王城
石畳の地面を大粒の雨が叩く音で包まれた城下街に、馬が疾走する音が聞こえる。森を駆け、街を駆け、彼らが辿りつく場所は蒼流の賢者である国王が待つ王城だ。詳しい事を聞かされていないラタトスクであったが、王城へ近づくにつれて目的地の検討が付いた。
”助太刀屋”を出てから数時間程経った頃、ヤマタノオロチは馬を減速し始めた。それに合わせラタトスクも段々とゆっくりカリンを走らせた。相性が良かったのか、カリンが優秀なのか、ヤマタノオロチと同様の速さで走っている。
鈍色の霧から段々と姿を現したのは、
丸い柱に挟まれた扉には銀で装飾が施されており、門の上には黒い瓦が整然と並べられている。城門に近づくにつれて、扉の前には鎧姿の兵士が一人立っているのに気が付いた。兵士が装備しているのは銀と青を基調とした鎧で、リエラ国の一般兵に支給されている物である。
当然ながら兵士の方もヤマタノオロチたちに気が付いたらしく、大雨に掻き消されない程の大声で声を掛けた。
「待たれよっ!!」
その声に二人は素直に従い馬を制止させた。そして先程と同じ声量で言葉を投げかける。
「現在城内は厳戒体制にあるっ!!素性が明らかでない者の立ち入りを禁ずるっ!!身分を証明するか即刻立ち去られよっ!!」
それを静観していたヤマタノオロチであったが、ラタトスクの方を見てニタリと嗤った。そして嫌な寒気がラタトスクの背中を這った。あの一般兵に対して何かするに違いない、そう直感したのだ。
ヤマタノオロチはヒラリと馬から降り、兵士の前に落ち着いた様子で歩み寄る。十数㎝はある身長差に物怖じしなかった兵士を面白がってか、ゆっくりと深く被っていたフードを外した。フードの下は当然、満面の笑みだ。
「ごきげんよう、兵士さん」
丁寧な口調の澄んだテノールが端正な顔から紡がれた。
初めはきょとんとした顔をしていた兵士だったが、段々と驚愕の表情へと変わっていく。自身の無礼を悔いたのだろう、銀の兜を脱ぎ頭を地面に伏せた。
瓦屋根の真下である為お互い雨に濡れないものの、地面は僅かに湿っている。
地面から兵士が謝罪の言葉を叫んでいるようだが、大雨でほとんど掻き消されて聞き取れない。そこへ更に追い打ちをかける様に、ヤマタノオロチはしゃがみ込んで話しかける。
「なぁに?聞こえないんだけど」
「ひぃ……!も、申し訳ございませんでした!!」
「……誰に対して?」
ヤマタノオロチは兵士の顎を持ち上げ、視線を自分と合わせる。口許は微笑んだままだが、目は冷たく鋭い。それを見た兵士は体の震えを抑えられずにいた。
まさに蛇に睨まれた蛙という状況だ。
「あ、貴方様、ヤマタノオロチ様にございます!!」
「―――それだけ?」
「へ?」
「あなたが謝罪する相手は私だけかって聞いてるのよ、きちんとお返事なさい?」
「そ、某には存じ上げません……」
「あらそう」
と言って兵士から手を放し、一言付け加えた。その時のヤマタノオロチは無感情で、顔立ちからして人形の様だった。鈍色の霧で黄色の瞳が一層光って見える。
「同行者は私が認めている人間です。直ちに門を開けなさい」
「は、はい!」
兵士は返事と共に立ち上がり、素早く扉の向こう側へ号令をかけた。少し離れた場所で馬たちと共に見ていたラタトスクは、兵士が立ち上がり声を上げている姿を見て安心した。
ヤマタノオロチは誰よりも家族への思いが強く、自分の事の様に大切に思う。その為、家族を蔑まれたりぞんざいに扱われたりされようものなら、それと同じ扱いを相手にもする。そしてそれは今後覆らないものとなるのだ。
新兵であるのだろう、ラタトスクの存在を認知していなかったこの一般兵は、今後どのような功績で名を上げようとヤマタノオロチから認知されないという事である。
ラタトスクが危惧していたのは、あの兵士が攻撃的な言動や行動を取った時だ。ラタトスクは今まで何度理不尽な目にあったか彼自身数えていないが、ヤマタノオロチの前で彼を蔑む発言した者はこの国にはもういないらしい事は知っている。文字通り、ラタトスクに「捨て子」と言った事と同じように呆気なく捨てられたのだ。
