水に溺れし国

依頼

 リエラ国の西側に広がる森、その中心に一軒だけポツリと民家がある。玄関に置かれている表札には家主の名前が書かれておらず、ただ「助太刀屋」という名前が書いてある。

 木々に囲まれたこの森もまた、龍の暴走によって大雨が続いている。久しく陽の光を浴びていない植物は萎れ、雨水を吸い過ぎたものは腐り枯れていった。森に棲んでいる精霊や獣たちもまた、食料不足などで徐々に森から離れて行っている。

そんな状態のこの森で生活を続けているこの家主は、大変な変わり者とも言えるかもしれない。

 木材を基調として建てられているこの家は造りが丈夫らしく、雨漏りも浸水も全くしていない様子だ。少し大きい小屋の様に質素な外観だが、内装は生活感のある家具や小物で溢れている。薄紅のソファとローテーブル、背の高い本棚が一つと小さな戸棚が幾つかある。玄関入ってすぐ応接室という間取りで、壁に三つ扉がありそれぞれ生活に欠かせない部屋となっている。

 ここの家主の青年はソファに座り、前をじっと見つめていた。というのも、する事もないこの家で暇を持て余しているのだ。

焦げ茶色の短い癖っ毛と瞳をしており、低めの背丈に浅緑と黒の唐装をしている。呼び名は『ラタトスク』と言った。

たまに天井を見上げたり、床を見たり。はたまた代わり映えのしない窓の外を見に行ったり。時間を無為に過ごす事に慣れていない動きをしている。

 しばらく同じ動きを繰り返した後、ふと思い立ったのか本棚に向かった。

様々な種類の本が並んでいるこの本の中で、彼が読んだことがあるものは片手で足りる程だ。ほぼ全て読んでない本である為、どれか一つを選ぶのに時間が掛かる。

どの本もそれなりの厚みがあり、読み始めればあっという間に一日が終わるだろう。しかし、あまり本に触れずに生きてきた青年はどの本を選べば良いのか分からなかった。

暫く本棚の前で考え込んだ末に、一番手に取りやすい場所にあった本を取る事にした。あまり背が高い方ではないラタトスクにとっては、楽に届く高さというのは大切な要素なのだ。

しかし、その安直さが仇となってしまった。

彼が手に取ったのはとある人物による心の籠った置き土産。平たく言えば、兄の様な人物が思いのまま書き連ねた物である。


そう、日記だ。


ラタトスクはその本の表紙を開くことなく、近くにあった可燃ゴミ入れへと投げ入れた。読書の気が逸れた彼は再びソファに腰を沈めた。

そしてまた何もしない時間が始まるのかと思ったその時、玄関先が騒がしくなった。誰かがこの悪天候の中で訪ねてきたのだ。

 天災とも言うべき雨の中で迷いやすい森を抜け、この助太刀屋まで来た人物。彼には誰なのかはっきりと分かった。

玄関の向こうでは馬の嘶きと足音が雨音に交じって聞こえる。こうなっては暇つぶしを探すどころではない。彼が予感している人物であるならば、唐突に無理難題に近い依頼を短期間で頼みに来るような人物なのだ。自らの今後を心配する時間もあとどれほどあるか分からないという状況になってしまった。

