夢の分岐点

 冒頭でも少し触れましたが、筆者は作詞および詩作など、あるいは20代の頃から趣味として齧っている占星術の世界に魅せられ、これまでそれらに関する文章などを、日々の出来事とともにネットのブログなどで断続的に書いてきました。


 本格的に占いができるわけではないのですが、人や物事を占うだけではない、その奥深さの虜となり、それをもっと別の新しい形に昇華し、表現できないだろうか?などと、いつしか思うようになりました。


 そして作詞も、本格的にやってみたいと思ったのが、その同じ20代の末。作詞家の松井五郎さんの主催する通信作詞講座「BEGIN THE WRITE」を二度に亘り受講。足掛け6年間でしたが、その間の鮮明な記憶は、今でも自分自身の生きる糧となっているかもしれません。


 松井さんは、私自身が学生時代に安全地帯のファンであったこともあり、その歌詞の大半を書かれていた方ということに留まらず、その後も様々なアーティストの作詞にて、その名を目にするうちに、その一貫した詞の世界観の見事なまでの完成度や作品のクオリティの高さに瞠目するうち、自然と作詞家としてリスペクトするようになった方です。


 作詞自体については、子供の頃から様々に見てきたアニメの主題歌などで、歌それ自体に元々興味があり、そしていつしか、その歌の歌詞に深く関心を抱くようになったのが、その原初の切っ掛けと言えるかもしれません。


 また´80年代に様々に台頭してきたアイドルソングや歌謡曲、あるいはニューミュージック系アーティストなど、歌番組のテロップやCDやレコードの歌詞カードなどで触れるうち、その歌詞そのものや、作詞家という存在にいつしか興味を覚えるように。


 作詞講座を受講する以前に、アニメのサントラなど、音楽のみのインストゥルメンタル曲を聴きながら、つらつらと浮かんでくる様々なイメージを言葉に置き換えて、擬似作詞のようなことをしていた記憶も。


 今の今まで(当然のごとく?)プロとして活動したことは一度もありませんが、それでも作詞は結構、自分自身の感性などに最も合っている作業のような気がしています。


 でも私はプロという選択を選ばなかった。むしろ「選べなかった」と言えるのかもしれませんが、そんな運命の悪戯とも言える、時やチャンスを逃してしまったことなども含め、それでも、その「ならなかった」ということが、今こうして新たな選択肢を特別に提示してくれているような気もします。


 私という人間は、そういった音楽のプロに向かない人種なのかもしれないし、作詞作業自体はともかく、その世界(業界)の感覚についていけないような所もあるのかもしれません。それでも今という時代は、もっと自由な選択肢をも、こうして目の前に繰り広げることを許してくれる時代なのかもしれません。

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