馬に乗っていた時と同じ程フードを被ったヤマタノオロチが戻ってきたが、ラタトスクは何も言葉を掛ける事が出来なかった。一方ヤマタノオロチは何も言う事がないので、フードの暗がりから微笑みが見えているだけである。
地鳴りの様な音と共に城門は開けられ、深々と頭を下げている兵士の横を二人は馬を歩かせる。城門の内側には数名の兵士が列を作り、出迎えた。
この城の間取りは一番奥には玉座がある本殿があり、その左右を固めるように奥から手前へと二つずつに別れて伸びる回廊があるというものだ。上空から見ると城を正方形に城壁が囲み、横に長い大きな城と正方形の中心がない建物が城壁側の大きな廊下で繋がっているといった配置だ。四つの建物にはそれぞれ中庭が作られており、庭師たちによって様々な植物が植えられている。本殿に繋がる廊下には来客用の部屋が幾つか並んでおり、急な来客でも使用できる状態に保たれている。
城の外壁や柱などは全て紺青色で統一され、黒い瓦屋根や敷き詰められている石畳によってその色は鮮やかに引き立てられている。今は雨雲と薄く広がる霧の影響で暗い印象の城だが、天気が良い日であれば美しい姿をしているだろう。
ラタトスクは数年振りの出迎えや荘厳な城内でかなり緊張していた。もし歩かされていたら足が縺れ転ぶだろう、と確信できる程だった。しかし、それももうすぐ終わってしまう。そろそろ城内へ入るからだ。
城門から真っ直ぐ続いていた鼠色の石畳を進み、一つ目の分かれ道で右へ曲がる。二人が向かっているのはこの回廊の奥にある廊下である。ここはこの二人にとって家の勝手口とも言える場所である。藍色の扉は既に開けられており、十数名の召使いが到着を待っていた。薄浅葱と
屋根の下でヤマタノオロチが止まったの同じく、ラタトスクもカリンを停止させた。それに合わせて控えていた召使い数名が駆け寄り、恭しく馬から降ろし、甲斐甲斐しくマントを預かったりなどした。慣れているヤマタノオロチは堂々としていたものの、ラタトスクは一挙手一投足がぎこちないものだった。
その後二人が目にしたのは、楽し気に微笑む童女の姿だった。黒髪を腰まで伸ばし前髪は切り揃えられ、大きな丸い瞳は赤銅色に輝いている。上品なフリルやレースなどから可愛らしい印象なのだが、目の下にある濃墨の一筋の線から底知れぬ魔力を感じる。この少女の呼び名は『ギーブル』と言う。
ギーブルに対して全く面識のないラタトスクでも、その独特な微笑みや雰囲気から王家に連なる者だとすぐに分かった。
「おかえりなさぁい、ヤマタノお兄様」
「ただいま、部屋で待ってても良かったのよ?」
「そうしてたんですけどぉ、お部屋には何も無くなってしまったので……こっちに来ちゃいましたぁ!」
「そう」
伸びやかなゆったりとした声にヤマタノオロチは優しく微笑み返す。そこには常人では出せない高貴さがあった。どうすればいいか分からなかったラタトスクは、緊張と焦りで直立したまま目が泳いでいた。
会話が終わったギーブルはラタトスクをじっと見つめ、コホンと軽く咳払いし話掛けた。
「はじめまして、ですよねぇ。こんばんは、ギーブルと申しますぅ」
そう言ってスカートの裾を少し摘んでお辞儀し、すっと姿勢を戻す。こういった挨拶に慣れていないラタトスクは気後れして、ぶっきらぼうな受け答えになってしまった。
「どうも、はじめまして……ラタトスクです」
「ヤマタノお兄様からよくお話は聞いていますよぉ。お二人ともお部屋へ案内しますねぇ」
「えぇ、よろしくね」
ギーブルはこくりと頷き、彼女を先頭に青い廊下を歩いた。廊下は壁と天井が白く、床一面が青藍色の絨毯で染まっている。天井の照明は魔法で紡がれている炎らしく、天井から下がっている銀の飾り玉の中で青く揺れている。左側に等間隔で窓が並び、右側には扉が広い間隔で並んでいる。
廊下とは言え広い城の為すれ違う人はおらず、三人で横に並んで歩いていた。ふいにヤマタノオロチがギーブルに話掛ける。
「お爺様は今何をしてらっしゃるの?」
「今は公務の最中だったと思いますよぉ」
