再生の足音

S.A.D――悲しみという名の

オタクの性

 今となっては、本当に自分がこの病気にかかっていたのかどうか定かではありませんが、少なくとも、それゆえの悲しみを多かれ少なかれ、心に抱いて生きてきたことは確かでしょう。


 あれは今も微かに記憶に残る、初めて幼稚園に登園した日。突然わけの分からない知らない子の大勢いる場所へ連れてこられ、私を残して母が帰ってしまった瞬間、何とも言えない心細さに襲われ大泣きしてしまい、園長先生にメガネの玩具を貰ったこと。


 今ならなぜ、あの時の自分が、ワケの分からない不安に襲われたのか手に取るように解る……。思えばあの日から私自身の人知れずの苦悩の日々は始まったのかもしれません。


 そんな幼少当時から、幼稚園や学校などで人のあいだにいても、自分は何をしたらいいのか分からない……常に自分が自分でいられない、自分らしくふるまうということ自体がどういうことか分からない。指先一本動かすことも、片足一つ前へ踏み出すことすら怖く――そんな声も出せないほどの不安と萎縮に支配され、とにかく本来あるはずの自分というものを人前で出すことができず、ただただ途方に暮れて、閉じた貝のように自分を殺して沈黙しているしかなかった。


 小学校低学年の通信簿では、よく「おとなしすぎます」と書かれ、実際無口すぎるほど無口な子で、概して「何を考えているのか分からない」という周囲からの評価だったのだろうと。そのため当然友達も普通にできず……よく体育の授業で二人で組みになる時に一人だけぽつんと残されるタイプ。そんなことからも、男女とものクラスメイトから、いじめに遭ったこともしばしば。


 学校の成績もたいしてよかったわけではないけれど、一つだけ突出してよかったのは図工(中高では美術)で、小学一年生の時、自分自身の似顔絵を描く授業で、小学生が描いたとはとても思えないような、不気味なほど(笑)精巧緻密な下書きの鉛筆画を描いて先生に驚かれ、ああ自分は絵の才能があるのかと思い始めたのが、この頃。ただ褒められたそのことだけは、とても嬉しく、その「褒められる」ということの快感を知った、それが初めての瞬間。


 何よりその「褒められて嬉しい」ということが、その後の自分というものを支える上で輝くような、かけがえのない美しい鉱石となったのは言うまでもないこと――。


 要するに何も考えず、ただ目の前の作業に没頭できることがあれば、実に我慢強くそれに没入し、結果思いも寄らない成果をあげたりすることが自分はできるのだと。


 それはつまり対人恐怖症とも何とも言えない自分自身のこの病を逆手に取った成果なのですが、実際小学一年生くらいでそういうことを我慢強くできる子というのは普通は一般的でなく、むしろ落ち着きがないくらいの元気のよさがあって当たり前なので、だから自分は「おとなしすぎて困ります」などと先生から心配されたのでしょう(笑)。


 むしろ友達と騒いだりして遊ぶ、ということ全般がよく分からなくて。それが子供時分から尽く普通にできずに、そういうことを子供らしくもなく一人悩んでいた自分は、やはりどこかおかしかったんだろうなと今にして思い返します。


 それでも家にいる時は結構そうでもなくて、割と普通にはしゃいだり笑ったり。それほど特別仲がよかったというわけでもないけれど、三つ上の姉がいて、何だかんだで常に姉が先に立って消極的な私を引っ張っていってくれていた感があり、そんな姉妹関係や両親含め、自分を守ってくれる家族の中にあってこそ、結果初めて自分は自分でいられたような所はあったのかも。


 けれど、それ以外のとにかく外部の世界においては尽く「怖い」という性根に染み付いたような思いというか感覚がまずあり、それはどこでどう身に付いたものか全く分からないのですが、とにかく学校など外の世界へ出ると、条件反射的に心身が硬直し、様々な場面で酷く緊張して萎縮しきってしまう。


 特に大勢の見ている前で何かを発表しなければならないとか、人前で何かをやらなければならないといった場面では、その緊張は最大限に達して冷や汗が出、胸の鼓動が止まらず、何より酷い恐怖感に襲われ、頭が真っ白になって気分が悪くなり、すぐにでもその場から逃げ出したくなる……。


