映像と音楽と~刻まれたもの
シン・ゴジラ席巻と庵野秀明監督の思い
※注意。微妙にネタバレ?含みます。
今なぜ特撮もの……しかも、とびっきりの怪獣映画(笑)。
失礼。実に15年ぶりに自分の足を映画館へと運ばせた作品が、今日本映画界を、いや日本中をまさに席巻しつつある、かの「シン・ゴジラ」。社会現象ともなった「エヴァンゲリオン」シリーズによって名実ともに第三次アニメブームを巻き起こしたと言っても過言ではない庵野秀明監督による新生ゴジラ映画である。失礼の上乗せで言うと、個人的に過去ゴジラはそれほど見たことがない上に、幼い頃のトラウマから怪獣ヒーローもの特撮は大の苦手。
元々庵野監督は部類の特撮マニアと聞いていたので、そうしたオファーが訪れたというのも当たり前に腑に落ちるのだが(ご丁寧にネタバレ注意と帯のかかった、笑)映画パンフレットを読む限り、特にゴジラ映画に愛着があった風でもないよう。それでも、こうした社会性を伴ったポリティカルフィクションを世に問い、かつ古くからの娯楽映画としてのゴジラを真の意味で鮮明に
一部劇場にて庵野氏の盟友漫画家・島本和彦氏を巻き込んでの発生可能上映会を開き、あるいは個性的な劇中登場人物などが愛すべきキャラアイテムとしてネットを中心に人気を博して、実際に鑑賞リピーターが続出するなど、この夏最高のエンターテインメントとして大いに盛り上がったのであるが、そうした大きな盛り上がりも、単なる娯楽映画のそれだけではないことは、実際に劇場へ足を運び、その映像を目の当たりにすることで概ね理解を得られるかと思う。
世は9・11はおろか東日本大震災での原発問題などを孕んで、決して型通りの社会の繁栄だけでは、本当の真実を語れなくなっているという時代。ゴジラは文字通り架空の作り物なのだが、それがここまでの大きな存在感を放ち、よもや様々な問題を鋭く突きつけてくるとは。私自身、おそらくは世間の多くの人々がそうであったように、上記3・11を経ての社会の空気を日々肌で感じるようになってから、アニメーションを含めエンタメという名の世の創作物や、それらを生む消費経済社会への少なからずの疑念が芽生え、一時期自身が夢を携えてめざすべき物事や世界への意味を尽く酷く喪失してしまったほど。
実際、庵野監督も三部作に分かれたエヴァンゲリヲン新劇場版制作中に、酷い欝状態に陥ってしまったという。全てが薄っぺらく意味を見いだせない。自分が何を作ればよいのか分からない。まさしく映像制作者としての危機である。その過程で舞い込んだ、このシン・ゴジラの制作オファー。それはある意味、差し伸べられた思わぬ救いの手でもあり、そして映画人としての彼自身の申し分ない大きな転機であったのかもしれない。
現在、アニメーションは映像の3D制作含め制作のデジタル化が進み、そういった技術革命は、より緻密な画面作りや個性的な技術の獲得は勿論、コストパフォーマンスのよさ大幅な作業効率の促進ともなった反面、かねてからの手描きセルアニメの味を失ったとも言われる。そして何より重大なのは、事実上の作業現場の人材不足もなのだが、そうしたデジタル化によって物を作る人間側の意識も大きく変化してしまったこと。これは決してアニメ制作に限らず、様々な場所で現在、問題視されていることだろうが、よくも悪くも、コンピューターという機械に慣れすぎ、本来の“身体感覚”を人が失ってしまった。
ほぼ同時公開中の青春ジュブナイル映画「君の名は。」もなのだが、かつて何層にも亘るアニメ制作の複雑な作業工程を、PCを使ってたったひとりで成し遂げたデビュー作「ほしのこえ」の衝撃が未だに脳裏に残る新海誠監督のあの美しく繊細緻密な映像感覚も、おそらくはそうしたコンピューターに慣れ親しんだ革新世代の賜物なのではないかと思う。今後、こうしたアニメなど映像作品のデジタル化はさらに進み、PCが生活環境の身近になかった世代の記憶はどんどん薄れていくのだろう。
が、それでも生き生きと躍動する人の心は何一つ変わらない。そうした人の強い思いが様々に優れた映像作品を世に残す原動力となる。「君の名は。」の新海監督作品の、いつまでも終わらない青春時代を謳歌しているような感受性豊かな作風も、それがアニメファンのみならず多くの人に受け入れられヒットしているのは、その生きている感覚の爽やかさ、リアルさを人がどこかで欲しているからなのだろう(「君の名は。」については、実際に未だ作品を拝んでいないので作品の詳細についての言及は避けるけれども)。