「そう、もう遅い時間なのにね」
「そうですねぇ、雨が降り始めてずっと働きづめらしいですよぉ。国中で水回りの事故が多発してるので……」
と言って、ギーブルは窓の外を物悲しい瞳で見つめた。幼い彼女にとって国王は血の繋がった祖父であり、今がどれだけ大変なのか分かっているからこそ何も手助け出来ない自分を歯痒く思ったのだろう。それを察してか、ラタトスクは話に入り込めなかった。
暫く廊下を歩くとギーブルは立ち止まり振り返り見て、左手部屋は深い藍色の引き戸のだった。
「ラタトスクさんはこちらでお休みになられてくださいねぇ、お爺様との打ち合わせはまた明日に」
「あ、はい。分かりました」
「私は?」
「ヤマタノお兄様はご自分のお部屋ですよぉ」
「それもそうね」
「私、久しぶりパジャマ会したいです!お菓子もいっぱい準備して!」
「いいわね、そうしましょ!」
二人して口許に手を当ててホホホと笑った後、揃ってラタトスクの方を向き笑いかけてこう言った。
「また明日」
「え、あぁ、うん」
ヒラヒラと手を振るラタトスクは、呆気に取られてポカンとした顔をしていた。彼には異性の友人が少なく、そう言った集まりを知らないというのもあるが、あの二人がパジャマ姿でお菓子を食べるという光景が想像し難いものだったからだ。
二人の姿が見えなくなった頃にようやく正気を取り戻し、他にする事のないラタトスクは案内された部屋へ入った。部屋に入ったラタトスクは、どこか懐かしい気持ちになった。それも当然で、彼が最初にこの城へ招かれた時に通された部屋だったのだ。当時のラタトスクは片手で指が余る程の歳だった為、はっきりと記憶に残っていないのも無理はない。
廊下と同様に白い天井と蒼い絨毯が敷かれた床。黒い机や椅子、寝台や棚などの差し色に青藍色が使われている。部屋の右手側に個室トイレと浴室とがあり、黒い扉が二つ並んでいる。
一先ずラタトスクは持っていた荷物を机に置き、椅子に腰かけた。数か月振りの乗馬で疲れ切っていたのだ。暫く手で解してみたものの即効性はない。最後の頼みの綱として、覚束ない足取りで浴室へ向かった。
水属性の加護を持つリエラ国では、国中を巡る水に治癒の力が含まれている。魔力をほとんど持たないラタトスクにとって、これを活用しない手段はないだろう。
浴室の中央には広い浴槽があり、壁際にはシャワーと蛇口が付けられ、備え付けられている棚には石鹸などや洗髪剤などが置かれている。化粧水などもあることから、この部屋は客室として使われているのだろう。
清潔さを保てられれば良い彼にとっては充分すぎる備品で、結局手に取ったのは石鹸だった。
ラタトスクは温かい湯を浴びながら、これからの事を考える事にした。
まず、この国で起きている長く続いている異常な大雨。蒼流の賢者が言うには、この大雨の原因は”龍の暴走”によるものらしく、各国の賢者が異常現象そのものに直接的な対処は出来ないという。つまりは、異常現象の二次被害を抑える事で国民を保護しているのだ。
ラタトスクは石鹸をよく泡立て、全身を隈無く擦り洗った。浴室が懐かしい香りで包まれた。
思えば、リエラ国で発生している大雨によって川や下水が氾濫する事もなく、街や森でも洪水なども起こらない状況が数ヶ月。賢者からの言葉にあった通り、彼がこの国を護らなければ既に水で埋もれていただろう。そう考えたラタトスクは小さく身震いした。
日が経つにつれ、被害を食い止める力が多く消耗されていくだろう事、国王でもある蒼流の賢者が高齢であるというを鑑みると、一刻も猶予はない事がはっきりと分かる。
だが、なぜ自分が、他に何か見落としている点がないか考えた。しかし、ラタトスクには何も思い当たらなかった。
このまま無為に時間を過ごしては湯冷めしてしまう、と思ったラタトスクは全身の水気を拭い取り浴室を出る。気づけば、先程まで感じていた疲労は何処かへ消えていた。
荷物に入れていた動きやすい着物に着替え、髪を柔らかい布で拭いていると部屋の扉がノックされた。そして扉の向こうから耳に心地良い低さの男性的な声で、真面目だがどこか気の抜けている話し方で声をかけられる。
