が眉を下げて微笑む表情はどこか懐かしく、ラタトスクの目には城で暮らしていた頃の記憶と重なって見えた。

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