おそらく庵野秀明監督が初めにエヴァンゲリオンを生み出した表現欲求の源もそこにあるはずである。何か新しいものを作りたい。それがたとえ過去に自分自身が見てきた様々な作品のコピーにすぎないとしても……(こうした「庵野秀明が生まれた理由」は、先に触れた彼の盟友である漫画家・島本和彦氏著の自伝作品「アオイホノオ」に詳しく、こちらは昭和は´80年代の過去のアニメ漫画界を辿る上でも、またバカバカしくも熱い創作魂の源泉に触れる意味でも、大いに笑え堪能できる名(迷)著である)。
いつしか作品は独り歩きし、大ヒットを飛ばして世の人の記憶と手垢にまみれていくうちに、だが、それはただの「記号」でしかなくなってしまう。作品が世に残るということは、そういうことなのか。それを作り出した最初の自分自身の思いとはうらはらに。ただ消費社会の膨大な利益の一端を担う、単なる生産マシンでしかなくなってしまう。その何とも言えない、どうしようもない虚無感。
庵野監督が自身の制作意欲のモチベーションを失ったのも、私自身が世のエンタメそれ自体の存在意義を見失ったのも、あながち無関係ではないような気がする。日本を含め、社会は世界は偽りに満ち満ちている。その嘘が欺瞞が、世の人々の理想や夢までも根底から侵食していたのだとしたら。いや最初からすべては巧妙に仕組まれていた。その壮大な嘘や騙しの構造で世の中は出来上がり、多くの人々の生を最初から終わりまで巻き込み、そのすべてを篭絡させていた――。
庵野監督がそこまで勘づいているのかは定かではないが、こうした禍々しい時代の空気が、この問答無用のシン・ゴジラの悲壮感漂う迫力ある映像全体に描き出され、首都東京を破壊し尽くすという、怪獣映画としての醍醐味を本当の意味で堪能できるのではないだろうか。エヴァもそうだったのだが、こんな世界すべて壊れてしまえ、皆んな死んでしまえ――。かつて劇場版が公開された十数年前の当時からの、そんな変わらぬ映像の空気の中で、それでも、その一貫したやりきれない絶望の中に一筋の光明を信じてやまない。
ゴジラは使徒はなぜ、街を破壊し人々を恐怖へと陥れるのか。そこには、どこか無機物的な不気味さまで漂わせ、ただ一心不乱に目に見えぬ何かを求めて躍動し前進する一個の生命体としての生存欲求があるだけだ。それは弱肉強食の野生の掟にもどこか通ずるような、絶対的な命の法則。今、様々な異常気象や大災害を繰り返している現実の地球自然も、おそらくは同義の法則で息づいており。地震、火山噴火、台風、こうした大きな自然災害の大異変が今、世界中で起きているのも、おそらくは無尽蔵にエネルギーを使い、自身の身の丈以上の利益を求めて、ひたすらに繁栄していこうとする行きすぎた人間社会の営みの悪がそうさせているとの見方もあり、このシン・ゴジラにおける放射能問題も、その同じテーマに行き着く。
が、それでも人々は生きようとする。己自身の内にそれと知らぬうちに増殖する“悪”と世界全体との折り合いをつけ、問答無用に襲い来る、それらと知恵を絞り力を合わせ闘う。そのたった一つの命の熱意と生き残るために自ら培った人類の叡智で――人は、たぶん、そのために生まれたのだから。
過去からアニメーションなどに登場する悪。今という時代は、その「悪」が真っ当に描きづらい時代だという。このシン・ゴジラに登場するゴジラは、はたしてその悪なのか、否。既に真の悪とは、人間存在としての己自身の内側に巣食うものと認めなければならないのかもしれない。だから、ふとこのゴジラに哀しみ以上の感情が芽生える。そう、真に闘うのはゴジラではなく。……だから決して殲滅ではなく凍結というラストに至ったのか。私たちが抱える問題は未だ継続中なのだ、という自戒も込めて。
今この時も流れている時間や同じ空気の只中で、このシン・ゴジラという作品が、多くの人々から絶賛され手放しで容認されているのも、おそらくはこの社会に生きる、無意識下での人として命としての普遍的な思いがここに厳然として息づいているからなのではないだろうか。
アニメーションや特撮に限らず、世の映像作品や娯楽作品の真の存在意義は、たぶんそこにこそある。それがただ楽しいだけで終わらない真に優れた作品が世の人の記憶に鮮明に残る、ただ一つの法則なのではないか。何より時代の空気を敏感に呼吸し、自分たちの生きる社会やその思いと地続きであること。――現実(ニッポン)VS虚構(ゴジラ)。
それが本当の意味で、現実の写し鏡ともなる架空のエンターテインメント作品がなし得る使命と言えるのかもしれない。“嘘”は、ただの“嘘”ではなく、その中に真実を湛えているからこそ堂々と“嘘”たりえる。「シン・ゴジラ」――ただの虚構が生き生きと心に躍動する、その真実がここにある。
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