 ラタトスクはソファから微動だに出来ず、玄関をじっと見つめて考えた。どういう行動を取れば最悪の事態は避けられるのか。

彼はありとあらゆる可能性を考えたものの、結局はあの人物によって悪天候の中へ投げ出される結末は変わらなかった。無常な事に、ラタトスクには一刻の猶予もなかった。

カランカラン、とベルが鳴りながら扉が開いたのだ。

 玄関に立っているのは、青緑色の髪と黄色の鋭い瞳をした背の高い男だった。端正な顔立ちと佇まいから溢れる高貴さがこの男性の特徴だ。

暗い色のマントから大粒の雫が滴っており、外の天気を物語っている。

「こんにちは、ラタちゃん。久しぶりね」

と涼し気な顔で挨拶してくる彼こそが、ラタトスクが危惧していた人物であり捨てた日記を書いた人物でもある。そして、孤児だったラタトスクにとっては兄同然の人物だ。

呼び名を『ヤマタノオロチ』と言う。

「あぁ、うん」

ヤマタノオロチから”ラタちゃん”と呼ばれた、視線を逸らしながら素っ気ない返事をした。

「この辺はあんまり変わってないのね。大雨の影響で植物はすっかり枯れてるけど……」

マントを壁に掛けながらラタトスクに語りかける。そして、ソファへゆっくりと歩み寄ってきた。

「まぁ、ずっとこの雨だしな」

ラタトスクは青空が恋しいとでも言う様に何もない天井を見上げた。その様子を横目に、ヤマタノオロチは静かに向かいのソファに座る。

そしてその手には何やら古めかしい巻物、高貴な雰囲気が漂う封筒を持っている。それを見たラタトスクは突拍子もない依頼をされるのだと悟った。

ヤマタノオロチは取り出した資料を機嫌良く机に並べ始める。それに反してラタトスクは借りてきた猫の様に大人しくなりつつ、恐る恐る依頼内容を尋ねた。

「なぁ……それってもしかして―――」

「えぇ、今回のお仕事よ」

と言うヤマタノオロチは爽やかな笑顔をしているが、今まで幾度となくその顔に苦しめられてきたラタトスクにとっては恐怖でしかない。

「だ、だよな……うん」

まだ想定内だと自分に言い聞かせるように呟く彼だが、これから告げられる依頼内容までは予測出来ないでいた。

「というわけで。ラタちゃんには旅に出てもらおうと思います!」

宣誓、という様に手を上に真っ直ぐ上げて声高に言う。その言葉を聞いたラタトスクは怪訝な顔を隠せずにいた。

「はい……?」

「だから、暫く旅に出るっていう依頼」

「……なんで?」

「陛下からのご指名よ、光栄に思うのね」

と言って、青い蝋で紋章が刻印された封筒を渡した。ラタトスクは中を見て驚嘆し、封筒に向かって指を差して口をパクパクさせながら訴えかけている。

「今凄く愉快な顔しているけれど、良いのかしら」

嘲るように笑うヤマタノオロチは、はいどうぞ、と言う様な手つきで封筒を手渡した。

ラタトスクはすぐにその封筒を受け取り、中の便箋を取り出し確認した。口許を固く結んでいたが書かれている言葉を読んでいくに連れ、また驚嘆の表情へと変わった。愉快な顔をしているのだが、ラタトスクは気づいていない。

ヤマタノオロチは笑いを堪え、口許を軽く抑えた。

一部省略するが、便箋には以下の事が書かれていた。


「さて、なれも既に周知のことと思うが、この大陸は現在異常現象に見回れている。

 五つの国で発生している異常現象は全て”龍の暴走”によるもので、鎮めるには創造主たる龍へ魔水晶を納めなければならない。

 しかし、儂はこの国で発生している大雨による被害を抑える事までしか叶わぬ。一日でも儂がこの国を離れてしまえば、すぐに我が国は水で溺れてしまうだろう。そしてそれは、他の国々も同じである。

 そこで汝には五つの国からそれぞれの魔水晶を回収し、神の島『ラルド』に住まう龍へ捧げる役目を頼みたい」


ラタトスクは便箋に書かれた言葉を読み終えたが、未だ驚きを隠せないでいた。

 成人するまでヤマタノオロチと同じく城で育てられたラタトスクは、リエラ国王である蒼流の賢者と何度か謁見していた。しかし、王族でない出自不明の孤児であったラタトスクが意見を交わす事などなかった。

そんな間柄であるにも関わらず、唐突に助けを求められたのだ。驚かないのも無理はないだろう。

 ようやく落ち着き始めたラタトスクは、目の前のしたり顔の男に一言呟いた。

「し、正気か?」

「勿論。じゃないとこんな大雨の中に馬で乗り込まないわ」

「それもそうか……」

徐々に平静を取り戻しつつあるラタトスクに合わせ、ヤマタノオロチは歴史を感じる巻物を解いていく。古い文字で書かれているものだが、そういった事に知識のないラタトスクには全く分からなかった。

そんな事は気にも留めず、ヤマタノオロチは書かれている言葉を読み上げ始めた。


「吾ら人の子が住まう地を創造され、吾ら人の子に魔力を授けし古の龍は吾ら人の子の進化を望む。


 五人の賢者が朽ちる前に次なる賢者を生み出せ、吾ら人の子は常に魔導を極めるべし。


 もし、五人の賢者が敵わぬことあれば、神の島”ラルド”へ魔水晶を携えた使者を送り給え。


 さすれば創造神たる龍が吾ら人の子へ救いを与えるだろう」


と言い、一呼吸置いて話を続ける。

「そういう事だから、早速出発するわよ」

「え……いや、急すぎるだろ」

「仕方ないでしょ、私も今朝聞かされたんだから」

ヤマタノオロチは半ば呆れながら言い、伝えられた時は不満が強かったのだろうと伝わってくる。そもそもこの巻物の事象をそのまま行うことでどうなるか、ラタトスクはよく分かっていない。

 現在、リエラ国を覆っている大雨は自然によるものではなく、古の龍が暴走している事から発生している。それと原因同じくして、他の四ヵ国でもそれぞれの”属性”に沿った魔力の暴走が発生している。

