夢追い工房

みなもと瑠華@ミナモトルカ

序文

-プロローグ-

はじめまして

 こんにちは。ミナモトルカ(みなもと瑠華)と申します。


 《――こちらで既にいくらか、お目にかかったことのある方もいらっしゃるかと思いますが、改めてご挨拶いたします》


 (たぶん)趣味で星占い(西洋占星術)の文章を書いたり、作詞および詩作したりしています。こちらや他投稿サイトなんかで小説も一作アップしていますが、なぜか鳴かず飛ばず(笑)本当はそういうことを自分の仕事にしたい、もしくはライフワークにと、心の底では激しく思っているのですが、しかし、それでお金を稼ぐことなどを考え出すと、唐突に心が萎えてしまいます。


 皆さんは夢を持っていますか。たぶんこちらに来られる(カクヨムそのものと、このエッセイのタイトルをクリックされた)方は、その大半が「Yes,」と答えられるのではないかと思います。そしてそれを実際に実現したいと思う、そんな希望を持っておられる方も多いかと思います。それでも現実は厳しく、その夢のハードルが高く難しいと感じるほどに、いつしかその夢を諦めてしまう人も同様に多いのではないかと思います。


 それでも、その「夢を持つ」ということは、それだけで、とても奇特なことです。どれほど勉学において優秀で、よい学校や大学に受かることや優良企業に正社員として採用されることよりも、もっとずっと大切なことのような気がします(勿論それらを“自分の夢”として語ることも決して間違いではありませんが……それでも何かが違うという気が?)。


 筆者のように、いわゆる創作活動全般を、その対象としてもよいのですが、決してそれだけに留まらず、本当に心からやってみたいと思うこと……、つまりワクワクすること。夢というのは、その夢みる本人が、本当の意味で自由に心を羽ばたかせることのできる、実現できるかできないかはさておき、そんな何かの制限に妨げられることのない、いわば心の糧そのものではないかと思います。才能やその適正があれば、なおよいですが、たとえそうでなくとも、夢を見ることは容易くできます。


 夢には年齢も関係ありません。誰しも若い頃は、様々な可能性が行く手に開けているものですが、ある程度歳を重ねてからの方が、その夢に近づくことのできる経験というものを養うことも可能です。人生の終わりを迎え、老後を満喫できるお年寄りになってから、その夢に触れられる方も多くおられます。


 夢は「青春」とも言い換えられるでしょう。青春、青い春。新しく春先に芽生える、まばゆい若葉のように、どこか夢は、そんな若草色の瑞々しい新芽を思い起こさせます。それは、命の輝きそのものです。そう、私たちの誰もが、その命の輝きを享受して、生きていることそのものを実感する喜びを与えられ、こうして生まれてきたのです。


 夢=「生きている命の輝き」


 それを、いつの日も心に抱きしめている人の瞳は、いつでも美しく、光り輝いています。実現できるとかできないとかは、この際二の次です。その夢を追っている間は、その人は本当の意味で生きていると言える。そんな不思議な魔法を、夢はふと授けてもくれます。


 最初はそんな実現できるかどうかもわからない、かなり適当であやふやなものですが、自分の好きなことを趣味としてやっているうちに、具体的にいくつかの選択肢を心に浮かべる瞬間というものが、誰しもやってきます。筆者である私自身にとって、それは作詞と占星術(星占い)でした。

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