第2話

「レイフ! 何処に行った、レイフ!」

 青年の怒声に近い呼び声が屋敷内に響き渡る。

 ヴィダル・カールシュティン。町の富豪に生まれた次男坊で、甘やかされて育っただけに遊び回るような人間になってしまった。しかし勉学に運動、美術と何をやらせても才能を発揮するその姿に両親は満足しており、あと望むことと言えば、騎士団に入ってもらうことだけだった。そのために必要なことは、剣術。ゆえにヴィダルは母親に剣の稽古へ行くことを強要されていたのだが、今は付き人が見当たらない。

「レーイフ! レイフ・スヴェンソン!」

 ずかずかと廊下を進み、ヴィダルは屋敷の隅々を見て回る。しかしそんな様子を見かねた若い家政婦が声を掛けてきた。

「あ、あの若様、あまり大声で叫ばれますと、奥様の耳にも……」

「その母親が指名した目付役が行方不明なんだろうが! 今じゃ俺は、あいつが側にいないと外出もろくに許されねえんだぞ!」

「しかしそれは若様の奔放が過ぎたばかりに、奥様が……」

「なに?」

「も、申し訳ございません」

 別段、なにか間違ったことを言ったわけではない。しかしヴィダルに怒鳴られ、若い家政婦はすごすごと身を引いた。所詮は仕える身。雇い主の怒りを買って得をすることなどありはしないのだ。そんな苛立ちをつのらせるヴィダルの所に、熟年家政婦が普段どおりの澄ました表情と足取りでやって来た。

「若様。レイフでしたら書斎にて読書をしておりましたが、呼んで参りましょうか?」

「書斎? いや、俺が行く」

 ヴィダルはすぐに書斎へと向かった。背後では「廊下を走ってはなりません」と熟年家政婦が吠えているが、無視。長い廊下を走ってしばらくすると、重厚な木製扉が見えた。それを開くと、静謐な空間が広がっている。手前から奥まで壁沿いに連なった本棚。そこに隙間なく並べられた本。その部屋の最奥にある一つの窓の前に備えられた、木製机。そこに一人の少年がいた。レイフである。短髪で、幸薄な顔。あの、常に眉尻が下がった弱気な顔つきは、何もしていなくても苛つかされる。ヴィダルは舌打ちすると、本を黙々と読むレイフのもとへと近付いていった。

「おい、レイフ。……おい、レイフ!」

 ヴィダルは本を取り上げ、そのタイトルを見る。それはいつもレイフが読んでいる本。また飽きることなくこれを読んでいたのか、と呆れた様子でため息をついたところで、ようやくヴィダルの存在に気付いたレイフが慌てて椅子から立ち上がり、頭を下げて謝罪と挨拶の意を示した。

「謝らなくていい。顔を上げろ。……はやく顔を上げろ!」

 顎に指を添え、強引に顔を上げさせてようやくレイフは主の顔を見た。ヴィダルは手振りを交えながら改めて伝える。

「もう一度だけ言う。謝罪は要らん。これから先生の所へ稽古に行く。付いてこい」

 するとレイフは黙したまま頷く。その目に怯えはない。ただただ従順になることを使命とした弱者の目。それがヴィダルには気に食わない。

「お前には自我がないのか?」

「?」

「なんでもない。行くぞ」

 そうして書斎を出ていったヴィダルの後を、レイフは犬のように追ったのだった。


「ったく、面倒臭い。ただでさえ毎日のように学校に行ってるってのに、こうも習い事をやらされると遊ぶ時間もねえや。だいたいなにが騎士団だよ。戦争当時は最前線で戦ってたらしいが、今では竜に対する治安維持部隊みたいなもんだぞ、あれ。まあ、歴史があるだけに今でも高尚な存在として見られてはいるけどよ、あんなもんには名誉ばかりに目が行く無能貴族が成ればいいんだ。なあ、レイフ。っつか、お前が騎士団に入れよ。遊びでしかやり合ったことはないが、剣の筋はいいんだ。目指してみろよ。あ、でも騎士団ってのは家柄も必要だったな。あーあ、ほんとくだらねえ」

 稽古場に向かう道中、ヴィダルは愚痴を零し続けていた。その内容があまりなものだっったので、側に控えるレイフは戦々恐々としていた。

 騎士団は国王が設立した組織であり、また貴族を多く抱えている。それだけに騎士団への批判ないし軽視は、そのまま王侯貴族を貶めることに繋がるのだ。

 しかしレイフからヴィダルをたしなめる言葉はない。仕える身分だからではない。レイフにはそれが出来ない理由があったのだ。

 そのとき、前方からやって来た馬車が違い様に止まった。そして御者が言う。

「おう、ヴィダル。これからご出勤か?」

 見ると、その御者は学校の悪友――ヨーランだった。昔からよくつるんでいた仲で、ヴィダルが現在のいい加減な性格に育った要因の一つでもある。そして荷台の方を見ると、同年代と思しき四人組みの男女。どうやら、これから郊外の湖へと遊びに行くらしい。

「どうよ、ヴィダル。お前も来ないか? それでちょうど男女比三対三になるんだが」

 本来ならば、これから稽古があるからと断っていた。しかしヴィダルの性格がそれを許さない。しんどい想いをするくらいならば、皆と一緒に遊ぶ方がいいに決まっている。そう結論を出したヴィダルは、馬車へと近付いていく。が、そこで背後のレイフの様子に気付いた。現状を理解できずにあたふたと困惑する姿。ヴィダルはレイフの顔をまっすぐに見据え、手振りを交えながら指示を出した。

「レイフ、俺はこいつらと出掛ける。お前は稽古場に行って先生にこう伝えろ。ヴィダル・カールシュティンは軽い病気で休む、と。言っとくが、親には稽古をサボったことを告げるなよ。聞かれたら、稽古に行ったと言え。いいな」

 レイフは首肯。ヴィダルはそれを確認してからようやく馬車に乗り込んだ。

 そして走り出した馬車の上、主を見送るレイフを見た後、ヨーランがヴィダルに尋ねた。

「あれが噂の召使いか……。言葉が話せないんだっけ?」

 ヴィダルは面倒臭そうに首を振る。

「ちげえよ。耳が聞けないんだ。だから言葉も話せない」

「じゃあどうやって会話してんだ? さっきもずいぶんと細かい指示を出してたけどよ」

「手話。手振りと口の動きで相手に意志を伝えるんだ。例えば、こう」

 ヴィダルは中指を突き立てる。

「……それ、絶対に手話じゃねえだろ」

「あ、わかるか?」

 瞬間、ヴィダルは肩を殴られ、しかし大いに笑ったのだった。

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