当然ながら、それぞれの国々で対処を行われた。しかし、賢者や名のある魔導士の力を集結させても、魔力の暴走を軽減させただけで消滅までは出来なかったのだ。

今までこんな出来事が例になく、どんな伝承でも構わないから可能性があるものには縋りつきたい。というのが五人の賢者の総意だ。

「じゃあ、これだけ聞かせてくれ……何で俺が選ばれたんだ?」

「知らないわ。陛下の思し召しよ」

そう言われて彼なりに納得したのだろう。目を閉じ少し考えてこう言った。

「よし。承ろう」

「それは何より。じゃあさっさと準備しちゃって」

「あぁ」

そしてラタトスクはソファから立ち上がり、真っ直ぐと自室へ向かった。その様子をヤマタノオロチはただ眺めるだけだ。

 旅の荷物を必要最小限のみにするラタトスクであったが、今回ばかりは少し多め(一般的には普通)に持っていくことにした。何が起こるか、何をさせられるのか、全てが未知である為だ。それに加え、ラタトスクは低級魔術をも扱えない事も合わさり、王族であり二属性使いのヤマタノオロチとは大きな差があった。

 ラタトスクが旅支度をしている間、空き時間が出来てしまったヤマタノオロチは本棚の方に視線を移した。暫くじっと見つめ、徐に立ち上がる。

本棚のある場所、一冊分だけ空間が出来ていることに気が付いたのだ。それは先刻前にラタトスクが捨てた日記があった場所である。

彼はその一点を見て少し考えこみ、微かに笑った。そしてまたソファへ戻り、ラタトスクの支度が終わるまで待つ。

 それから数分経った後、自室から荷物を携えたラタトスクが出てきた。背中に背負っている大きい荷物と肩に掛けられている荷物とを見ると、それなりの苦難を予想しているというのが分かる。

それを見たヤマタノオロチは、からかう様に尋ねた。

「準備は完璧?」

そう言われて不安になったのか、自分の荷物に視線を落としながら答える。

「……たぶん」

「ふふ、じゃあ行きましょう」

と言い、ヤマタノオロチはすっと立ち上がり、マントを羽織り荷物を手に取る。ラタトスクも同様にマント羽織り、フードを浅く被った。

ヤマタノオロチが扉を開けると、外は相変わらずの豪雨で土の匂いが鼻につく。

玄関先には黒毛と赤毛の馬がおり、屋根の下で待機していた。どちらもよく訓練されている馬らしく、この大雨でも動じていなかった。

「ラタちゃんは赤毛の馬に乗りなさいな」

「分かった。名前は?」

「カリンよ」

ラタトスクは小さく頷き、カリンの元へ歩み寄った。そして大きな瞳をしっかりと見て、落ち着いた表情で声を掛けた。

「よろしくな」

カリンはそれに答える様に鼻を鳴らし、ラタトスクに頭を擦り付けた。動物の扱いに慣れているらしく、出会ってすぐに懐かれたらしい。

ラタトスクは少しだけ撫でた後、カリンの背に飛び乗った。姿勢が整った頃にヤマタノオロチが大雨に掻き消されない声で話かける。

「行ける?」

「あぁ、もちろん」

「あら頼もしい」

と小声で呟き微笑み、雨の森を黒馬で先行した。その少し後をカリンとラタトスクが続いた。


 晴れの日は暖かい日差しが気持ちの良い森であったが、連日の激しい雨が影響して気温が下がっていた。頬を掠める冷たい雨粒が、段々とその場にいる者たちの体温を奪っていく。

木々の間の獣道を突き進み、泥濘する地面に足を掬われぬよう駆け抜けた。ラタトスクにとって久しぶりの乗馬にも関わらず、ヤマタノオロチに後れを取らずに一定の距離感を保ってカリンを走らせている。

森を抜け市街地へと出てきて、ラタトスクは驚いた。活気溢れる街が今では人がいない閑散とした場所になってしまっているのだ。この大雨によって人が外へ出る事が減り、店は休業し皆が家に閉じ籠っている。

彼が思っていた以上に事態は深刻で、誰もいない街道をそのままの速さを保ち走り抜けた。

 二人が向かうのは国の中心に位置する場所、リエラ国王城である。現在地は城下街の外れにある市街地で、あと暫く同じ速さで走り続ければ今日中に城へ到着する見込みだ。幸運にもリエラ国の城下街は升目状に配置されており、城までほぼ直線で走り抜ける事が出来るからである。

しかしラタトスクは雨に打たれ続け、指や足先から段々と悴んでいく。一方でヤマタノオロチは全く疲弊していない様子で黒馬を乗りこなしている。負けん気の強いラタトスクは自らを律して、寒さではなく進むことに意思を向けた。

 強い雨音と僅かに聞こえる蹄の音が城下街を駆け抜け、誰の目にも留まる事無く城を目指した。ラタトスクは時折り街の様子をチラリと見ていた。

よく贔屓にされている家や買い物をする店、それら全てが大雨に包まれ霞んで見えるが、彼の目には晴れていた頃の情景が目に浮かんでいる。そして、これらを元の平穏の中に戻すのだと決意を固くした。

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