 この辺が、実に30数年後にして自分がやっとその正体を知ることになる、この社会不安障害(S.A.D)という疾患の割とポピュラーな症状なのですが、むしろ私自身にとっては、その前段階であり、様々な症状そのものが出る大元の、とにかく外部の世界に出ることが「怖い」という、まるで自分自身のベースとしてあるもののような、心身含め、常態化しているこの萎縮感覚こそが、そもそもの問題だったのですが。


 そんな自分も家では、それこそ幼少時から様々なアニメ(いわゆるTVまんがと呼ばれる時代から)を姉妹で見ており、子供の頃から結構なアニメっ子でした(笑)。ちょうど70年代後半の「宇宙戦艦ヤマト」の大ヒットに直撃した世代で、それまでは「キャンディ・キャンディ」などのヒットした女子ものやアニメ以外でも姉ともに、特に講談社なかよし系(いがらしゆみこ、原ちえこ、曽根まさこ、それ以外では、あしべゆうほ、大和和紀など)の少女漫画に普通に夢中になっていたのが、そこから世のアニメブームに牽引されるように、結構ディープなオタク道まっしぐら(笑)。


 ヤマトはともかく999を筆頭に虜になった松本(零士)アニメは一種の分かり易い転換点であり、当時の自分的な大きなカルチャーショック的エポックであったことは言うまでもなく事実で、同時期の初代ガンダムはそれほどでもなかったのに(むしろ、その頃はゴッドマーズに夢中だった、爆)そこから派生した、サンライズ系ロボットアニメや「マクロス」「うる星やつら」などをはじめ、まさに華やかなりし’80年代黄金のアニメブームを文字通り肌で謳歌してきた世代でも(特に「ボトムズ」「バイファム」「巨神ゴーグ」「ウラシマン」犬の「名探偵ホームズ」に「Zガンダム」……ああ本当に絵に描いたようなヲタク……笑)。それぞれの作品名を出したらキリがないけど、本当に実にいい時代でした(笑)。


 が、姉妹ともに(姉がどの程度……だったかどうかは定かではないが)いわゆる「隠れオタク」というやつでして学校の知り合いには、絶対にそれを知られてはならないという暗黙の枷が(笑)。因みに当時発売されていたアニメ誌はほとんど購買しており、でもそういうのを学校へ持ってきて騒いでいる向きなどがいたりすると、妙な羨望の思いと共に心の底では一緒に盛り上がりたいのに、という隠れオタならではの哀しさが。


 中高ではいわゆるエスカレーター式のミッション系女子高へ通ってましたが、その学校の学園祭の出し物で「うる星やつら」の絵(人形オブジェの背景画)を皆で描くことになり、見本のアニメ誌版権イラストを見ながら、なぜか自分はスラスラと(笑)。そんな瞬間にも無性に湧き上がる、いかんともしがたい、このジレンマ……、でも、どちらにせよ自分は皆のように当たり前に自分をぶっちゃけることができなくて、要するに知らず知らずに周囲との間に自ら壁を作っていたのかもしれませんね。


 (どうでもいい小ネタで、笑)話が前後しましたが、そんな子供時代を経て、中高の女子高時代、そして同ミッション系の短大時代と今は懐かしい時間は進んでいくのですが、その間もやはりというか、自分というものは、たいして何も変わらず。


 この心の病気のせいで尽く内にこもる性質がかえって功を成したのか、とにかくアニメなどを媒介とした自分自身の想像の世界は縦横無尽に広がったのですが、どちらにしろ孤独な青春時代であったことは否めず。やはり同じ趣味を持ちイマジネーションの世界を培い共有しあえることのできる、せめてそんな同好の士という名の友人がいなかった、というのが今でも強く強く悔やまれるところでもあり。


 それでも、何にでも無駄なものはない、という普遍的真理が指し示しているように、たとえどんな孤独な半生だったとしても、それに付随して何らかの付加価値が付いてくるものだということは、自分自身でも強く信ずるところ。


 短大時代くらいから一旦アニメは卒業の時期を迎え、代わりに中3あたりから色々と聴き始め(ユーミン、村下孝蔵、安全地帯、坂本龍一など)’80年代末あたりから次第に百花繚乱、様々に咲き乱れた、それぞれの世界に触れ親しんでいった音楽の世界。そのちょっぴり背伸びした中学高校時代の延長線上で’90年代直前のその短大時代の二年間、本当に様々な音楽を聴きました。


