第5話
翌日、学校も休みだったので、ヴィダルはレイフに休暇を与えた。
別段、特別なことではない。週に一日は必ず与えることは決まっていたことなのだ。それに、休暇を与えてもレイフの過ごし方はだいたい同じ。
普段のレイフの一日と言えば、ヴィダルに出掛ける用事がなければ雑用に勤しみ、仕事がなければ書斎でいつもの本を読んでいる。
だから、休暇を与えてもいつもどおりに書斎に入り浸ると思っていた。
が、今日は違った。
レイフは外に出掛けていったのだ。
その姿を見ていたヴィダルは、どうも怪しい気配を感じ取っていたのだが、レイフも年頃だ。色々と考えることもあるのだろうと、適当に流して済ませたのであった。
休暇をもらったレイフは、淡い期待を胸にあの場所へと向かってみることにした。
ソフィア・テオリーンが住まう孤児院。その孤児院は町の端に建てられており、石の塀で広い庭を囲っている。その塀の高さは一メートル五〇センチと言ったところか。ちょうどレイフの頭がまるまる出る程度の高さである。
しかし孤児院に着いたレイフは、やや背を屈めてこっそりと孤児院の様子を窺った。見えるのは、石造りの建物と洗濯物が干された広い庭、そしてそんな庭で元気に走り回る子供たちの姿。きょろきょろと辺りを見回すが、彼女の姿は見えない。
何処かに出掛けてしまったのだろうか。
そう思った矢先、背後から肩を叩かれた。瞬間、隠れていた後ろ暗さに心臓が飛び出る思いをし、振り向き様に頭を下げて謝罪の意を示す。ふと、相手の足元が見えた。正直なところ、もしかしたら彼女かもしれないという下心があったのだが、どうやら違うらしい。見えた靴は男物だったのだ。顔を上げて相手を見る。初老の男性がそこにいた。
「きみはここで何をしているのかね?」
声が聞こえないながらも、相手がレイフを怪しんでいるのは間違いなかった。なので咄嗟に手帳を取り出し、事情を綴る。しかし相手はその行動自体を訝しんでいた。
「探している人がいる? それはわかるが、なぜ自分の声でそれを伝えないのだね。……もしや、きみは」
初老の男性はレイフの口を強引に開けさせた。そして睨むように口の中を見る。
「うん? なんだ、舌はあるじゃないか。しかし舌があるのに、どうして口なしの真似事などしているのかね?」
レイフは相手が何を言っているのかはわからなかったが、舌を見られたことから大体のことは察したので、自分の耳を指差し、それから首を振って見せた。
それを受けて初老の男性はレイフから手帳を預かり、次の言葉を記した。
『もしや耳が聞こえないのかね?』
レイフは首肯する。
『そうかそうか、耳が聞こえないのか。しかし声は出せるのだろ?』
『耳が聞こえないので、どう声を出せば正しい発音になるのかがわからないのです』
『なるほど、それは失礼なことを聞いたね。でも、強く生きるんだよ』
レイフは頷き、初老の男性はにっこりと微笑む。
『ところで、私はこの孤児院の施設長をしているニコラスという者なのだが、きみの探している人とは誰なのかね?』
ソフィア・テオリーン。
そう書こうとしたレイフだが、途中で躊躇してしまう。別段、深い意味はない。ただ気恥ずかしくなっただけである。それでも書いて相手に見せた。
すると、ニコラスの目がすっと細められた。
『あの子が何かしでかしたのかね?』
「?」
レイフはその文の意味がわからなかった。
ニコラスは続けて書く。
『なにかをやらかすとは思っておったのだよ。やはり竜というのは信用できんな』
レイフは信じられないものを見る目で相手を凝視する。
この人は、こちらが何も言わないうちから決め打ちで彼女を貶めた。施設長という立場の人間が、である。つまりは、それがこの人の彼女に対する信頼なのだ。
レイフはやるせない想いに奥歯を噛むと、手帳に『彼女はなにも悪いことはしていません』と書き込み、見せつける。ニコラスは「それは良かった」と胸を撫で下ろす。その反応は、耳が聞こえないレイフでも正しく認識できた。しかし、だからこそレイフにはその反応が無責任に見えた。彼女を貶めておいて、それに対する申し訳なさはないのか。レイフは苛立たしかったが最低限の礼節を保って頭を下げ、その場を去った。こんな人間と話したくない。それよりも彼女と会いたい。そう思ったのだ。
彼女が居そうな場所といえば、残すは市場くらいだろう。
そしてレイフのその期待は、市場にやって来たところで現実となる。
もしかしたらいるかもしれないと見回していると、市場の人込みの中でソフィア・テオリーンの姿を見咎めたのである。
彼女は夕食の買い物でもしていたのか、大きな籠を持っていた。どうやら相当な重量のようで、彼女はたびたび地面に籠を置き、大きな吐息の後に気を取り直して持つという作業を何度も繰り返していた。
それを見かねたレイフは、彼女が市場から路地に入ったところで駆け寄り、おもむろにその籠へと手を伸ばした。しかしその手を助けの手ではなく、盗人の手だと勘違いしたソフィアは抵抗。レイフは慌てて彼女の肩を叩き、自分が見ず知らずの盗人ではないことを主張。そこでようやくソフィアはレイフに気付き、ホッと胸を撫で下ろした後に謝罪の意を示した。無論、レイフがその謝罪を受け取れるはずもない。悪いのは、いきなり荷物を取ろうとした自分なのだ。レイフはすぐに手帳に記す。
『驚かせてごめん。重そうだったから、つい。持つよ』
ソフィアは遠慮がちに首を横に振る。正直なところ、荷物持ちを手伝ってもらえるのは助かるのだが、それは悪い気がしたのだ。
しかしレイフは引かない。
『僕が持ちたいんだ。駄目かな?』
そう尋ねると、ソフィアは困った顔をしながら手帳を預かり、『どうして』と書き込んだところで唐突に止まった。その文字に込められた意図は「どうしてあなたは、私が竜だと知っているの優しくしてくれるの?」というものだったのだが、その答えを聞くことが怖くなったのだ。本当はこの人も私が竜だと気付いていないのかもしれない。だとすると、それを知った途端に冷めた目を向けられるかもしれない。そう考えてしまうと、ペンが先に進んでくれなかったのだ。だからソフィアはこう書き加えた。
『どうして手伝ってくれるの?』
これならば大丈夫。仮に竜だと気付かれていなくても、ひとまずは誤魔化せる。
そう思ったのだが、レイフは返ってきた手帳に次のように書き込み、ソフィアをまっすぐに見据えた。
『僕は、きみが竜だということを知っているよ。知っている上で手伝いたいんだ』
「……」
ソフィアは今の言葉を正しく理解するまでに若干の時間を要した。と言うのも、今までの人生において、竜と知った上でここまで優しくしてくれた人などいなかったからだ。店員然り、施設長然り。やはり竜に対する侮蔑がそれらの目には帯びていた。
だが、いま目の前にいる少年はどうだろうか。
まっすぐにこちらを見据え、竜と知った上で手を差し伸べてくれている。
それを実感したとき、ソフィアは今まで誰に言うでもなく胸の奥に溜め続けていた感情を、知らず知らずのうちに涙として吐き出していたのであった。
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