夢と恋愛と嘘と
当然、こういう病気をそれと知らず患っていましたので、短大も卒業という頃合には、皆そろそろ就職活動というものを始めるものですが、私自身はそれすらも全く手につけることができませんでした。そもそも就職……、なんだそれ?みたいに思っていたかも。色々な意味でそんな違和感がまずあったということも事実でした。
当時、男子ならともかく女子の就職というものは(今は些か意味合いが違うかもしれませんが?)いわゆる結婚までの腰掛けみたいに言われていて、実際、勤めた会社で出逢った人とめでたくゴールインして寿退社、という方も多かった。けれど私はそれすら何かが違う、と、うっすら感じていて、誰かとめでたく結婚してそれで終わり? まさか――!?という気持ちの方が強かった。
自分で言うのも何なのですが、若い時分は結構モテる人で(が、今は……?笑)小さい頃の写真などを見ると今でも「か、かわいい~」などと自分ながら悶えてしまうほどの美少女で←(笑)実際、母などからも「子供の頃はほんとに可愛かったよー」などと何かにつけ、いつでも言われていたくらいで、まあそこだけは生年月日が同じ元アイドルの見目麗しい菊池桃子さんとの共通点なのかな?と。そもそも自分の下の名前の由来が「雪のように色白だったから」というものでしたし、動物占いの「こじか」よろしく、庇護本能をくすぐる守ってあげたい赤ちゃんタイプだったのでしょうと。
なので結構、男の人に一目惚れされることも多く(特に年長者のおじさまキラーでした、笑)けれど肝心の本人がその気にならない。実際、自分から好きになる人も何人かいるにはいたのですが、そのほとんどが既に相手のいる人ばかりで。好きになった人には振り向いて貰えないか結果的に遊ばれてしまうか(男の人って尽く自分勝手なのですね)で、内心どーでもいいイマイチぴんと来ない人には尽く好かれるという。
そんなこんなで実際の恋愛というものには、ほとんど無縁で、相思相愛などというものは夢のまた夢。そもそも幼少期からアニメなど架空の物語の中で(ありえない、笑)綺麗な夢ばかり見ながら育ってきた人でしたので、現実の恋愛でも、ついそんな美しい夢を夢見てしまうんですが、そんなものは期待するだけ必ずといって叶わなかったり裏切られたりすることばかり。
自分自身のホロスコープでも、それは如実にあらわれており、夢や理想を意味する海王星と、月や水星火星などの個人惑星が様々にアスペクト(角度)を取り、しかもその海王星が恋愛のハウス5室にある。実際、アニメのキャラクターや会ったこともない音楽アーティストなどにガチで恋してしまったり(笑)むしろ現実というよりも想像の世界での恋愛にのめり込んでしまう(ある意味、想像力が豊かと言えるのでしょうね)傾向が強く、海王星によくも悪くも様々な意味で影響を受けている生まれであるとも。
プロローグでも書きましたが、海王星は悪くすると妄想や嘘、薬やアルコールの中毒といった事柄に及んでしまいますが、そうした悪影響を現実で出さないためには、むしろ海王星のよい面を積極的に体現すればよい。つまり芸術を表現したり、物語の世界を自ら構築するような創作活動全般。勿論、歌や音楽を始めたりするのもよいですし、海王星は水や海とも深い縁があることから、水辺に住んだり積極的にそういった場所へ出かけたりすることも吉。
夢、恋愛、嘘――すべて海王星の管轄というのも非常に意味深なるも、そもそもすべからく様々な意味でのファンタジーそのものが、そういった要因を含んでいるのも、実に面白かったりするのですが(その意味では自分ほど“ファンタジック”な人はいない、笑)。
そんなわけで、この歳まで現実的な恋愛にはとんと縁がなく、そもそも実際に結婚したりといったことにも結局あまりメリットを感じなかったこともあり。無論、人間関係全般に及んだ精神疾患的ダメージも当たり前のようにあったのですが。自分はこういう病気だから恋愛や結婚に縁がないのか? それとも恋愛や結婚ができない人だから夢に走るしかないのか。
あ……もしかしたら海王星って心の病も守備範囲だったりするのか?(苦笑)それはともかく、恋愛こそは人の種の保存のための本能であり、ならば夢も何かを成し遂げるための、かけがえのない一つの本能。だから必ずしも結婚に縁などなくてもよいのだろうな(とはいえ、これ以上、少子化が進むのはマズイですが、汗笑)。
むしろ夢=自分の子供ではないのかと。世の親が子供の成長する姿を楽しみに愛でるのと同じに、自分自身の夢が育っていく過程を心密かに楽しむ。ホロスコープの5室は恋愛の他に、娯楽や子供そして創作そのものをも司っており、ああそうすると子育て=いわゆるエンターテインメントでもあるのだな(笑)などと妙に納得。
そこに夢や理想の星・海王星がある自分は、それこそ恋愛に妄想を持ち込むか、あるいは創作表現の世界で子育てよろしくエンタメするか――どちらがよいのかは、解りきったことで既に目に見えていますが、ああだから自分は就職活動と言われても全くピンと来なかったのだなと。そもそも高校卒業時に、所属していた美術部の余波で「美大に進学しないの?」と言われるのはまず必須でした。が……。
美大といえば東京、そう上京して一人暮らししなければならない。え……、この時点でもう思考停止。その頃はまだ社会不安障害などという単語すら知らなかった。ただただ目の前に林立する恐怖という名の壁に囲まれ、そこから出る術すら全くといって心得ることのできなかった自分は。
美大でもいい、どこかの専門学校でもいい。もしあの時、自分がそうした自由な選択を迷うことなく真っ直ぐ選ぶことができていたら。でもまず「私には無理」という、ほぼ意味のない否定的思いが先に立ち、その当時の自分にはどうすることもできなかった。普通の、周りの人にとってはどうということもない問題。けれど私にとってそれは……。
夢=現実ではなかった。幼少期からその日に至るまで深く心に得た感動や夢は、決して自分自身の手に取ることのできるものではなかった。本当は、それこそが本来の心の真実なのに。私自身が本当に心から欲していたものだったのに。
普通に就職して結婚もできない。なのに自分自身が本当にやりたいと思うこと、その夢すら満足に叶えることもできない(叶える術を得るスタート地点にも立てない)。自分自身の人生の一番最初の大事な分岐点、本来はその自分自身が自由に選んでいいはずの選択肢さえも、私自身は目に見えない不安と恐怖に阻まれ、ただ貝のように固まったまま手も足も出すことができませんでした。
ですから、意味もなく自分自身の決して望まない会社に就職して、その実に7年もの長い長い地獄のような苦闘期を経て、やっとそこから解放された後年(その時はもう二十代後半になっていました)。その間心慰めるようにして聴いていた数多の音楽の中で、ポツリポツリと何度も目にした、その名前……。自分自身の胸の中で、いつしか音の銀河の綺羅星のごとし言葉の星屑を散りばめて、心捉えて離さなかった、それは一つの夢の礎(たぶん)。
そう、ある時『作詞家の松井五郎』氏の主催する通信作詞講座の雑誌広告(因みに星占い関連誌でした、笑)を目にした途端、もう私にはこれしかない!……いや「自分は絶対にそれを受講しなければならない」という閃きのような強い直観に導かれ。ただただ結果も考えず、パンフレット請求の葉書をポストに出していました。
……そこから遅まきながら、ようやく私自身の可能性という名の旅は、始まったのだと思います。
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