第4話

 陽が地平線に沈み始めた頃、孤児院は夕食の時間を迎えた。

 孤児院の決まりでは、食事は長机を並べた元礼拝室の広間にて、皆で摂ることになっている。そのため、食事時になると広間は子供たちの喧騒に包まれるのだ。

 ソフィアも孤児たちの洗濯物を干し終え、広間へと帰ってきた。見れば、普段どおり大きな鍋に今日の夕食が作られ、それを子供たちがそれぞれに器を持ってもらいに行き、そして長机に腰を落ち着かせているところだった。

 自分もはやくもらいに行かなければ。

 そう思ったソフィアのところに、初老の男性――施設長が近付いてきた。

「今日もいろいろと手伝ってもらって悪いね」

 いえ、と言うようにソフィアは首を振る。

 施設長ニコラス。王都から派遣され、この地域一帯の信仰を託された牧師。今は信仰者を導く傍ら、孤児院を運営している。

 ニコラスはソフィアの謙遜した対応に笑い声を零した。

「いやいや、きみの働きには助けられているよ。うちの孤児院は小さい子が多いわりに職員は少ない。だから孤児であるはずのきみに負担が掛かっていることを、私は心苦しく思っているのだよ。今日も買い物に洗濯物と、働き詰めだったじゃないか。疲れたろ?」

 ソフィアはふたたび首を横に振る。

「ははは、そう私を気遣うことはないのだよ。疲れたならば疲れたと言いなさい。……そうだ。疲れているのに、こんな喧しい所で食事させるのはしのびない。特別に私室で食事することを許そう。さあ、部屋に行きなさい」

 でも、とソフィアは困惑を見せる。が。

「部屋で食べなさい。もう食事は運んでおいた。わかるね?」

 それですべてを悟ったソフィアは、小さく頷いてひとり私室へと戻っていった。

 私室の二階角部屋は、他の部屋に比べて狭い。その上、ソフィアが入るまでは長らく人が住まっていなかったため、家具から床板まですべてが傷んでおり、ソフィア自身で修理しないといけない有り様だった。

 そんな寂れた部屋の窓際。そこに備えられた木机の上に、食事は置かれていた。パンと肉の入ったスープ。そのスープはすでに冷え、ずいぶんと前に入れられた物だということがすぐにわかった。つまりは、ソフィアがここで食事を摂ることは、もうその時には決まっていたのだ。

 ソフィアは自嘲するように微笑み、下唇を噛み締めた。胸の奥が締めつけられるように痛む。喉の奥がきゅっと絞まり、瞳がじんわりと湿るのを感じる。駄目だ、と自分に言い聞かせて目元を拭った。

 と、そのとき。

 側の窓の外に人影が見えた。それは走っていたようなのだが、不意にこちらを見上げ、立ち止まった。そして何やらあたふたと狼狽し始めたのである。

 いったい何をしているのだろうか。

 そして観察していて気付いた。それは肉屋の帰りにぶつかった少年だったのだ。

 名前は、たしかレイフ・スヴェンソンと言っただろうか。

 竜である私にも優しく接してくれた少年である。

 いや、彼はまだ私が竜と知らないから優しくしてくれただけなのかもしれない。

 そう思った途端、心が泥水を流し込まれたように暗くなり始めた。

 しかし、そこで気付いた。

 そう言えば、彼は手帳を使って名前を教えてくれた。あれは、声が出せない私のためにしてくれた事なのではないだろうか。つまり彼は、私が舌を抜かれた竜だと知っていたのではないだろうか。知っていて優しくしてくれたのではないだろうか。

 心とは、存外単純と言うべきか、現金なものだとソフィアは思う。先のように考えた途端、泥水はすっかりと浄化され、澄み切った気持ちになっていたのだ。

 彼は未だにあたふたとしていた。

 ソフィアは小さく笑い、控えめながらも手を振ってみることにした。

 それに気付いた彼はぱあーと顔を明るませ、まるで小さな子供がまた明日も遊ぼうと暗に告げるように大手を振り、そして颯爽と行ってしまった。

 可愛らしいな。

 ソフィアはふたたび小さく笑い、椅子に腰掛けてスープを一口。それから窓から見える夕陽を見て、なんだか心が温かいなと思った。

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