 ちょうどJ-POPという名称で呼ばれるか呼ばれないかという頃。同時にレコードからCDへと再生メディアが移行する頃合で、自分はバイトなどとは無縁だったため、専らレンタルCD利用で斉藤由貴ほかアイドルものから、男女アーティストともに本当に片っ端から。今井美樹、池田聡、種ともこ、崎谷健次郎、楠瀬誠志郎、相曽晴日、鈴木雄大、オメガトライブ、米米クラブ、パール兄弟、etc.……(やはりというかソニー系が多いのはなぜ、笑)


 短大当時あり余るほどあった時間を使い、巷の音楽情報に常にアンテナを張り巡らせて、FM放送をテープ録音したり無駄に音楽誌なども、まめにチェックしたり。その余波か、歌もの以外のインストゥルメンタルにも枝葉を伸ばし。ニューエイジミュージックというものが密かに流行り始めたのもこの頃で、チェリストの溝口肇やピアニストの日向敏文、中村由利子、西村由紀江などを特に好んで聴いていた似非玄人でした(笑)。


 就職して会社に勤め始めてからも、辛島美登里、田原音彦、SING LIKE TALKING、PSY・S(サイズ)、細野晴臣、ZABADAK(ザバダック)、西脇唯、S.E.N.S(センス)……洋楽ではスイング・アウト・シスターやシャーデー、バーシアなど。因みにその頃、世を席捲していた小室ミュージックなどには一切目もくれず(それでも自分の好みに合うものであれば偏り無く)やはりというか音楽の好みにも、些かマイノリティーなオタク気質が見え隠れ?(笑)


 その時期、アニメ自体は’80年代のような華やかさは翳を潜め、個人的にはまるで休眠期のように思えたものでしたが、それでもガイナックス制作の「ふしぎの海のナディア」のような名作もありつつ。それが後に社会現象ともなり爆発的ヒットを打ち立てるエヴァ(「新世紀エヴァンゲリオン」)の布石ともなる作品で、ちょうど自分が再びアニメの世界に舞い戻る切っ掛けとなったのは’95年頃、奇しくもそのエヴァヒロインの綾波レイ役でもあった、声優の林原めぐみ氏に強烈に興味を抱いたことからで、林原DJのラジオまで熱心に聴くようになったりしたものですが。


 何だかんだで根に苦しいことや辛いことを抱えつつ、それでも何とか今日まで、それらに潰されず当たり前に生きて来れたのは、やはりというか何というか、こういった様々なアニメや音楽などの心豊かな想像の世界が自分自身の近くにあって常に世界を大きく広げてくれたから――。それだけは事実だと思います。


 蟹座の月は反射の月。様々な星々と角度を取りつつ、自分ホロスコープを華やかに彩った、その月の様相が如実にそれを示していて、様々なものから影響を受け、彩り豊かにそれらを謳歌する。それでも、どこか躁鬱気質で常に泣いたり笑ったりを繰り返している、そんな表情豊かなギャップの波の激しさに、その陰影の強さまで、酸いも甘いも色濃く描き出して。


 特に映像的なこととともに、やはり歌や音楽。それらのインスピレーションの世界は目に見えないものであるがゆえに、理屈ではない深い心の世界に縦横無尽にドラマチックで美しい情景を垣間見せてくれたものです。その豊かに思い描いた歌の世界を言葉で描く……。


 音楽を司る海王星は、実は牡牛座の支配星(ルーラー)・金星の一段上に進化したハイヤーオクターブと言われていて、牡牛座自体も人体では喉(のど)を管轄とすることから(実際、牡牛座には歌手や音楽家が多く)音楽と無縁でないばかりか、自分自身は大きな影響力を受ける生まれ。


 これは不幸中の幸いというべきか、物理的に外の世界に積極的に働きかけることができなかったことも手伝い、私自身が常に何かに熱中する体質であったことも幸いして、内向きであろうが何だろうが、こうして文字通り夢中になれることに、いつの日も孤独な心を救われてきた。それだけは唯一無二の福音なのでしょう。


 その実オタクとは、誰とも違う、その夢中になれるマイノリティーな何かを持っていることの一つの証。内向する性質ことも、きっと極めれば何かを成す。その意味で、隠したりしたら勿体無い、決して恥ずべきことではないばかりか、結構立派に誇れることだったりするのかも(笑)。


 今では、もうそういうことでもない時代になって一種の自虐とは違う意味で、オタクというフレーズに纏わる不思議にあっけらかんとした明るさに、個人的に逆に違和感を覚えてしまうほどなのですが。

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