「夜分遅くにすみません。自分、イルルって言います。少しお時間良いですか?」
突然の事で驚き、そのままの勢いで返事をした。
「は、はい!」
返事をしてすぐ、ラタトスクは扉を開ける。そこにはやや長い茶髪をオールバックにし鋭い赤銅色の目をしている、背の高い筋肉質な強面の男が立っていた。
彼の服装はラタトスクとは違うデザインのもので、クリーム色のシャツに使い込まれている革製のジャケットを着ており、黒いズボンと丈夫そうなブーツという服装だ。先程『イルル』と名乗ったが、実際の呼び名は『イルルヤンカシュ』と言う。
「あ、どうも。お嬢がお呼びなもんで、すぐにでも連れてこいって聞かないんですよ」
「お嬢?」
「ギーブル様って言えば分かりますかね。さっきお会いしたと思うんですが」
「あぁ、さっきの子供……」
「そうです、呑気な感じのチビで」
と言って、イルルは自分の腰より上の高さを手で示した。
「それで、俺はどこへ」
「自分が案内するんで、着いてきてもらえれば大丈夫です……あ、髪がまだ乾いてない感じですね」
「えぇまぁ、さっき風呂から出たばかりなんで」
「なるほど。ちょっと良いですか」
そう言いながら、返事を待つ前にその大きな手の平に炎を灯し、それをラタトスクの頭の上へ近付けた。唐突な出来事にラタトスクは頭に手を当てるが、予想と反して頭は燃えておらず程良い温かさで髪が段々と乾かされていた。
「え、燃えてない……?」
それを見て、イルルは不思議そうな顔をする。
「あれ、こっちの国ではこうやって髪乾かさないんですか?」
「しない……と思う」
「そうでしたか、驚かせてすみません。シアトではみんなやってるんで……」
と言い、手を頭の上から離す。
イルルが語った『シアト』というのは、リエラ国の北に位置する火属性の加護を受けている国である。シアト国とリエラ国は友好的な関係が続いており、ギーブルの母親はリエラ国の第三王女でシアト国の第一王子と結婚し円満な夫婦である。
その為、ギーブルはシアト国で名付けられ火属性の加護を受けているものの、水属性の加護も多く受けている。
先程のイルルが創り出した温かな炎で、ラタトスクの髪は完全に乾いた状態になっていた。何を考えているかよく分からないイルルに戸惑いつつ、ラタトスクは弱々しく呟く。
「完璧に乾いてる……」
「それじゃあ、行きましょうか」
「……はい」
そして歩きだすイルルの後に続いて、ラタトスクは廊下へ出て奥へ進んだ。大雨で時間が正確には分からないものの、先程より幾分か暗くなっている。
藍色の扉の前でイルルは立ち止まり、ラタトスクの方を向き直り声を掛けた。
「こっちにお嬢がいるんで」
イルルはぶっきらぼうに頷く。
藍色の扉を開けるとそこは外から見えていた回廊になっていた。
暫くの間、ラタトスクは廊下を歩きながら藍色の格子状の窓枠から外の景色を見ていた。窓から見える城は昔見た光景と変わってしまったものの、何処か懐かしさを感じた。回廊には二人分の足音と雨音が聞こえる程度。
イルルに導かれるままに進んでいると、何処からか聞き覚えのある話し声が聞こえてくる。一歩進む毎にその声は段々とはっきりとし、一番よく聞こえる引き戸の前でイルルは立ち止まった。
恐らくこの部屋にギーブル達がいるのだろう。
「ここです」
「は、はい」
少し緊張した面持ちのラタトスクは、部屋の中で何を話されているかより粗相をしないようにと気を引き締めていた。しかし、その緊張も次の出来事で吹き飛ばされる。
イルルが戸を開けた瞬間、薄紅色の枕が彼の顔面に直撃したのだ。それを目の当たりにしたラタトスクは驚き、イルルの顔面に投げられた物を指差しながら呟いた。
「……ま、枕?」
絶妙な塩梅の速度で投げられた枕は、柔らかい音と共に床へと落ちていった。
イルルは慣れた手つきで落とした枕を拾いつつ、部屋へ入っていく。ラタトスクもそれに続いて部屋へ入った。
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